三上祐一が2013.12.11~12.13に考えたこと② | 三上祐一のブログ

三上祐一のブログ

 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 ■尖閣が中国領土でない理由

 今後中国が行っていくのが良い、と思われる政策を提言していく。
 まずは反日教育を止めて、公明正大な歴史観をもってして、歴史を編纂すべきである、ということである。
確かに、他の国家の領土において、戦争を繰り広げ、大陸に130万人の犠牲者を実際に出した、ということは、悪かった、と私は思う。
それは私は誠心誠意、謝罪する。「すみませんでした」。私一人の謝罪で、償われないことでは無いではあろうが。

 しかし真っ先に中国を植民地化した、独・露・英・仏についてはなぜ恨まないのか?と聞きたい。

 とにかく、ここで私が中国に伝えたいことは公明正大な歴史編纂によって、人々の思想の想像力は高まる、ということである。

 そして元寇の事実も教育して欲しい。最初に侵略を企んだのは、中国側であった、ということを。

 大陸側の戦争では残虐を極める。かつてチンギスカンが東欧まで征服した侵略戦争もそうだった。
我が国と大陸側との友好の歴史を『 破 壊 』したのは、我が国への侵略戦争、大陸側の裏切り『 蒙古襲来=[元寇]』である。

 事実『新元史[中国]』によれば、侵略した壱岐・対馬・五島列島では『 大量の民衆を殺戮し、生き残った女性の手の平に穴を開け、革紐を通して船壁に吊るし強姦、虐殺した 』とある。
しかも、捕虜にした『 子供女性約200人を、奴隷として高麗王と王妃に献上した 』という記録が高麗側に残っているのだ!そんなあまりに野蛮な風習を我々日本人は一切持っていない。

 最初の蒙古襲来ではモンゴル人・漢人・高麗人・女真人など非戦闘員を含む3万人を、また2度目の襲来では高麗兵を主力の東路軍4万と旧南宋兵を主力の江南軍10万、計14万人。
だがしかし、我が国はこの殆どを全滅させることになる。
蒙古[中国の元]敗退。
その後はフビライの死と共に完全に頓挫する。
我が国への侵略は完全な失敗に終ったのである。

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 それらの実際の侵略の事実をもってして、かつて中国が尖閣諸島の領有権があった、などと主張することなどはどうあっても筋として、おかしい。
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 そして、中国における、歴史上の人物達の様子を伺うに、中国においては、残虐な殺戮の歴史があり、大雑把な統治が行われてたことが想像される。

 さあ、中国の皆様。元種はそっち側にあった、という事実をきっちりと認識し、侵略した壱岐・対馬・五島列島に対して謝罪してもらいたい。
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 中国本土での戦争は済南事件による日本人虐殺から始まります。

 そして日本の警備兵4500人に蒋介石は5万人の正規軍が突然攻撃をしかけてきました。それが第二次上海事変です。独・露・英・仏も中国本土に警備兵を駐屯させていました、なぜ日本だけが狙われたのでしょうか?

 ところで毛沢東は 「大躍進政策」、「文化大革命」で3000万人~8000万の自国民を殺した。中国は、それについてはどのように教えているのか?

 そしてチベット・ウイグルについてはどのように説明するのか?
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  中国の反日教育は江沢民が行った誤ちだ。 中国の反日教育は江沢民が行った誤ちだ。
  中国の反日教育は江沢民が行った誤ちだ。 中国の反日教育は江沢民が行った誤ちだ。
  中国の反日教育は江沢民が行った誤ちだ。 中国の反日教育は江沢民が行った誤ちだ。
 
 そして中国では統一国家の体裁を持ちつつの、ある程度の地域主義の尊重が、中国国内の健全さを保ち、その結果、多様な意見を生み出すことを可能にし、それが中国国家中枢の過ちを正す、過ちとはズバリ偏った反日政策である。
 
 中国人の若者よ、まずは世界中に散らばった、自分達の同胞に、真実の世界情勢を聞け!それは中国国家がもたらす偏向した情報よりも有益な情報をあなたたちにもたらすであろう。

 中国の若者よ!江沢民によって導かれた反日の悪い夢から目覚め、現実を認識してくれ!
 中国の若者よ!江沢民によって導かれた反日の悪い夢から目覚め、現実を認識してくれ!
 中国の若者よ!江沢民によって導かれた反日の悪い夢から目覚め、現実を認識してくれ!

 そして日本が軍国主義に戻ることは100%有りえない。中国の若者よ、実際に日本に来て、その空気を肌で感じてくれないか。

 そして必要ならば私が本物の歴史教育というものを、中国の若者に教えよう!反日教育に内心怯える中国の若者に、何せ私は大学受験歴史の偏差値は75だ。私は客観的な歴史教育がもたらす効用を知り抜いている。

 私は徹底的に日本史の勉強を遂行した。私の歴史における課題は、なぜ、日本は敗戦を迎えたのかだった、そして、真の平和国家日本の実現を求めたのだった。そして歴史という科目が、私に与えたのは、スケールの大きさだった。そして歴史は、常識に捉われず、自ら考えることによって、自論を持ち、それを完全な正論とさせる技術をもたらす。そして常識で考える道を一切取らず、─それはあらゆる可能性を肯定する─限りなく深く認識することによってもたらされる、限りなく絶対的正論に近い正論をもつことが可能となる。

