「日本におけるキリスト教 41 聖書解釈の違い キリストの香り」 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 41 聖書解釈の違い キリストの香り」

 

今日は阪神タイガースが勝てば優勝する日です。ここ関西では阪神ファンは喜びを隠せず「雰囲気だけで、この人は阪神ファン」だとわかります。

 

それと同じことがクリスチャンでも言えます。

「神はいつでも私たちを導いて、私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。第二コリント2:14」と聖書に書かれてある通りです。

 

私は最初に導かれた教会がプロテスタント福音派の教会でした。

福音派の「イエス・キリストの救い」とは「地獄行きからの救い」です。

 

福音派の聖書解釈と福音理解は次のようなことです。

 

生まれながらの人間は、アダムの原罪と日々に犯す罪によって地獄に行くために、イエス・キリストがすべての人間の罪を背負って十字架につけられ死んでくださり、三日後に復活されたのです。

 

そのイエス・キリストが私たちの罪のために十字架につけられて死んでくださり、三日後に復活されたことを信じれば、過去・現在・未来のすべての罪が赦されて救われる。永遠の命が得られます。

 

しかし、イエス・キリストを信じなければ、罪をもったままでは救われない。最後の審判によって永遠の火に入れられる。

 

つまり、生前にイエス・キリストを信じなかった人々が死ねば、永遠の地獄行きです。永遠に炎の中でもがき苦しむのです。

 

 

福音派の教会に所属していた時は、このプロテスタント福音派の「イエス・キリストを信じれば天国、イエス・キリストを信じなければ地獄」という信仰の土台によって「地獄」に束縛されていました。

 

調べれば、1549年から始まったカトリック教会のイエズス会のザビエル宣教師たちも「イエス・キリストを信じなければ救われない。教会の外に救いはない」という現在のプロテスタント教会と同じ教えをしていたそうです。(途中で変化します)

 

日本に来日したヴァリニャーノ宣教師も、ヨーロッパの宣教と同じく「霊魂は不滅であり、死後には生命があり、救世主キリストの教えに従う者には永遠の至福が得られ、従わなかった者には地獄の責め苦が与えられる」という福音宣教を行なう予定でした。

 

しかし、日本巡察によって、ヨーロッパ向けの宣教を適用できないと判断します。

 

そして、イエス・キリストを信じなくても救われる希望を見い出す「日本向けの宣教」を新たに生み出して、日本の宣教は大きく躍進します。

 

私は日本の歴史上、「日本向けの宣教」によって、クリスチャン人口が3~5%と言われる時代があったことに大いなる希望を見つけました。

 

それで、次回には、人間は地獄行きではないという聖書解釈と福音理解について書いていきます。タイトルは「聖書解釈の違い 最後の審判で地獄行き」です。

 

 

話を戻します。

 

私が福音派のクリスチャンで、未信者は地獄行きという「地獄」に束縛されている時、

 

カトリック教会のマザーテレサの信仰は、キリスト教もヒンズー教もイスラム教も同じく愛する普遍的救済を教えるキリスト教だったことに、心から安らげるキリストの香りを感じたのです。

 

これはヘレン・ケラーさんと、アフガニスタンで殉教されたクリスチャンの中村哲医師も同じでした。

 

中村哲医師を通して、無教会の内村鑑三先生の普遍的救済を教えるキリスト教の聖書解釈と福音理解を知った時は、強烈でした。

 

強烈な、イエス・キリストの普遍的救済を知る知識のキリストの香りでした。心から安らげるキリストの香りでした。

 

それによって「地獄の束縛」から解放されました!

 

 

思えば、福音派の教会の牧師・副牧師・宣教師・伝道師・信徒リーダー・クリスチャン、福音派の教会のすべてのクリスチャンたちには「地獄」の香りがします。

 

どんなに穏健派で、地獄や滅びの言葉を隠して「神は愛」ばかり語っていても、ほんのりと地獄の香りがするものです。

 

やはり「生まれながらの人間は地獄行き」ということを信じているので、その香りはほんのりと出てしまうものです。

 

 

似たような話を言いますと、

 

私は児童養護施設で絵画教室を開催していた時がありました。

 

公園で1人で野球やテニスの練習をしていますと、たくさんの子どもたちと出会います。

 

すると、児童養護施設の子どもたちが放つ「喪失感の香り」がほんのりとする子どもたちが何人もいました。

 

その子どもたちは、シングルマザーの母子家庭で育つ子どもたちでした。

やはり、父親を喪失したような喪失感は、黙っていても感じるものです。

中には「僕のお父さんになって」と懇願されたことが何度もあります。

 

 

クリスチャンになれば、神はいつでも導いて、至るところで、クリスチャンを通して、キリストを知る知識の香りを放ってくださいます。

 

それは、心から安らげる香りがあり、ほんのりと地獄の香りをさせるものあり、様々です。

 

聖書解釈と福音理解によって、それぞれのクリスチャンが放っているそのキリストの香りはまったく違います。