今日三月三日は、被差別部落の差別解消を願う「全国水平社」が設立されて百年となる日である。その設立の際に読み上げられたのが「水平社宣言」である。そこでは、全国の被差別部落民に、差別撤廃に向けて、従前の他者からの「同情」や「憐み」による運動ではなく、自らが行動を起こすべきだということが述べられている。

 

 多くの人たちは、歴史教育の中で日本の階級制度においては、上位から「士」「農」「工」「商」「えた・ひにん」という序列階級があったと思い込んでいる。しかし実際の政府(幕府)の統治においては、「士」「農」「工」「商」に上位下位の区別はそれほど明確ではなく、それぞれの階層の中での上下関係を確立し、その圧力で支配力を維持していたという研究もある。侍にも旗本、外様云々、農民にも庄屋など。そして、最下層に属する(と思われてきたし、それが定着していたから)「えた・ひにん」に対するすべての階層からの差別は、秩序維持のためにも利用されてきたのである。「彼らを見よ」と。彼らが、上位の者の生活にとって欠くべからざる職業についていても、である。

 

 数十行にしか満たないこの文で、部落差別について何かを訴えるとしても言葉足らずになってしまう。また「寝た子を起こす」ようなことをしなければ差別は無くなる、ということを言う者もいる。しかし、被差別部落の歴史や現実を知らずに、口伝えや噂話による妄言を自身が刷り込まれているかを意識しない状態では、差別の解消にはつながらないのも実態としてある。自身は部落の何を知っているのか? その差別の根本は何にあるのか?

 

 またまたかのブログ(猪名川町議会議員を失職した人物が主宰している)にその悪しき例があるので紹介する。その人物は議会傍聴に相応しくない履物でやってきたので傍聴を拒否されたというのだが(これは裁判案件となっている)、その際に町側の対応を批判して、被差別民扱いはやめよ、と主張したのである。その「履物」でやってきたのを差別的に扱われて傍聴できなかったというのである。いわゆる「ドレスコード」的な問題に対して「差別」であるとして自分はそんな「身分」の者ではないからその扱いは不当だと主張したのだ。

 そういった形でこの者の心に刻まれている差別の感情は、いったいどこからやってきたのか。無知ゆえの発言ではないのかと強く思う。彼は寝ていたのだが、間違った起こし方で目覚めさせたのか? ならばちゃんとした寝覚めを迎えられるようにしなければいけないのではないか。

《藍》