 人は、通常、多くの常識をある程度つなぎ合わせた適当なものによって、考える。それは一つの過ちであるのだ。これは常識外の意見である。しかし、これを疑問に思いつつも覚えながら日々を送ってもらいたい。前述の思考は不安定であることに気付かされることになるだろう。そしてそのような当たり前主義で司馬遷の文学は形成されている。

 中国の若者は、中国共産党第5代国家主席江沢民によって、浅はかに意図された歪曲された、歴史教育を与えられたために、歴史教育がもたらす真の効用を持ち損ねさせられているのが実情だ。

 日本における世界史は、欧米主義に偏重した編纂がなされていることを私に気付かせた。そして世界の部分部分の時代を教え、主体的な歴史の統一を欠いている。そこで日本史を選択するのが歴史を学ぶ上で正道である、と私に思わせた。日本史における、幕末~明治維新・大正・昭和・平成の歴史は、世界と共有している。そこで、近代日本史は、近代世界史に通じている。世界史については、近代からの歴史を知っていれば十分であろう。しかし、足りない部分は補って行こうとも思うが、大方、世界の書籍に描かれていることは、私の想定内であるだろう。

 日本は縄文期から延々と統一国家であった、という強みがある。そこで培われたことは、限りなく深い。中国人よ、我が国の領土が狭いからと言って、その深い歴史がもたらした文化を侮る無かれ。中国は、文化大革命によって、一切の古い文化を、全否定した。ゆえに、中国人の持つ思考は、限りなく浅いのが現状だ─そこにはマルクス思想しか無い。中国が実質的に持ち合わせている歴史は実質的に55年─それは文化大革命が行われた年代にさかのぼる─だ。中国は書籍にして10冊程度の文字・文章で表された、限りなく薄っぺらい精神性しか持ち合わせていない、という事実を認識するのが無難である、ということを私は中国の若者に伝える、良き隣国の島国日本人の善意として。そして私は宣言する、日本は100%軍国主義に立ち戻ることは有りえない、ということを、それは実際に日本に来てみたならばわかる、肌で感じることが出来ることである。それをもってして、中国の若者は肌で感じる、ということを始めて知るのかもしれない。
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2010.09:尖閣諸島の問題から連想。
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 中国は反日教育を直ちにやめるべきである。歴史を学問として捉えてもらいたい。それは人々に客観的に時代を考える力を与える。 元寇によって、中国側が歴史上最初に日本侵略を企んだという事実 と 日露戦争の事実 を教え 戦前の日本の残忍さを極度に若者に刷り込むことを一切止めるべきである。戦前は戦前である。私達80歳ぐらいまでの者は皆軍隊を持たない戦争とは無縁の人間であって、68歳ぐらいからは戦後育ちであって、軍国主義の要素はまるでない。だから私達を嫌っても、まるで私達にはまるで身に覚えの無いことなのである。日本の戦後の様子は、日本にいる横浜中華街の華僑の人などから情報を得たりしてほしい。中国の人には、是非一度日本に旅行しに来ることをお勧めしたい。戦後日本は絶対に軍国主義に戻らない精神を持つ。そして中国国家が悪意で行っている歴史で教え込む軍国日本とは、まるで違う平和国家である、という事実を身をもって体験して欲しい。反日教育は互いの国家に何の利益をももたらさない。それは江沢民という政治家が行った誤ったやり方である、ということを認識してほしい。

 そして元寇において、中国は、壱岐・対馬・五島列島の人々を侵略したので、決してそれはかつて尖閣諸島あたりが自分達の領土だったなどという、証左にはならないのである。元寇以前には、そこら辺の地域には純粋にそこら辺りの地域であったのであって、決して中国では無くそれぞれの地域の人々は平穏に暮らしていたのである。

 ところで、現代中国人は、我々日本の映像メディアやマンガはお馴染みなことであって、それらをある程度無断でコピーしたりして、垣間見ていて実は詳しいのではないか?それらを戦後の民主主義・自由・平和・正義を持つ日本のものとして捉え、戦前の軍国主義の日本とは違うということを認識してほしい。そして我々80歳ぐらいの人間までは、戦前の軍国主義の日本とはまるで無関係な軍隊を持たない民主主義国家で育った人々が実際に生き暮らしている、という事実を認識して欲しい。

 不用意な反日は止めた方が良い。日本に、真の代表者が現れた場合、中国の反日教育は日本の八十歳以上の老人に敵意の鮮烈な快感を思い出させ、無意味に燃えさせる(再燃させる)、そして、中国の若者との間に、今まで無かった戦意を準備させる。そして日本のご老人方に最終的には中国への特攻を意志させるかもしれない、死に行く者には怖いものが無いのだから。

 そこで私の意見、国家間で人々が関係を持つときには、一方の国の人々と他方の国の人々の間では、同年代のもの同士が関係を持つべきではないのか?それは現在進行形で相手との関係を維持し続けることを意味する。中国の百歳と日本の百歳は互いに向き合い何を思うのか?恨みを超えて、中日(日中)友好ではないのか?かつてはそのような関係が維持されていた。歴史を飛び越えて互いが恨みを持つに至るような教育はなされるべきではない。つまりは自然な状況を押しつぶす反日教育は行われるべきではない。そしてある部分を過度に強調し、ある部分を意図的に削除するような歴史教育は行われるべきではない、それはかなり客観から離れた歴史教育を意味する。

 チベットとウイグルのことについては遺憾である。しかし、チベットの人々とウイグルの人々はその悲しみを超えて、復讐を行うべきではない、と私は思う。

 














