旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


テーマ:
オリヴァー サックス, Oliver Sacks, 吉田 利子
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者

目次
 謝辞
はじめに
色覚異常の画家
最後のヒッピー
トゥレット症候群の外科医
「見えて」いても「見えない」
夢の風景
神童たち
火星の人類学者
 訳者あとがき

ここに描き出されるのは、七人の「特殊」な世界に生きる人々。

事故により色を失ってしまった画家、脳腫瘍により1960年以降を生きる事が出来ない青年、衝動的行為という障害を持つ外科医、見えない世界から突如見える世界へと連れ出された青年、過去の記憶に傅く画家、高い芸術力を有する自閉症の少年、そして最後がいま一人の優れた自閉症の女性。

自己や世界の認識の仕方について考えさせられる。

豊穣な色の世界に生きてきた画家が、放り込まれたのは、全てが色褪せたダークグレイに見える世界。自らが生きる新しい世界に絶望した彼であったが、ある日、まるで爆弾のように太陽が昇る、力強い日の出の様を見て変わる。白と黒の絵ならば描ける。むしろ、白と黒の世界に生きる自分だからこそ、描けるものがある(色覚異常の画家)。

始終、身体を捩ったり、奇妙なふざけた動作をせずにはいられない、トゥレット症候群。安定した細かい正確な作業が必要とされる外科医などは、問題外の職業だと思われるのだが・・・。ベネット博士は、重度の患者でありながら、実に優秀な外科医であった。彼がいうには、トゥレット症候群は、誰もが抑制している、知らずに持っているような原始的な本能を『呼び覚ます』(トゥレット症候群の外科医)。

見えない世界から、見える世界へ。「見え」さえすれば、世界が変わるかと思われたが、それまで彼が作り上げてきた「見えない」世界はとても強固なものであった。「見る」ことにも経験が必要であり、「見えて」いることと、「分かる」こととは別であり、時間の流れに従って触覚で認識する、「見えない」世界からの移行は非常に困難なものであった。触覚、聴覚、嗅覚の印象の連続によって世界を作り上げる彼らには、同時的な視覚認識が難しく、大きさや距離感が分からないのだ。そして、この彼、ヴァージルにはまた数奇な運命が待っていた(「見えて」いても「見えない」)。

一人の少年の事を書きながらも、タイトルは神童「たち」。スティーヴンは、一つには彼が持っていた芸術的才能のおかげ、また一つには彼を熱心に支援する人たちのおかげで、自閉症児たちの幸運な例外となった。芸術的才能を持つというだけでは十分ではなく、認められず支援されない、同じ才能を持つ自閉症の人々も少なくはないのだ。それらの人々は、スティーヴンに与えられたような、変化や刺激もないままに、ただ埋もれていく・・・(神童たち)。

テンプル・グランディンは、自閉症にもかかわらず、動物学で博士号を取り、コロラド州立大学で教え、事業を経営している。彼女は如何にして、破壊的で暴力的だった子供時代を通り抜け、優秀な生物学者であり、技術者である今の姿を獲得したのか。人の微妙な感情やニュアンスが分からないという彼女は、何年もかけて膨大な経験のライブラリーを構築したのだという。彼女はまるで「火星の人類学者」のように、人という種について学ぶのだ。
理知的に理解出来ること以外は理解出来ない彼女は、自分が普通の意味での対人関係を獲得する事が出来ないと諦めて(というか、理解して?)いるが、そんな彼女の作った「抱っこ機」は何だか切ない。小さい頃、抱きしめて貰いたくてたまらなかったけれど、同時に、彼女にとって人との接触は自分が呑み込まれてしまうような恐怖でもあった。「抱っこ機」は幼い頃に彼女が夢見た、力強く、優しく抱きしめてくれる魔法の機械を実現したもの。家畜の気持ちを誰より理解し、家畜の痛みや不安について誰より心を砕き、抱っこ機で安らぐ彼女は、とっても魅力的なのだけれど・・・(火星の人類学者) 。

