言語化からこぼれ落ちるもの | 耳トレtsingmoo青木肇のブログ

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完全音感(絶対音感&相対音感)指導。聴音、ジャズピアノ、ジャズボーカル、スキャット、アカペラベース、英語発音指導。アカペラバンドクリニック。
ピアノ、アカペラ、合唱、リコーダー、カリンバアレンジなど。

青木肇tsingmoo@yahoo.co.jp

変なタイトルですが。

さっき歩いている時に考えていたことです。


「言語化」という言葉が何となく流行りだしてから時間が経ちますが、言語化出来ることを出来るだけそうするのはもちろん大事です。

ただ、言語化される時にこぼれ落ちる情報は必ずあるんじゃないかなとは思っています。


言語化されずに伝わっていた時には抜け落ちずに伝わったものが、言語化されると分かりやすいところにだけ光が当てられ、暗黙知だったところはむしろ忘れられてしまう、みたいな何となくの危惧です。


技芸的なものにはこういうのがよくあるのではないか、と思ったりしました。


言語化してコツなどを分かりやすく伝えるのも大事だけれど、上手く説明出来ないものは分からないまま観察して取り込んでいく、よく分からないまま何故か出来るようになっている、みたいな回路も大切なのではないか、という感覚です。


言語化を怠る言い訳に使ってはいけないけれど、そういうこともあるんじゃないかと思っています。