我々新聞を家庭に届ける配達や集金人にとって、紙媒体の衰退は死活問題という意見も少なくない。近年は電子版へのシフト、夕刊の廃止は茶飯事となってきつつある。

 

そのきっかけとなったのが2002年の産経新聞(首都圏)の夕刊廃止である。産経新聞はいわゆる5大全国紙の中で、最も基盤が小さく、発行拠点は東京・大阪・福岡の3か所。そもそも、産経新聞の歴史は1922年に大阪の地方紙「南大阪新聞」を振り出しにスタートした大阪新聞が原点で、1933年に大阪新聞の創刊10周年を記念して、関西発の経済専門紙・日本工業新聞がスピンオフして創刊された。

 

当初は関西を中心に中四国・東海地方を基盤としたブロック紙という位置づけで、関東の読売新聞、東海の中部日本新聞、九州の西日本新聞とは連携協定を結んでいたが、戦後まず産経が関東に進出し全国紙としての基盤を整え、逆に読売も1952年に大阪、1963年に福岡、1975年に名古屋へ進出し全国紙としての地位を確定させた。ただ、いわゆる3大紙(朝日・毎日・読売)に比べ、産経はテレビ・ラジオネットワーク(フジテレビ・ニッポン放送・文化放送・カンテレ・ラジオ大阪)を確立して全国基盤を整えているのとは対照的に自前の発行所は東京と大阪、福岡だけ、事実上中日・西日本・北海道新聞との棲み分けをして、形式上はブロック紙とほぼ同じ扱いをなしている。


実際、北海道と名古屋、および九州では道新と中日新聞、西日本新聞の販売店が代理店(委託販売)契約を結んで、それぞれ東京・大阪版の早版を配達していること、それもごく限られたものであり、関東・関西・九州の限られた地域以外では産経というネームバリューは乏しい。(後に九州は2009年秋に毎日新聞西部本社と提携して、佐賀県鳥栖での現地印刷により九州・山口特別版として発行、毎日新聞の販売店でも扱われるようになる)

 

2002年に産経新聞が首都圏で夕刊を廃止したのは、当時としてはネットがまだ普及途上ではあるものの、将来を先取りしていたものととらえても差し支えなかった。

 

実際産経新聞は紙媒体に代わる新たな新聞の形を追求しようと、1996年にフジテレビの電波を利用し、専用のビュアーを通して新聞を読むという画期的なサービス「E-NEWS」を試みたことがあった。しかし当時はまだケータイは通話専用のガラケーしかなかったのと、専用の端末をそろえるだけでも、初期投資(本体4万円+3か月の前納4050円と合わせた約45000円)は高いという理由で加入者数が伸び悩んで失敗し、とん挫したことがあったが、これも将来の新聞のネットへのシフトを予兆させるものだった。

 

現在は各新聞社が電子版を発行し、紙媒体のニュースをテキストや写真で見ることができるほか、紙面イメージをパソコンやスマホで見ることができるようにもなった。それが故、夕刊をセットで購読してまで読む価値がなくなってきているのも事実である。

 

また産経は首都圏・京阪神で戦後から地方紙を中心に夕刊の地方紙が発行され、サラリーマンを中心に人気を博しているのを参考として、そこからのスピンオフ夕刊紙・夕刊フジを1969年に創刊させている。創刊当初の夕刊フジが目論んでいたのは、イギリスの大衆紙的紙面を作ることにあった。日本では一般全国紙のうち朝・毎・読が高級紙、産経と日経は元々が経済主体の特殊紙だったことから、高級紙に近いというもの、戦後に創刊されたスポーツ紙(東京スポーツも)や夕刊フジ、その後登場する日刊ゲンダイ、名古屋タイムズ、内外タイムスなどは、いわゆるゴシップなどの娯楽性重視の紙面という印象がある。

 

イギリスも、タイムズ、デイリー・テレグラフ、フィナンシャルタイムズ(経済紙)などが高級紙、サン、デイリー・ミラー、デイリー・エキスプレス、デイリー・メールなどがいわゆる大衆紙とされており、それを日本でも定義付けたいという狙いがあり、産経の夕刊の正統派路線とは棲み分けて、ゴシップ的なものや、エンターテインメント的な記事(現に現在の夕刊フジはいわゆるグラドルを推す傾向にもある)を重視し、本家とは違う角度からの紙面づくりを手掛け続けていた。

 

2002年3月に産経首都圏の夕刊が廃止となったのがきっかけで、産経における時事的な夕刊の機能はこのフジが担って今日に至るが、大阪では産経の夕刊が引き続き残っている。というのも、名目上は産経新聞のスピンオフ元である大阪新聞(夕刊地方紙)との紙面統合により、産経新聞が大阪新聞を体裁上吸収合併する形とし、全国紙としてのネームバリューが高い産経新聞の名前を借りて、関西の地場記事と特集を主体とした事実上の関西のブロック紙という位置づけにシフトチェンジしたという見解が正しい。

 

しかしその、産経の大阪夕刊も規模の縮小が進んでいる。今年3月末をもって、滋賀県向けの夕刊配送を廃止した。また富山県(朝刊のみ)も読者層の激減を理由として今年9月で紙媒体の配送自体を、夕刊フジ・サンケイスポーツを含めて一切廃止することが発表された。富山県では地方紙の北日本新聞・富山新聞(北国新聞系)のシェアが高く、全国紙ではかろうじて創業者・正力松太郎の出身地が富山にあるという理由で読売新聞もシェアが高いが他は頭打ちで、毎日新聞も9月に富山県内での配送自体をやめると発表した(スポニチは発行を継続する予定)。とりわけ、産経・毎日とも西日本では現地印刷のネットワークは地方紙などを介して広げているが、北陸では現地印刷が委託を含め行われていなかったため、どうしても大阪から鉄道・トラック輸送による早版を届けないといけないため速報性に欠けたという問題が解決できなかったのも読者離れを加速した結果にもなった。

