さよなら、幼き日々 | ばいばい

ばいばい

遥か望む彼方の光
君を照らし出さなくていい
狂おしい花びらを舞い散らせて
堕ちる桜を抱いて 眠る

元々の戸籍名は自分のものだという実感がない。
その名前で私を呼ぶ人ももういない。
ハンドルネームだってとっくに終わってる。
私は「月花」ではなくなったのかもしれない。
生きてることのヒリヒリするような痛みはもうない。
生活費の節約にはかなり成功したから安心感がある。
一時は荒れていて買い物依存気味だった。
最近ではゲーム課金と電子書籍に費やしてストレス発散してる。
そっちに絞ったら、案外落ち着いた。
ひとつきの生活費を4万円ほどに抑えられたし障害年金でお釣りがくる。
不思議なのは統合失調症の再発をしていないらしいこと。
薬をやめたら危ないんじゃないかと思っていた。
これまでの自殺企図歴も酷かったわけだし。
でも、少なくとも四月から考えて、一度も死を願ってないな。
精神的にガタガタで過度に緊張して過ごしていた頃から、ぼんやりして目的意識が持てない代わりに安心して過ごせる今。
前も目的意識はなかったんだよね。
持とうとして苦しんだだけで。
人を愛さなければとか、恋しなきゃとか、誰かに必要とされる人間でいなければ、とか。
随分、自分を縛っていた。
憎しみが精神を焦がしたりもするけれど、誰も憎めず、怒りを持つことも自らに許せずの過去よりも、成長したのかもしれない。
私の感情は自己完結してばかり。
誰かを強く思うことはできない。
例えば、誰かをこう思う、から、自分はどう、だとか。
綺麗な心とやらは持てないけど、それでいいと漸く思える。
誰かを憎めないのは醜い自分を認めると、自分が壊れるから、だったみたい。
今の悩みは体重の増減だとか肌が荒れたとか、身体のこと。
精神に強く拘らなくなった。
精神疾患と「病んでる」ってのは違うなーと思ったり。
メンヘラとか自分に言えるほどナルシズムに浸れない。
いつの間にか子供でも思春期でもなくなったんだな。
大人になっていた、か。
誰かを支えなきゃ大人じゃないと思っていた過去との違い。
ひとりきりで立ってるわけじゃない。
けれど、とっくに自立してたんだよね。
基準なんて皆違うけど、私は一人暮らしして、生活費は全て自分で払ってる。
家事もこなしてる。
お金を稼いではいない、家事も完璧ではない。
そんなもんだと思うまでは長かった。
解離性障害の人の心は幼いと何となく思っていたけれど、心の老いた解離性障害の人間というのもネットで散見したけども。
バランスが保たれている今、病名に縋る必要もなくて…。
長かった自分のジュブナイルを、思い起こせても、もう、そうやって過ごすことはないんだ。
25歳にもなって、青春してた自分を懐かしく思ったり、何だか寂しくなったり。
生々しいほど世界に過敏な時期が過ぎ去って、鈍磨したような感覚も、重ねた年月の分の鈍感さ。
過去は帰ってこないけど、降り積もった歴史は私に帰ってきた。
対人関係は相変わらずの不出来な自分だけど、そこそこで過ごすことを覚えて、今の不安は、私の親族の死、くらいかな。
愚かな母も、死んでほしくはない。
生きて会うことはないと思っているだけに、再会することのないように願う。
家族の葬儀なんてもう嫌だ。
妹はもう実家を出て、そろそろ出産する。
祖父は母の心配ばかりしている。
昔は家族がバラバラになることが恐ろしかった。
今は、少し寂しくて、何だか空虚。
一緒にいることに強すぎる憧れがあったのは、孤独が怖かっただけだった。
苦しかった時期を過ぎたことを、何だか寂しく感じている。
随分と遅れた、幼さからの卒業。
背伸びしてたころも、楽しかったかもね。