フィジー戦で2トライ、トンガ戦で1トライをあげ、存在感をアピールしたのが松島幸太朗選手です。これまでジェイミー・ジャパンではフルバックで起用されることの多かった松島選手ですが、この2試合はウイングで起用されました。トライゲッターとしての役割を期待されてのことです。
ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)は松島選手を「Xファクター、つまり特殊能力を持つ選手」と高く評価しています。ジェイミーHCの言う「Xファクター」とは卓抜したスピードとステップワークを生かした突破力を意味します。前回のW杯イングランド大会の代表メンバーである大野均選手は松島選手のステップワークを「消える」と評していました。
「彼には驚かされたことがあります。練習で対峙すると、目の前から消えるんです。それぐらい鋭いステップなんです。これは相対した者にしかわからない感覚だと思います」
松島選手はジンバブエ人の父と、日本人の母を持つハーフです。花園で約100メートルを独走するトライをあげるなど、2010年度の桐蔭学園高の全国制覇(同校優勝)に貢献しました。そのズバ抜けたスピードと突破力は、卒業後、南アフリカのチームでプレーしたことでさらに磨きがかかりました。スーパーラグビー・シャークスの下部組織に2年半所属し、力を付けたのです。
4年前、松島選手に独特のステップワークについて訊ねました。
「南アフリカには素晴らしいステップをきる選手がたくさんいたので、それを取り入れてオリジナルな形にしたんです。これから、もっと経験を積んで、吸収できるものは全部吸収して、バージョンアップしていきたいと思っています」
「ジャパンの軸」
PNCの2試合では、「Xファクター」ぶりを遺憾なく発揮しました。フィジー戦では前半19分にスクラムハーフの茂野海人選手とのサインプレーで相手の裏をかき、トライを奪いました。2つ目のトライとなった後半15分の得点は、文字どおり本領発揮でした。
そのシーンを改めて振り返りましょう。敵陣やや右で相手がボールをキープ。そこにセンターのティモシー・ラファエレ選手がタックルを浴びせ、ボールがこぼれました。すかさず反応した松島選手は左足でボールを蹴り出すと、フィジー守備陣の裏へと抜け出しました。さらに右足のインサイドでボールを蹴り、前進すると、追いかけてくる相手にうまく身体を入れながら絶妙なコース取りをキープしました。右足のアウトサイドで右前方に蹴り出すと、そのままインゴールに転がるボールを抑え込み、見事なドリブルトライを決めました。
またトンガ戦では反応の速さが光りました。後半32分、スタンドオフの田村優選手が守備ラインの裏にグラバーキック(グラウンダー)を送ると、右サイドへ転がるボールが跳ねました。縦に走り込んでいた松島選手が瞬時に反応し、すぐさまランニングコースを内側に取りました。そのままボールを掴むと、スピードに乗ったまま敵を置き去りにし、インゴールに飛び込みました。
ジャパンの攻撃の切り札に成長した松島選手に対し、大野選手は「もう何も言うことがない」と手放しで褒めています。
「彼自身も“オレは世界で通用する”という自信と“オレはジャパンの軸だ”との自覚を持っているはずです。ここにきて安定感が出てきましたし、味方からすれば本当に頼もしい存在ですね」
松島幸太朗は南アより桜ジャージーを選んだ。
「日本への気持ちは大きい」
松島は決して、雄弁なタイプではない。ただ、ワールドカップに関して質問すると、リーダーとして自覚十分な言葉を発した。
「自国開催のプレッシャーをしっかり受け止めながら、そのなかで楽しめるような環境を作って、みんながリラックスできる試合運びをしていきたい。予選プールで全勝し、決勝トーナメントに進出したい」
桐蔭学園高時代や所属するサントリーサンゴリアスでは、「15番」のFB(フルバック)の印象が強い。だが、日本代表を率いるジョセフHCは、「Xファクター(特殊能力)がある」と高く評価。6月の宮崎合宿から松島は、WTBとしてプレーしている時間が多くなった。
当初は「FBでの出場を強くアピールしたい」と、愛着のある15番へのこだわりを公言していた。だが、リーダーグループのひとりでもある松島は、試合でWTBとしての仕事を全うした。「WTBなので、トライを取り切るフィニッシュにこだわりたい。ボールをもったら、ラインブレイクを狙いにいく」。その言葉どおり、今夏はトライを量産することに成功した。
相手SH(スクラムハーフ)のライン際のキックに対応すべく、長身FBのウィリアム・トゥポウ(コカ・コーラ)や山中亮平(神戸製鋼)はサイドライン際に立つ。そのため、守備時の松島は背番号こそWTBだがFBの位置に入り、相手のキックを受けてからのカウンターに備える。
攻撃ではWTB、守備時はFB――。松島は与えられた役割を難なくこなしている。「(ジェイミー・ジャパンでの)WTBは、僕のポジションならけっこう自由が利く。FBだと固定される状況が多いので、今までよりやりやすい」。
松島は桐蔭学園高時代、稀代のFBとして全国に名を轟かせた。2010年度の「花園」全国高校ラグビー大会の準決勝では100メートルの独走トライを決め、決勝ではFB藤田慶和(パナソニック)を擁した東福岡高と31−31で引き分け、母校に初の優勝(同時優勝)をもたらした。
ところが高校卒業後、松島は他の有望選手と違う選択を決断する。強豪大のラグビー部からの誘いを断り、ジンバブエ出身のジャーナリストの父と5~6歳まで暮らした、生まれ故郷の南アフリカへ渡ったのだ。
理由は、「スーパーラグビーに挑戦したい」から。桐蔭学園の藤原秀之監督に「(南アフリカ挑戦は)どうだ?」と問われ、その言葉が18歳の少年の背中を押した。
2013年、松島はついにU20南アフリカ代表候補の合宿メンバーにも名を連ねることになる。だが、松島はその招集に応じることはなかった。
「試合に出てしまうと、日本代表になれなくなってしまう。日本代表への気持ちが大きかった」。高校日本代表で初めて桜のジャージーに袖を通し、幼少時に日本国籍を取得して日本人の母と日本に住んでいた松島は、日本代表を選んだ。
この4年間、松島自身が一番伸びたと思うところは、スキルよりもメンタルだと言う。「どの試合でも落ち着いてプレーでき、考えながらプレーするようになった」。
「前回は『試合に出られればいい、先輩たちについていけばいい』という感じだったが、今回はリーダー陣のひとりとして臨むので、『チームがいい方向に進んでいるのか?』を見極めないといけない」
また、日本開催のワールドカップをきっかけに、ラグビーのよさを少しでも広めたいと考えている。東日本大震災や熊本地震などの支援の一環として、松島は日本代表の試合に子どもたちを招待する活動を続けている。
「ラグビー好きな子も、今まで見てなかった子も、自分たちがプレーしているところを見せて、ラグビーをやりたいと思ってくれればそれでもいいし、気持ち的に高まることにつながればいいかなと。シンプルに試合を楽しんでもらいたい」
飽くなき向上心を持つエースは、ワールドカップのピッチを颯爽と駆け抜けて、スタジアムの大観衆、そしてテレビで観ている多くのファンに歓喜の瞬間を届ける。