ぺんみん倶楽部でもお取り扱いしたことのあるフィギュリン「ハンスとトリーネ」。
このフィギュリンには2ヴァージョンあることをご存知ですか?

本日はハンスとトリーネの2人が教えてくれるヴィンテージフィギュリンの楽しみ方を探ってみたいと思います。

 

前回同様、ショップのブログに掲載したものです。

今回は全文を転載してみます。長文ですが、よかったら最後まで読んでください。 by sen

 

 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

心に響くものを大切に
    ー フィギュリンに耳をかたむける時




ハンスとトリーネの恋の行方
 

「わたしはもっとおとなな恋をしたいの。あなたみたいなお子さまには興味はないわ」
 おませな少女トリーネと少年ハンスのやりとりが今にも聞こえてきそうです。

 

 今回ご紹介するフィギュリン「ハンスとトリーネ」は人物のみのもの。




Royal Copenhagen Porcelain: Animals and Figurines 2nd Edition (2002) より

 


 デンマークの詩人であり哲学者であるポール・マーティン・ミュラー(Paul Martin Moller 1793-1838)が1783年に発表した詩「ハンスとトリーネ(Hans og Trine)」に着想を得ています。10代の少年と少女のやりとりを会話形式で綴った抒情詩です。


 「ハンスとトリーネ」のフィギュリンにはロイヤルコペンハーゲン版とビングオーグレンダール(以下B&G)版の2種類があることをご存知ですか?


 ロイヤルコペンハーゲンの作品を手がけたのはフィギュリン界の重鎮クリスチャン・トムセン(Christian Tomsen 1860-1921)です。トムセンはロイヤルコペンハーゲンのフィギュリン製作者の中で最も多作な人物で、1898年から晩年の1921年までの23年間、ロイヤルコペンハーゲンに勤めました。1908年に出されたロイヤルコペンハーゲンの記念すべき最初のクリスマスプレート「マドンナとこども(Maria with Child)」のデザインを手がけたのもトムセンです。


 前回の記事で取り上げたように、当時は万博ブームのまっただ中。トムセンも例外にもれず出品し、1908年のミラノ博では銀賞を、そして1910年のブリュッセル博では金賞を受賞しました。


 さて、トムセンのトリーネは瞼を閉じて理想の男性を思い描いているところのようです。「ほかの友だちはもっと年上の素敵な青年たちと付き合っているのよ」とでも言っているのでしょう。そんなトリーネに夢中なハンスは、いつかトリーネと結婚したいとまで思っているのですが、まったく相手にされていないところが気の毒です。

 

 

 


Royal Copenhagen Porcelain: Animals and Figurines 2nd Edition (2002) より

右側がアンダーグレイズ法、左側がオーバーグレイズ法。アンダーグレイズ法の方がより繊細に見えますね。


 詩人のミュラーは心理的な描写が巧みでした。しっとりと、時にユーモラスに、登場人物の性格を浮き彫りにしていきます。「ハンスとトリーネ」の詩が収録された詩集『ローゼンボー城の庭園の風景(Scener i Rosenborg Have)』はコペンハーゲンでの暮らしから生まれました。この詩集は心理描写に長けたミュラーの魅力を味わえる一冊として語られています。


 1826年には「ハンスとトリーネ」の詩を原作にした劇が発表されたといいますから、ミュラーの知名度が窺い知れることはもちろん、デンマークの人たちにとって馴染みの深い作品だったことが想像されます。劇を鑑賞する観客が、若い男女のやりとりに頬を緩ませている様子が眼に浮かぶようです。



ロイヤルコペンハーゲン vs ビングオーグレンダール

 一方、ビングオーグレンダール(B&G)の作品はクレア・ワイス(Claire Weiss)が手がけました。




ぺんみん倶楽部で以前お取り扱いした時のもの。ハンスとトリーネシリーズの3作目「若さゆえの大胆さ」。



 ワイスという人物についてはほとんど語られていないため、トムセンのように詳しくご紹介することができないのですが、まずはB&Gについて。


 B&Gがなければロイヤルコペンハーゲンがなかったとも、ロイヤルコペンハーゲンがなかったらB&Gもなかったと言えるほど、1853年のB&Gの創立以来、2社は切っても切れない関係でした。


