鬱病とは思わない、思えない。結局どうだか分からない。 | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は7279文字です。(読破予想時間:約17分19秒)


音楽で表現したり絵を描いたり文章や漫画で表現したり自己表現にもいろいろあるが、自己表現の素晴らしさとそのススメを自分の体験から語ってみたい


まだ誰にも話した事のない話で、とにかく口にするのも文字にするのも初めての話なんだが、今から20年くらい前だったかな?

ちょっとした雑談から、知り合いの女性に病院での診察を勧められて病院を紹介された事がある。

彼女は、自律神経失調症だとか鬱病だとかで長い間、病院に通っているらしく、そう言った話を彼女から聞かされていた時の事だ。

僕の話を聞いて、僕が自律神経を病んでるんじゃないかと彼女は言う。

初め、僕が彼女の話を聞いてあげてる立場で、彼女の話を聞きながら、「分かる分かる」と自分も似た様な事がよくあると、そんな受け答えに対して聞き手が逆になり、彼女の質問が始まったのだ。

自分に関してそれはないと一旦拒否したのだが、せっかく親身になってくれてるのに全面否定しては申し訳ないと病院の名前と連絡先のメモを貰った


そのまま病院へは行くつもりもなく数ヶ月が過ぎたのだが、そこ数年、誰にでもある様なほんの些細な事なのだが、それがちょっと普通ではないと思えるレベルまでアップしてきた自覚も出てきたある日の事、しんどさと怖さでその病院を受診する事にしてみた。

結果、鬱病だと言う診断が下された。

普通に社会生活も送れてるし、精神的な苦しさは誰にでもあるレベルで普通に乗り越えてこれている。

僕は、過去、医者の当たりが悪い事が多く、元来、医者不振気味な人間なので、この病院は「精神的にしんどいだの日常生活での変化だのを全て病気のせいにして、診察代と薬代を稼ぐつもりじゃないのか?」と疑ってしまう程、その時、自分にはその医者の説明に納得がいかなかったし信じる事もしなかった

以前実際に医者に実験台にされた経験や他の儲け主義丸出しの治療経験から、そんな発想と警戒心が自然と湧いてしまうのだ。

そして、更に疑惑を加速させたのが病院の対応だ。

テレビのドキュメンタリーやドラマで出て来る精神科の医者のイメージ と、あまりにギャップが有り過ぎて、少々驚いたのは確かだが、この時点では、これが精神科の普通の対応なのかどうかは僕には分からない。

◇『Dr.倫太郎』レビューを書く前に

話をある程度、時間をかけて聞いてくれるのは、最初の1回だけで、その後の治療はと言うと、睡眠だとか胃の痛みだとか、症状の変化を聞きながら薬の処方を決めていくだけだと言うのだ。

僕が解決したいのは、そういう事ではなく、もっと根本的な事だ。

それさえ解決すれば、その他の不調は全て自然に治るのではないか?

そんな思いが自分の中に沸き起こる。

なので、薬も使わず、その後病院にも行っていない

では、その時に病院に行ったのは、何が気になったからなのか説明しておこう。


その頃、自分の中で今でも印象に残ってる変化と言えば、片付けが異常なレベルで出来なくなった事だった。

今の家に越して来る前のマンションでは、徐々にその症状が進行して、ソファーの上にまで、1M以上荷物が積み上がり、ベッド以外の場所は足の踏み場もなく、部屋中ホコリだらけで、人の住むレベルではなくなっていた

