ガワイのお祭り的里帰りが終わり、相変わらず派遣生活。
だけど春よりは自分に余裕ができたかもしれない。
自分の生活に余裕ができたら行こうと思っていた、被災地ボランティア。
地震当日は、日本にいなかった。
翌日の昼まで、地震があったことすら知らなかった。
ニュースで空港に押し寄せる波が何度も写っていて、ドッキリにしか思えないくらい衝撃で信じられなかった。
全くといっていいほど、実感できなかった、東北大震災。
帰国して、東京に戻ってきたのはいいけれど、品薄、節電で薄暗い店内を目の当たりにして
やっぱり現実なんだ、って思えた。
待ちに待った帰国なはずだったけれど、こんな混乱状態のときに戻ってきて、複雑な気持ちだった。
ぼらいやーの旅中に出会い、見ず知らずの私をあらゆる面で救ってくださった人から聞いた、隣人愛のお話の中で共感したこと。
身近な人であれ知らない人であれ、困った人がそばにいたら、そして何か自分にできるんじゃないかと思えたら手をさしのべる。
ただ、そのことが自分に負担をかけない状況でなければならない。
なるほど。
それってなかなか難しい。
今まで、ボランティアと名のつく活動に沢山参加してきた。
でも私の中でボランティアとは、自分の世界を広げるためのツールのひとつ。
ボランティアいっぱいしててすごいね、えらいね、というようなことをよく言われるけれど、
何か良いことをして世界を救うのだとか、人助けをして感謝されたいとかいうのではなく、学びの場にしたいという気持ちのほうが強い。
これまでの自分の成果が、その時点では見えなくても、
数年、数十年単位で、そこで出会った人々、もの、土地などに何かしら良い影響を与える存在になっていることもあるかもあるかもしれない。
そういう現地での成果を期待する自分もいるけれど、大半はそこで得たもので自分を高めたいという、ある意味自己満な自分もいる。
そういうスタンスで臨むことの多いワークキャンプや中長期活動を転々としている最中に聞いたそのお話、すごく刺激を受けた。
その隣人愛はキリスト教の教えがもとになっているのだけれど、自分の宗教が何であれ、人間的にとても大切なテーマだと思う。
そのひとのいう、隣人愛を実践できるようなひとになりたい、その人への恩返しという意味でも。
そのことがずーーっと頭から離れないままぼらいやー生活の終盤を送っていた時に起きた、東北大震災。
地元から近い地域が、まるっきり違うすがたになっている。
このとき、隣人愛の話を思い出して、今こそ同じ東北人として何かしたい。と思った。
でも、自分がつぶれちゃいけない。
自分の生活を犠牲にして被災地入りし、ボランティア活動をされている方々をたくさん目にした。
それはそれで個々の価値観があるし良し悪しは他人が判断するものではないけれど、
隣人愛の話が強く心に残っていた私は、帰国直後、すぐに動けずにいた。
短期ではなくできれば長期で関わっていきたい。
そのためには、経済的な余裕も必要。
そして健康な心身。
時間的余裕。
当時の私は、
ぼらいやーの旅により貯金はほぼゼロ。滞納中の支払いもあり…。
そのためにはまず貯蓄が必要
家も職も定まってない、まだ放浪状態。
精神的におちついてない
やる気だけじゃどうしようもならないことがいっぱい。自分をしっかり立て直してからじゃなきゃだめだ。
東北に飛び出すにはあらゆる面で不十分だった。
うずうずする気持ちもあったが、何も現地に行って活動するだけがすべてではない。
地元でチャリティーライブに参加したり、できることを少しずつやっているうちに、季節は夏に。
現地の状況をこの目でみたいというのと、自分の職業をいかしてかかわりをもちたいという思いがつのり、自分の中でもそれが実現できるかな、と思えるくらいの余裕がでてきたように思えた。
7月はじめ、初めて被災地に足を踏み入れた。
地元の隣の県なのに、まるっきり違う星にきたよう。
同じ東北弁をしゃべっているのに、異国の人といるような感覚。
想像以上にショックだった。
そして、現地で活動を始めて気づいた。
私にはまだまだ余裕がない、ということ。
できれば長期で関わりたいという思いの反面、現実的には翌月の地元でのぼらいやー写真展のことで頭がいっぱいだったり、金銭的な不安もでてきたり……とにかく、そこに腰をすえて活動に集中するにはまだまだ自分は不安定すぎる、と実感。
被災された方々を思えば、なんてちっぽけなことでパンクしているんだろうかと思ってしまったけれど、
やっぱりこの状態じゃ、なんの隣人愛にもならないな、
と思って、約1週間で東京に戻ってきてしまった。
ただ自分が弱いだけじゃないかとか、結局自分が一番なのだとか、すごくいろんな葛藤があった。
短期ではあったけれど、一緒に働いたスタッフの皆さんから、同職種の面でとても刺激を受けた。
そして避難所の方々との出会い。
津波で失った家族のことや、仮設住宅へいつ入れるかという不安など…計り知れない、心に秘めた思いは沢山あるはずなのに、笑顔で前向きに見せる皆さんばかりで、自分は傾聴することしかできなかった。
活動のほとんどが、避難所でのハエバスターズと化していた。保健衛生的な観点からしたら重要な任務だけど、
やっぱりここが日本であると信じられない状況を目の当たりにしながらの毎日。
日本にこんなにおっきいハエがわんわんいる状態…それと闘う自分……
実家から近いのに、まだぼらいやーでどこか違う国でワークキャンプをしているような感覚。
昼の休憩時間の血圧測定や健康相談にも参加して、もう7月だしそこまで需要があるのかな、と疑問に思えていたけれど、
別の活動で健康相談を開かなかった次の日に、
なんで昨日いなかったの、血圧はかれなくて心配したよー
とか言われて、活動の重要性が身にしみたり
自分の中では不完全燃焼に終わってしまった約一週間だったけれど、隣人愛的なこと、ほんのちょこっとだけどできたのかな……
まだまだ不安定だなぁ