スピノザ その33 地動説 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

第五章に入る前に、ひとつ気になったことがあるので、それについて。

大まかにいえば、科学的認識と聖書の記述についてです。

 

 

シャルトルのステンドグラス、「イザヤ」↑

 

「聖書は自然的光明並びの自然的な神の法を絶対的に推賞している」という前章の結びの言葉ですが、これって、めのおが今まで感じてきたこと、そう教わって信じて来たことと違う訳ですよ。えっ! ほんとにそうなの? と正直言ってスピノザの本を閉じて、いままで聖書と科学ということに関して大雑把に捉えてきたことを思い出せば、すんなり受け入れられない筈の言葉じゃないか、と思い直したんです。

なぜって聖書には現代の我々から見て非科学的なことが数多く書かれている、と思い込んでいたからです。

例えば、ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えた時に、異端審問にかけられ無理やり自説を撤回させられたのは、聖書の天動説を否定するからだ、と思い込んでいた。

スピノザは17世紀オランダで当時最も進んだ科学者たち、たとえばホイヘンスとも知り合いだったし、磨いたレンズをこの天文学者に提供したとも言われているほどだから、当時としては最先端の科学的知識を身につけ、その上で「神学・政治学」を書いた。当然、コペルニクスの地動説も、ガリレオの裁判についても知っていた。多分同時代人のケプラーの楕円軌道の計算式なんかについても。


少し戻ることになりますが、「神学・政治論」第二部には、ヨシュアとイザヤの例がほんの少しだけれども出てきます。

「例えばヨシュアが――そして恐らくヨシュア記の作者もまた――太陽が地球の周りを運動しこれに反して地球は静止していること、また太陽が一時運動を停止したこと、さうしたことを信じたことは聖書の中で極めて明らかになっている。

「ヨシュアは昼が長く続いた真の原因を知らなかったのだ、彼は彼の仲間たちと共に太陽が毎日地球の周りを運動すると考え、またその日(後出のイスラエル人とアモリ人が戦った日)は太陽がしばらくの間運動を停止したと信じ、そしてこれが昼が長く続いたことの原因だと思ったのだ、そして彼は当時空中に漂うていた多量の霰(ヨシュア記十章十一節参照)によって異常に強い光線屈折が生じ得たでもあらうことや、或は我々が今ここでは立ち入らない同様のことには考えが及ばなかったのだ。

(ウイキぺデイアのよると、  1539年にマルティン・ルターが、最初に宗教的な問題として地動説を批判した。ルターは旧約聖書のヨシュア記でのイスラエル人とアモリ人が戦ったときに神が太陽の動きを止めたという奇跡の記述と矛盾すると指摘した。)

ルターが指摘しているアモリ人とイスラエル人との戦いの記述とヨシュアの言葉を聞き入れて主が起こした奇跡の記述はこうです。

ギベオンの人々は、ギルがるの陣営に人をつかわし、ヨシュアに言った、「あなたの手を引かないで、しもべどもを助けてください、早く、われわれの所に上がってきて、われわれを救い、助けてください。山地に住むアモリびとの王たちがみな集まって、われわれを攻めるからです」。そこでヨシュアはすべてのいくさびとと、すべての大勇士を率いて、ギルガルから上がって行った。その時、主はヨシュアに言われた、「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手にわたしたからである。彼らのうちには、あなたに当たることができるものは、ひとりもないであろう」。
ヨシュアは、ギルガルから、よもすがら進みのぼって、にわかに彼らに攻め寄せたところ、主は彼らを、イスラエルの前に、怖れあわてさせられたので、イスラエルはギベオンで彼らをおびただしく撃ち殺し、べテホロンの上がり坂をとって逃げる彼らを、アゼカとマッケダまで追撃した。彼らがイスラエルの前から逃げ走って、べテホロンの下り坂をおりていた時、主は天から彼らの上に大石を降らし、アゼカにいたるまでもそうされたので、多くの人々が死んだ。イスラエルの人々がつるぎをもって殺したものよりも、雹に打たれて死んだもののほうが多かった。
 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ユシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、
 「日よ、ギベオンの上にとどまれ、
  月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
  民がその敵を撃ち破るまで、
  日はとどまり、
  月は動かなかった。
これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いでぼっしなかったこと、おおよそ一日であった。(ヨシュア記第十章6~13節)