 少女時代と2PMは都会的

 韓国の少女時代と2PMを見て、正直言って日本の芸能人よりも、都会的だと思った。日本ではわざわざ少しダサい感じのある人間が、僻み根性が出ないから、許せる、といった感じで温存されている様に思う。その精神は都会的なものを軽視するという、ある意味腐った根性の一つであって、良いものを
何も生み出さないだろう、日本人の多くは都会的な魅力を正直にかっこいい、とまず認めなければならないと思う、その点韓国は正直に都会的なものを評価する精神を持っていて素晴らしいと思う。そして日本の音楽は、ユーロビートの要素を完全に無視しているとは言えないか?1985年~1992年ぐらいまで都会のディスコではユーロビートが大流行した、2011年現在、米・欧・韓国では音楽ではユーロビートの要素が適度に取り入れられて、またそれが普通の音楽の進化系であるように思う。日本の音楽ではユーロビートの要素は完全否定されている気がする、それも、東京のユーロビート育ちの人間に対する僻み根性から生まれている気がしてならない。そして日本の俳優・出版物なども、都会人の匂いがするものは疎まれて、都会人の需要等も全く無視されていて、読者のターゲットは地方の人々ひとくくりであるような気がする。はっきり言えば、芸能人などもある程度ダサさの要素がある人間が採用されている気がしてならない。そして、たいして価値の無い人間も我が物顔でのさばっている気がしてならない。その点で多くの日本人は、韓国人よりも心が狭いだろう。そしてもっとはっきり言えば、AKB48は少女時代よりも田舎っぽいと言えるだろう、というか頑張っている姿がいたいけだ。日本では徳川時代に、地方分権が温存されたのに比べ、韓国では、多くの人々がソウルに集まっていたから韓国は都会的である、といったことも影響するのだろうか?そして地方人の気持ちになって考えると、あまりに酷な言葉、それが「三代続いて江戸っ子」という言葉だ。私は幸せな状況に生まれたからほっと胸をなでおろすとともに、だからと言って、決していい気になって、地方人を卑下すようなことはしてはいけない、ということを肝に命じている。しかし、地方にも地方の優れている部分はあるだろう、例えば勇気などは地方人は都会人に引けをとることは無い、しかし地方の人達が、そこら辺を頼みとして、多少暑苦しいことも否めない、しかしそれ以外に地方の人の方が優れていると考えられることとしてまごころがある、と言えるだろう、そのほかに大人っぽさということもあるだろう。しかしそろそろ日本人はダサさの要素が無ければ認めない、というその精神性から脱却すべきではないか?はっきり言って韓国の都会っぽさを素直に認める精神を日本人は、遅ればせながら、見習わなければならない可能性は高いだろう。 しかし日本は、進化といういわば退化に見舞われていずに、幼い状況ではなく、実はバランスがとれた大人の国という見方もあるだろう。そこに韓国人は魅かれるのかも知れない。そして実は都会的な人間は日本にも沢山いるが、ただ脚光を浴びていないだけだ、という可能性はないだろうか?そして今気付いたのだが、どうやら韓流には成熟度が欠けている、という欠点があるようだ。





 博愛とは東洋では「仁」ではないか?それを言っているのが論語である。

 論語で孔子は牛一頭の生贄の提供の習慣は残されるべきだ、と言っている。2011年現在、私は、生贄は一頭も出されるべきでない、と思う。そして保存された過去の牛の生贄の記録映像などを見るだけにすべきである、と思う。私は動物は家畜として、屠殺から解放されるべきであると思う、現代人は、蛋白質を化学合成して、人工食肉を作るべきである、と思う。私的には、“なるべく”肉を食べないようにしている。しかし、現状では、欧米人に匹敵するぐらいに成長するためには、成長期には思う存分、蛋白質を摂取しなければならない。私も成長期には、思いっきり肉を食べた、私はもう成長期ではないので、ある程度肉は控えることに我慢できる、そして人工蛋白質が製造されたならば、肉を食べずに迷わずにそれを摂取することにするつもりだ。







 沖縄は日本の一部であるべきか、独立国家であるべきか、中国の一部であるべきか

 沖縄は柵封体制によって、中国に朝貢していた独立国家であった、という事実がある、そして琉球王国は島津氏によって侵略された、という事実がある。沖縄県民は、沖縄は日本の一部でありたい、沖縄は中国の一部でありたい、沖縄は独立国でありたい、実際にはそれらのどれを望み、どのような選択をするかが鍵であろう。沖縄人にはそろそろそれを選択してもらいたい。私的には、気持ち的には、日本の一部であってもらいたいが、沖縄は元々日本の島津氏によって侵略されたのだから、国家として独立するのも良いと思う。この案は、尖閣問題で生じた中国と日本間の軋轢を除去し、無用な対立を回避できる一つの案である。





 オリジナルの意見を持つこと、発案すること

  日本人は、自分自身のオリジナルの意見を持つこと、そして、発案することを忘れてはならない。

 日本においては、それができるそれぞれの人間が多数出現しなければならない、それができるようになるためには、複数の場における多くの経験が必要となる。なぜ複数の場における多くの経験が必要になるか、それらの記憶によって人は何かを見たり聞いたりしたときに多くの随想が生まれるからである、そして、それらの随想の中には、新しい発想が出現することもある、それらについては特性が必要であることが考えられる、そして複数の場における多くの経験をする、ということが、私の脳みそのタイプに合っていただけである、ということも考えられる。国語能力が高い人にとっては、読書によってしか、発想できないかもしれない、私の場合は言葉以外の何か、構造物のようなもので考えていて、意見を表明するたびに、それらの構造物を言葉に訳すというような作業をしている。そしてそのような思考方法を持つ者が、まるで活躍していないのが、世界の現状である、それらの考え方をする政治家やテレビ出演者を私は見たことが無い。

