今週の刃牙道/第113話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第113話/絶好調(ベストコンディション)






ピクルは刀の切れ味を知らない。似たような攻撃をしてくる恐竜はいたし、彼らの牙や爪も強力だが、質の点で刀とは異なる。また、「宮本武蔵」ということの価値も知らない。武蔵としては、それがイメージ刀の通用しない原因であるという結論になった。だから実物の愛刀、金重を取り寄せた。じっさいに斬って、わからせるほかないと。この「わかる」にかんしては、ピクルの首を飛ばしている絵が描かれていた。もしそれでピクルが刀についてのすべてを理解したとしても、それをその後の生に生かすことはできない。つまり、武蔵としては、からだのどこかを斬って、ピクルを仰天させ、しかるのちにイメージ刀も成功させる、という流れが想定されていない。わからせるということは、生きていようが死んでいようが、ただ斬るということなのである。


そのピクルは闘技場にもどっていた。そもそもあの武蔵とのたたかいの現場でどうやってピクルを落ち着かせ、ここまで連れてきたのか不明なのだが、あるいはピクルとしても、あまりにこれまでのたたかいと勝手がちがうので、混乱していたぶぶんがあり、たたかいをやめたらしい武蔵のふるまいを見て、ピクルのほうでも戦闘モードを解除したのかもしれない。

ピクルは、この闘技場にいれば「おもしろいこと」が起きることを知っている。待っていれば、烈や、克巳や、ジャックや、バキみたいな、すばらしいファイトを行う連中がやってくる。つまり、よくわからない攻撃で翻弄されはしたが、まだ武蔵とのたたかいについて彼はあきらめていないし、どうしていいのかわからないから、とりあえずこの場で待っているのである。

それはいいのだが、しかしピクルはなぜか用意されたティラノサウルスの肉にくちをつけない。闘技場にはバキと光成が様子を見に来ている。あんな巨大なワニをパクパク食べるような男であるが4日もなにも食べていないので、すでにげっそりし始めている。

バキはなにかを察したのだろうか。柵を飛び越えて歩み寄っていく。光成が緊張の面持ちで見守っているが、べつに喧嘩をふっかけにいったわけではない。ふたりはもういやというほどやりあっている。

歩み寄るバキをピクルが不思議そうに見ている。ピクルの人間についての個体認識って、顔なのだろうか。顔のつくりでそれをするのはけっこう高度な脳の使い方だとも聞く。彼の場合は野生だから、においとかもあるかもしれないが、やはりファイトスタイルとかもあるかもしれない。たたかってみたらきっとすぐに、あのときのあいつだとわかることだろう。

ともあれ、ピクルはバキの「久しぶり」という言葉を聞いてなにかを感じて、小さく笑みも浮かべた。そして、体育座りのような体勢をほどいて、あぐらをかく。体育座りはみずからのからだをみずからの手でしばるという形で、子供たちに手遊びをさせないという目的で考案されたようだが、そういう意味でいえば、内にこもって緊張している状態から、リラックスした体勢に移ったとみてもいいだろう。ふたりのあいだにはベルばらとかの花の表現ばりにパァァっとしたなごやかな空気が流れる。子供みたいなピクルが好きな僕としてはうれしい描写だし、じっさい、「強い相手=親友=食事」の世界で、涙なしにはものを食べれなかった孤独なピクルにはかつてなかったタイプの人間関係だろう。拳や牙を交わした親友が、「久しぶり」と声をかけてくるという状況が、これまでは原理的にありえなかったのである。その意味ではピクルの野生は損なわれてしまったのかもしれないが、別に損なわれてもいいや。


バキと光成が東京ドームの外を歩いている。光成は、ふたりがなにを話していたのか聞きたいようだ。もちろん、ピクルは言葉をもたないので、話すことはできない。だが、本気出してたたかったものどうしにしかわからないなにかがあるようで、バキはピクルと向き合うことでなにかを受け取ったようだ。ピクルが武蔵を餌と認めたというはなしである。ふたりの空想のなかで、ジャック戦のときのように、ピクルが武蔵の顔面にかぶりついている。光成は動揺して、本気でそんなことができるとおもっているのかと、よくわからない問いをする。素手でもどうしようもなかった武蔵を食う状況にまでもっていけるとおもうのか、という意味にとれるが、光成の動揺はおそらく、くわれる武蔵をリアルに想像してしまったからだろう。それをいったら烈だって克巳だってそうなんだけど、それ以上に、武蔵を食っていいはずがない。

さらにいえば、ピクルは4日なにも食べずに衰弱している。光成としては武蔵がまけるはずないとおもいつつも、少しは不安がある。だからそうしてじぶんに言い聞かせている雰囲気だ。対してバキの反論は、いまのピクルは「食えない」のではなく、みずから選んで「食わない」でいるのだというものである。そこで、「拳刃」で描かれた、無人島での虎との決戦における独歩の格言が引かれる。




「飢えこそが


野生における


絶好調(ベストコンディション)なんだよ」




ピクルは生きるために食事をしたいと考えて、狩りをするわけではない。おいしいもの、つまりご馳走が食べたい。そしてここでいうおいしさとは、味覚が規定するものではない。強い相手、食事にするのなど到底不可能におもえる相手、それこそがご馳走なのだ。そして、それに備えて、野性は空腹を選択している。それこそがベストコンディションをもたらすということを知っているからである。


