まえがき
1923年9月1日、M7.9規模の大地震、関東大震災が発生する。死者10万人近くに登るこの震災によって東京の街は壊滅的なダメージを受け、それまでの東京の街は崩壊してしまう。
また8月24日に加藤友三郎首相が急死した事を受け、この時はまだ次の首相が決まっていない状況だった。次の首相には、10年前に首相を務めた山本権兵衛が予定していたが、この時はまだ親任されておらず、政治的にも混乱していた。
これに伴い、9月2日には朝鮮人が暴動を起こすという朝鮮人来襲の流言が広まり、戒厳令によって検問が行われ、朝鮮人のみならず中国人や日本人も誤って負傷、殺害される事件が起きてしまった。政府はこの人数を323人と伝えているが、後に吉野作造が調査すると3000人超の被害者が出た事が分かっている。
壊滅した東京の街の中で、建設ラッシュが続いていた丸の内のビル街も多くのビルが倒壊、半壊と大きな被害を受けた。その中でアメリカ人技師の下、アメリカの建設会社が工事をした丸ビルは全く壊れなかった事から、ビルブームが過熱し、丸の内は最先端のオフィス街へと変貌していく。
また復興の際には、13億円(現在の価値で39兆円)を使用し、幹線道路や上下水道の整備を行い、1925年には山手線が環状化され、そこに次々と私鉄が接続していく。これにより現代にもつながるベッドタウンから電車で通勤するサラリーマンと言う生き方が増えて行く事となる。
それまでと違い、現在の東京につながる景色を残しながらも、日本は戦争に突入していくこととなる。