 例えば私は、ハーグ条約への加盟について、それは良いことである、という意見を持つ、何も今更先進国に合わせた国際化が良いことであるとは思ってはいないが、それが大きなくくりで価値を考えた上で、重要である、と考えるからである。

 今の日本において、独自の考え方を表明する人間ははっきり言って皆無である。日本人は、欧米の真似すれば良いという発想から脱却しなければならない。そして独自の意見を言えるようになって、やっと、日本は一流の国家になった、と言えるのであろう、今までは単に欧米に経済的に追いついたところである。まあ、漫画やお笑いや様々な科学的研究成果などもあるだろうが。






 原発修復は自動ロボットによって行うということも考えられる

 福島の原発をとりあえずは、修復するためには、原子炉製造時の部品製造がどこの工場で生まれたかを調べるべきである、そして、まずは壊れた原子炉の部品を作り出さなければならないだろう。それか、メルトダウンし、壊れた部分を覆う作業が必要である。大体、原子炉は停止できるのかが問題である、停止できないならば、まずは停止できる状況を修復によって作り出さなければならない。そして、実際の生身の人間が、作業を行わないでもよいように、この際新しい自動ロボットを作り出すべきである。それは、私の発案である【プログラミング可能な手作業連続再生装置(自動ハンドシステム):改良版】と【レーダーで形を認識し物体を掴むシステム】によって可能となる。それらは私のブログの日本大改革案1に掲載されている。それらの発案を応用し、巨大な腕の形状をしたロボットを作り出し(可能なかぎりの軽量化を行う)、それらを、人間の腕とリンクさせ、人間が小さい粘土工作のような作業を行うことによって、実際には、巨大な腕の形状をしたロボットが、鉄の巨大な建造物を造成する、といったことを可能にするのである。それらの作業によって、原子炉自体を修復することは可能である。

 東京電力は、今後、1000年間、二度と原子力施設における、同じような事故を行わない決意をし、原子力発電所の考えられるあらゆる災害対策を講じ、増税を行うことなく、今後1000年間の経営利潤によって、賠償金を賄うべきである。























 私の執筆した全執筆物リストと、意義について

 私は、14歳から27歳までは、俳優をやっていましたが、音楽活動・発明・プログラミングを経て34歳から執筆を始めました。現在までに下記他30作品を執筆しました。

「世界で一番雪が降り積もる場所で2(小説)(2004)」
「高校時代連想記(小説)(2005)」
「極東文明日本分派における正義の哲学 ニーチェ『善悪の彼岸』に対する連想と解答(哲学書)(2006)」
「Ζψ・21世紀生活革命事典(学術書)(2007)」
「優彩(ユウサイ)式魔法の話術 思考法(哲学書)(2008)」
「5ロッカーズ(小説)(2008)」
「裕次かく語りき(哲学的小説)(2009)」
「6ロッカーズ(鎮魂歌は歌わない)(小説)(2010)」
「リベラル・クイーン(小説)(2010)」
「腐った太陽(短編小説)(2010)」「言えたなら・・・(短編小説)(2010)」
「世界で一番雪が降り積もる場所で1(小説)(2010)」
「世界大改革~AFRICAの真の独立を願い(時事問題取扱書)(2004~)」
「水野勇次流大改訂版ブッダのことば(宗教書)(2010)」
「優亨(ユウリョウ)(哲学的小説)(2010)」
「日本大改革案(政治改革案集)(2011)」
「美女執筆家エリカと万年貧乏作家勇介(小説)(2011)」
「論語革命1(道徳書)(2009)」
「地方中学校の実情(1985.杉並区立井口中学校辺りに起きた、内部抗争など)、我々の地方分権体制は正確に守られている(小説)(2011)」
(もとねたファイル「Πφ12乗」)

振り返れば、やるべきことは全て、やり遂げた、充実した34歳からの7年間だったと思う。しかしこれからも書くべきものは多い。手前味噌ですが、これらの著作をもってして、これまでの全中国文化に対抗できる内容を兼ね備えている、と私は思っています。そのような発案や文章構造体を現在進行形で、生み出し続けている私が住んでいる日本に対して、中国人は、『尖閣問題を解決するために、日本に戦争をしかけるべきである』、といった、愚かな案は、捨て去っていただきたい、まずは自衛隊の有意義性を考えてもらいたい、それをないがしろにした場合は、中国という国家そのものが無価値であり、いずれは滅び行くものであろうことをまずは伝えておく。そして江沢民よ、自らが生み出した、不当な反日教育を修正してくれないか?

