去年の秋ごろ、ペンシルベニア州にあるCabela’s(カベラス)というアメリカ最大級のアウトドアショップに行ってきました!

 

 

Cabela’sは、全米に70店舗ほどあるのですが、とにかくその巨大な店内にはアウトドアのアクティビティ&レクリエーション用のキャンピング、ハイキング、バックパッキング、山登り等の品々がチュドーン!!と無限に置かれていて、その中に“スポーツ用品”として釣り用具やマウンテンバイク、カヤックのボート、ATV(四輪バギー)、コンパウンドボウ、そしてハンティング用の銃やライフルまでもがしれーっと並んで売っているんです😨

 

 

そう、アメリカでハンティングは「スポーツ」としてカテゴライズされているんです…😖

 

ノンモがCabela’sに行ったのは、丁度ハンティングシーズンの幕開け時期で、店内には狩り用のカモフラージュ(迷彩)の帽子を被ったり、ジャケットやパンツを穿いた親子連れが何百人と来ており、長蛇の列を作ってハンティング用品や銃やライフルを買い込んでいました・・・。父親は自分の子供に銃を持たせて「こっちがいいか?それともこっちの方が撃ちやすいか?」と訊いており、子供が向こうの方のシカや七面鳥の模型に向かって銃を構えながら「こっちがいい!」と、まるでオモチャを買うかのように選んでいるんです・・・😰

 

その日本人には考えられない感覚の違いにも驚くのですが、それ以上に「ここに来ているカモフラ服を着ている人たちは皆、動物をスポーツ感覚で殺すことになんの躊躇も感情もないの??」

 

 

・・・と思ったら、ノンモはそのエネルギーの中で激しい吐き気を催し、Cabela’sを出てしまいました🤮💦


(外に出ると駐車場にはちょっとホラーな光景が広がっていました・・・)

 

もちろん彼らには彼らの言い分や、日本とは違う文化も風習もあるでしょうから、ノンモがそれに対してとやかくジャッジしたり、良いとか悪いなんて言えないのですが、言えないのですが、言えないのですが・・・でもその時、ノンモに悟空の「かめはめ波」がなくて本当に良かったと思ってしまいました😆

 

 

またはドラえもんの「銀河はかいばくだん」とか・・・?🤣🤣

 

 

まぁ、他人の国のことにとやかく口を出す資格はノンモにはありませんが、それでも違和感を感じるくらいの権利はありますよね😅・・・だって、そんなに小さな幼少のうちから銃を持つことや動物を殺すことを慣れさせておいて、大人になってから銃による犯罪を自分の子供が犯そうものなら「ゲームやアニメや映画の影響だ!責任取れ!!」って…💦(マジで言ってんの!?)

 

つーか、その前に動物を殺すことに関しても、1000歩くらい譲って食料用のための狩りならまだ理解が出来なくもないですが、スポーツとかゲームって何・・・!?「いや、動物が増え過ぎちゃったから一定数を殺さないとバランスが取れないんだよ」って・・・❕❕そんなの、そもそも人間が土地を奪ったり、毛皮なんかのために特定の動物を激減 or 絶滅させたりしたから生態系が乱れて自然界のバランスが取れなくなっちゃったんじゃん!!そういう辻褄の合っていない意味不明な感覚や行動に対して「あンたたちの神様は何て言ってんの!?」つーか「神様のこと、あンたたち信じてんじゃないの!??」と、ついついムキになってしまうノンモなのでした・・・😤

 

あ、そうそう、ちょっと話がズレちゃうんですけど、実はノンモ、この「神様を信じる」という言葉自体にも、なぜかず~っと違和感を感じていたんです・・・🤔

 

アメリカだとこの「神様を信じる」という言葉はごく日常的で、家族や友達との間、また他人との会話の中でも「Believe in God(神様を信じなさい)」とか「I believe in God(私は神を信じているわ)」とか「Don’t you believe in God?(あなたは神を信じてないの?)」というような台詞をよく耳にします。印象的にはキリスト教の人から良くその言葉を聞くイメージがあって、その他の宗教の人たちからはあまり聞かない気がするのですが(って、もしかするとノンモが聞いたことないだけなのかも知れませんね😅)とにかく、この「神様を信じる」という言葉があまりにもこの国では日常的すぎて、今まで考えたこともなかったのですが、いつの頃からかノンモ的になんとな~く違和感を感じるようになっていたんです・・・🤔🤔❓