当時、長年付き合ってた彼女がいたが、部屋に来てもらうのをためらってしまう程の酷さなのである。

診断を受けた後も、彼女はそんな事は知らず、酷い部屋の状態でも何年も部屋に来てくれてたのだが、『片付けてあげようか?」の言葉に責められている様な気がしてくる

そうじゃないのに「片付けてよ!」って言われてる様に感じてくるのだ。

ある年の大晦日、何とか片付けようと頑張ってみたが、散らかしきったところで、疲れたとかそういうのじゃなく、ホントにピタっと作業が止まってしまった

もう、倉庫というレベルも超えてしまった。

彼女には、心底みられたくないと思った

部屋に来ないで欲しいとしどろもどろに言い訳しながら説明したが、最後まで不信感をもたれて、納得はして貰えなかった

それでも、部屋に呼ばないまま、そんな僕をそれから後も何年も見捨てずにいてくれた

今から思えば、正直に何故話せなかったのか、自分でも分からないし後悔している

それでふられたって訳ではないとは思うが、それも原因の一つにはなってると思う。

補足を入れると、時系列がちょっとバラけてるので分かりにくいと思うが、このあと話すアルバイト生活の話は、それよりもかなり前の話で、フラれた時には収入は普通に安定してたので、アルバイト生活のせいでふられた訳ではない

そんな彼女は、とっくに他人の奥さんになっている。

以前、別の記事に書いた事があるが、恋愛に関しては、何年も前のこの時で刻が止まっている

◇ラブソングが出てこない

と言うより、日増しにその刻が濃くなっていく。

失って、唯一後悔している相手だ。

まさに、一生の不覚という言葉がふさわしい。

病気と言われて納得いかなかったのは、診断を受けた当時、アルバイトと音楽を掛け持ちして生活してたのだが、バイト先の片付けは、誰よりも率先して奇麗に出来ていたからだ。

自分では、疲労のせいだと思っていた

自分で自分の事を「疲労を言い訳に片付けも満足に出来ないダメな奴だ」なんて思うと、その事を彼女に打ち明けるなんてとても出来なかった。

素敵な彼氏でいてあげたかった。


その診断の後も、それ以前に負けないくらい本当にいろいろあった。


◇抜けたバンドと自分との人間関係を考察


◇僕が音楽を続ける訳・自己満足か自己顕示欲か承認欲求か

両親がほぼ同じタイミングで癌に侵される。

このタイミングで、その彼女が他の誰かと結婚すると聞かされる

家を買って、両親と一緒に住み、その家で父との死別

母は、今現在、放射線治療中。

他にも書ききれないくらいあるが、ほんの略歴だけ。

今は、声は戻って、2年半程前から音楽活動は再始動している。

ただ、その再始動の数年前、再始動が頭にちらつき始めた頃、全ての友人との連絡を自分から断(た)った

◇そういう経緯で僕は携帯電話を持たなくなった

異常と言えば異常にも思えるが、誰にでもある心理状態だとも思う。

「そんな気分になる事って誰にでもあるじゃん。」

正直そう思ってるし、今、凄く気楽で寂しくもなければなんの弊害もない

どこか頭の片隅でかすかに「自分はおかしいのではないか?」と言う様にも思ってはいるが。


少し話の時間を戻して、そんな中、数年前、同じ様に人からまた受診を勧められてまた、違った病院を紹介される

もともと、他人に辛さや悩み事を相談する様な事をするタイプではない ので、その時も相談をした訳ではなく、ほんの日常会話からだ。

◇他人に相談しなくちゃならない事ってあまりない

同じく、その人も鬱とパニック障害の経験者だと言ってた。

その頃はちょうど、喉には全く異常がないのに、会話は普通に出来るが歌おうとすると声が全然出なくなると言う症状に苦しんでいた時期であり、それと同時に楽器に触れる事が出来なくなるという、不思議な現象に見舞われた最中で、音楽活動休止状態の頃だった。

何年もの間、そのすぐそばに立てかけてあるギターに触れる事が出来ないのだ。

最近、触ってないなぁ~って言う様な、そんな話ではない。

弾こうと手を伸ばすがあと数ミリのところで、触れる事が出来ない。

何度チャレンジしても出来ない。

これは本当に不思議で訳が分からなかった。

流石に、あちこちキャパオーバーで、精神安定剤でも貰ったら楽になるのかなぁってくらいの感じと、この楽器に触れる事が出来ない件で自分でも感じるもしやの不安との2つの気持ちに後押しされて、精神科を受診してみる事にしたのだ。