 なお、これらの作品の一部は出版し、多くのタイトルは http://yuusukehonma.blog.fc2.com/ にUPしてあるので興味がある方は、ぜひご覧下さい。

 はっきり言って私は、日本が世界に誇れる、ものを作り出した、と自負しています。

 私の世界に誇れる、文学・哲学・政治論のスタイルの特徴は、まず、有意義な文章構造体によって成立しています、その文章構造体における文章の多元的構文接合技術については、現在生きている、どの人間が作っる文章よりも発展していて、複雑である(過去に遡っては、ニーチェ以外、しかしニーチェは既に過去の人物、であり、私の作り出したアフォリズムは、ニーチェが作り出した物よりも、基礎的であり、有為で、まずはニーチェが作り出した複雑で細かい著述が行われる前に、整備され、誰もが踏まえておくべき文章法則である)が、どんなことも言葉で表現可能であり、隙が無い状況を体現できています。

 私の文章の一つ一つは私が編み出した多岐に渡る新しい哲学・理念・法則に則って生み出されていて、およそ間違っている、偏っているということからはかけ離れており(しかし私は、常に省みる作業を怠りはしない、その作業を実行すること自体が、およそ間違っている、という状況からかけはなれていることを可能にする《それにくらべ、江沢民のやりっぱなしの曲がった思想、それを放っておき、省みないことの稚拙さよ》)、あらゆる例外を考え付く限り、考慮したものとなっており、作り出した一つ一つの文章は、時代が変遷してもブレることがない、という水準に達しています。そしてどんなことも言葉で解決可能であるというスタイルを常に維持し続けています、ゆえに『尖閣問題を解決するために、日本に戦争をしかけるべきである、といった愚かな案』よりも常にハイレベルで平和な解決方法を提示できています、中華人民共和国は、そのような能力を持つに至った、この私が暮らす、この日本という素晴らしい国家には、一切手を触れること無かれ。そして、琉球の問題の民主主義的な解決案は、本ブログ内の『沖縄は日本の一部であるべきか、独立国家であるべきか、中国の一部であるべきか』という案に掲載してある。ただし、中国は、民主主義をまるで無視し続けているので、実は全くが我々の国家と折り合いが付かないわけであり、先進国全体の文化を軽視し続けている、という現実がある。なお私の作り出した、著作は、共産党独裁政権下でも応用可能であるが、中国は本気で、民主化の意義を問うべきである。民主化すれば、あらゆる人材がより多くの好きな職業につけるようになり、ひいてはそれが国家の利益を効率的に増幅させるのである。そして、共産党自体が、常に正しい政治を行えば、民主化しても、生き残ることは、可能なはずなのである。

 閑話休題、私の党の名前は、正義哲学党から、発案意見党に変更しました。世界は、「発案とオリジナルの自分自身の意見」によって変えられる-、という考えに基づいて、党を運営して行きます。正義哲学党が気に入っていた人は、その名前に親しみを持ち続けてください(まあ-いないと思いますが)、発案意見党と正義哲学党の両方を運営する、ということでも良いです。そして私は、発案と意見をどんどんと-述べて行きたいと思います。私の発案などは http://yuusukehonma.blog.fc2.com/ に載せてあります。




























 黒孩子の皆さんお待たせ!チベットの人々、ウイグルの人々、法輪功の人々農村部の人と共に団結しよう!

  中国の黒孩子の皆さん、自らの戸籍と人権確保のために、立ち上がれ!チベットの人々とウイグルの人々と法輪功の人々と地方の農村の人々とともに団結し、当たり前の権利を手に入れるべきである!

 人民政府は道徳観念が存在しないのか!

 生まれてしまい、同じ人間であるのに、便宜によって、戸籍が無く、人権も守られないなんて、断固、おかしい!中国人は黒孩子の皆さんから当たり前のように搾取し、幸薄い、人間性を暴露していて恥ずかしくないのか、同じ人間として同情の自然な気持ちが湧き上がらないこと自体、人間として異常であり、中国は日本に比べて幸薄い。

 私は、日本に生まれ、次男である、私が黒孩子の皆さんの日本で生まれたならば、当然平等に扱われる中国の次男次女の権利を保証しよう。私は、日本に生まれ当たり前のように長男と平等の権利を持ちます。

 大体において、「一人っ子政策」などというもの自体が、道徳違反の間違った行為なのだ。

 日本政府は、中国の黒孩子の皆さんを出来る限り、受け入れるべきではないだろうか?

 黒孩子の皆さんは幼い頃に日本語を学ぶ機会が与えられるべきである。そして、日本で戸籍を獲得せよ!そして民主主義を獲得せよ!そうすれば、日本人の数は5億人ぐらいになる。そうしたら、住宅着工、車の販売などのもろもろのことで、日本は超好景気を迎える。そしてチベットの人々とウイグルの人々と、法輪功の人々と中国の農村部の人々と団結し、日米同盟を堅持すれば、中国独裁中央政権に対抗できるであろう、黒孩子の皆さん4億人が、自らの国において戸籍を得るために一斉に立ち上がれば、中国政府はその力を弾圧によって制圧することはまず無理であろう、そこにおいて、中国の地方の人々で格差が広がるばかりであって、一向に幸せになれなかった人々が純共産化AGAINののろしをあげて立ち上がればよいのである、その場合は出来る限りのことを言論を用いて解決することを宗とすべきである、そこで言論によって解決できないというならば、私が言論によって物事を解決する方策を提示しよう、そして中国において民主化を達成したかった人々は出来ることならば立ち上がり、多くの国家で当たり前に認められている民主主義を手に入れるべきである。なにも中国国家を転覆しようとしているわけじゃない、ただ、共産党一党独裁の状況に、普通選挙が実施され、他の党もあい並び立てるようにしようとしているだけである。そこにおいて政党としては、純共産化AGAINの党が出現することと、欧米化を推し進める党などが出現するであろう、そこでは多分純共産化AGAINの党が勝利を収めるであろう。純共産化AGAINの党は、そこにおいて、産業において高成長が維持される状況を、合い並び立つようにすればよいのである。そして、旧共産党人員の中から、出来る限り、使える、人間をPICKUPする、といった、事態収拾案も考えられるであろう。