 

 

『それはね、キミが「信じる」という言葉の中に「その存在に確信はないけど」みたいなニュアンスを感じているからなんだよ。

 

つまり「神の姿が見えないし、声も聞こえないから本当に居るかどうか私には分からないけど、私は神の存在を信じます」と言っているように感じてしまう。ま、中には神の教え(聖書の内容など)に対して「あなたは神(の言葉)を信じますか?」と言っている人もいるだろうけど、でも大半が「存在」に対して信じるかどうかを訊いているよね。

 

でも日本人の場合、多くの人が神の存在をどこかで“知っている”から、あまり「あなたは神を信じますか?」とは言わない。頭とか身体とか心とか・・・とにかく自分の内のどこかで「神様はいるもの」という風に”当然として”分かっているから、そんなことに疑問すら湧かない。もちろん不運なことばかりが起こって、どんなに神様に助けを求めても辛く苦しい境遇を1ミリも改善してくれなくて、だんだん神の存在を信じなくなる人はいるかも知れない。でも、それはやっぱりどこかで神の存在を分かっているから、怒りや悲しみや落胆や絶望によって「もう神を信じない」選択をしている人も多いんだよ。

 

けど、キミが一番に違和感を感じているのは、聖職者(キリスト教でいう神父。ユダヤ教だとラビ?イスラム教だとウラマー?かな??ちょっと違うかな?😅)までもが「わたしは神を信じています。わたしと共に神を信じるのです。信じる者は救われます」みたいなことを言ってる部分だよね。

 

 

さっきも言ったように、その言葉の裏には「神の教えを信じなさい」とか「神が私たちを救ってくれるのを信じなさい」というニュアンスで説いている聖職者もいるかも知れない。でもそうじゃなくて、本当のところ神の存否を知らないから「信じる」という言葉を使って言っている聖職者も案外たくさんいるし、それどころか「神なんて本当はいやしない」と思っている神父だって実は数えきれない。だからここでは書けない(あまりにも酷すぎて書けないのと、挙げたらキリがなくて書けないの両方)ような悪事を聖職者の身でありながら平気でやったり、信者からお金を巻き上げて何とも思っていない教会だって数知れない。

(教会に通う子供たちに性的虐待をして捕まった聖職者たち。こんなのほんの一部)

ま、そんな感じの「
信者から莫大なお金を巻き上げて、苦しもうが破産しようが何とも思っていない」宗教がらみの似たようなニュース、日本でも最近あって大きな問題になってたよね。そんなことが出来るのは、口では「神」だの「天国」だのウンチク並べながら、本当は神の存在なんて微塵にも信じてなくて、この“現実世界”の人生が終われば何もないと思い込んでいるエゴに生きる人たちなんだよ。

 

その証拠に、アメリカにおける2021年度の家庭内での殺人事件の中で、実に34%が保険金目当て(夫⇆妻、または親→子供)での犯行か、浮気相手と一緒になりたいが為の殺害(夫⇆妻)で、その中の殆どがキリスト教(そこから枝分かれしたモルモン教やその他のカルト教も含む)だったでしょ?そんなエゴイスティックな理由での殺人を、神の存在をちゃんと知っている(「信じている」じゃなくて「知っている」ね)人がすると思う?いや、罰が当たることやカルマが怖くて「出来ない」と言ってるんじゃなくて、神の存在を体や生活の一部として知っている人たちの内には神が住んでいるから、そんなこと「しない」んだよ。

 

神の存在を知らなければ信仰するようになる。信じるためには教祖が必要になる。日本人の中に根付く神道には教祖はいらない。だってみんなの中の神や八百万の神々が直接に教えてくれるからね。だから良し悪しを感情(心の痛みや情)によって判断できる人が他国よりも多い。ちなみに、ここで言っている「良し悪し」は、人間が作り上げたルールや法律に対しての良し悪しじゃなくて、地球の住人としての良し悪しのことなんだ

 

「増え過ぎちゃった」という口実で、動物をスポーツ感覚で殺すのはアメリカの法律で許されてるよ。だけど法で許されてるからって、神を“知っている”キミたちにそれが出来る?お父さんやお母さんのシカを子鹿の目の前で殺しておいて、「子鹿はね、まだ成長し切ってないから殺さないんだよ♡」って・・・親を目の前で殺されて、子鹿がどうしたら良いのか分からなくて一人ぽっちで逃げ回っているのを見て、なんの感情も湧かずに楽しむことがキミたちに出来る?


