1月17日。28年前、阪神淡路大震災。
私は幼稚園の園児だった。まだ暗い中、母が大声で私達兄弟を起こし、毛布にくるまっていたのを覚えている。何かが起こっていることはわかっても、ことの重大さはわからない。
台所の食器がぐしゃぐしゃになっていた光景は今でも目に焼き付いている。
当時は携帯電話なんてものはない。おそらく固定電話も繋がらなかったのではないだろうか。幸い、私の知っている限りで亡くなった方はいなかった。ただ、須磨のじいさん、ばあさんが、当分私達の家に住んでいた記憶はある。家が半壊したのだ。後々聞いてみると、須磨のじいさんばあさんの家はリフォームして半年くらいしか経っていなかったそうだ。
朝になっても一向に幼稚園に行かないことに不安を覚えていた。それから当分水が出なかった記憶がある。父と近くまで水を汲みに行った。ニュースでは阪神高速が倒れている映像、長田周辺が火事になっている映像が流れていた。幼いから全然おもしろくなくて、マジカル頭脳パワーという番組がみたいのにニュースばっかり嫌だなあという思い出がある。正しい数字は覚えていないが6000人以上の方が亡くなったはず。
それから徐々に日常に戻っていった。当時は小学生はみんな習うものだと思っていた「しあわせはこべるように」という歌。これはこの震災のために作られた歌で神戸市の小学生だけが習う歌であった。今でも歌える。
地震にも負けない 強い心を持って 亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこう
傷ついた神戸を 元の姿に戻そう 支え合う心と明日への希望を胸に
響き渡れ僕たちの歌 生まれ変わる神戸の街に 届けたい私達のうた 幸せ運べるように
もしかしたら一番と二番の歌詞が混じっているかもしれないが、今でも何も見ずに歌える。
あのころは気づかなかったけど、確かに「神戸」という言葉が入っている。
大学だったかな、神戸以外の人と交流を持つようになって、あの歌が神戸市の小学生だけが歌えるものだと知ったのは。
あの地震の鎮魂の意味も込めてルミナリエというものができた。高校2年生の時、初めての彼女との初デートで行った。もともとは被災者を悼むイベントだったのだ。今はまだやっているのだろうか。
水道が出る取手、上から下に押して出るものもあれば、下から上に上げて出るものもあったが、あの地震以降、ほとんどの水道は下から上に上げて出るものになった。地震のとき、上から下にものが落ちて、各地で水道が出っぱなし、ということが起きた教訓である。
中学校で習う。震度。0,1,2,3,4,5弱,5強,6弱,6強,7 。今思えば5と6だけ不思議で仕方がない。普通に0から9の10段階にすればいいものだ。
これも阪神淡路大震災以降の話である。もともとは5,6に強弱なんてなかったが、あの地震以降、震度も細分化され、5弱、5強、6弱、6強という分類が生まれた。
私の住んでいるところは当時震度6であったが、今で言うと、6弱なのだろうか、6強なのだろうか。
あの震災から今日で28年。ただ仮に30歳の人でも当時2歳。とうてい覚えていないだろう。となればあの頃の記憶、鮮明でないまでも、ある程度語れる最年少はおそらく私の世代なのであろう。深くは語れないまでも、あの頃のことを語れる最後の世代として、1年に1回くらいはこうやって振り返ろうと思う。2年前のブログでも同じようなこと書いてあったけどいいやん。同じことでも。記憶が薄れないように、毎年毎年同じことでも書いていこう。少しでもあの頃の記録が残るように。
私は幼稚園の園児だった。まだ暗い中、母が大声で私達兄弟を起こし、毛布にくるまっていたのを覚えている。何かが起こっていることはわかっても、ことの重大さはわからない。
台所の食器がぐしゃぐしゃになっていた光景は今でも目に焼き付いている。
当時は携帯電話なんてものはない。おそらく固定電話も繋がらなかったのではないだろうか。幸い、私の知っている限りで亡くなった方はいなかった。ただ、須磨のじいさん、ばあさんが、当分私達の家に住んでいた記憶はある。家が半壊したのだ。後々聞いてみると、須磨のじいさんばあさんの家はリフォームして半年くらいしか経っていなかったそうだ。
朝になっても一向に幼稚園に行かないことに不安を覚えていた。それから当分水が出なかった記憶がある。父と近くまで水を汲みに行った。ニュースでは阪神高速が倒れている映像、長田周辺が火事になっている映像が流れていた。幼いから全然おもしろくなくて、マジカル頭脳パワーという番組がみたいのにニュースばっかり嫌だなあという思い出がある。正しい数字は覚えていないが6000人以上の方が亡くなったはず。