自分が当たり前に見て、みな共通だと思っている世界とて、実は曖昧であやふやのものにしか過ぎず、ほんの少し何かが損なわれるだけで、違った世界に放り込まれてしまうのかもしれない。そもそも「正常な」人間だって、みな同じように世界を構築しているとは限らない。しかしながら、違った世界に居てもなお、そこで適応していく力が、与えられている場合もある。「違った」認識だからこそ、優れた業績を残せることもあるのだ。それは幸運な例に過ぎないのかもしれないけれど・・・。

脳神経科医が記す本書。一人の患者について話しつつも、時に誰々の場合も同じだった、などというフレーズが入ったり、専門的な記述もあるけれど、基本的には一人一人に出来うる限り、寄り添ったものであると思われる。特に「火星の人類学者」におけるテンプル・グランディンには、著者自身も強い感銘を受けたのではないのかなぁ。

 ← 文庫も。

テンプル グランディン, マーガレット・M. スカリアーノ, Temple Grandin, Margaret M. Scariano, カニングハム 久子
我、自閉症に生まれて
テンプル グランディン, キャサリン ジョンソン, Temple Grandin, Catherine Johnson, 中尾 ゆかり
動物感覚―アニマル・マインドを読み解く
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2005年の3月からブログを始めて、その後、暫くしてから参加した、amazonのアソシエイトプログラム(アフィリエイト)。紹介料なんて、なかなか貰えないもんなんだなぁ、と思っていたら、本日、amazonよりギフト券プレゼントを頂きました♪

約二年弱で、2342円。こう書くと少ないようにも思いますが、何と、DVD、CD、本、合わせて58点もの品をお買い上げいただいたようです。こちらからお顔は分かりませんが、買ってくださった方々、ありがとうございました。

新たな本資金にしたいと思います流れ星
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畠中 恵
うそうそ

「しゃばけ」シリーズ、第五弾。此度、わたくし、図書館で本を借りる悲哀というか、予約システムの悲哀を思い知りましたよ。「しゃばけ 」、「ぬしさまへ 」と、シリーズのはじめの二冊は読んでいたものの、間が抜けたまま、この「うそうそ」が私の手元に来ちゃったのです。間を買おうか迷ったのですが、そのまま、えいやで読んじまいました。

そのせいかどうか、今回はちょっと楽しめなかった・・・。表紙絵は相変わらずの可愛らしさなんですが・・・。珍しくも、少々辛口で行きます。
ある夜、若だんなは揺れとと共に不思議な声を聴く。その声は複数であり、若だんなが邪魔であることを告げる怪しい声、若だんなが死んでしまうと心配する声、若だんなが持っているはずの物を狙う声、そしてお終いには悲しそうな女の子の泣き声・・・。これらの声は一体何を意味しているのか?

さて、江戸ではその後も地震が頻発し、一太郎は籠がぶつかって、軽いとはいえ怪我をする。若だんなの身を心配した母は、稲荷神のご神託もあって、一太郎の湯治を発案する。庭の稲荷神様が言う事には、ゆっくり湯に浸かって養生したら、若だんなも人並みに丈夫になれるかもしれないというのだ。

ところが、この旅は最初から波乱含み。店の横の堀から船に乗って、薬種問屋・長崎屋所蔵の常盤丸に乗り換え、小田原までは海路を行き、後は箱根まで駕籠で行く。たったこれだけのはずだったのに、若だんなの傍を離れた事のない二人の兄やたち、仁吉、佐助が逃げる場所もない海の上、常盤丸の中から忽然と姿を消す。若だんなは兄の松之助と共に、旅を続け、目的地である塔ノ沢の一の湯へと何とか辿り着くのであるが・・・・。

そこで待っていたのは、ゆったりと過ごせる湯治三昧の日々などではなく、手始めに、宿から侍達に攫われた若だんなと松之助の二人は、次には天狗の襲撃を受ける。一体なぜ? そして、突然現れた佐助は、一体何をしていたのか?

