走って参りました。

東京マラソン。

練習中はいつも一人、それが急に3万5千倍の人数と一緒に
走る事になるのですからその迫力は計り知れなかったです。

寝坊癖のある自分としては、
最初の難関、『早起き』に立ち向かわなければなりません。

最初は6時ごろ起きればいいかなと思っていたのですが、
混雑するだろうし、
早め早めの行動をと思い、目覚まし時計は5:30から5分おきに
6時まで、そしてぎりぎり寝坊しても間に合うであろう6:30に
駄目押しでセットしておきました。

結果は5:50に起床。

そこから朝ごはんは餅を二つ。

アミノバイタルを一つ。

カフェインはトイレが近くなるからと思いましたが
せっかくの早起き、珈琲を一杯。

気付けばそろそろ出る時刻。

昨晩予習しておいたテーピングを
足の指と膝に巻き、
友人からのプレゼントのCWXの京都モデルを履き、
さながら戦に向かう侍の心持で着替えを済まします。

と言ってもそこはお祭り。

どのくらい楽しめるか
自分は走りきれるか
どのくらいのタイムが出るか
東京の主要道路を走れると言うのはどんな気分なんだろう

などなど、
早く走ってみたいなと言う気分でいっぱいでした。

都庁前に付くと既に長蛇の列。
あの辺は超高層ビルに囲まれているので、
日が差さない。

スタートまでは一時間くらいある。

けれど、手荷物の預かりはさっさと済ませたい。

断腸の思いで
上着を脱いで、ランニング用の格好になりました。

そこで慣れているランナーならばビニール合羽みたいなものを
着ているのですが、その事をすっかり忘れていたのと、
人が密集していればそこそこあったかいんじゃないかという
希望的観測で防寒対策は無し。

ストレッチなどをして体を温めようと思うも、
一通り終えてもまだ時間にはならない。

トイレに行ったり足踏みしたり、
周りの人を見ていたりしていたら、
ようやくスタート。

でも、スタートの号砲は聞こえども
この離れたブロックからではあまり実感はない。

少しずつ歩き始め、道幅が広くなり、
前の人のスピードが上がり始める。

見上げればスタートラインと紙吹雪の残骸。

直前まで友人とメールしていた自分はあわてて、
携帯をしまいます。

気分は高揚し、沿道の声援は誰に向けられたものなのか
少し困惑しながらも、
体調は悪くなさそうだ、前の人邪魔だな、
俺いつもよりはやいのかな?
なんて事を考えていると
いつの間にか
2kmのサイン。

お~、もう二キロかこりゃ調子良いぞと
日のあたる場所では思い、
早くおわんねーかなあと30km以上あんのかよ、無理っぽくね?

など日光の具合によって
ポジティブになったりネガティブになったり
仮装している人を見つけては驚き、
通った事のある道をいつもとは違った視点から見てその風景の違いに
感動したり、
撮影ポイントでは前の人にならって両手を挙げようと思っても
なんだかこっぱずかしくて中途半端に手を挙げてみたり、
いやいや、その方がよっぽど恥ずかしいんじゃないの?
と自問自答してみたりで
いつのまにかの15km。

元来同じ道を通る事があまり好きじゃないので
折り返し地点というのはそれだけでつまらない場所という感じが
してしまいます。

でも、コースだから仕方ない。

嫌々ながらも走ります。

沿道では要所要所で
チアガールがいたり、お子様が躍っていたり、
太鼓をたたいていたり、

この祭りをいろんな人たちが盛り上げているんだなと
そしてその中で、主役とまでは行かないし、
ただ走っているだけの存在だけれど、
サポートしてくれる人はBMWの自転車でどこにでもいるし、
給水、給食所の人たちはしっかり声をかけて、とても楽しそうに
応援してくれている。

