「ピーター・パン」/すべての子どもに | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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本多 顕彰, ジェームズ・バリ
ピーター・パン (1953年) (新潮文庫〈第588〉)

amazonでは出ませんが、美しい表紙は米倉斉加年さんの手によるもの。この方で有名なのは、夢野 久作さんの「ドグラ・マグラ」の挿絵らしい。Wikipediaには、角川文庫版のカバーイラストが米倉斉加年さんによるもの、と書いてあったのだけれど(リンク1リンク2 )、下に貼ったのであってるのかな?



amazonでちらちら見た感じだと、こちらの雰囲気が「ピーター・パン」に近い感じかなぁ。

ついでに、興味が出てきたのは、この辺とか。


さて、本題の「ピーター・パン」に戻りますと、私、石井桃子訳、福音館書店の「ピーター・パンとウェンディ」は子供のころからの愛読書だったのですが、それとは別に「ピーター・パン」が存在する事に、これまで全く気付きませんでした…。で、図書館のリサイクル・コーナーにて、新潮文庫版のこの本を見つけて、拝借してきたというわけです。

目次
公園の大漫遊
 ピーター・パンが活躍するロンドンの大公園に、皆さんをご案内しましょう。あきれるほど広く、いろんな名所がある。
ピーター・パン
 生れて七日目、ピーターは、窓から逃げ出して、公園へ飛び帰る。赤ちゃんから、小鳥へ逆戻りしたのです。しかし、会う妖精に、みな逃げられて大弱り。
鶫の巣
 鶫たちは総動員で、ピーターのために、ボートを造りました。ピーターは、楽しい公園の探検に船出します。妖精の小人たちと会って……。
閉め出しの時間
 ピーターの奏でる美しい楽の音、躍る妖精の群れ。だが、ピーターも、お母さんが恋しくなり、飛ぶ力を与えて貰い、大空高く。そして我が家の窓へ。だがお母さんは、別の子を。
小さい家
 ぶきりょうな妖精の処女が、公爵さまの恋心を燃やし、忽ち、五十組の結婚式があげられるお話。その蔭には、可愛い、健気なお嬢さんが、夜の公園での大冒険。
ピーターの山羊
 勇敢なピーターと、健気なお嬢さんとが、親愛のキス。二人の悲しい別れ。
 解説


最近、姪と甥の七五三のお祝いにちょっぴり参加させて貰ったのですが、あんなに良く分らない言葉を喋っていた彼らが(そう、それはまるでここで言われている鳥の言葉のよう!)、すっかり普通の言葉を話すようになっていて、意思疎通もほぼ出来るようになっていました。親に聞いているつもりでいたら、本人が答えてくれたりとか、ね。

「ピーター・パン」の中でいう「子供」は、この意思疎通が出来る前の子供を言っているのだと思います。

 子供は人間になるまえに小鳥だったのであり、生れた最初二、三週間は少し乱暴で、肩の、翼がついていたところが非常にむずむずするもの。赤ん坊時代には、小鳥時代の色々な風俗習慣を覚えていたものだけれど、成長するにつれ、いつしかそれを忘れてしまう。

さらに、この世の中には「妖精」という素敵な存在がある。永遠に子供のままである、ピーター・パンの良い友達となったのが、妖精たち。気まぐれで、役に立つことは決してしない彼らだけれど、妖精たちの舞踏会は実に素敵!

 妖精と人間との大きな違いは、妖精は役に立つことを決してしないということ。この世に初めて生れて来た赤ん坊が、初めて笑った時に、その笑いがこなごなにわれて、何百万という細かいものになって、それがすっかり跳ねまわって行った、それが妖精の始まり…。

決して子供礼讃!な本ではないのだと思うけれど、子供の持つ豊かな想像力や可能性を慈しむような物語だと思います。ちょっと古めかしい言い回しもまた良き哉。