偉大なる皮肉・戦前のラジオ番組編 | Short+α

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○大正14(1925)年の今日、日本でのラジオの本放送が始まった。なお、仮放送は3月22日のことであり、放送記念日として制定されているのは3月22日のほうである。

 

○戦前の日本のラジオ事情であるが、選局という概念は事実上存在しない。東京放送局、今で言うNHKのラジオ放送だけである。

 

○そしてこれが、ラジオ放送本放送開始時の番組表である。

出典:NHK放送史料探訪 放送草創期の番組表を 読み解く(2)
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/history/pdf/20170101_0.pdf

 

○一目見てわかるが、現在のラジオ番組の情景は全く無い。ラジオパーソナリティーがお便りを読み上げることは無論、マイクに話しかけることそのものが無い。

 

○スタートは日曜日なのでこのような番組表であるが、平日になると、ここに株式市況や商品相場が加わる。いや、加わるなどというレベルではなくラジオというのが経済情報を放送するものという概念であったかのようである。

 

○これが大正15(1926)年5月のラジオ放送時間表である。

 

○上記の平日の番組表で注目すべきなのが、経済情報の多さと同時に、一つ一つの番組の短さと、空き時間の多さ。一つの放送が終わってから次の放送が始まるまで放送休止時刻となっているのである。

 

○しかし、これにはカラクリがある。実は、上記の画像に示された数字はあくまでも予定であって現実ではないのだ。

 

○どういうことかというと、5分間と予定していた番組が伸び縮みすることが当たり前であるばかりでなく、前の番組が長くなると次の番組の開始が遅れるのである。

 

○また、日本全国どこでもラジオを聴けたわけではなく、当初は東京、大阪、名古屋の三ヶ所しかラジオ局がなく、その周辺しかラジオを聴くことができなかった。

 

○当初、この三つのラジオ局は独立していたが、大正15(1926)年8月20日に一つの社団法人として統合された。これが日本放送協会(NHK)である。

 

○また、その他の都市にもラジオ局が設立されてラジオ聴取可能地域が増えていった。それらは全て日本放送協会のラジオ局なのであるが、実は各地域でバラバラの放送をしており、全国で同時刻に同じ放送というのはそう多くはなかった。

 

○忘れてはならないのは、この頃、樺太も、台湾も、そして朝鮮半島も日本領であったということである。先に東京、大阪、名古屋の三ヶ所と記したが、四ヶ所目は京城、現在のソウルである。

 

○その名残は現在も残る。ラジオのコールサインは、JOAKが東京、JOBKが大阪、JOCKが名古屋と、三文字目のアルファベットが増えている

 

○その他にも、JOFKが広島、JOIKが札幌、JOLKが福岡となっている一方、JODK、すなわち、アルファベットの四番目は廃止番号となっている。

 

○このJODKが京城放送局である。

 

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