それだけで、チカラになる。

そんな風に思っていたものの実際は
足が痛くなり、小指が痛くなり、
なんか足が上がらなくなり、
掲示される距離数がいつまでたっても更新されない。

やっと、折り返しの呪縛から解き放たれたと思ったら、
今度は浅草まで行ってまた折り返し。

でも、今度は風景ががらりと変わり、
華やかな銀座を通って、浅草まで。

浅草には数えるほどしか行った事がなくて、
距離感とか土地勘は全くなく、
銀座から浅草まで走るなんて、
感覚的には奥多摩から吉祥寺くらいのニュアンスが自分にはあります。

その未知さには内心ビビっていましたが、
折り返してくる人を見ると
まぁ当然なんですが、
『戻ってこれる距離なんだ』と安心しました。

が、安心したからといって距離が縮まるわけでもなく、
そこからは痛みとの闘いだったような気がします。

あんまり覚えていないんですよね。

痛かったし、走る事もきつかった。

歩いても進めるけれど、走るともっと早い。
歩けば少し痛みは治まるけれども、
走るともっと痛くなる。
じゃぁ、痛くなるから走らないのであって、
体力はあるの?

そんな自問自答を繰り返し、
走ってみては歩いてみて、

やっぱきついわと歩いてみる。

でも、痛みに負けるってことか?

と奮起して走ってみると、

ちょうどいいストレッチ場所みたいなのが陽だまりにあって、
『あ、あそこ良いなぁ』
『ストレッチしたいなぁ』
とふらふらと走る人波をかき分け
その場所にたどり着き、
軽くストレッチをする。

けれど、その間に
さっきぬかしたはずの仮装している人に抜かし返されると
なんだか自分が凄く遅い気持ちになって、
ストレッチもそこそこに走り始める。

痛いなぁ
痛いなぁ

と思いながら、

給水まだかな
トマトまだかな

と腹をすかせながら

足を進める。

結局、
マラソン選手に対して感動する姿と言うのは
120%出し切っている姿にという事なんでしょう。

自分の様に練習少しで、雑念一杯の人間では
やはりそこまで自分を追いつめられない。

痛さに負け、歩くことを選んでしまうのは
一つの弱さであり、
単純に練習不足でもあるのでしょう。

雷門周辺では人が多くなり、
前の会社の人が応援に来ている情報があったので、
ちらちらと見ながら走るも見つからない。

遠慮というのも変だけど、
沿道で声援を投げつけてくれる人たちには
笑顔で手を掲げてハイタッチ待ちしている人が多くいます。

もちろん、それに応えるのも楽しいとは思いますが、
汗をぬぐい、鼻水をぬぐった手袋をしたままでは
どうしても遠慮してしまいます。

なので沿道からは付かず離れずといった具合に探していましたが、
見つからない。

そんなに早いわけでもないのに見つからない。

日比谷でも家族で連れだって来てくれた友人には会えず、
ましてや折り返し地点でも会えなかった。

ここでも会えないのか。

雷門を過ぎたあたりでもう会える事はあきらめていました。

が、突然名前を呼ばれ、振り返ると。

『いた!!!!!』

その瞬間痛みが吹っ飛び、何ともいえず嬉しい気持ちになりました。

応援と言うのは不思議なものだなと思いました。

彼らが持っていたワインを一口もらい、
また、走り始めます。

痛みはあるし、寒いし、給水所までどのくらいあるか分からないけれど、
走っている事自体は楽しいんです。

距離が近づくとか、
スピードが上がるとか、
そういう数字的なものでなくて、
走っているってそれだけで幸せだなと思うんです。

走るために必要なものはそろってて、
そいつらがきっと自分が感覚として味わってる以上に
頑張ってくれている。
それを制御するのが痛みなんでしょうが、
そんなもの無視してもいいよと言って足を前に出してくれる。

変な話、自分がもしひざだったり、
足首だったら、
『もう無理』
と言って、脳の命令を無視して攣ったりなんかして
走る事を止めさせていたんじゃないかと思うほどです。