ところで、箱根の芦ノ湖には龍神が、神山には父神がいるのだという。かつて、人々は龍神の怒りをおさえるために、芦ノ湖に生け贄を捧げた。そしてある年、人々は身寄りのない、神と人の女との間に生まれた娘を生け贄にした。その行いは、当然、神の怒りに触れ、山は凄まじい勢いで噴火し、芦ノ湖の半分を埋めたのだという。

助けられた姫神の思い、姫神の御守である天狗の思い、若だんなの丈夫になりたいという願い、箱根の雲助、新龍の秘密、新龍のかつての同僚、勝之進、孫右衛門の思い・・・。それぞれが「うそうそと」入り乱れる。

沢山の登場人物がいて、みな其々の思いがあるのだけれど、それらが随分と散漫な印象を受ける。また、ずーっと引っ張る一つのメインの悩みには、どうも共感が出来ない。「しゃばけシリーズ」のいいところの一つは、のほほんと明るい雰囲気に、前向きな姿勢だと思うんだけれど、このメインの悩みのせいで、その辺りが薄れているように思う。ああ、しかし、この後も、彼女、メインのキャラになっちゃうんですかね・・・・。今後は彼女も進歩していることを願います。

ところで、塔ノ沢には実際、「一の湯」があるんですが、あそこってそんな昔からあるもんなんでしょうか・・・。
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アメブロのブックマークは15個までしかないので、常々不便だなぁと思っていました。

例によっていつの間にか、アメブロのプラグインにドリコムのブログリストが入るようになっていたので、これを利用してみる事にしました。

しかししかし、なぜかこれが全て、センタリングをかけたように中央になってしまうのですよ。

なぜー。涙

(今、選んでいるスキンは、デザインスキンだからか、CSSの編集も禁止されちゃってるんですよね。直すとしたら、CSSからなんでしょうか・・・。でも、ブログリスト作るだけで、力尽きましたよ、はー。)
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左の「さいしょの巻」では、足を組んでふんぞり返ったシャアが、「30過ぎてもガンダムガンダムって・・・」「どうかと思うね ボカァ!」と嘯き、右の「つぎの巻」では、赤い軍服にアイロンを掛けながら、とりあえず ガンダムって つけときゃ」「売れるんじゃ ネーノ?」などと、どこまでも投げやり。後ろではララァがそんなシャアに突っ込んでます。

とまぁ、こういう雰囲気の四コマ若しくは短篇漫画が繰り広げられる本なのです。それぞれのキャラは、微妙に原型を残しつつ、それぞれに壊れている。

例えば、シャアは赤やツノにあくまでも拘る、のーてんきでちょっとお馬鹿なオトコ。女性陣はララァ、セイラさんを始めとして、あくまでも強い。

でも、ガンダムは各所で色々書かれているだけに、こういう壊れたキャラの原型もどこかで見たような気がするのです(アムロもかなり壊れた童貞キャラになってるけど)。

見たことない視点だなーと思ったのは、擬人化されたMSたちの物語、隊長のザクさん」

旧型ザクであるにも関わらず、隊長を務めるザクさん。彼の下には、堂々たる新型機、生意気で血気盛んなゲルググたちがいる。他の隊のドムにも、勿論自分の隊の部下にも馬鹿にされる日々。下からは突き上げられ、司令官である上からも押さえ込まれる、まさに中間管理職。この「隊長のザクさん」は「つぎの巻」に載せられていて、途中で終わってしまっているので、これだけは、ちょっと続きを読みたいなぁ、と思ったのだった。ザクさんの未来に幸あれ! ギャンが可愛い女の子MSだったのも、面白かったなぁ。くねくねっぽいから?笑 この二人、何か進展あるんですかね。

その他、PC関連のネタ、ガンダムでの大気圏突入の際の、①「耐熱フィルムを使用するにはサービスパック1を別途お買い求めください」、②「インストール作業に30分~1時間かかります」、③「シリアルナンバーを半角英数字で入力してください」なんてのも、面白かったです。ええ、ちょっと古いけど、見慣れたあの画面です。笑 当然、アムロは大気圏突入に間に合わず、シリアルナンバーが書かれているハガキを捜している途中、次のコマで、ちゅどーんしちゃってます・・・。普通にガンダムを動かしている際にも、「アプリケーションエラーです。不正な処理を行ったのでコンピューターを再起動します」 なんてなっちゃって、アムロが「宇宙世紀になってもコレかよ!!!?」などと怒っていたりもします。こう、PC使いとしては共感してしまうよな。まぁ、ガンダムはウィンドウズで動いてるわけじゃないんだろうけど。笑
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山本 一力
深川黄表紙掛取り帖

