これはあまり書いたことのないテーマです。
「自然な」というのは特に絶対音感用のトレーニングをしていない、くらいの意味です。
絶対音感者の多くは人生のある時に「絶対音感」という言葉を初めて知ります。
そして大半の人々が音の高さを覚えていない、想起出来ないことを知ってそんな馬鹿なことはないだろう、あり得ないだろうと感じます。
全然音楽を聞かない、やらない人なら西洋音楽基準の音名では聞こえないのは当然として、そうは言っても音の高さなんてある程度そのまま覚えているだろう、とはやはり思うわけです。
ましてや、毎日ピアノを弾いているような人が、自分が弾く鍵盤の音の高さを覚えていない??流石にそれはあり得ないだろう、と思ったりします。
ピアノなんて1年ほど調律しなくても半音下がったりしないし、一体音の要素の何を聞いている??どう意識的に無視し続ければ音の高さという音の中でも基本的な要素を記憶から除外し続けられるのか?と本当に純粋な、素朴な疑問が湧きます。
そうは言ってもそういう人が本当に大半だというのを知り、困惑し、怒りすら覚えたりします。
一体どういう知覚的な怠慢さを意識的に?実践すればそんなことが可能なのかと、、
愚痴になってしまいました(笑)
ただこの愚痴的な感覚をずっと我慢しつづけている人は多いんじゃないかとも思います。
私も、だいぶ慣れたとはいえ、まだまだです(笑)
ただ動物たちは普通に絶対音感を持っているようなので、人間は何らかのトレードオフで絶対音感を放棄?してしまっている人が多いのかな、と推論したりします。
何故か絶対音感を敵視?する界隈もあるようなのですが、私自身は視覚における色彩と同じくらい自然で本来的な知覚だと考えています。
絶対音感を「取り戻したい」人は、先ずは日常の環境音を「そのまま」聴く、というのがいいかなと思います。
「そのまま」というのが既に難しいかもですが、犬だったらこう聞こえてるかなとか(もちろん犬の方が聴力は圧倒的に高いでしょうが)という想像をしながら聴くのもいいかもしれません。
赤ちゃんになったつもりでもいいですね。
音楽に絶対音感は要らないという考え方もありますが、やはりあった方が安定度も高く、何よりピッチの色彩感を自然に感じていることが演奏、歌唱にも反映されるかな、と思います。