横目でチラチラ見ていた某氏のブログだが、最近は猪名川町と川西市議会をウオッチしている様子が見て取れる。

 

某氏は先日某作家・評論家の講演に触れる機会があったようで、その作家・評論家が自身を表現して「ドン・キホーテ」と発言したのを引用して、『個人的な打算そっちのけで自らの理念に則り行動する様』を『川西・猪名川のドンキホーテっぽい?私には何となくわかります。』と記している。

 

ところで、「自らの理念≠個人的な打算」としている点で論理的に破綻している点を指摘しておこう。(某氏の言葉の軽さにはいつも辟易しているが、今回も確認しておかなければならない)

個人(自ら)が理念を持つのは何らかの打算(理念を成就させたい)があるからではないのか? 個人の打算をそっちのけでと言うのなら、その理念は社会的な利益にかなうものであるという説明と同時に表明されなければならないと思うが。

「自らの理念」は社会一般から承認されてこそ「普遍的な理念」として、その人の行動を人々に容認させる後ろ盾となるものだと。

例えば「核軍縮」を進めるという理念について、「核軍備拡大」という対抗する理念を持つ者が社会的に承認されるであろうか? 核抑止力など、日本や世界の各国に方法論としての議論は多数あるが、ひとたび核戦争が起これば人類滅亡という瀬戸際にいる現代人にとって、核軍縮は承認済みの理念であろう。

 

さて、ドン・キホーテは本の読みすぎで騎士の道をはき違えて旅に出るわけである。その道中の逸話として、風車(強大な力を持つ者)に対抗する(ドン・キホーテ=無力な者)ということをもってして、ドン・キホーテは勇者のように人々に印象付けられているようだ。

実際は「勘違い野郎」で、従者の忠告も聞かずにあちこち突っかかっては「武勇伝」を作っていくわけである。そんな事情まで理解しないままに自身を「ドン・キホーテ」と表現できる人に幸あれ!

 

某氏の周囲にサンチョ・パンサはいるのか? いてもドン・キホーテは意見を聞く耳を持たず進んでいくのであろうが・・・

《藍》