キリスト教 死後についての福音 ① | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

久しぶりにFacebookのクリスチャングループを観覧させて頂いたところ、福音を伝えた時に、「それなら私の死んだ家族は天国に行けないの?」という問いかけの投稿があり、以前、私自身と同じ悩みだと思い、記事を投稿しています。(以前の記事と重複することがいくつもありますが、見ていない人向けですのでご了承ください。)

 

私自身、最初に導かれたキリスト教会は「プロテスタント福音派」でした。

その福音派の中で最も信徒数が多いのが約2500人以上の「大和カルバリーチャペル」と言われています。

 

大和カルバリーチャペルの「大川従道」主任牧師の著書「永遠と復活」の中で「罪が赦される唯一の方法が『イエス・キリスト』を地上にいる間に信じることで、それなくして死んでいった人たちは、天国に行くことができない。つまり地獄へ行くのである、と教えてきました。」と言われています。

 

 

また、「全日本リバイバルミッション」の立役者の一人で福音派の重鎮の「滝元明」牧師は著書「こんな大きな御利益はどこにもない」の中で「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。使徒四章十二節」などの御言葉から、

 

「とにかく、主イエスの十字架を信じる以外に神と和らぐ道もなく、天国にも入れない。そして、信じない者は火と硫黄との燃える池に入ると教えているのです。信じない人は地獄へ行く。これは大変なことだと思いました。」

 

この著書を読んで、滝元明牧師は、主イエス・キリストを信じない人は地獄へ行き、永遠に地獄でもがき苦しむことになるので、情熱を注がれて伝道していたのだと思いました。

 

 

他にも福音派の重鎮の一人「生駒聖書学院」の院長の榮義之牧師は著書「天の虫けら」の中で「人は生まれながらに罪人であり、神との関係では霊的に死んでおり、肉体の死と同時に滅び、やがては審かれ、地獄に行く。」と教えています。

 

これはプロテスタント福音派の主流の教え「人間=全的堕落&性悪説」ですね。

 

つまり、人間はまるで悪魔と同じような存在であり、地獄へ行くことが定められているということになると思います。

 

その罪人で全的堕落した地獄行きが当然の人間を救うために、主イエス・キリストが罪を背負われて十字架上で死なれ、三日目によみがえられた。

 

そのことを信じた者は永遠の命を持つが、信じない者は神の怒りがその上にとどまる。つまり、イエス・キリストを信じない人たちは滅びに向かっていて、そのまま死ねば地獄へ行く。

 

これが、プロテスタント福音派の主流の「福音」になると思います。

 

 

ところが、前述の大川従道主任牧師は、そういう教えに心の奥底では納得することができずに、躊躇されていたそうです。

 

そして、ペテロの第一の手紙4章5節などから、人間は死んだらよみに行き、イエスは、よみでも宣教されたことを見出されました。

 

それゆえ「私は聖書をもとに、私の人生をかけて、そして70年の信仰にかけてはっきりと宣言します。

彼らは地獄へなど行っていません。

 

なぜなら、聖書にそのようには書かれていないからです。」と著書の中でもセカンドチャンス論を大胆に教えていました。

 

つまり、プロテスタント福音派の中でも、イエス・キリストを信じないで死んでも、死後にイエス・キリストの宣教がある(セカンドチャンス論)という教えもあるのです。

 

(ごく一部であって、多くの福音派の教会の牧師たちからバッシング、批判非難、反証の嵐ですが)

 

 

このセカンドチャンス論について調べると、大川牧師より以前に教えている牧師たちがいました。

いずれもプロテスタント「日本基督教団」の牧師たちでした。

 

この「日本基督教団」はエキュメニカル派と言われていて、福音派とは明白に教えが分かれていると言われています。

 

「日本基督教団」の教会員で有名なクリスチャンが作家の「三浦綾子・光世」ご夫妻です。

ですから、三浦光世先生の著書「死ぬという大切な仕事」の本文には「地獄」の話はありません。

 