 

キミたちの多くがよく「神様の声を聞きたい」って言っているよね?

 

ただ家族で平和に草を食べていただけのお父さんシカやお母さんシカがいきなり撃ち殺される瞬間や、それ(親を殺されるの)を目の前で見て逃げ惑っている子鹿のことを思って、感じる胸の痛みや哀れみ、同情の心こそが「神の声」の一つなんだよ。

 

それを感じた時にキミたちは神の声を聞いているんだ。流れる涙は神の涙でもあるんだよ

 

キミたちはちゃんと神の声を聞いているんだよ・・・

 

日本は世界中でも数少ない“宗教のない(又は信仰している人の数が少ない)”国の一つ。ま、それは神道を「宗教」と呼ばなければの話なんだけど。とにかくそれは人々が神を信じていないからじゃなくて、神の存在を“分かっている”から、わざわざ“信じる”ための教えを必要としていないんだよ。これは意識面での話じゃなくて、日本人の中(潜在部分)でね。

 

「信じる」と「知る」は全くの別もの。もちろん信じることはとても素晴らしいことだよ。でも、信じ方や信じる対象に気を付けないと、自分が不真実を真実だと思い込まされて騙されてしまう。日本からメディアを通じて見たアメリカや世界の実態だって同じ。日本にいてニュースだけ見たり、ましてや人間の心理を巧みに利用した某カルト集団の陰謀論を聞いたりしたら、それが「真実」だと思い込んでしまう。悪だって正義のヒーローになってしまう。仮にキミがアメリカに移住せずに、今までずっと日本で暮らしていたら同じだったと思うよ。ま、そう言った意味では、キミはアメリカの実態を(政治なんかの話だけじゃなく、一般的な人々の生活や心理、スピリチュアル面なども含めて)内側から自分の目で確かめるリポーターみたいなもんだよね。とくにニューヨークにはあらゆく国から来た人たちが「郷に入っても郷に従わず」自分たちの風習のままに暮らしている人々で溢れているから、一所に暮らしながら色んな文化を持つ人たちと日常の中で実際に接する機会もたくさんあるしね。

 

とにかくボクたち神は、例えば“何かが起こって大パニックの中にいるキミたち”が、悪の意識に「出口はこっちだよ」と教えられて、そのままその言葉を信じて扉を抜けていってしまうのを防ぐために、どんなパニックの中にいようとも自分が神の声を聞いて、自分で落ち着いて出口を見つけられるようになってもらいたいんだ。「そっちの出口は違うよ」と神が教えてくれる直感を感じられるようになってもらいたいんだ。

 

日本人には無意識の中でそれが出来ている(神の声が聞こえている)人が多い。だから地震や災害の際に落ち着いていられる人が他国に比べてたくさんいるんだよ。まぁ、本人たちは自分がその時に「神の声を聞いている」なんて思ってないだろうけどね。ちなみに、もしもパニックの中で悪の意識の言葉のままに出口を抜けてしまったら、その扉の向こうに何が待っているのかはボクたちにも分からない。

 

仮にキミたちが今、その大パニックの中にいるとしよう・・・。

 

でも慌てる必要はないよ。キミたちにはちゃんと神の声が聞こえているし、どれが本当の出口なのかを無意識に分かっているから。キミたちの潜在意識はボクたち神とちゃんと繋がっている・・・。あとはキミたちが自分の潜在意識にきちんとアクセスする方法を学ぶだけだ。慌てずに落ち着いて、自分の心の動きを信じてごらん。どんなカオスの中にいようとも、光に導かれていくよ。それはキミたちが「神を知っている」から・・・

 

その光を感じる出口の向こう側に、ボクたちはいるよ。