父に特養の入居をすすめてみました。
介護保険サービスの冊子を用意して、この前はショートステイに行ったんだよ、安くサービスが受けられるんだよ、という話をしました。
特養の説明を示して、母の入院が長引くならこういうところに入った方がいいんじゃないかと提案。
わたしの家の近くの特養に入ってもらえれば、ちょくちょく会いに行けるし、とも説明。
父は難色を示します。
「俺はこういうところに入るほどじゃない」
と主張するのです。
寝たきりの人ばかりが入るところではないんだよ。お父さんは、今しっかりしていて元気だからこそ、今のうちに入る方がいいと思うんだ。(しっかりはしていないけれど)
父は言いました。
「人の世話になるようになったら、生きている意味がないよ」
お父さんは、91歳なのにしっかり歩けるし、階段も上り下りできるし、自転車に乗れるし、布団の上げ下ろしもできるし、自分でトイレに行けるしお風呂にも入れるし、食事も自分で摂れるでしょう。91歳でこんなに色々できるのは、すごいことだよ。90歳過ぎてもこんなに元気でいられるんだって、他の人に希望を与えられるんだよ。お父さんは、元気でいるだけで人の役に立っているんだよ。
と熱弁したところ、父は「ありがとうよ」と言いました。
こんな説明では、病気やケガで寝たきりの人はどうなんだ、父がそうなった時にどうなんだ、ということになってしまうので、あまりうまい説明ではないんですが。
父は生きているだけで、娘のわたしには意味があるのに。それをうまく伝えられなかった。
っていうか、もう既にわたしの世話になりまくっているのだけど認識がないのか。「人の世話になる」の人っていうのは、他人のことなんだろうか。
父が特養に入ることに納得してくれることはないかもしれない。
でも、説明することはあきらめたくないと思う。