深川駕籠 」以来の、山本一力さん。

時代物って色々あるけれど、作家さんによってそれこそ色々なカラーがある。山本さんが描き出す世界は、ゴツゴツとほとんど無骨とも言えるし、最近の時代物のように懇切丁寧な説明があるわけでもない。でも、ぶっきら棒な良さというか、すっぱりきっぱりとした潔さがある。更に言えば、山本さんが描き出す世界の特徴は、出てくる職人や肉体労働者がとても鮮やかで素敵だということ。体を使う事や、培った経験に対する無条件の尊敬があるように思うのだ。

さて、ここに四人の知恵者達がいる。暑気あたりの薬、定斎を夏場に売って歩く事から「定斎売り」として知られる蔵秀(表紙の一番右)。紅一点、尾張町の小間物問屋の一人娘、短髪に黄八丈の作務衣を纏った絵師の雅乃(表紙の一番左)。細工物を作らせたら天下一品、飾り行灯師の宗佑(表紙中央)。算盤勘定にも明るい、文師の辰次郎(表紙右上)。特に宣伝はしていないのだけれど、助けた商家からの評判によって、彼らの元には様々な相談事が持ち込まれる。ぱっと見には不可能だと思われることを、どうやって可能にするかが、彼らの腕の見せ所。で、この請け負い仕事を、蔵秀は黄表紙の帳面に書き付けるのだ。

目次
端午のとうふ
水晴れの渡し
夏負け大尽
あとの祭り
そして、さくら湯

「端午のとうふ」
毎年五十俵の大豆仕入れが、今年に限って五百になってしまった。豆問屋の丹後屋に頼まれたのは、抱えてしまった豆を上手く捌くこと。蔵秀たちは、首尾よく豆を捌くけれども、話はそれだけでは終わらなかった。
更なる問題を片付ける首尾が「端午のとうふ」。同業の穀物問屋と豆腐屋、紙屋や刷り屋を潤す、見事な仕掛け。

「水晴れの渡し」
雅乃が虚仮にされたと知っては、蔵秀たち三人は黙ってはいられない。芝の田舎者、大田屋精六・由之助親子は、尾張町進出への足がかりを狙っているようである。別口で請けた仕事に、この大田屋親子が関わっていたとあっては、これは逆に好都合? 猪之吉親分から仕入れた情報をもとに、ここはきっちりはめさせて頂きます。

「夏負け大尽」
此度持ち込まれたのは、蔵秀の父、名うての山師、雄之助を名指ししての、紀伊国屋文左衛門からの依頼。紀伊国屋の材木置場の檜と杉を、雄之助の目利きで買い取って欲しいというのだ。首尾よく事は運ぶけれども(そして、成り上がりの紀伊国屋に対する支払いの粋な事!)、紀伊国屋はなぜ虎の子の材木を手放したのか? なぜ小判での支払いに拘ったのか? 蔵秀の胸にわだかまりが残る・・・。

「あとの祭り」
再び、深川の堀をちょろちょろするのは、例の田舎者、芝の大田屋親子。大田屋が買った大川橋の舟株は、大川に永大橋が架かる故に、三年後には反故同然となる。鮫洲の実直な船大工、六之助を、大田屋の巻き添えにしないために、大田屋に知られる事なく、六之助に手を引かせる事は出来るのか? 
断りもなく仕掛けに組み入れられた紀文だけれど、流石は若くして財を成した人物。なかなかやるねえ。

「そして、さくら湯」
いつまでも残暑が引かない秋、紀文の隠れ家にやって来たのは、今を時めく側用人、柳沢吉保であった。互いに権力者に気に入られ、若くして成り上がった点で似ているこの二人は、時に本音を漏らす事も出来る仲である。市井の様子を紀文から聞いた吉保は、蔵秀たち四人に興味を持つ。