「あとがき」のところで、マタイ5章27~30の聖書箇所を引用して、「いったい地獄(ゲヘナ)という所が、どのくらい広いのか、どのくらいの時間いなければならないのか、それはわからないが、絶対に否定できない所であることは確かである。」という程度です。

 

日本基督教団の牧師の中では「現在、聖書が教えるゲヘナ(地獄)というところは消滅しています。永遠という言葉も日本の概念とは違って、聖書の時代のイスラエルでは、数年間を意味しています。」と教えています。

 

ですから、プロテスタント教会でも、死後や地獄についての教えは「福音派」と「日本基督教団」では、かなり違ってきます。(すべての教会とは限りませんが)

 

 

そして、「プロテスタント教会」にはもう一つ「無教会主義キリスト教」があります。

 

これは「内村鑑三」先生が、天皇陛下を崇拝しないという意思表示と思われた「不敬事件」により、非国民として、すべてを失い、教会からも疎外されてしまったことから「無教会」のクリスチャンにならざるを得なかったことから始まりました。

 

内村鑑三先生は、「わが信仰の真髄」の中で、「万人救済希望説」を次のように教えています。

 

「私は、聖書は普遍的救済を教える書物であると信じる。

見よ、世の罪を取り除く神の小羊とある。(ヨハネ1:29)

 

単に『私の』罪ではない、また、『あなたの』罪ではない、あるいは『選民・イスラエルの』罪ではない、世の罪を取り除く神の小羊である。

 

神は、キリストの上に全人類の罪を置かれたのである。

 

私は人を救うために伝道に従事しない。これは私には絶対にできないことである。

私は未だかつて、ただの一人も救ったことはない。

 

もし、人類の救済がわれわれ少数の伝道者の尽力によるものなら、人類を救済することは絶望的な努力である。

 

私は、私のすべての祖先と十数億の同胞とを残して、ただ少数の信徒と一緒に天国に行くことは耐えられない。

 

私は、わずかに百人や千人の人を救い得て、他はすべて永遠の死にゆだねなければならないような、そんな絶望的な仕事に従事したくない。

 

それならば、何のための伝道か。確かに『伝道』ではない。福音の宣べ伝えである。

 

主の解放と安息の喜びの到来を告知することである。(レビ記25章)

平和の言葉を宣べ、また良き知らせを宣べることである。(ローマ10:15)

 

罪人に向かって私は、『神は怒っておられる。だから、自分の罪を悔い改めて、神に立ち帰れ』とは言わない。

私はパウロに倣って言う。

『神はキリストにあって、世を御自分と和解させてくださった。それゆえ、わたしはキリストに代わって、あなた方にお願いする。神の和解を受け入れなさい』と。(第二コリント5:19)

 

神の側にあっては、和解はすでに済んでいるのである。

それゆえ私は、この和解に応じるように、罪人に勧めるのである。

 

すでに救われている者に、その救いを承認させようとするのである。

本当に容易い、本当に楽しい、本当に喜ばしい仕事である。」

 

以上のように、内村鑑三先生は万人救済希望説と福音について教えていました。(注 無教会の信州聖書集会のクリスチャンが、内村鑑三先生の当時の言葉を現代の言葉に代えてくださっているのを引用)

 

ちなみに、この内村鑑三先生の教えと似ているのが、カール・バルト牧師の「万人和解説」の教えです。(万人救済説とよく言われるので、万人和解説と名付けていました。)

 

 

私自身が内村鑑三先生のことを知ったのは、2019年12月4日にアフガニスタンの地で殉教されたクリスチャンの「中村哲」先生を通してです。

 

約45万人のアフガニスタン人の命を救ったと言われる中村哲医師は、プロテスタント教会の福音派で洗礼を受けたのですが、その教えがわかりませんでした。

 

