この世に生まれ、生きている中で、人の役に立ちたいと思う心は、多くの方が抱いている願いと思います。
看護師になられた方は、まさに直接的にその心情を日々患者に向けていると察しつつ、敬意を表します
その根底には、ナイチンゲールの精神が支えになっているのでしょうか。多くの名言の中に心惹かれる言葉があります。
一つは
「私たちの生きているこの世で起きることには、すべて原因がある。これが『因』です。
起こった結果が『果』です。因果応報というように必ず結果は来るのです。」
もう一つは
「時が物事を変えるって人はいうけど、実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。」
今、51年前順天堂で取り違えられ、3年前に初めて事実を知らされて、順天堂と向き合っている中、取り違えたという『因』があり、その後の両親離婚、そして星空を見上げて、歯を食いしばって苦労を恨んで歩んできた『果』という、これまでの道のり。その因果が、私にとって報われる応報とはどのような形なのだろうかと反芻しています。
そして、人として生きるとは、自分のことのみ考えて生きる生き方が正しいとは思わない。弱肉強食の中に生きる動物にだって、親子の愛情があり、群れをなす絆があります。
順天堂にも、自分のことのみを排する「学是」があり、患者に寄り添う愛情があると信じたいが、私の向き合っている理事長体質には、残念ながらナイチンゲール精神の片鱗もありません。伺うところ、私の問題を看護師会グループは、「調べるべき・知らせるべき」との総意に達し、理事会に具申したとも聞いています。
51年の時を経て、その辛苦の積み重ねを順天堂に向けても、物事を変えるに至っていない。ナイチンゲールの言葉のように「自分で変えなくちゃいけない」、この思いで順天堂の体質が変わるまで向き合っていきます。
私の事例を、看護師のあなたならどのように考え、行動しますか。