渡世人の猪之吉との間合いもいいし、蔵秀の母、おひで、蔵秀の父、雄之助も年輪を感じさせていい。雅乃が手早く作るあても美味しそう。いや、ご飯が美味しそうというのは、重要だよな。
神輿も粋、木場の川並たちも粋。

ところで、山師っていかさま師のことだと思ってたんだけど、「諸国の山林を目利きし、樹木の良し悪し判断に加え、伐採後の運び出しの段取りを見極めて値を決める」という凄い技を持った人たちのことを言うのですね。知らなかったなー。

【メモ】
◆定斎売り◆
「くすりの博物館」の該当ページにリンク
◆川並◆
東京新聞の記事 、「ミツカン水の文化センター」の該当ページにリンク
◆柳沢吉保(Wikipedia
 ← 続編もあるようで、これは読まねば
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池田 あきこ
トリポカの謎―ダヤンのアドベンチャー・コミック  
白泉社

ダヤンたちが暮らすわちふぃーるど、リーマちゃんたちが住むアルス。今では世界は二つに分かれてしまったけれど、かつてこれらの世界は一つだった。アビルトークと呼ばれたこの世界で、最も栄えていたのはわちふぃーるどの西方に位置するアルトス・セテ。

当時、アルトス王は、石・土・水・火を治める力のある四つのトリポカを持ち、その力で大地を治め、莫大な財宝を神殿の奥深くに蓄えていたのだという。ところが、神と巨人の大戦が始まり、アルトス王は、石・土・水・火の四つのトリポカを持つ者のみが、神殿の入り口を見つけられるように神殿の防御を固めたのだ。

大戦は長い間続き、アビルトークは、アルスと雪の神が守るわちふぃーるどとに時空共に別れ、神殿があったというアルトス・セテも幻の都になってしまった。その後、アルトス王の莫大な財産と、偉大な力を持つ四つのトリポカを探して、冒険と財宝を求める者達が挑戦を繰り返したけれど、未だ誰一人として神殿はおろか、遺跡に入る事が出来た者さえいないという噂。

さて、ダヤンの友だち、しっかり者のうさぎのマーシィ。彼女自身は母方の血を引いているけれど、実は彼女には伯母の「月のおばさん」と同じく、ルナティックな「月うさぎ一族」の血を引く父、オットーさんがいた。

ある日、マーシィの元に月のおばさんが、オットーさんの居所が分かったとの知らせを持ってやって来る。マーシィはおばさんと一緒に月に乗って、父を探して旅に出る。途中、「こいつも連れていこう」と三日月に引っ掛けられたダヤンと共に・・・。

オットーさんは、四つのトリポカを手に入れ、お宝を手にする旅に出ていたのだ! マーシィとダヤンはオットーさんを追いかけて、最後にはアルトス・セテの秘宝を見つける。ここがまたダヤンたちらしいのだけれど、仲良くなった神殿の守神、火のトリポカの番をしていた、ボーン(恐竜の骨!)と共に、地下深くの宝物殿に閉じ込められてしまった時の解決法がいいなー。

お宝を見つけても、ざっくざっくとは、なかなかいかないもんですなぁ。

大判の「アドベンチャー・コミック」であるこの本では、全頁にわたって美しいパステル画を楽しむことが出来る。時には、丸々一頁や見開き二頁を使った絵も。

先日、綺麗な三日月を見た私は、ダヤンが引っ掛けられたのも、こんな月だったよなぁ、と思いました。三日月は何だか乗り心地が良さそうですよ。月を思いのままに動かせるという、月のおばさん。孤独ではあるようだけれど、好きなときに下界にちょっかいもかけられるようだし、楽しそうだよなぁ。

コロムビアミュージックエンタテインメント
ダヤンの冒険物語「トリポカの謎」DVD-BOX  ← DVDまであるなんてー! 
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森 絵都, いせ ひでこ
アーモンド入りチョコレートのワルツ  