無教会主義キリスト教の内村鑑三先生の教えによって、本当のクリスチャンになることが出来て、医師の道に進むことになったとインタビューや著書「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」などで語られていました。

 

さらに、カール・バルト牧師の教えを愛読している無教会主義(どこの教会にも所属していない)クリスチャンでした。

 

なので、イスラム教徒の人々と仲良くすることが出来て、イスラム教のモスク(礼拝堂)やイスラム教の神学校も建設することが出来たのです。

 

それで、よくキリスト教会(福音派)のほうから「矛盾はないのか」と言われるけれど、「矛盾はありません。私が本当のクリスチャンです。」と明確に答えられているので、尊敬しています。

 

 

さらに「無教会主義キリスト教」を調べると、サザエさんの著者「長谷川町子」先生も「無教会」のクリスチャンでした。

 

内村鑑三先生の弟子の「矢内原忠雄」先生(当時 東京大学の総長)からキリスト教を学んでいました。

 

その前に、プロテスタント福音派の教会に通うはめになったのですが、中村哲先生と同じく、その教えが合わず、恨めしい福音派の教会に泣く泣く通っていたと漫画にして言われています。

 

サザエさんなどの作品は、無教会主義キリスト教のクリスチャンならではの信仰が現わされていると言われています。

 

 

さらに、芸能界で公にクリスチャンを公表しているのが俳優&シンガーソングライター&監督&モデルとして大活躍されている「ディーン・フジオカ」さんです。

 

そのディーン・フジオカさんは、インドネシア在住のインドネシアの教会のプロテスタントのクリスチャンです。

 

インドネシアでは、イスラム教が約88%、キリスト教が約10%です。他にヒンズー教、仏教、儒教などがあります。

どの宗教を信じても自由で、改宗も自由です。とにかくどこの宗教でもいいので入信すれば、死後に地獄に行くことはないという信仰です。

 

ですから、イスラム教徒、キリスト教徒、ヒンズー教徒、仏教徒、儒教徒が仲良くして暮らしているそうです。

 

ディーン・フジオカさんのように、妻がインドネシア人クリスチャン(プロテスタント)の日本人男性が「インドネシア人クリスチャンの信仰」をブログ記事で発信していました。

 

その日本人男性は、まだ無神論者ですが、「幸いなことに、うちの嫁さんが、日々祈りを捧げることによって、異教徒用の天国「帰り」チケットを取得してくれているそうですので、安心して死ねます。」と教えています。

 

インドネシア人クリスチャン(プロテスタント)は、かなりリベラルというか、万人救済に近い信仰のようでした。

 

 

このように、プロテスタント教会といっても、福音派、日本基督教団、無教会主義キリスト教、インドネシア人プロテスタントなどがあります。

 

死後、地獄行きについての教えは、福音派だけがまるで違っています。(すべてかどうかはわかりません)

 

なので、個人的に、どの教えが自分自身に合っているのかを知ることが重要だと思います。

 

自分自身は、中村哲先生や、長谷川町子先生と同じく、福音派の教えは合いませんでしたが、無教会主義キリスト教の教えはすごく合っていることが多く、どこの教会かと聞かれれば、長谷川町子先生と同じく、「無教会」と答えています。

 

死後や地獄行き、福音についても内村鑑三先生が教えられていることに「心の奥底からアーメン!」です。

 

しかし、その反対の人たちもいます。

「地獄行き」について教えていない教会は合わず、福音派の地獄行きの教えが「心の奥底からアーメン!」という人たちもいるのです。

 

ですから、プロテスタントの福音派も日本基督教団も無教会もインドネシア人プロテスタントも、その他のプロテスタントすべて必要という結論に達しています。

 

悲劇なのは、その教えが合わない教会に導かれて、その恨めしい教会に泣く泣く行っていることですね。

 

次はカトリック教会の死後、地獄行き、福音についてと、聖書の地獄行きについての教えについて書こうと思います。