 黒孩子の皆さんはここにおいて作戦が必要である、黒孩子の皆さんは中国政府の陰謀によって、離れ離れにさせられているはずである、そこで、黒孩子の皆さんは、ネットを利用して仲間とのコネクションを作り出すべきである。

 ある人間が「中国の民主化は日本を不幸にする」などと言っていたが、とんでもない!必ず日本との共感が生まれるはずである。

 大体において中国人は、反日と反欧米なのだから、それらの人々と、中国包囲網を築き、世界中に散在する小国家と価値観を共有し合い、親善を深めれば、中国の共産党独裁政権における膨張帝国主義に包囲網を敷ける。

 私は、確信する、世界中の国々で、日本よりも、中華人民共和国との関係をただでかい国であるということで浅薄な利益追求主義から重視する国などは、人間知が浅薄であり、こちらから付き合いたくも無いと。世界中の散在する国々で、まごころで通じ合える国々は日本の方が好きに決まっている。日本は正義についてだって中国なんかに断固負けるはずが無い!トルコの人々、東南アジアの人々も我らが味方である。

 そして、最近民主主義を獲得した、イスラム諸国とも同じ民主主義国家になったということで、価値観を、共有しあえるはずである。 そうすれば、世界の嫌われ者国家は、中国、ということになるのである。大体においてちょっと前まで食人文化を持ち合わせていた、中国の民度など、知るか!そこで、単純に一国の人口が少ないからといって、行き過ぎの舐めた反日政策などを行ってしまった、江沢民は、自国の方針を変えざるを得なくなる。ははは、ざまーみろ!そして今や姜瑜(キョウユ)などの、偉そうな中国正義論などに耳を傾ける人間など世界中にもはや存在しない。姜瑜(キョウユ)は自国の歴史を学び直せ!義和団事件などの、世界の常識に反した、野蛮なやり方しか出来なかった、中国人自体が、悪かった、ということに少しぐらいは気付いて欲しい。

 私が中国の政治に携わるならば、中国人は20億人~30億人は養える実力があると考え、一人っ子政策は行わない。もしも一人っ子政策を行う必要があるならば、私ならば、例えば、中国で人口が30億人になったら、どうなるか、というシュミレーションを示して(例えば就職先が無いことなどを示す)、人々の自発的な人口減少を促すなり、子どもの数が二人以上になったら、所得税を少し多めに取る、英語・フランス語・ロシア語などの外国語教育の幼年齢化を行い、決して海外において中国人コネクションの繁殖をするようなことはするな=郷に入らずんば郷に従え、ということを教え、多くの国々に人々が移住できるようにする、などのソフトな具体策をとる。大体中国独裁中央政権は次男・次女などが、どれほど有用な存在であるかをわかっていない。中国独裁中央政権のとる政策はあまりにも大雑把すぎる。

 大体において、より多くの人間を幸せにできることこそが、尊敬されるべき政治家ではないか。























  世界の労務を無くす発案(改良案)