もう二度とない、少年や少女のキラキラとした日々。三つのピアノ曲と共に語られるのは、夏の日の少年たち、少年と少女の淡い恋、少女と彼女が出会った大人。

森絵都さん、初読みです。児童書から大人の本へと活躍の場を広げたという森さん。なるほどー、そういう経緯も分かるなぁ、と思った本でした。私が今回選んだのは、いせひでこさんの絵が美しかったこの本。これもまた、児童書に分類されるものです。

目次
子供は眠る
 ロベルト=シューマン
  <子供の情景>より
彼女のアリア
 J=S=バッハ
  <ゴルドベルグ変奏曲>より
アーモンド入りチョコレートのワルツ
 エリック=サティ
  <童話音楽の献立表(メニュー)>より

「子供は眠る」

夏休みの二週間、章くんの別荘で親戚の男の子達と過ごすのは、ここ五年の決まった行事。お目付け役としての大人、別荘の管理人の小野寺さんもいるけれど、それは<ぼくらの夏>、<ぼくらだけの夏>だった。<ぼくらの夏>の過ごし方は、章くんの号令で決まる。海で泳いだり、勉強したり。いつも同じなのは、LPレコードでピアノ曲を聴く、うんざりする夜のクラシック・タイム。いつもと同じ夏のはずだった・・・。

けれど、ぼくは気付いてしまう。章くんの独善的な態度に、また、章くんに従わなかった正樹くん、章くんより「出来る男の子」だった貴ちゃんが、二度と<僕らの夏>に加わる事がなかったことに。従兄弟の智明はその事に一年前に気付き、章くんよりも伸びてしまった背を気にして章くんの前では猫背に、何も考えていないように見えたナスだって、章くんの前では本来の上手い発音を隠して、カタカナで英語を読む。ぼくだって、章くんとの競泳ではわざと手を抜く。

でも、そんな嘘はいつかバレる。王さまは裸だ!

いつまでも続くものなんて、本当は何もない。ぼくが考えているよりも章くんはずっと大人であったし、いつもは寝てしまうクラシック・タイムで、最後まで聴くことを決意したぼくは、また一つ知らない姿を見る。そして、章くんのクラシック好きの理由とは・・・。

最後の夏の匂い。そうして、少年は大人になるのだろう。

「彼女のアリア」
理由もなく始まった一ヶ月にわたる不眠症に苦しんでいたぼくは、ある日、誰も使わなくなった旧校舎で、ゴルドベルグ変奏曲を弾く彼女に出会う。彼女の名は藤谷りえ子。彼女はぼくに同情し、自分もまた不眠症に苦しんでいると告げるのだが・・・。

悩みを共にするものとして、ぼくは週に一回旧校舎で会うことを提案し、彼女もまたそれを受け容れる。ぼくの不眠症の悩みよりも、彼女が語る藤谷家を襲う出来事は何ともドラマティックで、いつしかぼくの不眠症は治っていた。不眠症が続いているという彼女に気を使って、ぼくは自分が治癒した事を言い出せないのだけれど・・・。

ある日、ぼくは友だちから彼女の虚言癖と同情癖の噂を聞く。ぼくだけが特別だったわけではないのか?? 真実を知ったぼくは彼女を突き放すけれど・・・。

少年と少女の淡い恋がいい。

「アーモンド入りチョコレートのワルツ」
わたしが通うピアノ教室の先生はちょっと変わった人。彼女に初めて出会った小学一年生の時、わたしは彼女を魔女だと、それもいい魔女だと感じたのだ。残念ながら、彼女は魔女ではなかったけれど、わたしはびっくり箱のように何が飛び出すか分からない彼女、絹子先生にすっかり魅了される。

小学校高学年になったわたしに、絹子先生は、純真で、子供のように素直だったエリック=サティの話を繰り返す。わたしにとっていつしかフランスの音楽家、サティはとても近しい人になる。その頃、わたしと一緒にピアノ教室に通っていたのは、学校でも変わり者として知られる君絵。学校の先生になかなか名前を覚えて貰えない私とは対照的に、突拍子もない行動で知られる君絵だけれど、絹江先生への信頼でわたしたちは結ばれていたのだ。

