娘誕生!
産まれてからすぐ、Skin to skinの前に体重測定に連れていかれた娘。
この時から撮影OKの許可が出ているので、早速夫が撮影するか呼ばれて娘の元へ。
私は息も絶え絶え、胎盤の排出と裂けた会陰を縫われていました。
どのくらい会陰さけたのか…恐る恐るドクターに聞いてみると、
『会陰自体の裂傷はそこまでひどくない。ただ、プロテイン不足だったのか、組織ダメージがちょっとあるね。』
とのこと。
ナースに
『あなたベジタリアン?』
と言われて、なんかベジタリアンぽいでも出たのかなとのんきに(変なことを)考えていたのですが、どうやら肉食の人には起こりにくいなんらかのダメージがあった模様…。
Skin to skinが始まったので、それ以上は聞かなかったのですが、処置にちょっと時間がかかっていました。
ちっちゃいけれどずしっと思い娘。
エコーでは毎回2週くらい大きい推定を出されていて、大きすぎて産道通れなかったらどうしよう…と心配していましたが、実際は3,140gと丁度良い大きさでした。
どこがどちらに似るかな…とわくわくしていたのですが、予想外にブロンドヘア+一重で産まれてきた娘部屋に変わるがわる来るナースたちにも、毎回『わー綺麗なブロンドヘアねー!髪はお父さん似、目はお母さん似ね!』とコメントもらってました。
アジア顔に金髪…確かに珍しいよね
※日本の出生届のために英語の出生証明書にサインをもらおうと思っていた私たち。
ドクターとその他産後処置のスタッフたちは用事がすんだらサクサクッといなくなる感じだったので、ドクターにまた会えるか聞いてみると、おそらく病院滞在中はもうないだろうとのこと。
夫に頼んで、ささっとドクターにサインの箇所だけ書いてもらうようにお願いしました。(快く書いてくれました)
Skin to skin のまま、2時間程LD室で待機
私が出産した病院はLDRではなくLDだけの部屋だったので、リカバリールームに移動する必要があったのですが、それまで2時間程Skin to skinしながら夫、私、娘の3人だけで過ごしました。
娘は勿論疲れきってるんですが、ラクテーションコンサルタントが来て、授乳の姿勢のチェックを受け、初めての授乳をしました。
最初うまくくわえられなかった娘に乳首を思いっきり吸われ、授乳ってこんなに痛いもんなんだ…!と驚き(笑)
自分がおっぱいをあげてるなんてすごく不思議な気分でした。
自分の上にいる娘がついさっきまでお腹の中にいたのも信じられない…
とりあえず夫と2人、見つめては可愛い可愛いばかり連発していました
滞在するリカバリールームへ
大分落ち着いてきた頃にリカバリールームへ移動。
この移動の前にトイレに行ってオシッコができるか確認してほしいと言われ、まだ麻酔で下半身が感覚のない状態の私はお尻がぱっかり空いた台車みたいなのに座ってトイレまで運ばれました(笑)
全く感覚の無い中でオシッコをするのは至難の技で、結局頑張っても出せず、ナースに無理だと伝えると、リカバリールームでもう一度トライしてみるように言われました
もう一生出せないんじゃ無いかと思うくらい、全然ダメでした。
この後、自分たちの荷物を載せたカーゴ、娘を乗せた透明クリブ、そして荷物のような私(トイレに連れてかれたのと同じ間抜けな台車で部屋まで移動)を、ナース2人と夫でリカバリールームまで運んでくれました。
家族3人の生活は痛みから始まる
まだ病院滞在中とはいえ、ナースやドクターなどが部屋に訪問している時以外は夫、娘、私の3人生活が始まりました。
末っ子の夫と一人っ子の私、夫の兄弟にもまだ子供がいないため、赤ちゃんとの生活なんて全く経験のない私たち夫婦。
正直戸惑いしかなかったです(笑)
加えて麻酔の切れてきた体は思った以上にダメージがすごい。
会陰は痛むし、妊娠中にできたイボ痔はもうそら豆くらいに腫れ上がってしかも兄弟ができていて、排便なんてもってのほか
最終日まで全く出ず、ナースに毎回泣きついてました(笑)
Stool softener がなぜか初日の夜一回しかもらえず、持参したMiralaxという薬を飲んでいいか聞いて、最終日の朝、やっとのことで出せました…
地獄だった…。
そして、予想もしなかった痛みが、筋肉痛。
無痛だったのもあって、とりあえず力の限り太ももの裏を引いていたため、腕という腕が痛すぎて動けない…
病院のベッドは自動で傾斜を変えられるので大分助かりました。最大上半身を起こしてから、レールに捕まり何とか起き上がる感じ。
(家のベッドで起きるの大変そうだな…と思ってましたが、案の定数日は本当にきつかった。)
痛みに加え、我が子が泣けばワタワタし、スワドルして寝て動かないとそれはそれで常に息をしてるか心配し、なかなか気が休まることがなかったですが、夫も私もずーっと見つめては抱っこして我が子がここにいる実感が深まっていきました
食事は安定の低品質
病院の両親学級に行った時に、すでにそこの病院で出産後のママがいて、エレベーターで一緒になった時にちょっとおしゃべりしました。
その時、
『ご飯もすごい良かったよー!出産日にはお祝いディナーがあって、シャンパンもでたし』
と期待値を上げてくることを言ってたのです。
が、メニュー見てもそんなのないし、特に今日は特別メニューだよとも言われてない。
何だったのだ?と思って、そこら辺の資料を見てると、スペシャルメニューが出てきました。
普通のメニューには載ってないメインメニューとサイドとデザート(これは通常と一緒)と…と頼めるようなものだったのですが、特にスペシャル感ない…。
結局リブアイステーキを頼んでみたのですが、いい具合にミディアムだったものの、外がかたい。。そしてこんがり焦げている。。
残念なまま終わった一日目のディナーでした。
生後2日目に自宅へ
病院ではとりあえずご飯を作らなくてよくて、好きなだけ朝、昼、晩に私も夫も食事を頼めたので便利ではあったんですが、入れ替わり立ち替わりナースやドクターが来るのでなかなか体が休まらないから早く帰りたかったという体験談に納得。
2泊を終えたころにはそろそろ帰ってもいいな、という気になってました。
もちろん誰の助けもない中で、夫婦2人と娘だけになることに不安が全くなかったわけではありませんが…
この退院の時まで私のお尻付近はかなりまだダメージが残っていて(最後3週経った今でも残ってます)、ナースもそれを察して車椅子を用意してくれました。
正直座るということ自体に痛みを伴うので、車椅子でも座る時と立つ時は辛かったですが、それ以外どうしようもない(笑)
車までの道のり、今までお昼のシフトでお世話になってたナース2人と雑談しながら、お礼も伝えられたので良かったです。
ご飯は美味しくなかったけど(注文スタッフは親切だった)、それ以外は本当に良くしてもらいました。
良い思い出としてアメリカで出産できて本当に良かったです。
娘の体重が最初思うように増えなかったり、請求書が届き始めて、いつ終わるのかわからない別請求にひやひやしてたり、退院後にERへ行ったり…
このあと色々あるのですが、とりあえず出産時のレポートはこれで締めます