 世界の労務を無くす発案を掲載しておく。なお、ここに掲載した記事は、私のブログの『日本大改革案3』に掲載したものを改良したものである。
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■プログラミング可能な手作業連続再生装置(自動ハンドシステム):改良版
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 この発案は、平成18年3月17日に特許出願された、「プログラミング可能な手作業連続再生装置(識別番号:598118617)」を改良したものである。
 この装置は人間の左右の腕が肩まですっぽり入る長い手袋のようになっていて、人間の背中に接する部分で繋がっている。この装置を装着した場合、装置の中で人間の肩や肘や手首や手のひらや指の関節に対応する部分は、人間のそれらに則して折れ曲がるようにし、さらに人間が腕を捻ったときは装置もそれに対応して捻られるようにするが、人間の腕で曲げることが出来ない部分に対応する部分は曲げることが出来ないようにする。そして人間の指や手や腕や肩の動き方や、手や腕などが物に加えている圧力を記憶できるようにする。そして、この装置の必要な箇所に複数個のGPSのような装置を付けて、もしくはこの装置の状況をレーダーで把握し、この装置の位置や、この装置の全体の状態を的確に割り出し、それらの記録を行う。そしてこの装置を人間の腕から外すと、記憶している手や腕などの動きを再生できるようにする。それらの手や腕などのポーズや動きを、コンピュータプログラムと同じ様に条件分岐や繰り返し作業で、任意の様々な組み合わせに出来る様にする。そうすれば、様々な手の動作(例えば、掴む、離す、押す、引っ張る、持ち上げる、捻る、つまむ、等)を様々な組み合わせによって繰り返し連続で再生することが可能になる。そしてこの装置を人間の下半身と背骨の役割を果たす機械に取り付けることにより、この装置の位置や、この装置の全体の状態を正確に再現できるようにする。そうするとこの装置は、精密な位置において繰り返し作業が可能となる。できればこの装置の足腰背中もつくられるべきだろう。 つまりは、人は、一度だけ、労務を行えば、繰り返し、同じ作業をせずに済むことになる。
 またその機能を用いて遠隔操作も出来るようにする。
 以降この装置を「自動ハンドシステム」と呼ぶことにする。このシステムは一人一人の体をCT装置などを使い、3D画像表示で体内を立体的に観察し骨格の形状と、皮膚の状況を正確に把握することから生まれる。それによって、精巧な自動ハンドシステムを作り出すのである。
 またその延長上として、自分の正確な分身を作り出し、生身の体の動きをGPSやレーダーなどで読み取り、それとそっくり同じ動きを分身にさせて、ルーチン作業を請け負わせることも考えられる。その場合は背骨と足腰も作る場合も考えられる。それを応用して、同じ作業は何度も作り出すことが可能となる。その場合は作業記録時に身体の微妙な伸縮もともに記録し、再生システムに反映させる。 この自動ハンドシステムというものは総合的に言って、あまり良い案ではない。しかし自動ハンドシステムが開発されるならばその前に必ず法整備が必要である。 自動ハンドシステムを導入すると、人間が仕事を奪われることが考えられるからである。便利になっても多くの人々が救われなければまるで意味が無いであろう。必ずそうならないように、法が整備されなければならない。そういう意味あいから、重労働をやってきた人間は、「自動ハンドシステム」が導入された後も雇用は保証され、現場責任者のような立場になる道が守られるのが良いであろう。法整備で、現在の労働者の権利を守る法律制定が絶対的に必要であろう。そして新規採用者も今まで通りに雇用されるべきであろう。
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■ レーダーで形を認識し物体を掴むシステム
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 この案は、実際にこの世の中に既に存在する可能性が高いが追記しておく。本発明のシステムを搭載したロボットにあらかじめモノの形を登録させておき、それを認知できるようにする。それと自動ハンドシステムを組み合わせることによって、ロボットが皿洗い、洗濯物干し、米研ぎ、便所掃除、風呂掃除、部屋の掃除、レストランにおけるウェイター・ウェイトレス業、コンビニでのレジ打ち、工業の自動化、などを可能にする。料理は材料によって扱い方を変えることによって可能だが、包丁を使うことや加熱などがあり、危険なので今のところは扱わないこととする。その際にその機能が搭載されたロボットは、「助けて」という声を聞いたり、非常電源OFFボタンを押されることによって、作業を停止するようにする、またそのシステムでは、周囲の映像・音声を記録し、むやみにそのシステムを停止させた場合は損害賠償を請求する。また、ある被災地労働用ロボット等の特別な役割をもたされたロボット以外のロボットは、ある程度の力以上の力を出せないようにしておく。このロボットが実用化されるにあたり、このロボットの導入によって代わりに同じ仕事が出来るからといって、人々の仕事が絶対的に奪われない、全ての人々の職場が守られる法案の成立が欠かせない。ロボットの導入によって仕事がなくなった人は、自主退職以外の場合は、そのロボットのシステム・エンジニアとしてロボットを管理する仕事を行うようにする。そして、その従業員が、その給料よりも高い給料を得ることが出来るようになった場合は、退職しなければならないようにする。
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 この2つの発案を元に私は、自動システムを作ろうかと思う。私は、自動システムをすぐにでも作り出したいと思う。 自動ハンドシステムを使用した場合は、人間の表面の形が変化する、体重の増減ができない、というところが欠点である。

 また、一人一人の人々の体格に合わせて再生ロボットをオーダーメイドで作らなければならない。

 また、人間は骨格が縮んだり、人間の表面の形が変化するので、それらのものは、ある程度の期間で、作り変えなければならないかもしれない。

 また細かい部分を見れば、昼夜における、背丈の微妙な変化に対応すべく、アジャスタ機能も必要である、しかし、それらは、GPSやレーダーで生身の人体の状況を察知してロボット側に対応させることができる、それは主に関節の部分に現れることであろう、であるから、自動ロボットの関節部がある程度伸縮するように設計しなければならない。

 そして、そのシステムは、とてつもなく精巧に作り上げられなければならない、精巧さによってできる仕事も変わる。 また、コストもかかるであろう。 これらの問題を解決しなければならない。

 また、これらの自動ロボットの導入によって、人々が、それを屁とも思わないのであれば、導入する意味もない。屁とも思うか思わないかは、製品の値段によっても決められることであろう。

 今のところは2011年現在で一台100万円が目安である、国家的事業となるのであれば、基本的に値段はいくらでも変えることができるだろう、しかし私の企業は、まずは私営企業のひとつとして、一台100万円を目指す。

 そして、アフターケアも充実させる。

 この案は、改良の余地があるので、世界では私が担当するのが妥当であろう。なおこの一連の発案を譲り受けたい者がいれば、税抜きで手取りで1億9800万円が手に入れば譲る、ただし条件付である、これらのシステムが開発されるならばその前に必ず法整備が必要である、これらのシステムを導入すると、人間が仕事を奪われることが考えられるからである、便利になっても多くの人々が救われなければまるで意味が無いであろう、必ずそうならないように、法が整備されなければならない、そういう意味あいから、重労働をやってきた人間は、これらのシステムが導入された後も雇用は保証され、現場責任者のような立場になる道が守られるのが良いであろう、法整備で、現在の労働者の権利を守る法律制定が絶対的に必要であろう、そして新規採用者も出来る限り、今まで通りに雇用されるべきであろう。
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 わたしのこの事業に協力したい人は是非ご参加を。 私は、案出することは得意なのだが、実務が苦手である、実務担当者もともに求む。 この事業の成功によって、私は今の日本の国家制度の元では、最低1億9800万円(税抜き)は欲しい、ここにおいては、世の中の人間は出来る限り賃金が平均的に分配されるべきであるという方針に基づいて産出された金額である、その額は米の資本家が事業に対して要求する額よりも相当、少ない額であろう


あとの資金が手に入れば、それらは、他の事業の資金とする。



















    案出会社

 まずはオリジナルな事業案を案出する機能を持ち備えた会社があってもいいだろう。それを、実務を行うことが専門の会社に売ることも考えられる、それは知的財産が法的に守られている、ということを根拠にした話であるが。







   本間勇介流大型改訂版:聖書

 さあ、私の述べることで、誤りがあるならば、なんなりと、それを指摘せよ!