 

それは2023年7月に日刊の紙面自体が休刊となった大阪日日新聞も同じだった。2000年に夕刊紙としての経営が成り立たなくなったとして、自力再建を断念し、鳥取県の日本海新聞社がスポンサーとなった。この時から歯車が狂い始めたと思える。通常地方紙を再建するなら全国紙かブロック紙、距離的にも中日新聞社が支援すれば、考えは大きく変わっていたと思うが、山陰の小規模な地方紙が再建スポンサー、それも創業者の吉岡氏が関西にゆかりがあるからというのもあったが、日本海新聞自体も一度経営破綻をしていたため、経営拡大という狙いで大阪進出を計ろうとしたのが返ってまずかったと思う。

 

しかも大阪での現地印刷はなく、鳥取市の日本海新聞で紙面を作成・印刷し、それをトラックや列車輸送で大阪に配送していたが、主たる配送地域は大阪市内。かろうじて僕の住む東大阪市でも大阪市に接していた地域では配達されたが、朝刊移行後1万部近くあった部数が4000部まで落ちこんだことも失敗の原因だった。現在は週刊新聞として名前を残しているが、産経関西版が全国紙ということを考えると「大阪」の地方紙が事実上消滅したことは大きな痛手だった。

 

全国的な視点でも、地方紙はおろか、全国紙の夕刊の廃止は急加速しており、現に名古屋では日経とブロック紙の中日新聞以外は夕刊が2023年春に相次いで廃止(読売は基から発行していない)、北海道でも毎日が2008年、道新(ブロック紙)が昨年秋、今春は朝日も夕刊を廃止した。福岡県でも産経は基から朝刊一本だが、朝日が一度2012年に関門エリア(山口西部・北九州市・福岡市とその周辺)のみとした夕刊を今秋9月に全廃し朝刊一本化される他、中日新聞系の関東のブロック紙・東京新聞も都心23区のみは夕刊を残すが実質的に8月で廃止するなど、夕刊廃刊ドミノが相次いでいる。

 

こうなっていくと、産経関西版の夕刊(=事実上大阪新聞)の休止も目に見えてくると思う。大阪の地方紙文化を考えたとき、いつまでも産経という名前を名乗るよりも、「大阪」と名の付く地方紙、それも夕刊よりも朝刊への見直しというシフトチェンジという可能性に傾き始めているという印象がある。

 

我々新聞を家庭に届ける配達員、集金人にとっては「朝夕刊のセットで取ってもらいたい」というのが理想で、多少の割高感(読売は朝夕刊4400円、日経は5500円、他は4900円。大抵は統合版(朝一本)で購読する場合はそこから1000円引き(日経は4800円)、セット版での朝刊単独は100円引きが相場である。参考として東京新聞は9月以後セットが3980円、朝刊単独は3400円。23区でも希望者は朝刊だけというのも可能でその場合は統合版と同額)はあるが、それでも朝・夕(というか厳密には朝刊は地域により深夜2-3時、夕刊は13-14時なので、ほとんど新聞発行初期のころの「2回版」に近いが)両方取ってほしい、できれば付随するスポーツ紙も取ってほしい気持ちはある(夕刊フジは形式上産経夕刊の代わりとはいえ、基が産経から分離したスピンオフである名残りと、一時期サンスポとともに現在の社内カンパニー的な分社政策をしたこともあり、新聞協会には別会社扱いで加盟しているため、産経夕刊の代わりとしてのセット割ができない)が、庶民的な財布のひもが固くなったことでどちらか一方となると、経営的にも厳しい面が否めない。

 

中には、中国新聞が2015年に夕刊の廃止の代わりとして、事実上の朝刊別冊扱いの「セレクト版」というカラー記事を重視したニュース解説や特集を主とした紙面を出したり、新潟日報も2016年11月から既存の速報性のある夕刊をやめて、中国新聞セレクト版と同じように特集記事を重視した「おとなプラス」を発行(但し原材料費コスト高のため今年2月終了)するなどの引き留め策をして何とか夕刊に代わる新たな読者開拓を図ろうとしているが悪戦苦闘が繰り返されており、地方紙での夕刊自体の不要論、また産経のように夕刊だけを別紙扱いとして体裁上の朝夕刊(統合版は翌朝の一本配達)を維持するという考え方へのシフトという懸念も考えなければならなくなり、新聞販売店としても、夕刊がない地方都市はともかく、朝夕刊双方を出すことが当たり前とされた都市部の経営が厳しくなるのではないかという懸念もぬぐいされるわけでもないので、夕刊の廃止は死活問題なのだと思う。

 

電子版へのシフトにしても、一部の地方紙では紙版と電子版をセットにして、電子版の購読料を販売店経由(地方紙で対象都道府県以外は直接本社への口座かカード引き落とし)で払うこともあるが、大抵は電子版の受付は紙版とのセットも含め基本的に販売店よりも本社の販売・営業部門が担当する(紙版の配達は自宅に近いところの販売店を介する)。そのため訪問集金の大半は紙版の宅配家庭のみに事実上限られるので、できれば電子版や、産経の場合は「朝は産経・夕方はフジのセット」で購読する人のためのセット割なども販売店を窓口として受け付けられるようにすることもしないと、販売店の死活問題になってしまうと思う。サラリーマンの方が紙版を持っていかれると、学校教育や主婦が家庭で読まれる新聞が無くなるのでと、電子版のセットにシフトしていく方も増えるかもしれないが、販売店にとってはそちらへのシフトによる訪問集金にしたほうが経営的にも安定するのではないかと思う。