前の記事の続きです。



目下わたしは次の生活のために後ろの扉(次の生活では継続しない事柄)を閉める日々を送っているのですが、日を追う事にいつもと何かが違うことに気づきました。



「わたし、最近頭で考えて動いていないんじゃないかしら。」



未知の生活に対して不安要素は山ほどあるはずなのに、思い浮かぶことに自分が取り合ってくれないというような、どこかにはあるのでしょうけれどミュート状態というか声が聞こえないのです。



一方で会う人には漏れなく次の生活の話をすることになるわけで、やること、やりたいことは何度も何度も繰り返し話すわけです。



しかしそれすら普段は声を潜めていて、とにかく頭が空っぽに近い状態になっているのです。



まるで蛹の中で芋虫がドロドロになるように、だんだんわたしもかつての自分というものの輪郭が薄くなってきて、積み上げてきた結果へのこだわりも同時に薄くなってきているような感覚なのです。


しかし蛹の中のドロドロは蝶になることを意図して変態し続けているわけですので、わたしも同様に次の段階でのあり方ややりたいことを明確にしながら過ごすべき時期でもあります。



ほんとうにこんな体験は初めてなのですが、自分自身を葬るような感覚があって、これまでわたしがわたしと思っていた存在から離れようとしています。



そこで感じたのは、別れが寂しくないということでした。

きっとこんな心持ちで肉体を離れられたら成仏と言えるのかしら……いや、まだまだ体を使ってやりたい未達事項があるからダメかな。



そんなことを感じながら、扉を閉めています。