次の5kmはずっと走るぞ!と思っても、
ようやく見えた掲示板ではまだ1kmしか進んでいない。

『ひゃー、無理』
と潔く歩き、
でもな~と思いなおし走り始め、

そんなこんなで
銀座に戻り、あと7km

ここからの7kmは体感的には20kmくらいあって、
進めど進めど進まない。

そんな中沿道では励ましのメッセージもより具体的な内容が多くなってきます。

はじめの頃は
『完走目指して頑張れ!!』
とかだったのが、
『痛いのは気のせい』
とか
『ゴールまであと5km』
とか
まさに我が意得たりといった感じで、

『そうだよな。痛いのは気のせいかもしれないんだよな。
だって、忘れようとすれば一瞬は忘れられるわけだろ?
それを連続してやれれば痛みなんて気のせいでしかないよな。
でも、痛いな。いや、気のせいでも、痛い、気のせい』

しまいには
『きのせいきのせいきのせいきのせい・・・・・・』

と呪文のように唱えていました。

汐留の文字が見えたころ、携帯を見ると友人からメールが入っている。

普通の真面目なマラソンならこんな風には出来ないだろうけど、
東京マラソンは何を競うわけでもなく、
楽しみながら走れる。
だから、写真も撮れるし、こんな風に携帯を見る事だって出来る。

後もう少し。

そんな内容だったけれど、
なんだかんだいってみんな結構見てくれていて、
ゴールした際にはみんなからメールが来た。

結構やりとりをしていた友人は現在位置の更新をしまくってる
みたいな事を書いていたので、
その姿を思い描くと自然に笑いがこぼれてしまっていた。

その時程、マラソンが前に向かって進む競技で良かったと思う。
これが自分の顔が見える競技だったらみな急に笑った自分の事を
変な人だと思うに違いない。

海が近くなり、風も強くなる。

坂だから、
風が強いから
日陰だから、
歩いてる人が多いから

といちいち言い訳を見つけては歩き、

あと少しなんだからと奮起して、
走る。

ビックサイトのあの建物が見えれば元気になるかもしれない
そう思っても全然見えてこない。

そうこう思っているうちに残り1km。

え?建物なくね?

まぁ、最後だし、走りきるか。

と駄目押しで走り始める。

長い長い直線。

そして、最後のコーナー。

残り『195m』の文字

ここで最後の最後の踏ん張りで、ダッシュ。

はたから見ればトロトロだろうけど、
自分としてはもうダッシュ。

多分、50人は抜いた。

そこに意味なんてないんだけど、
ぶっ倒れる事は出来なくても、
その寸前まで持って行ってみたかった。

倒れたら、立ち上がれなくなるかもなって思いながらも
ダッシュ。

今考えると200mダッシュって結構えぐいと思うけど、
その時はたった200m。

こんだけ走れるんだならもう少しバランスよく配分出来たんじゃないの?
と思いながら、ゴールへ飛び込んだ。

自分で
『ゴール!!!!』とかすれた声で言い、
思わずでたガッツポーズ。

その後歩きながら、
タオルをかけてもらい、
メダルをもらい、
バナナをもらい、

その間中ずっと、
『疲れた、疲れた疲れた』と繰り返していました。笑。

改めて思うけれど、
人間は凄い。

医者の友人に体力とは何?と尋ねた時に帰ってきた答えが

『人間の基本性能なんてそんなに変わらない。
要は集中力の違い』

みたいな事を言われて、なんとか集中しようとしたけれど、
なんかいろんな事をずーっと考えて、頭の中が空っぽになるような感じは
一切ありませんでした。
集中するって難しい。

でも、基本性能が変わらないのであれば、
集中できなくても性能を発揮する事は出来る。
だから、なんだかんだでフルマラソンを走りきる事が出来た。

一番大きな走る動機だった事も年始に無くなり、
まぁ、それでも、せっかくだからとモチベーションは落とさず、
そしたら、ゲームで言えば最後の方で手に入るようなアイテムが手に入り、
それを履いたらもっと楽しくなって、
気付いたら完走出来ていた。

応援してくれた全ての人々に感謝。

けれど、また走るかと言われれば・・・・・。

でも、フルマラソンを走る事でしか得られない感情がある事が
わかったのはもしかすると今年最大の収穫かもしれない。

・・・・・そろそろ、上半身の疲労が追い付いてきたみたいで、
首を動かすと痛い・・・。

今日もゆっくりお風呂に入って休もう。

しかし、この筋肉痛一体いつまで続くのやら・・・


ではでは、みなさん、ありがとうございました!


