コロナウイルスの猛威を身近に感じていないが、世間が自粛を控えているので、それに倣うように変わらない毎日を過ごすしかない。
今できることは、この不要不急の外出を控えて、部屋でできることを自分なりに考えて振り返ってみるのもいいだろう。
コロナウイルスの感染予防はともかく、僕は世間の風潮に合わせるのが苦手だ。人様がこうしているから自分もしなきゃならない。そう我慢してまで取り組むことが苦手である。人様のペースには合わせるのが苦手なのだ。
こんな最中、自分のペースでできて、尚且つ向上心を高めてくれるものといえば読書ではないか。
中央競馬のピーアールセンターが発行している月刊誌の中に、元アナウンサーの杉本清さんと競馬関係者の対談のコーナーがある。
たまたまある調教師との対談の中で、杉本さんが「調教師の夢を持つようになったきっかけは」との質問に、「学生時代に宮本輝さんの『優駿』を読んで」とあった。
僕はそれまで宮本輝さんの小説はいくつか読んだことはあった。「海辺の扉」や「春の夢」、「青が散る」など、どこか仄暗い現在や過去を背負った男の群像小説が多い。後に新聞のインタビューで宮本輝さんはアルコール依存症に罹患していたと知った。
特に、誤って息子を事故で失い、責任や自戒の念にかられて海外に移住する男を描いた「海辺の扉」は読者の胸を鋭く突き刺す。
競馬の月刊誌と同名のこの小説は言うまでもなく名作中の名作だ。競馬好きの方なら普段、本を読まない方でもすらすら読めるはず。
この作品は社台ファーム関係者や馬主会の重鎮である吉田哲哉さんを取材した上で書かれていて、飼場の種類や馬の見方などがある。強い馬を育てたければ牧場に競走馬に向いた牧草を植えるべきだ、と牧場の息子に教える場面などある。
ある日、牧場の肌馬の出産に立ち会うことになった場面では、「産まれたときの骨や肉の付き方をよく覚えておけ」とある。どの肉がどれくらい成長したかで適性能力がわかるから、それをヒントに仔馬のときから馴致しておくのだという。
ある日、父と馬主になるかもしれない男が馬房でただずんでいる息子を見かけた。
少年は仔馬に向かって静かに祈りを捧げる。
「俺はいつもシベチャリ河の畔でお前の無事を祈ってるからな。もうおっかさんとも会えなくなるけど、帰りたくなったらいつでも帰って来いよ」
仔馬には「祈り」を意味する「オラシオン」と名付けられた。
この、優駿には競馬関係者があらゆる視点で描かれていて決して単調なものではない。生産者として、馬主として、調教師として、また、騎手として、様々な群像を俯瞰して描いている。
外出規制で何も手に負えない状況の中でできること。たまには何も考えず、思い切り涙を流してみるのもいいかもしれない。
『優駿』(ゆうしゅん)は、宮本輝の小説。第1章が『小説新潮スペシャル』1982年春号に掲載、第2章以降が『新潮』1982年7月号から1986年8月号に連載、1986年10月25日に新潮社より上下巻にて刊行された。競走馬「オラシオン」の誕生から日本ダービー挑戦までの成長を巡る、「オラシオン」を取り巻く人々の人間模様を描く[1]。第21回(1987年)吉川英治文学賞受賞作。
Wikipediaより