今度は何年も経ってるせいか、診察の内容が以前と全然違う。

更に、よく分からない。

いろいろ、「は?」と言う内容はあったが、それは端折らせて貰う事にする。

ただ、その時僕には、無理矢理、鬱病にしようとしてるんじゃないのか?って感覚が、前に経験した診察より、強く感じたのだ。

結果、今度は『重度の鬱』と診断された。

そして、またもやこの病院も話を聞くのは最初だけだと言う。

これも診断結果と病院の対処の両方に納得がいってないので、それ以来、病院へは行ってない。

鬱と言う診断結果に不満があった訳ではない。

鬱なら鬱でかまわないのだが、診察の内容とその後の方針にどうも不信感が広がって仕方がなかったのだ。

もし、鬱だと言うのなら、きちんと信頼関係が結べるお医者さんに診て欲しいと思っただけなのだ。


ここから、徐々に話の核心に近づく事になるのだが、楽器に関しては、ソロで活動を再開する事を決めて、その後、またまた話は端折るがひょんなきっかけでまた楽器に触れる事が出来る様になった

そして、その再開した活動の中で自分でも驚く出来事があった。

それは作曲中の出来事だ。

僕の曲に『ウツでサイケな日常』って曲があるのだが、この曲が出来た時の事だ。

◇ウツでサイケな日常/皆見つかさ

(『せっかくだから、少しでもいい音で音楽を楽しんで欲しい。 』)

※ご視聴頂いて良かったと思われた方は、お手数ですが、YouTubeへ移動して頂いて、是非、グッドボタンのクリックをお願い致します。(動画内のタイトル部分をクリックするとYouTubeへ飛ぶ事が出来ます)

いつも、曲と詞がある程度形になった段階で、テストランと言うかテストシングをする。

ギターで伴奏しながら、本気の音量で歌ってみるのだ。

キーはこれでオッケーかとか、歌ってみて違和感はないかとか、いろんなチェックをする為だ。

歌を歌うのに感情移入と言う言葉があるが、そこを勘違いしてる一般の人やアマチュアミュージシャンの方をけっこうみかける。

歌っている歌詞を今現状の自分と重ねて本気で泣き叫ぶかの様に、その立場に立って歌う事を感情移入だと思ってる人が多いが、実は違う。

そんな事をして涙をポロポロ流しながら自分中心に自分だけの世界に浸って歌ってしまったら、最悪の場合、西宮の某県議の号泣記者会見の様になってしまう。

◇兵庫県議・号泣記者会見


何が正しい感情移入なのかは、また、機会があれば。


そんな訳で、僕の場合、普段、歌う時にそういう間違った意味での本気の感情移入なんてして歌う事は絶対に有り得ないのだが、その『ウツでサイケな日常』をテストランで歌った時、涙がポロポロ出てきて声が震えて何回チャレンジしてもキチンと歌えないという事があった。

こんな経験は初めてだ。

本当にただ単に、チェックの為に歌っただけだ。

その出来事は、去年だったか一昨年だったか忘れたが、ソロ初のアルバム『解放』 をレコーディングする為に曲を作ってる最中の出来事だ。

◇皆見つかさ・アルバム『解放』、発売中!

この曲は、自分の身に起こった事を題材にした のだが、これを鬱病の症状だと断定出来てた訳ではないし、鬱病の理解を世の中に広めようとか、その時の辛さを分かって欲しいとか、そんな意図は一切ない。

◇実話じゃないけど真実を書いている

あくまで自分の心の中の状態をどこまで描写・表現出来るかのチャレンジの様な気持ちが大半だった様に思う。

いつも、頭の中で鮮やかな極彩色がうにょうにょと渦巻いてて、まるで、暗いフロアにレーザービームや強烈なライトがぐるぐると回るかの様な、そんな感覚の中、自分の平衡感覚は失われていく