ローマ 第10章

1 神がいるかいないか、実際のところ、生身の人間には、わからない。救われるためには方策が必要である、その場合・高度な対処を行うと、ケース・バイ・ケースで行われる、ということもある、その場合は、誰もが納得が行く対処方法がとられねばならない。それと同時に、最低限の常識のようなものも必要であろう。そして、個々人の人心を知り抜いていなければそれは実現できない。それらは為政によって達成される。しかし2011年現在、その道は、厳しい。

2 大体において、神がいるならば(それも唯一一神)なぜ神は、義を重んじるかの理由が述べられなければならない。なぜ義を重んじるか、それは効率よく人々の幸せを達成できるからである。ただし、悪人には悪人なりの義がある、と私は思う、それが良いものであるかはいざしらず。

3 大勢の人々は、それぞれの人間が、複数の多くの場における経験を積めば、真の義、というものにたどり着けるかもしれない、2011年現在、世界は、世界の人々が、そのように行動できるように社会が整備されるべきである、それが、神をただ信じるということを行う前に、生において、人々がなすべきことではないか?そしてその先に宗教問題がある、と考えることが、人間にとって、及び生物一般にとって、好都合なことなのではないか?好都合である、ということは軽んじられる、しかし、それぞれの人々が好都合なことを実現できれば、それは、暗に神を信じることよりも、幸せな状況なのではないか?生において、それぞれの生物が、自分自身の生における幸せを実現できること以上に幸せなこととは何がある?何も無いのではないか?

4 キリストは立法を終わらせた、というが、それは2011年の現時点から見るに、不十分であったのではないか?充分であれば、全ての者が、言葉による解決方法によって、己達の幸せを達成できたであろう。キリストは言葉による、解決方法を取らずに、自らが犠牲になって、神になることによって、ものごとを解決することになった、それは省エネ的なことではない。

5 モーセが立法という方法をとったならば、それは最適なやり方とは言えない、立法ということ自体が時代遅れの方法である。最適なやり方は、それぞれの現実的な人々の意向一つ一つに沿って、事象が解決されることである、そして、規則のようなものは出来る限り無いほうがましなのではないか?。

6 2011年現在人類は、多くの経験を複数出来るようになったおかげで、人々それぞれが、義にたどり着けるようになった可能性がある。日本はペリー来航によって、薩英戦争・四国艦隊下関砲撃事件で、開国を余儀なくされ、苦境を余儀なくされてきた。人々は、幕末・明治・大正・昭和生まれの日本人は、多くのかけがえの無い経験をしてきた、ということを忘れてはならない、それらの人知を出来る限り、有効活用すべきである、ただしそれは、昔の意見をそのまま採用する、ということではない、昔体験されたことで有効活用できる部分は有効活用しよう、ということである、そして人々は、まずはそれぞれのオリジナルの意見を持つべきである、というのが私の主張である、そして、人と意見を言い合って、自分に否があったならば、素直にそれを認め、認めるべき意見を受け入れるべきである、しかし人々には自由が保障されている、しかし自由は、人に危害を加えない限りにおいて、活用されなければならない。
































   G8で話されるべきテーマ

 G8で話されるべきテーマの一つは中国の独裁への対応、と言えないか?でも多くのG8首脳は、暗黙のうちにそれを思っているであろう。中国では多くの大雑把な政策が行われていて、多くの人々が実際に不幸になっている。私は中国中央独裁政権がそれらを乖離する提案を述べることによって、その状況を中国人民が免れるようにしたい。












   炉心溶融について
 鉄を使って、炉心を根本的に修繕する、自動機械を作れないのだろうか?又、氷水を注入するとか、どでかいドライアイスを作ってそれを注入するだのは出来ないのだろうか?














   発案意見党
 私は発案意見党に所属する。

 その党の方針は「世界は、意見と発案によって変えられる」というものである。もちろんその後の実務も必要であるが、まずは斬新な発案と意見が必要である、と私は思う。

 発案と意見を並べ立てるだけならば、別に党である必要も無いのであるが、多くの人々が参加できるように、党という形式をとることにした。

 そして、私は、斬新な世界中で応用可能な発案と意見を述べていくことをここに宣言する。

 現実の政治家には発案能力があり、自分の独自の意見を持つ人がいるだろうか?現実的には発言能力が高い者ばかりがいて、残念ながら発案能力がある者はいないのが実情ではないだろうか? 2011年現在、政治の場においては、斬新な発案ができる人間がある程度採用されるべきである、もしくはそれらの人々の案を採用すべきである。

 政治家は、もし仮に、私の出した、発案と意見に意義を見出したならば、それを採用してもらいたい。しかし、採用するに当たっては、まずは、綿密な実務化の計画が必要である。私はできる限りそれらについても言及する。私の党の意向に賛成し、私の計画に賛成する人には、是非、私の党に入党してもらいたい、そして実務化を行ってもらいたい。

 尚、私の党には、総裁は存在しない。全ての党員が平等である党にした。そこにおいて、党員を評価するにはその人の発案や意見がより良いか、より悪いかである。それらを議論することによって、良い案悪い案を決定する。その結果、よりよい発案や意見を打ち出したものが発言権を増すことになる。それによって党員の価値は自動的に決まる。

 そしてそれぞれの人々が自分の脳みそで考え出した発案と意見を議論し、良いものを採用する。