いやはやなんとも、堪らない。

噛めば噛むほど味が出る。

実を言うと、蒼穹の昴シリーズを最高傑作と感じてしまっていたため、浅田次郎氏のシリーズものには手が出しにくかった。

どんな、ワクワクを、というよりも、あの作品は越えないけど、やはり面白かった。と思うに違いないとうっすら感じていたからだ。

しかし、まぁ、私の貧困な想像力を当然の事ながらはるかにしのぎ、登場人物はもとより、その時代にすら愛着を湧かせ、更には、その時代に郷愁すら感じてしまう。

義理と人情の織りなす義賊一家の浪漫譚とでも言っても、ここに現れるまずはの一場面は、パタリと裏返り、パタパタと繰り広げられ終いにはステンドグラスのように窓枠にきっちりと収まり、陽光を通すその様に心を打たれる。

しみじみと職人技に魅入ってしまう。

良き小説には、
現実よりもはっきりとした爪痕を残すものがある。

潰れそうな満員電車ですら、急ブレーキでも踏まれない限り、読んでいる場面が全身を包んでいる。

そして、物語は現実よりもずっと早く時を刻んでゆく。

残すところ、後二巻。

久々すぎてどこから書こうか悩みます。

調子が戻るまで、備忘録チックに。

まぁ、読書感想文と何が違うのかと言えば、
書き手の気持ちだけでしょうか。


さて、久々のミステリー。

外れの少ない作家として、
期待して読みましたが、
期待していたものが違っていたようで、
それでも面白く読む事が出来ました。

個人的にはキャラクタが薄い気がして、
そこはまぁ、『名探偵』ではないのだから
と腑には落ちましたが、
すこし物足りない感じではありました。

けれど、二章仕立ての構成は結構好きです。

二三行読むまでは何の話をしてるのやらさっぱりでしたが、
合点が行くと、徐々に苦しくなっていきます。

まぁ、これがこの小説の一番の読ませどころではないでしょうか。

自分にはそう思えました。

密室のトリックは、まぁ、そんなもんだろう。
と冷めた目で見てしまいましたが、
もう少し全体的にまとまりと、短さが欲しかったと思いました。

ひょんな事により、次作も手に入ったのですが、
とりあえず、今は延び延びにしていた『天切り松 二巻』を
ワクワクしながら読んでいるところです。


硝子のハンマー (角川文庫 き 28-2)/角川書店

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久々のハゲタカ!

