この5月はちょっと忙しかった。でもこの番組が気になったので録画しておいた。

「4人のモナリザ〜謎の微笑」というタイトルだ。

サイト→

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92363/2363282/index.html

 

フランス人科学者パスカル・コット氏による画像分析(独自に開発したマルチスペクトラムカメラにより波長の異なる13色のフィルターを透過して撮影)により得られた1500の画像を解析した結果、この絵は4回描き直されたことが明らかになった。その4人の女性について、服飾史、文献学などの点から探っていく。

1. 最初のデッサンでは頭が膨らんだように大きく、鼻が上の方にある。しかしこの下絵は中断された。

 

2. 2人目の肖像の頭上には何かを描いた後で掻き消した形跡が見つかった。それはごちゃごちゃとした点と線である。服飾史家エリザベッタ・ニンネラ氏は、それを14世紀後半に見られたベールの髪飾りだと断言した。パールのような宝石を付けるのは聖母像のような特別な場合にあり得たとのこと。これも中断された。

 

3. 3人目の女性の頬はより細く、瞳はやや左向きに、髪の分け目はより斜めに描かれている。これによりモデルがより斜め左を向いていたことがわかる。また、衣装の袖は15世紀初頭に流行った取り外しのできるもので、袖と身頃はリボンで結ばれていた(ガムッラ gamurra)。胸元には下着が細くのぞき、絹のベールを肩にかけていた。ヴァザーリの列伝に従いこの絵は「モナ・リザ」と呼ばれるようになった。これを手がけた当時レオナルドは30歳くらいであった。ミラノから戻ってから公証人の父の世話によりサンティッシマ・アヌンツィアータ修道院に間借りして暮らし、父の斡旋により、父の家の近くに住む豪商の妻リサの肖像を描く仕事を得た。1497年にフランチェスコ・デル・ジョコンド仕事を引き受けたという文書が残っている。1503年にレオナルドがリザ・ゲラルディーニの頭部に着手したという友人の覚え書きも見つかった。ラファエッロはこれを模写しており、髪型、衣装はそれに似ている。ここまではたいていの美術愛好家は既知のことである。

 

4. 4人目、これは最も興味深い部分である。1513年、レオナルドはローマに赴いた。メディチ家出身の教皇レオ10世の即位により、教皇の弟ジュリアーノ・デ・メディチが新たなパトロンとなったからである。『さらばモナ・リザ Monna Lisa addio 』を2010年に出版した文献史家ロベルト・ザッペリ氏によれば、ある枢機卿の秘書Antonio De Beatis がアンボワーズの画家のアトリエを訪れた時の記録には、3枚の絵を見せられ、そのうちの1つが「ジュリアーノ・デ・メディチが発注した女性像」とある。そして、2010年にウルビーノ大学で発見された証拠により、ジュリアーノの庶子を産んだウルビーノ出身の人妻パチフィカ・ブランダーニの存在が裏付けられた。彼女は出産後に他界し、庶子のイッポーリト(後に枢機卿となる)は孤児院に入れられてからジュリアーノに引き取られ、レオナルドはこの幼子のために想像でその子の母の肖像を描くよう依頼された。よって、肖像は喪服をまとい、見る人に母のまなざしを向けているのだ。リザの肖像をリサイクルしたのは、おそらく金欠だったのと、少しでも早く完成させることが意図されたのであろうと考えられる。髪型で絹のショールを消し、肩掛けでガムッラを隠し、顔の角度を正面に向けようと目と頬と髪の分け目をいじった。だが1516年、発注者のジュリアーノは他界し、レオナルドはフランスにこれを持っていくことにした。そして死ぬまでこの絵の中に普遍的母性愛を求め加筆し続けた。ゆえにこの絵の微笑みは特別なのだ。

 

参考記事→

http://lanostrastoria.corriere.it/2016/01/13/una-nuova-ipotesi-sullorigine-della-gioconda-di-leonardo/