顔も真っ赤に爛れたり

年末年始返上の理由は幾つもありました。


周りからは理解不能の域ですので、身内との連絡も


心がぎりぎりの状態でしたし、たつ方が自分自身を保っていられる。互いにそれが最善だと判断しました。辛いけれど、それはまた正解でした。




いつも決断が誤っていなければ、完成へと近づく次のメッセージがご褒美のように入ってきます。悩んで塞ぎ込んでる時間は既にないからです。




今年最初は、何年も前にメッセージにきていた『平治の乱』



1月3日  源義朝公のお墓


呼ばれ足を運ぶと、その日は源頼朝公や範頼公、義経公の父源義朝公の命日でもありました😳









長田親子の気づいてという声








義朝公が襲撃されたとされる風呂跡‥‥

義経公の母 常盤御前からの声。


確かに常盤御前はまだでした📚





数年前『悔しい』と伝えてきた方々の無念な思いとその意味がこの日判り繋がりました。





理解不能で当然ですが、世の中には、誰にも話せず悩んだり苦しんだり、馬鹿扱いされたり。命を落としたり。



歴史や祀りごとの操作、過ちにより苦しんでいる方が沢山いるのは紛れもない事実です。