自分が存在している価値は何だろう?
こんな自分は存在していても価値がない!
こんなことをしていて良いんだろうか?
何もできない自分には価値はない!
、、、などと思ったりする、、、
何か出来るから、何かをしているから、
存在している価値があるのではない。
、、、していること、出来ることに価値があるのではない、、、
「ここに存在していること」が価値あること。
「ここに生きていること」が価値あること。
それに気づいた時、そう思えた時、
色々と展開していく、、、
、、、ゆっくりと、、、
、、、ゆっくりと動くと、
動きが現れる以前から動きが始まっていることに気づける、、、
、、、それと同じで、現象として現れる以前から、
すでに動きは始まっている、、、
、、、ゆっくりと動くと、本来の動きをしようとする、、、
、、、それと同じで、自分本来の動きが生じる、、、
、、、話が逸れたので戻すと、、、
存在価値の価値視点を「存在していること」ではなく、
「していること」に置くのはナンセンス。
「何もできない自分」は存在価値がないのではない。
存在していること自体が価値であり、
何もできないのは価値視点を勘違いしているから。
価値視点を正すと、
何かすることが大切とは感じなくなる。
、、、「存在する価値」を探し回るのではなく、、、
、、、「存在していることが価値」に気づき留まる、、、
、、、ただ、ここに、存在していることが尊いこと、、、
子供が生まれた時、
ここに生まれてきてくれたことに感謝する。
、、、ただ、ここに存在してくれたことだけに、、、
生まれてきたとき、何かをすることを期待して喜んではいない。
子供と過ごす中で、
子供への思いは自分への思いと同じ。
自分の価値視点で子供を見る。
価値視点の起点は、「存在することが価値」。
、、、存在即価値、、、
そこから、あらゆることが、必要に応じ、自ずと展開していく。
、、、時と様子を見計らいながら、、、
存在していることこそが、展開(人生)の中核。
何かをしようとせず、出来ることを見つけようとせず、
存在しいることに感謝して過ごす。
、、、それでいい、、、ただ、それでいい、、、
久しぶりに子供達とトランプをして大笑いをした昨晩、、、、
、、、その翌日の早朝(今朝)、存在価値に気づけた、、、、
、、、雨が降って、暑さも和らいでいきそうな気配、、、
、、、地に雨降って地固まる、、、暑さが和む、、、
、、、心に雨降って自固まる、、、心が和む、、、
、、、心の四季が魂源を高める、、、なんちゃって![]()
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