金融小説は肌に合わないと思い込んでいた自分が用語の意味もわからずひたすらに面白さだけで読ませてくれる筆力は衰えしらず。

…けれど、読み進めていくと、ある懸念が。

ハードカバーには全くと言って手を出さないにもかかわらず、これは読んだかもしれないと何度も思わされました。

読み終えたあとも結局真偽は不明ですが恐らく、読んだと思います。

もしかすると、一番始めにこれを読んでいるかもしれません。

けれど、なんとなくしっくりこなかった理由は恐らく、若干ミステリー色があるにもかかわらずそのタネがいまいちだったことでしょう。

また、芝野のストーリーの終わり方が私的には余りにも消化不良過ぎた点にあるかもしれません。

企業買収と言う自分とは無縁の話ではあるけど、そこにある心理戦には手に汗を握り、お金の引き出し方は錬金術の様に思えてしまいます。

が、詰まる所、人の縁と言うのが最も大きな財産であるということでしょう。

こう言ってしまうと、つまらない話に思えてしまうところに、「お金」と言うものが持つ魔力なのかもしれません。



iPhoneからの投稿
万力で締め付けられる様な物語。

どんなに死体を切り刻もうが生きながらにして身体的な痛みを伴う様な描写をされても「そこそこ」。

でも、読むのをやめようとは思ったことはない。

けれど、この小説は、残りの数ページが気になるよりも読むのをやめてしまおうかと思いの方が強かった。

恐らく、他の作品を読んでいなかったら読むのをやめていたかもしれない。

なんだよ、これ

と、投げ捨てていたかもしれない。

この感じ、「嫌われ松子の一生」に近いかもしれない。

それらをふまえて、
なお、というか、
やはり、というか、
とにかく、読んで良かった。

泣けもしなければ、感動もしない、
けれど、その一歩に
しみじみと人間味を感じる。

その人間味と言うのは、
満員電車の隣の乗客よりも現実的で、
とても近いと言うことかもしれない。

人の人生の見なくて良いと思っている部分を描くからなのか、こちらが目を覆いたくなる。

生半可に人の人生なんて尋ねるもんじゃない。
そう、強く思わさせられた。

でも、読むさ。と、次に読む小説は何にしようか考える。

具体的になんなのか、それはわからないけれど、とにかく、転がり続ければ、苔は付かない。

それか良いか悪いかは別として、苔と認識される何かが付かないと思えるのはそれだけで洗練と言えるのかもしれない。

いや、しかし、まいった。




iPhoneからの投稿
何かオマージュ的な作品だったのだろうか?

青い炎以来の作者の小説。
黒い家も読んだし、どちらも面白かったイメージか残っているものの何故か食指が動かなかった。

今回の作品はノベルスの装丁が気に入ったからかもしれない。でも、購入したのは文庫本。どうしても持ち運びを重視してしまう。

一読して、読まなかった理由がわかった。
簡単に言ってしまえば、描かれているものが、好みでない。

けれど、面白い。

上下の厚みを気にさせず、グイッと物語に引き込まれる。

まだ、未読な人にこれを進めるならば、上巻だけを渡すのもいいかもしれない。

下巻を読んですぐに既視感。
設定は全く違うが、バトルロワイヤルの様な感覚。

上巻で底辺に流れるどす黒い川に、期待し賞賛し、違和感を肌で感じる。
その川は恐らく荒れて、全てを飲み込んで行くのだろうという予測とそうならないかもしれないという期待。

が、実際は黒いと思っていた川は、ただのそういう川で、黒という色の持つイメージとはかけ離れていた。
いや、黒い川はやはり目の当たりにすればおののくだろうが、慣れる。

総称してしまえば、
かの残酷小説作家の長編とでも言えば事足りてしまう。

だからこそ、この作品は恐らくオマージュなのだ。

以前、ロングバケーションというドラマかヒットした時、大瀧詠一が歌う主題歌もヒットしたが、その現象を目の当たりにして、友人が一言。

「この歌の良さを本当にわかってるやつは何人いるんだろうな?」

キムタクがでて、月9で、ドラマ全盛期。
実力派作家で、映像化も重なり、出版部数も伸びた。

もしかすると、もっとぞっとするわかる人にしかわからないどんでん返しが残されているのかもしれない。

そう穿ちつつ、Amazonのレビューに書かれている事はここでは伏せておこう。



iPhoneからの投稿
周りに釣りをしている人は何人かいた。

釣りといってもスポーツ感覚であったり、狩猟感覚であったり、その捉え方は様々だが、ここに描かれるように取り憑かれてる様な人種にはあった事はない。

題名からもわかる様に、鮎釣りの話だが、私に言わせればサバイバルの話の様に思えてしまう。

趣味を超えた範囲だが、苦笑と諦めを持って接することができそうな主人公が一匹の巨大鮎を追う男と出会う事でその狂気にひきずられていく。

釣りの小説を読んだのは初めてだったが、これほど釣りのシーンを待ち望む事になるとは思わなかった。

端々で目にする登場人物たちの日常はあくまでキャラ付程度のものでしかない。
こちらが見たいのは、巨大鮎なんだ!と思いながらも、なかなか姿を現さない。

ひたすらに読み続け、待ち続ける。

ふと、読み終えて、顔をあげるといつもの風景。
その事が不思議に思うほど、私は川にいたらしい。


iPhoneからの投稿
予想していた内容と違っていたので、
上巻を読み終え、下巻の途中まで
もの凄くしっくりこない作品でした。

しかし、物語が訴えていた部分は
私が考えていたものよりも
ずっと深く文章の隅々にまで滲みわたっているようです。

発酵食品の豪華本を作る過程で見えてきた
『発酵』の営み、
その奥深さがそのまま物語として成り立っている。

一言でいえば
『そうなるようにできている』
でしょうか?

