私はこれまで猫を飼う機会には恵まれなかったのだけれど、ああ、「猫を飼う」というのは、きっとこういうことなんだろうなぁ、と考えさせられた物語。
表紙もいいでしょ? 本書の中にあるカラーの挿絵もいい雰囲気。
しかも、この本では「猫」をただ「猫」と呼ぶのではない。本書に出てくる「猫」、トム・ジョーンズ氏は、別名「毛皮の人」とも呼ばれている。「紳士猫」だけに、随分尊重された呼び名ではありませんか。
(ちなみに、あまり関係ないけど、「まえがき」によると、彼のトム・ジョーンズ氏は、「ロリータ」を書いたウラディミール・ナボコフに預けられた事もあるらしい)
目次
まえがき
1 アレクサンダーの毛皮から街の顔猫へ
2 冒険
3 逃亡
4 鱈のごちそう
5 帰郷
6 命名されて、名なし猫と争う
7 トム・ジョーンズは万事を掌握する
8 ジョーンズの試練
9 またたびの二日酔い
10 ねずみは逃走中
11 主人はだれだ
12 紳士猫の第十一戒、または窓際猫の意見
訳者あとがき
自ら望んで出奔し、街にそれありと知られた猫となりながらも、まだ名もない紳士猫だった「彼」は、あらゆる面で彼にふさわしいハウスキーパー、すなわち家主でも世話係でもある同居人を探索する事を思い立つ。
どんな猫でも知っている理想的なハウスキーパーとは、中年の独身女性(オールド・ミス)であり、できれば庭付きの小さな家に住んでいることが好ましい。子供たちといえば、正直出来るだけ避けたいもの。彼らはマナーもまだ身につけてはいないし、ハウスキーパーの気持ちを乱して、務めを忘れがちな存在なのだから。
漂泊や渡り歩きを繰り返した「彼」は、いつしか理想的なハウスキーパー、「やさし声」と「ぶっきら声」姉妹のもとへとたどり着く。英文学のヘンリー・フィールディングより、トム・ジョーンズと命名された彼は、健やかなる時も、病の時も姉妹のもとで過ごし、愛を知るようになる。
毛皮の人とはまた、ひとり、例外的にはふたりの人間を愛すようになり、生涯を人間とともに暮らそうと決めた猫のことでもあります。こんなことはその人間が自分の一部を猫だと想像し(トム・ジョーンズはぶっきら声が時どき、ごろごろとのどをならそうとすることに気づいていました)、猫のほうでも、自分の一部は人間だと想像していないかぎり起こりません。おたがい、もちつもたれつなのです。毛皮の人は、他者の心のわかる、デリケートでていねいで寛大な、いわば猫らしい人間の養子になるべきなのです。
猫って、「ヒトデのような手を結んだり開いたり」するんですかね。
あの手がむにーっと開くのかと思うと、ぐわー、可愛い!
自由や威厳、尊厳や慎みを重視する「紳士猫」トム・ジョーンズ氏。気まぐれに見える猫にも、うーむ、色々な彼らの事情があるのかもしれませんなぁ。
*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。