会社名をフェイスブック(Facebook)あらためメタ(Meta)。

今までのようにFacebookやインスタグラム(Instagram)というサービスの提供は続けるが、今後推し進めるのがメタバース (Metaverse) と呼ばれるサービスである。

社名変更前のニュースリリースによれば、

 

・メタバースは、一企業によって一夜にして構築されるものではありません。Facebook社は、政策立案者、専門家、産業界のパートナーと協力して、メタバースを実現してまいります。
・メタバースを構築する製品が責任を持って開発されることを保証するため、Facebook社はグローバルな研究およびプログラムパートナーに5,000万ドルを投資することを発表いたします。

 

メタバースという言葉は1990年代から存在したが、当時は「オンラインRPG」というような意味合いで知られていた。仮想の街で操作者がアバター(自身の代理)を使って買い物や遊びを楽しむというものだった。これは200年代初頭の「セカンドライフ」というゲームに代表される。しかし、一大ブームとはならず、しばらく鳴りを潜めていたところに今回のメタの発表である。

「責任をもって開発されるため」に大金を投じるというが、自社に都合の良い「開発」につながらないという保証はない。そこから、Facebookが見過ごしてきた今までの弊害が抑えられるのかという疑問が湧き上がる。

 

技術的に、仮想現実や拡張現実を実現するためのデバイス(ゴーグルなど)問題があると指摘して、普及には至らないとする意見もある。しかし、それらを介さない二次元のディスプレイ上でもメタバースは展開可能であるし、そちらのほうが今後の脅威となると考える。なぜなら、抵抗の無い手法で知らないうちに”それ”が日常になるからこそ新しいテクノロジーは爆発的に普及するからである。スマートフォン以前の「携帯電話」と「パーソナルコンピュータ」の存在があったからこそ、人々はパソコンに電話機能が付いたような「スマホ」を使いたがったのではないか。「えー? まだガラケー?」という圧力もあり・・・(笑)

 

メタバースという考えに基づくテクノロジーがもたらす脅威は馬鹿にできない。映画「マトリックス」のネオが住む(住んでいると思っていた)世界のような「電脳空間」は未だ肌に感じる脅威ではない。しかし、米国の国会議事堂襲撃事件などを見るにつけ、個人の意志や企業の広報の伝達手段のスピードと規模がけた違いに大きくなっている私たちの今は、ウイリアム・ギブソンの小説「ニューロマンサー」(日本と思しき地域を設定している)の一歩手前と言えるだろう。そして、アバターの行動が自身を反映していると感じられる没入感のより強いメタバースが多くの人々に受け入れられればどうなるか? 今でも存在するが、オンライン会議と仮想空間を組み合わせてアバターを使うということが普及すれば、今まで人々がイメージしていた「集会」そのものを自由に開けるということになる。それは福音でもあり脅威にもなりうる。

《藍》