確かこの言葉、さくらももこ氏の作品の題名だった気がします。

この題名を見た時とてもしっくりきた感触がして、
この『にぎやかな天地』を読み終えた後、
思いだした言葉です。



私が学生の頃、こんな疑問を抱きました。

『人に感謝するってどこまで行けばいいんだろう?』と。

例えば、もの凄く困っているときに助けになってくれた人がいたとする。

その人に恩返しをしたものの、その人が私を助けてくれたと言う事は
その人を産んだ親にも感謝しなければならないのではないか?
もっと言えば、その人を取りまいてきた環境、出会ってきた人々、
その感謝の螺旋はどこまでも際限なく掘り下げられ、
最終的には、『全て』に行きついてしまう。

しかし、そうはいっても『全て』に恩返しなんてとても出来ない。
ならば、私はその程度しかその人に感謝していないのだろうか?

と。

極端な考え方ですが、
この小説にはこれに対する答えの一つが書いてあるような気がしました。


私がこの本で一番印象に残ったのは
カメラマンの子供が産まれた後の彼の言葉です。

『ヌードになってるねーちゃん達がみな赤ん坊にみえる』

なるほど。

と膝を打ちました。

ヌード写真の大半が性的な意味合いを持っている。
けれど、赤ん坊は裸だ。
赤ん坊に性的な意味合いなんてない。
裸であると言う事は赤ん坊と同じであり、
性的な意味合いなど感じない。