わたし、君絵、絹子先生の三人のレッスンに、ある日、フランスからやって来た「サティのおじさん」が加わることになる。コロンの香り、白い肌、緑の瞳、銅色の髪を纏った彼、ステファンは、瞳の光り方や、今にも笑い出しそうな口元がサティにそっくり! レッスン中にブラボー!と叫んだり、即興の伴奏を付けたり、絹子先生の生徒に触れ合おうとするその態度が、何かと波紋を呼び、生徒の数も減ってしまう。わたしたちは、そんな事には関係なく、絹子先生とサティのおじさんとの時間を楽しむが・・・。

木曜のレッスンの後は夢のような時間。ワルツを奏で、フランス語と日本語の歌が飛び交い、紅茶の湯気が、バタークッキーの香りが、四人が踊る。全てのものが白い光に包まれる、そんな時間。けれど、そんな夢のような時もいつか終わる。

家庭に何か問題を抱えていたらしい君絵が言うには、大人はいつだって何でも好きなように作って、好きなように終わらせる。あたしたちは大人になったら、好きなものを好きなように作って終らせない。それは、君絵の必死の声だったけれど・・・。あたしたちは、アーモンド入りチョコレートのように生きていくことが出来るのか? ぐるぐるりん、くるくるぐるぐる・・・。

ワルツには翼が生えている。音符のひとつひとつが翼を持っている。それはまるで妖精のように宙を舞い、しゃらしゃらと踊りながらわたしにいくつものキスをする。
ワルツはわたしに教えてくれる。なにをわすれて、なにをおぼえていればいいのか。なにもかもすべてをおぼえているわけにはいかない。楽しかった事をおぼえていなさい、とワルツはいう。大好きだった人たちのことをおぼえていなさい、とワルツはうたう。

綺麗な綺麗な、綺羅綺羅した時間を楽しんだ。終わってしまうからこそ、無限ではないからこそ、その時間は美しく、愛おしむべきものなのかもしれないけれど・・・。今度は大人向けのものも読んでみよう。

 ← こちらは文庫

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がござましたら、ご連絡下さい。
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ユリ シュルヴィッツ, Uri Shulevitz, さくま ゆみこ
ゆき
あすなろ書房


男の子は告げる。

「雪がふってきたよ」

でも、街ゆく大人たち、着飾った夫人や、帽子をかぶった男性は、「でも、すぐに止むわ」、「すぐに溶けるよ」と男の子を相手にしない。

それでも、男の子は言う。

「雪がふってきたよ」

テレビもラジオも、「雪は止むでしょう」と言うけれど、雪はテレビだって見ないし、ラジオだって聞かないのだ。

「雪がふってきたよ」

雪は止まずに降り続き、街を一面の雪景色に変える。

雪が降る前の寒そうなグレーな感じ、街の景色、何と言われても嬉しそうに「雪がふってきたよ」といい続ける男の子と、男の子と連れ立って歩く犬がいい感じ。

さて、今期、私の住む町では雪が降っておりません。皆さんの住む町では、雪が降ったのでしょうか。子供の頃、雪は何となく心浮き立つものであったけれど、大人になった今となっては、「出かける用事がない」ことが、雪を楽しむ絶対条件となってしまいました。なかなかこの男の子のようにはいきません。

 ← こちらも気になります
ユリー・シュルヴィッツ, 瀬田 貞二
よあけ

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ポール・オースター, 柴田 元幸, Paul Auster
最後の物たちの国で

ポール・オースター初読みです。翻訳もまた、気にはなっていたものの、これまで読んだことがなかった、柴田元幸さん。

これは、全てが失われゆく街で生きる、「彼女」から「あなた」へと書かれた手紙。裕福でまだ若く、魅力的な女性であった事が示唆される、「彼女」、アンナ・ブルームは、周囲の制止を振り切り、消えた新聞社勤務の兄ウィリアムを追って、その街へと侵入した。