 B&Gはフレデリク・ヴィルヘルム・グレンダール(Frederik Vilhelm Grondahl)、そして兄弟であるマイヤー・ヘアマン・ビング(Meyer Herman Bing)とヤコブ・ヘアマン・ビング(Jacob Herman Bing)の3人が立ち上げた陶磁器メーカーです。


 この背景には、デンマークが絶対王政から立憲君主制に移行したことが大きく影響しています。絶対王政の廃止はB&Gが誕生する4年前、1849年のことでした。そこで、これまで王の庇護を得ていたロイヤルコペンハーゲンはその特権を失い、自由市場での生存競争に勝つ必要が生まれました。裏を返せば、ほかの陶磁器メーカーには願ってもないチャンス。人びとが求める良いものを生み出せれば成功の可能性があるのです。


 創立者グレンダールはもともとロイヤルコペンハーゲンでフィギュリン製作を担当していました。彼には大きな夢がありました。それは、デンマークの彫刻家ベルテル・トーヴァルセン(Bertel Thorvaldsen, 1770-1844)の作品をビスク焼きのフィギュリンで表現してみたいというもの。このビジョンはロイヤルコペンハーゲンでは採用されなかったようなので、グレンダールは起業に踏み切ることにしたのでしょう。


 残念ながらグレンダールは過労のため37歳という若さで突然この世を去ったのですが、パートナーのビング兄弟のおかげでビジネスは順調に成長していきました。1862年にはロンドン博覧会に参加し、市場の拡大に成功しています。


 さらに、1889年のパリ博ではB&Gの存在が確固たるものへとなったのです。



ピエトロ・クローンとジャポニズム


B&Gの飛躍はピエトロ・クローン(Pietro Krohn, 1840-1905)をなくしてありえません。




Petro Krohn - Danmarks Kunstneriske Puls (2014) より



 1885年、B&Gのアートディレクターに就任。以来、クローンは技術面そして芸術面においてより質の高いものを世に送り出しました。その彼の画期的ともいえる作品は、「鷺(Hejrestellet)」と名付けられたディナーセットです。


 鷺をモチーフにしたこのセットは1888年に発表され、同年コペンハーゲンで開催された北欧工業農業芸術展で脚光を浴びました。さらに翌年のパリ万博でも選考委員たちを唸らせたということです。この時、グランプリを受賞したのはライバル会社のロイヤルコペンハーゲンだったのですが、クローンの作品は1点ずつ美術館やコレクターによって買い取られていきました。




Petro Krohn - Danmarks Kunstneriske Puls (2014) より



 この鷺のカップ&ソーサーをイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria & Albert Museum)のコレクションサイトで見ることができます。コバルトブルーを基調に金彩をほどこされた鷺は絵画的でもあり彫刻的でもあります。


 こうして、クローンの鷺によってB&Gは国際的にも評価されるブランドへとのし上がったのでした。


 もちろん、ライバルの老舗ロイヤルコペンハーゲンも負けてはいられません。クローンがB&Gに就任する1年前に若手の建築家アーノルド・クローがアートディレクターに指名されました。クローもまたデンマークの陶磁器界の歴史に名を刻んだ人物でした。彼はアンダーグレイズ技法(下絵の技法)の開発に取り組みました。艶のある透明な釉薬を用いて、水彩画のような繊細な表現を実現したのです。


 1889年のパリ博ではクローは「魚網干魚図花瓶」を出品し、グランプリを獲得。これによりロイヤルコペンハーゲンは世界的なブランドへと成長をとげ、ロンドン、パリ、ニューヨークに支店をオープンさせました。そして、クローはその後もさまざまな賞を受賞し、華々しい功績を残しました。


 ライバルとして互いを意識し切磋琢磨していたと思われるこのふたりですが、面白い共通点があるのです。それはジャポニズムの影響。クローンは「鷺」のセットを作るにあたり、1885年に出版されたカール・メルセン(Karl Madsen)の本『日本の絵画(Japansk Malerkunst)』からインスピレーションを得たそうです。一方、クローは歌川広重の浮世絵の作品に。