ピクルは武蔵の奇抜な攻撃に翻弄されてなにもできなかった。しかしそれをいえば、武蔵のほうでもなんのダメージも与えられてはいない。たしかに刀を取り戻した武蔵は、そりゃー強いだろう。けれども、と、バキは考える。たとえば、ピクルがたたかい、そのアゴから生還したTレックス、彼らの牙が、刀以下なんてことがあるだろうかと。




つづく。




ピクルはバキを相手に「ひとによって解釈がわかれる」ところまで勝負をもっていった勇次郎以外でただひとりの人間である。ごくたんじゅんにいって、範馬と本部以外で武蔵に匹敵する実力をもっている可能性のある、数少ない人物なのだ。こういう解釈があるのは自然なことなのだけど、それが作中、しかもバキのくちから語られたことはたんじゅんにうれしい。武蔵の斬撃はそりゃすごいわけだけど、比べるための尺度がないとはいえ、ピクルはTレックスとかとたたかってきたわけで、一方的にまけるわけがないのよね。


さまざまなたたかいを経てピクルも変わっていったので、いまではどうなのかよくわからないのだが(げんにじぶんからワニを襲っていたようだし)、ピクルは基本的にたたかって勝った相手しか食べない。で、死力を尽くしてたたかった相手は、拳で生きるピクルからすればじぶんのすべてをわかちあった親友にほかならない。が、ピクルとその野生が属するコードが、それを食すことを求める、だから涙する。ピクルとたたかったものはバキ以外みんなからだのどこかを失うことになったし、それが彼とたたかうということにおける大きなリスクだった。しかし、バキがそうすることに成功したように、勝たないまでも戦意を喪失させることができれば、どちらも最悪死ぬか、からだのどこかを失うか、というようなことにはならなくて済む。しかし刀をもった武蔵が相手となるとそうもいかない。武蔵の勝利は、イコールピクルの首を飛ばしたときであり、ピクルの勝利は、彼がおもうさま武蔵の顔面にかぶりついたときである。つまり、必ずどちらかが死ぬか、よくて再起不能になるのである。武蔵もピクルもふつうに社会生活を行っている人間ではないわけで、このまま遭遇しなければたたかわなくても済むわけだし、特に光成はもういちどよく考えてことの重大さを認識したほうがいいのではないかな。この前のガイアなんかは、あるいは本部の指示かもしれないが、そういうことを踏まえて暗に武蔵を止めようとしたし、バキもいちおうピクルにコミットしてその意志を確認したりしたわけだけど、光成は唯々諾々とたたかいにふさわしい状況を用意しているだけだよね。武蔵がピクルに食われるという状況に想像が及んでいなかったのだとしたら相当だし、知っててやってるのだとしたらそれはピクルの首が斬られることを「しかたない」と受け入れていることにもなる。たのむよ。


しかし常識的に考えて、そういう展開はちょっとありそうもない。いや、烈がじっさいに死んでしまったいま、「常識」なんてなんの意味もないかもしれないが、しかしピクルは子供みたいなものだから余計ショックが大きい。ここはやはり本部が割り込んでくるものとおもわれる。正体不明の無刀を、バキ戦か、あるいは再戦があるとしたら勇次郎にとっておくとしたら、その前段階である金重装備状態が本部にはもっともふさわしいと考えられる。あんまり抽象的な攻撃をしても、具体物のなかで知識とともに生きる本部にはなんの効果もないだろう。道具をもった最高の状態の武蔵こそが、ここまであおったあとでは、本部の相手としてふさわしいとおもえるのである(勝てるかどうかは別として)


ピクルの認識としては、武蔵を食べることはこのうえないご馳走になるはずで、その味付けのためにも、またベストコンディションにするためにも、空腹が適当である、ということのようだ。武蔵によればピクルは刀を理解していない。だから、イメージ刀がうまく伝わらない。だが、まったくなにも感じないわけではない。武蔵の攻撃にピクルはディノニクスの爪を連想していたし、少なくともそれと同程度の衝撃を、彼のからだは感じていたはずである。だが出血はない。ここに、ピクルが不気味さを感じた可能性はある。バキや、倒しても倒してももどってくるジャックに感じた、未知のものへの恐怖である。が、同時に彼らはピクルにそれを克服する精神的強さも授けてしまっている。よくわからない攻撃をしてくるが、もしこれを乗り越えるとしたら、もっと調子のよいときでなければならないと、あるいは現代文明の思考法に感化されたピクルが感じ取った可能性もある。ピクルはワニを食べているところを眠らされたので、あのときおなかがいっぱいだった。ひょっとするとそのことが、彼の拳の握りを甘くし、いつもの超スピードのステップを阻んでいたかもしれない。空腹になることで、野生の身体はなんとしても目の前の敵を倒さなければという状態になり、すべての能力をさらにアップさせるだろう。ピクルがおとなしくあの場から引き下がったのは、そういう直感があったからかもしれないのだ。

そういえば、いま気づいたんだけど、下水暮らしでひどく汚れていたピクルが今回はきれいになっていた。ペイン博士以外にピクルをうまくあつかえるものがひょっとして闘技場の小坊主のなかにいるのではないか・・・?






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