辿り着いた街の状況は彼女の想像よりももっと酷く、兄は勿論見つからず、彼女は生き抜くためにあらゆる手段を取る事になる。彼女と助け合う人々も現れるけれど、この旅は兄を探し出して共にこの街を脱出出来る様な生易しいものでは既になく、彼女は街に閉じ込められる。閉じ込められた、閉ざされた世界の中で、ある人々は死に向かって狂おしく努力し、それ以外の人々は日々を生き抜く事だけを考える。

手紙は街の様子をつぶさに伝えるけれど、普通の世界に住む人々にとって、見たことも聞いた事もない、この街の暮らしは分かって貰えるものでも、想像できるものでもない、と彼女は書く。新しいものは何一つ作られず、人々は死にゆき、赤ん坊は生まれない。そんな街の中で、彼女は恋をし、身篭るけれど、不幸な事故により、やはり赤ん坊は生まれない。

混乱の時代の中、自らの蓄財を切り崩しながら、細々と慈善事業を続けてきたウォーバン博士を創始者とする、ウォーバン・ハウスに身を寄せた彼女であるが、ウォーバン博士の蓄財とて無限ではない。やはりこの施設も永遠ではなく、終焉を迎える・・・。彼女と共に残ったのは四人。ウォーバン・ハウスの物資を一手に引き受けていた、陽気な厭世家ボリス・ステパノヴィッチに、アンナの恋人サムに、ウォーバン博士の娘であり、ウォーバンハウスの後継者であるヴィクトリアに、彼女。

いまこの時点で私が望むのは、とにかくもう一日生き延びるチャンス、それだけです。あなたの古き友人アンナ・ブルーム、別の世界からの便りでした。

彼ら四人は、ボリスの語る突拍子もない御伽噺のように、旅立てるのだろうか。

失われるものを描く点で、小川洋子さんに似たものを強く感じた。何の理由もなく、物事が消え去っていく『
密やかな結晶 』の世界にも近いかも(『密やかな~』で消え去るのは、物に付随する記憶や思いであり、アンナたちの行動は『密やかな~』よりは能動的だけれども)。

引用したアンナの言葉に、「別の世界からの便り」とあったけれど、実際、戦争や内乱の渦中にあったら、それは「こちらの世界」には本当には分からないものであり、渦中にあっては状況も分からぬまま、生き抜く事にただ必死にならざるを得ないのだろうなぁ、と感じた。

柴田元幸さんの「訳者あとがき」より、長くなるけれど引用します。

インタビューなどでも、この作品に描かれた奇怪な事件や状況の大半が、自分の想像の産物ではなく、二十世紀のどこかで実際に起きた(あるいは起きている)出来事を下敷きにしていることをオースターは強調している。たとえばこの小説で詳述される屎尿処理のシステムは、現在カイロで実践されている方式に基づいているし(実際それは、かつて日本で機能していたシステムともそれほど変わらないと思う)、人肉工場でさえ第二次大戦中レニングラードに実在したのだとオースターは述べている。ワルシャワのゲットー、ナチスの強制収容所、今日の第三世界、そして急速に第三世界化しつつあるニューヨーク・シティ・・・・・・。「これは現在と、ごく最近の過去についての小説だ。未来についてじゃない。『アンナ・ブルーム、二十世紀を歩く』―この本に取り組みながら、僕はずっとこのフレーズを頭のなかに持ち歩いていた」(ラリー・マッキャフェリーとシンダ・グレゴリーとのインタビューより)。訳者が最近目にした書物のなかでも、本書にもっとも「似ている」のは、サラエボの芸術家集団が作った、ミシュランをもじった旅行書のパロディ『サラエボ―サバイバル・ガイド』だと思う。

小川洋子さんも『アンネ・フランクの記憶』などの本を書かれているわけで、ポール・オースターの喪失の描き方と共通点があるのかも。そして現実離れして見えるこれらの物語は、決して現実とは無縁ではないのだよな。

また、『サラエボ―サバイバル・ガイド』とは、『サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイド』のことだと思われる。
私も以前読んだ ことがあるのだけれど、絶望の中にユーモアがある点で、確かに似たものを感じた。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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