「預言者が何ごとに関しても間違いのない完璧な知識と認識を持っていたと考えるのは間違いであり、聖書が言ってはいないことを言っているとしたり、無理やり科学的認識にこじつけたりすることは聖書を台無しにすることに外ならない、とスピノザは書いています。

「人々は一般に不思議なほどの性急さを以ってかう思い込んで来た、預言者は人間の知性の達し得ることなら何でも知っていた、と。そして聖書の多くの個所が預言者は種々のことを知らなかったことを我々に極めて明瞭に告げているにも拘わらず、人々は預言者が何かを知らなかったことを容認するよりは聖書のそうした個所が自分にはよく分からないと主張しようとするか、さもなくば人々は、聖書の言葉を歪曲して、聖書が全然言はうとしないところのことを聖書が言っているようにしようとする。全くのところこれらのどちらかでもが許されるなら聖書全体は台無しになる。」と。

「イザヤに対しても同様に、日時計の上の日影の後戻りという徴証がイザヤの把握力に応じて、即ち太陽の後戻りをいう概念に応じて、啓示された。蓋しイザヤもまた太陽が運動して地球が静止していると考えたからである。そして彼は幻日などいうことは恐らく夢にも考えなかったのである。」

幻日:太陽の両側にあらわれる光輝の強い点。空中の氷晶による光の屈折でおこる暈(かさ)の一種。白色または薄い色彩を帯びる。

イザヤ書第三十八章八節にはこうあります。

そのころヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子イザヤは彼のところに来て言った。「主はこう仰せられます、あなたの家を整えておきなさい。あなたは死にます、生きながらえることはできません」。そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った。「ああ、主よ、願わくは、わたしが真実と真心とをもって、み前に歩み、あなたの目にかなう事を行ったのを覚えてください」。そしてヒゼキヤはひどく泣いた。その時主の言葉がイザヤに臨んで言った。「行って、ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられます、「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたのよわいを十五年増そう。わたしはあなたと、この町とをアッスリアの王の手から救い、この町を守ろう」。
主が約束されたことを行われることについては、あなたは主からこのしるしを得る。見よ、わたしはアハズの日時計の上に進んだ日影を十度退かせよう』」。すると日時計の上に進んだ日影が十度退いた。


めのおの小中学時代は、ガリレオは地動説を唱えたがために裁判にかけられ撤回するよう迫られた。つまり科学的真理を信じるガリレオがローマ・カトリックの権威により弾圧された、と教えられ、ずっとそう信じてきた。有罪判決を受けて火刑に処されるとか、投獄されるとかを恐れたガリレオは自説を撤回したが、「それでも地球は回っている」と呟いた、と少年向きの本には書いてあった。

ところが、こんど、この点を確認しようと検索してみると驚くべきことが書いてあるではないか!


「地球中心説がカトリック教会の正式な教義であったことはなく、教会は地球中心説と太陽中心説のどちらが真実かという問題に直接利害関係を持っていなかった。ガリレオの支持者と反対者は教会の中と外の両方に存在しており、ガリレオの最初の主要な支持者はイエズス会の天文学者たちであった。宗教裁判所がガリレオに出した地球の運動を撤回するようにという命令は、タイミングの悪さや政治的陰謀、教会の派閥争い、聖書の解釈権、友人だったローマ教皇ウルバヌス8世(マッフェオ・バルベリーニ)とのいさかいなどから起こったと考えられている。


地動説について言及する際に、必ずといっていいほど、地動説がキリスト教の宗教家によって迫害されたという主張がされる。ローレンス・M・プリンチペは、「科学者」と「宗教家」の勇壮な戦いという19世紀後半に考案され普及した闘争モデルは、現在(2011年)においては、科学史家は皆否定していると述べている。このモデルでは、歴史的な状況を正しく理解することはできない。

ヨーロッパ近世初期の自然哲学者は、自然を知ることは神を理解することであると考えており、信仰と科学的探究に矛盾はなかった。


(ウイキペデイア、「地動説」のガリレオ裁判による)


この件に関してはまた機会をみて触れたいと思います。 

 

                  ヽ(;´ω`)ノ