Something ELseは3ヶ月半にも及ぶ楽曲制作の為、プロモーションやレコーディングを除いてはマンションの一室で軟禁生活を強いられていた。
 

その努力の甲斐もあって、レコード会社と再契約、99年1月のマンスリーセールスで首位を獲得する。その後も音楽番組に引っ張りだこ。そして暮には紅白歌合戦にも出場。
 

電子音楽に頼らないアンプラグドスタイルと三人が織り成すコーラスワークに定評があり、三人の人間性も評価された。

 僕は当時、文化放送の彼らのレギュラー番組を聞いていて、ギターの伊藤大介さんのマンションの駐輪場に、自分の自転車の前かごに鳩が巣を作ったから、その鳩に名前を付けて欲しいというテーマでリスナーからのメールを求めていたので、軽い気持ちで鳩の名前を添えてメール送ったら数日後に番組ステッカーが届いた。文化放送からだった。そのステッカーには伊藤さんのサインが施されていた。

他の二人からは「伊藤くんから持ち出した企画なんだからちゃんと責任取れよ」と責められ「わかってるよ」と渋々合意していた記憶がある。

 まさかメールを送ったリスナー全員に宛ててサインをしたとは思えないが、その真相はわからない。ファンクラブのイベントでは運動会やメンバーごとにイベントを企画して楽しむものもあった。

紅白に出たことがあるミュージシャンがここまでするだろうか。決して崖っぷちから一躍時の人になっても浮かれないのは、やはり解散の危機をいつまでも忘れたくなかったからだろう。

 “僕たちが初めて目が合った時の止まらない痛みを 終わらない痛みを”

「さよならは一番最後に言うよ」より

 千葉では売れる前からそこそこ有名だったと思うですけどねえ丸さん。
 

今現在、折角のGWも新型コロナの感染を防ぐ為、遠出を自粛するよう政府は国民に求めている。

こんな時、解散した彼らにとって外出自粛は、あの時一致団結してラストチャンスとなる渾身の曲作りにあてた3 ヶ月半にも及ぶ軟禁生活を思い出してしまうのだろうか。そこで「あの時は色々あったね」などと不仲説を解くようなやり取りがあればいいのだけど。