日本に帰ってから、アルバム発売に向けて動き出した。
このアルバムは1年前に出てなければいけないはずだったのだが、俺のワガママによりプロデューサーである318にはだいぶ待ってもらっていた。
りょうくん(318)が『早く出さないと時期を逃す。』と常に言われていたのだが、アルバムをちゃんと完成させたい俺の意向でずっと伸ばし、伸ばしにしていた。
ジャマイカでのんびりしすぎていたのだ。
ヤーディ(ジャマイカ人)に合わせると進むものも進まなくなる。日本から離れすぎて、色々と感覚が狂っていた。
それでもアルバムは最高のものができた。
videoやTwitterの反応などもよく、自分的には満足であった。
発売日に、俺は足柄の山奥に住んでいるケンジくんと言うプロデューサーを訪ねに行っていた。
夜中に突然の腹痛に襲われた。今まで感じたことのない痛みで、吐き気もあり、自分でも尋常じゃない状況だなと思った。もう立つのも辛く、便所で俺はブッ倒れていた。
地元の後輩のカズキと大仏さん(gyal is everything のプロデューサー)のお陰で町田の病院に運ばれ、即入院することになった。盲腸だった。笑
ジャマイカでならないで本当に良かった。ジャマイカは医療のレベルが低いから、死んでたかもな。
しかし、年末にジャマイカでカマス予定だったから、予想外の出来事に俺はくらった。
神様がよく考えろと言ってくれたのだろう。そう思うことにした。
発売日に入院するのは俺くらいだ。病院からプロモーションをしていたが、病気になると気が滅入ってしまい、あまり身に入らなかった。
それと俺が日本の現場から離れすぎていたため、日本のレゲエのシーンや周りの人との連携がうまくいかなかった。
アルバム発売のツアーもやりたかったが色々と準備不足で何も出来ずに時間が過ぎていった。
音楽を売るというのは、勢いだけではダメだ。周りの協力、出すまでのストーリー、全てのタイミングが合わないとBuzzしないのである。
自分の近いアーティストでhip hop スターのkohh がいた。
俺は彼の成功を近くで見ていたので、自分も同じようにやればいけると思っていた。
それも間違いだった。
彼みたいにブランディングが出来てる人なら良いが、俺みたいに行き当たりばったりな奴は全てが違うのだ。
それなのに彼みたいにやろうとしても、無理だ。
アーティストは時々流行りを取り入れるすぎたり、他の人気アーティストを見過ぎたりして自分を見失うことがある。
でもそれがアーティストにとって一番最悪なことに気付かないとダメなんだ。
ジャガイモがイケメンを真似てもジャガイモだ。アーティストは自分がないとダメなんだ。ジャガイモでも美味ければいいのだ。
俺は何も考えず、またジャマイカに向かおうとした。ジャマイカに行けばいいと思っていた。そんなテキトーにしていた俺に神様からの忠告がきた。
1月、中国経由で、アメリカに俺は向かった。
ついた瞬間別室に送られてしまった。
そして、俺は色々と調べられて、なぜかアメリカへの入国が禁止されてしまい、北京に送り帰らされてしまった。
ジャマイカが急に遠くなってしまった。