 ジャポニズムは19世紀中頃から20世紀初頭まで、欧米のブルジョワ階級に巻き起こった日本ブームでした。私たち日本人がこの頃の作品に親しみを感じてしまうのも無理はありません。時代の流れを受け入れ、日本という異国の文化をデンマークの文化そして自分の個性とうまく融合させ、美を追求し、成功を手に入れた男たちの作品に私たちは今も魅せられるのです。
 


コレクターになる必要はない

 そろそろハンスとトリーネに話しを戻しましょう。


 B&Gのハンスとトリーネのフィギュリンを手がけたのはクレア・ワイスです。彼女の作品は「ハンスとトリーネ(No.2372)」「ワルツ(No.2385)」「若さゆえの大胆さ(No.2162)」の3部作として知られています。トムセンのフィギュリンよりもいくらか若い印象を与える男の子と女の子が登場します。


 「ハンスとトリーネ」では、ふたりは背中合わせに立っています。ハンスは両腕を組んで険しい顔をして少しうつむいています。その様子をチラリと見ているトリーネ。ふたりが初めて出会ったところで、恥ずかしがっているのでしょうか。それとも、トリーネに相手にされないことが分かって、ハンスはムスッとしているのでしょうか。なんだか目が離せない初々しさがあり、とても愛らしいふたりです。


 ワイスのハンスとトリーネには続きがあります。


 ハンスは距離を縮めることに成功したのでしょうか。ふたりがワルツを踊っている様子が2作品目に、そして、最後の作品ではハンスが大胆にもトリーネの頬にキスをするという展開です。詩にはトリーネが相手にせずハンスが恋い焦がれる場面が描かれているので、ワイスのフィギュリンは物語の続きを優しい視点で表現したといえます。




3作目の「キス、若さゆえの大胆さ」



 ところで、調べた時には私はこの順序をすっかり信じていたのです。ですが、ここで気になったのがフィギュリンの番号です。キスの番号が1番若いですね。もし、キスが最初にデザインされたとなると、ずいぶん違うストーリーになりそうです。情報の限られた古いものには、想像力を刺激するちょっとした空白があるものです。
 

 同じタイトルでも、作者によって雰囲気がガラリと変わることを今回の「ハンスとトリーネ」でおわかりいただけたでしょうか。


 ひとことで言えば、十人十色。デザイナーによって表現したい場面も違えば伝えたい感情も異なります。まさにデザイナーの個性ですね。


 そして、私たち鑑賞者も十人十色。あなたの個性とデザイナーの個性が響き合う場所、それが「好きな作品」であり、あなたにとっての「よい作品」なのです。


 判断の際に、歴史的背景やその作品にまつわるストーリーも好きかそうでないかを後押しする材料になるでしょう。ほかには、選ぶ際に骨董としての価値を重視する人もいるでしょう。ただ、市場価値ばかりに捕らわれてしまっては、本質的な意味で楽しむことはできないのではないかと思います。


何を良しとするかはあなた次第。


「よい」という漢字は「良い」でも「好い」でもあります。あなたの心に触れたあたたかいものを大事にして、気に入ったものをそばに置くことから始めてはどうでしょう。


 フィギュリンに限らず、ヴィンテージ品に限らず、モノを楽しむ姿勢は心の交流を大切にするところから始まるように思います。決して最初からコレクターになる必要はないのです。


丹下 翆 / Sen Tange

 

 

 

参照資料

A History of Danish Literature (1992) Sven Hakon Rossel ed.

https://www.collectorsweekly.com/figurines/royal-copenhagen

Royal Copenhagen Porcelain: Animals and Figurines 2nd Edition (2002) Robert J. Heritage

“Hans og Trine” Poul Martin Møller 

https://kalliope.org/da/text/moellerpm2001082906

Bing & Grondahl History

https://www.woolvey.com/bing-grondahl-history-a-56.html

「上絵付け」ブリタニカ国際大百科辞典

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E4%BB%98%E3%81%91-35598

V&A search the collections “Heron service”

http://collections.vam.ac.uk/item/O167256/heron-service-cup-krohn-pietro/

Petro Krohn - Danmarks Kunstneriske Puls (2014) Mirjam Gelfer-Jørgensen

 

 

 

penminclub@rakuten

ジャポニズムの影響はこんな作品にも出ています↓