それから徐々に日常に戻っていった。当時は小学生はみんな習うものだと思っていた「しあわせはこべるように」という歌。これはこの震災のために作られた歌で神戸市の小学生だけが習う歌であった。今でも歌える。
地震にも負けない 強い心を持って 亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこう
傷ついた神戸を 元の姿に戻そう 支え合う心と明日への希望を胸に
響き渡れ僕たちの歌 生まれ変わる神戸の街に 届けたい私達のうた 幸せ運べるように
もしかしたら一番と二番の歌詞が混じっているかもしれないが、今でも何も見ずに歌える。
あのころは気づかなかったけど、確かに「神戸」という言葉が入っている。
大学だったかな、神戸以外の人と交流を持つようになって、あの歌が神戸市の小学生だけが歌えるものだと知ったのは。
あの地震の鎮魂の意味も込めてルミナリエというものができた。高校2年生の時、初めての彼女との初デートで行った。もともとは被災者を悼むイベントだったのだ。今はまだやっているのだろうか。
水道が出る取手、上から下に押して出るものもあれば、下から上に上げて出るものもあったが、あの地震以降、ほとんどの水道は下から上に上げて出るものになった。地震のとき、上から下にものが落ちて、各地で水道が出っぱなし、ということが起きた教訓である。
中学校で習う。震度。0,1,2,3,4,5弱,5強,6弱,6強,7 。今思えば5と6だけ不思議で仕方がない。普通に0から9の10段階にすればいいものだ。
これも阪神淡路大震災以降の話である。もともとは5,6に強弱なんてなかったが、あの地震以降、震度も細分化され、5弱、5強、6弱、6強という分類が生まれた。
私の住んでいるところは当時震度6であったが、今で言うと、6弱なのだろうか、6強なのだろうか。
あの震災から今日で28年。ただ仮に30歳の人でも当時2歳。とうてい覚えていないだろう。となればあの頃の記憶、鮮明でないまでも、ある程度語れる最年少はおそらく私の世代なのであろう。深くは語れないまでも、あの頃のことを語れる最後の世代として、1年に1回くらいはこうやって振り返ろうと思う。2年前のブログでも同じようなこと書いてあったけどいいやん。同じことでも。記憶が薄れないように、毎年毎年同じことでも書いていこう。少しでもあの頃の記録が残るように。
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ちょい怖
今日は姫路行って、天満橋行った。火曜は休みって言ってたやん、なんでなん?って姪っ子に怒られる。
まったくもってその通り。子供はたまに確信をついてくる。なんやかんや重なって7連勤であった。
昔は40連勤とかしていたけど、考えられないな。7連勤くらいでヘタってたらだめだ。
謎の右膝痛6日目。回復してきた感はあるけど、まだ痛い。理想は明後日から走りだす。
★正論や正しいことを言っても届かない。聞いてもらえるようにするためには、結果を出さなくてはいけない。
コメンテーターは一番ラク。コメンテーターに世界は変えられない。
メモメモ
受験について、校則がある意味、校則(同音異義語)、
【気長に続ける企画】
①1日1食生活(17日目)
4、5月…成功率(56%)
6月…成功率(63%)
7月…成功率(52%)
8月…成功率(48%)
9月…成功率(43%)
10月…成功率(52%)
11月…成功率(50%)
12月…成功率(48%)
1月…成功率(58%)
2月…成功率(64%)
3月…成功率(48%)
4月…成功率(50%)
5月…成功率(0%)
6月…成功率(60%)
7月…成功率(52%)
8月…成功率(29%)
9月…成功率(60%)
10月…成功率(48%)
11月…成功率(40%
12月…成功率(48%)
1月…成功率(48%)
2月…成功率(43%)
3月…成功率(45%)
4月…成功率(47%)
5月…成功率(55%)
6月…成功率(63%)
7月…成功率(58%)
8月…成功率(45%)
9月…成功率(60%)
10月…成功率(55%)
11月…成功率(50%)
12月…成功率(45%)
本日は〇
トータル 9〇、8✕
躁鬱バロメータ 2/5
体調バロメータ 2/5
ランニング
ジョギング
【1月17日(火)のニュース】
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