まるで悟りを開いてしまうかの境地ですが、
実際、そう考えると性的な部分を感じないどころか、
むしろほほえましい気持ちにすらなってしまいます。


歳を重ねれば当然、
腹は出て、二の腕はたるみ、皮膚に張りがなくなってくる。

体に癖が付きどこかが歪んだり、どこかが痛んだり、
傷やシミが増えて行く。

けれど、見たいか見たくないかは別にして、
そういった体を持った全ての年代の人々の裸というのは、
美しさがあると思います。

けれど、お風呂上がりに自分の裸を見ると
やはり、鍛えてある人の腹筋などと比べてしまって
ちっとも格好良くない。

そんな体を持つ自分が少し恥ずかしさを覚えてしまいます。

でも、だからこそ、
『そういうふうにできている』
のだと思います。

何百年も続いている発酵食品を作っている会社であっても
その菌の動きを全て把握しているわけではない。

良く分からないながらも、気温を湿度を、その時々によって
調整しながら素晴らしい食品を作り続けています。

その良く分からない部分がまさにこの本の題名である
『にぎやかな天地』であり、
それは発酵食品だけではなく、この世の全てに当てはまるのだと
思います。

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少し話題になっていたので、気になって読んでみました。

あらすじを読む限りだとそれほど惹かれるような内容では
ありませんでした。

読み進めていくにつれて、
明らかになっていく環境。

語られない部分が意図的に語られていないと気付くのは
読み始めてちょうど飽き始めていた頃でした。

その時の戦慄は文章の静謐さとあいまって際立ちます。

この本はどんなジャンルになるのかと言われれば
私的にはミステリーに分類するでしょう。

はじめから誰もが抱くであろう疑問の答えが最後に用意されている。

この本の構成を知らないで読めたからこそ
味わえた感想だと思います。


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)/早川書房

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次は、と言いながらも、延び延びになってしまった本作。

これは結構衝撃的でした。

バックミンスターフラーとの出会いで覚えているのは、
たまたま通りかかった鎌倉の美術館で催している展示会でした。

全く知識もなかったものの、なぜか耳に残る名前に惹かれて
見てみる事にしました。

その時見たほとんどを覚えてはいませんが、
フラードームのギミックに一人繰り返し遊んでいたような気がします。

そして、インドネシアの大地震と津波。

あの時に復興支援で外国の方が作っていた
『アースシップ工法』というものに衝撃を受けました。

簡単に言ってしまえば空き瓶や廃タイヤから
仮設住宅を作るといったものでした。

日本では建築基準法などの制約があり、
建てる事はできませんが、
一年前のあの時にならきっと活躍したのではないかと
今でも思ってしまいます。

そして、その『アースシップ工法』の思想のもとになっているのが、
バックミンスターフラーの宇宙船地球号と言う考え方なのです。

日本で実際に行われている事でいえば、
『ストローベイルハウス(藁の家)』になります。

これは廃材で作るのではなく、藁と土で作る家になります。

これもまた建築基準法の制限があり、
大きなものを建てる事はできませんが、
実際に何棟も建てられており、
そのどれもが個性的でとても良い住宅です。


本の一節に
水の中で踊る泡は『π』では構成されていない・・・
と言うような事が書かれています。

何故かその一節が私には衝撃的でした。

実際、数学を扱う仕事をしているからでしょうか。

それらの数字はあくまでも『代用品』でしかありません。

構成される物事を数字化することで、
簡略し、論理的に思考を追う事が出来る。

しかし、簡略化されていると言う事は
目をつぶっている部分があると言う事になります。

その目をつぶっている部分。

CDでは表現できない部分がレコードにはある。
そんな話と同じです。

人間が意識できないかもしれないけれど、
そこに音楽の深みがある。

物事は数字で表現できるかもしれないけれど、
出来ていない部分に現象の本質があるのかもしれません。


彼の凄いところはそう思うと、自ら幾何学を組みなおし、
新しい論理で既存の幾何学を踏襲し、超えて行ったところでしょう。

ただし、その論理式は他人が見ても理解できなかったようですが。



先日のボランティア、しあわせのパンと言う映画、そして、
宇宙船地球号という考え方。

ちなみに、この宇宙船地球号というのは、
『地球というのは一個の生命体である。だから、もっと地球に
寄り添った生き方をしよう』と言ったものです。

あ、この解釈ちょっと違うかも知れません。

でも、進めます。

今は世紀末ではないけれど、
世紀末という言葉に伴うイメージが
しっくりきます。

大地震が来て、原発から放射性物質が拡散され、
それでも電力が足りないからと
再稼働する。

自国の領土を急に他国に取られそうになっていたり、
消費税も上がり、
ネット上での規制も厳しくなる。

もっと深刻な問題もあるでしょう。

しかし、その深刻さにどう立ち向かうかは
国民一人一人が考えていかなければならないと思います。

昨年、大地震後、
恋人と九州に逃げた大学生だかの青年がいました。

ネット上では大げさすぎるとか言われてもいましたが、
あの行動は彼にとって正解だったに違いありません。

直下型の地震が来るかもしれない。
そんな中でも東京には人があふれかえっています。

私も含めて『私は死なない』という思いこみに支配されているのでしょう。
いや、『死んでも構わない』かもしれません。

私自身、『死んでも構わない』と思っていました。
東京が好きですし、うちは都心からは離れているので、
恐らく大地震がきてもそれほど被害は大きくならないと思っています。

守るべきものと言えば親、友達になりますが、
そんな時はなるようにしかならないと思っています。


しかし、今はそうも言ってられません。
それが東京同士だったらまた考え方は違っていたかもしれません。

けれど、
でも、

と何度も反芻し、
セルフビルドという文字が頭をちらつきます。



ふと今の時代は決して平和ではないのだなと思います。
ただ、平和ボケしている人が多いだけなのだと。

ジョブズ氏が亡くなり、その自伝が爆発的に売れました。

けれど、その生き方に感銘を受けこそすれ、
行動に移せる人はなかなかいません。

『あなたの時間を他人の為に使うのはやめなさい』

そうは言っても・・・とまた次の朝同じ電車に乗っている。

本当にその電車が人生最後の瞬間かもしれない。

最近そう思う時、流されている自分に
あほらしさを感じ、
恐ろしさを感じます。

人生は一度しかない。

これまで恐らく千回以上は耳にしてきた言葉でしょう。

今、少しずつその意味がわかってきたような気がします。






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