そんな自分の日常を一言で例えるならサイケ

その映像を音楽と歌詞で表現したかった。

そして、自分なりにはうまく表現出来た。

ただそれだけの事だ。

で、涙で声が詰まって歌えなくなるそんな事が何日か続いて、ようやく、普通に歌える様になったのだが、それと全く同じ事が『祀る想いと祭りの中で』という曲でも起こったのだ

◇祀る想いと祭りの中に/皆見つかさ

(『せっかくだから、少しでもいい音で音楽を楽しんで欲しい。 』)

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この曲は、特に鬱とか自分の状態を歌ったものではない。

この2曲の共通点は、満足出来る表現が出来たと言う点にある。

そして、2曲とも普通に歌える様になった時、いろんな事が冷静に見える様になって来た。

もしかしたら、鬱病だった可能性もない事はないと、少し思える様になってきたのだ。

『ウツでサイケな日常』の歌詞 が今になって見てみると、自分自身で当時気付いてない気持ちが客観的に的を射てキチンと表現されているのだ。

◇ ウツでサイケな日常(皆見つかさ) 歌詞

完全な無意識下で自分自身を冷静に観察してた自分がいたと言う事になる。

例えば、曲中のイライラなんて、当の本人は、周りがイラつかせるので誰でもイライラするのは当然として、異常事態としては捉えていなかったのに、自然とあんな冷静に分析出来た正しい結論の歌詞を書いてるのだ。

自分の事ながら人間の神秘を感じた

あの作曲活動は、無意識に人間が行う自己治癒の様な物なのかもしれない。

そんな自分を表現出来て、その後涙を流すだけ流した後、イライラする事が目に見えて激減し始めたのだ。

今にして思えば、前述の彼女にふられた大きな原因の一つはイライラを彼女にぶつけてしまった事なのかも知れないと思う。


そして今も自分では、あれが鬱病だったとは断定出来ていない。

どっちなのか今は正直分からないのだ。

確かに、うつ状態になる事はちょくちょくあったなと自覚はしている。

鬱病だったと断言出来る程の決定打はほとんどない。

でも、そんな精神状態を自己表現する行為で救えると言う事を身を以て体験した。

絵でも文章でも音楽でも陶芸でも演劇でも何でもいい

切羽詰まった余裕のない人程、やってみる価値はあると思う。

心底、それは薦めたい。


それと、鬱病体験した人が『ウツでサイケな日常』を聴いて、どう思うのかを真剣に聞いてみたい。

あれは本当に鬱病なのか、あるいは違うのか。

あの曲を聴いて、同じ様に涙が出たとか、症状が和らいだとか言う人がいれば、自分は鬱病なのかも知れないが、その曲で誰かが少しでも楽になれたのなら、それは何より嬉しい。

寧ろ、それが本望だ。

逆に鬱病でない健康な人から、「凄く分かる」という感想をたくさん貰えば、自分は鬱病ではないという証明になる。

それならそれで、あの曲が、ちょっと心疲れた人の癒しに、なってくれればそれでいい。

そんな自分の半生を時系列もバラバラに、たったこれだけの文章でどこまで伝わるか分からないが、とにかく書いてみた。

今は、楽器にも触れられるし、部屋も仕事場も片付いている。

いずれこの話の、補足や番外編を書けたら書こうと思う。


【追記】2017.8.8

この記事も今となっては随分古い記事となりまして、この頃より、いろいろ事態は進んでたり、いろんな事が分かったり、僕の状況はいろんな意味で随分変わってきています。

当時の状態についてもどういう事だったのか大体分かっています。

また、記事にするかもしれませんし、しないかもしれません。

そして、精神疾患の症状は人によって様々なので、専門の医師でもない患者がそれを判定など出来ないと言う事も理解しています。

そう言う事ですので、病気かどうかだとか、それにまつわるアドバイスだとか今は必要としていませんので、どうか、その類いのコメントやメッセージはご遠慮願えたらと思います。

あくまで、当時の話としてお楽しみください。

勿論、曲やこの記事の純粋な感想は大歓迎です。


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