「東洋のマチュピチュ」行はアクシデントだらけ?
こんばんわS原です。
すっかり梅雨模様の広島ですが、今年から生まれ変わった奇跡の晴れ男S原、唯一雨が上がった先日の水曜日、行ってきました!
「東洋のマチュピチュ」別子銅山
早朝5時に2号線青崎で集合、5台で予定通り岡村島へ向けて出発。
朝早いと31号線も呉市内もすいすい走れます。これなら、6時50分の岡村港発、今治行きのフェリーには余裕で到着できると思っていました。
が、島へ渡った途端すごい濃霧で、視界は20m位になりました。早朝の島はすごい濃霧なんだ、市内とはずいぶん違うな、くらいに考えてました。
浅はかでした!
船も待っています、余裕の到着でした。
が、なんと「濃霧で欠航」
そうか!船は時化だけじゃなく濃霧でも欠航するのか......
一つ賢くなりました。
さあ、どうしよう?
次の今治行きは9時35分です。
欠航がある事を全く想定していなかったので、次の決断が遅れました。この遅れが、次なるアクシデントに繋がるなんて...
3時間も待てないと決断した私たちは、忠海から大三島へ渡り、しまなみを走るコースを決断しました。
また、同じ濃霧の道を引き返します。
そう、今なら8時30分のフェリーに間に合うと信じて......
間に合いませんでした!
みんなで、開き直りました。
行ける所まで行こう!
良いですね、前向きですね。
ハハハ、9時30分のフェリーに乗りました。
しまなみを走り、今治から別子銅山、思ったより早くスムーズに走れました。
色々想定外のアクシデントはありましたが無事、11時50分には目的地に到着。よかった、よかった。
当初考えてた11時の観光バスには、とっくに遅れたので13時のバスに乗りました。
ガイドさんの説明付きで「東洋のマチュピチュ」観光です。
明治、大正、昭和と日本の産業発展を支えた、今話題の産業遺跡の一つです。こんな山の中に5000人の人が働き一万人の人が暮らしていたそうです。
ガイドさんの説明は分かりやすく楽しかったです。聞かないとさらっと見て終わりですが、話を聞くと非常に興味深い話が沢山あります。
ものすごい急斜面に住居跡がありました。ちょっと、軍艦島に行った時の事を思い出しました。
今回は時間がなくマチュピチュ観光だけでしたが、次回は鉱山観光もしてみたいと思います。
観光バスには大阪、九州からの人も乗っていました。
何年も前から来てみたい所でしたが、個人的にはとても楽しく興味深い所でした。
こんな山深い所でも人が働き、多くの人々の暮らしがあり、大いに繁栄して、その後廃墟になる。気持ち廃墟マニア気味の私には心惹かれる場所ですね。
すっかりアクシデント続きでしたが、今治港発最終、岡村島行きフェリーPM5時40分のフェリーには無事間に合い、7時に岡村港着。
日暮れ前のとびしま海道を走り(この時間帯のとびしまはうら寂しく、でも風情がありました)、すっかり日が暮れた呉市内で解散。広島に帰ったのは(もちろん下道)9時過ぎでした。
朝早く、暗いうちから走り、暗くなって帰った丸一日のツーリングでしたが、N松店長、S様、Y様、K君、お疲れ様でした。色々あって楽しかったですね。事故とか、怪我ではないアクシデントもツーリングの楽しみの一つだと思います。
次はいつ行けるか分かりませんが、ウイークデイツーリング今回も私、楽しませていただきました。
また、タイミングが合えば行きましょう!
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