8月15日前後には各メディアで戦争関係の放送や記事が多くなる。それらの中にギョッとする絵画の紹介があった。

小早川秋聲の「國之楯」である。

軍刀を帯びた日本軍将校の横たわる姿。その頭部を覆い隠す状態で寄せ書きされた日の丸がかけられている。背後は暗黒である。日の丸の赤が顔全体に広がる血のように見える。

 

作者は寺の長男として生まれ、日本画家に師事した。戦時は従軍画家として戦地にも赴いたという。この絵は天皇に見せるため軍部が依頼したというが、最終的には軍部は受け取らなかった。軍部に提出する前は、暗黒の背景ではなく桜の花びらが山のように積もった形で描かれていたという。その後自身の加筆によって今の状態にしたということである。

縦151×横208センチというサイズから、ほぼ実物大の「死」を目の前にして、鑑賞するものはどのような感想を抱くのだろうか。

軍部が危惧したのは「死」からくる「厭戦感情」ではないかと言われている。「英霊」となるか「死者」となるか、観覧したものが後者の印象を強くしたら困る時代であった。

 

どうしても思い出すことがある。失職した町議会議員が、長い抑留生活を経験した方の体験談を聞いた後に書いたブログである。そこにはその体験談から得た印象をもとに、体験者に投げかけた質問とその返答に関する自身の思いが記されていた。

体験者が聴衆の前で語る意味が理解できていたのかいなかったのか、「日本軍の軍備が十分あればソビエトの進攻は無かったのではないか?(つまり現日本も軍備増強すべきである)」というような感想を記していた。

同じ体験談を聞いた人との反応の違いに驚いたものである。

 

ある事象・事物にどのように反応するのか。自身の試薬を常備しチェックしておかないといつの間にか思いもしない方向に進んで行ってしまっているかもしれない。

《藍》