近年はさまざまなニュースを目にしても、心を動かされないことが多い。
「そんなに重要なことなのかな」
「目くじら立てるほどのことなのかな」
「イラついてもしょうがないのでは。そんな姿を見せられても共感しづらい」
「世の中を変えるには、声高に叫ぶよりも、物事の構造を認識することから始めた方がいいのでは」
「怒りや憤り、イライラを拡大させる報道姿勢は扇動的なだけで問題解決につながっていないのではないか」
などと感じることが増えた。

新型コロナの影響にしても、多くの人がさまざまな事象を非難し、施策を見下し、自分の思うように行動しない人に憎悪の感情を向ける。
それで、何か世の中はよい方向に向かうのだろうか。
ストレスをためこんでいる人たちは、少しは心が安らぐのだろうか。

本来の批判精神とは、自分の思い込みを判断基準として扱わず、物事の仕組みを分析し、認識・判断することではないだろうか。

手軽な価値判断基準に流されるままに不平不満を抱き、冷静な分析もせず身近な人や世の中に対して文句ばかり言っている人は、「批判的」ではない。
本来の意味で「批判的」な人は、冷静に分析を行い、声を荒げることもなく「なぜ耐えがたい問題であると私たちは認識するのか」「その問題の原因と解消方法は何だろうか」などと思考するのではないだろうか。

問題の解消に全然近づいていないのに、安心させてくれない政府や、配慮なく出歩く人々を攻撃しても、それは目がかゆいから目をこする、頭がかゆいから頭を掻く、などという行為に似た自己満足にすぎない。
そのような姿を見せつけられても、疑問を感じる。

糸井重里さんや山下達郎さんが、非難ばかりの風潮に違和感を示しても、叩かれている様子。
別に、彼らは政府を擁護しているわけではない。
世の中の仕組みをいろいろ考えていると、やがて「咎める」「非難する」「否定する」という姿勢は、どういう意味があるのだろうと気づく人も多い。

咎めなくても、世の中を変えることはできる。
むしろ、咎めることに熱心な人は、世の中の仕組みや因果関係について認識を深めることなく、自分の思考回路にインプットされた判断基準に基づいて短絡的な反応を見せているだけなので、世の中をより良い方向に導くことは難しい。

怒りや糾弾が世の中を変えられると思い込んでいる人たちは、家庭内暴力を認める人たちと似たようなものかもしれない。
攻撃的な表現や、全否定するような言い方は、暴力の一種だ。
暴力に頼らなくても、世の中を変えることはできる。
少なくとも、私を動かすには、罵倒も侮蔑も効果はない。
わかりやすく論理的に説明してくれなければ、行動を変えることはない。

暴力的な表現に効果がないと理解できれば、咎めたり非難したり否定することをあたりまえのように認識している人たちも、考えを変えるのだろうか。

最近、「クソ」「バカ」「ボケ」などと安易な侮蔑的・暴力的な言葉を使用する有名人が少なくない。ホリエモンとか、百田尚樹さんとか。
論理的な言葉で説明することができない人が、マイナスイメージの言葉を投げつけがち。
威厳も格闘技術もない、あがいているだけの弱い人は唾を吐き大声を上げる。
あえて安っぽい言葉を投げつけることが新しいと思っているのかもしれないけど、説明や説得を拒否した、暴力的な言葉であると感じる。
思慮深い人の腰を動かすことは困難ではないだろうか。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200422-00010005-jisin-ent
■サンド伊達、山下達郎ら著名人の「批判やめよう」喚起に賛否
4/22(水) 11:33配信女性自身
>新型コロナウイルスへの対策に日夜追われている日本政府。しかし、その対応に疑問符がつくことも少なくない。4月1日、感染予防策として安倍晋三首相は1世帯あたり2枚の布マスクを配布すると発表。「ありがたい」「マスク買えないから助かる」といった感謝の声があがるいっぽうで、「なぜ2枚?」「マスクの前に経済対策すべき」といった怒りの声がネット上で相次いだ。
(略)
こうした人々の相次ぐ政府批判に対して、声を上げたのは第一線で活躍する各界の著名人たちだ。
(略)
ミュージシャンの山下達郎(67)は、12日放送のラジオ番組『サンデー・ソングブック』(TOKYO FM)でこう語っていた。
「いま、いちばん必要なのは政治的なものを乗り越えて、団結ではないかと思います。政治的対立を一時休戦して、いかにこのウイルスと戦うかを、国民のみんなで、また世界中のみんなで助け合って考えなければならないときです。なんでも反対、プロパガンダはお休みになりませんか。責任の追及、糾弾は、このウイルスが終息してからいくらでもすればいいと思います。冷静さと寛容さが何よりも大事です。正確な判断は冷静さでしか生まれません。我々は我々ができることをしましょう」
また、コピーライターとして知られる糸井重里氏(71)も4月9日にTwitterで《わかったことがある。新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰ががが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ》と綴り、連日ネット上を中心に展開される“批判合戦”を憂いていた。
こうした著名人による一連の“批判をやめよう”喚起を称賛する声がSNS上では見られた。
(略)
そのいっぽうで、批判を諌める姿勢に疑問を呈する声も少なくなかった。
《「批判」は「表現の自由」の「表現」の本質でもある。 優れた表現者である山下達郎さんがそれを理解していないというガッカリ感が半端ない》
《サンド伊達さんのように一体感が大好きな人って、なんで政府を責めるなの方向で一体化したがるんだろう。政府を責める方向で一体化したっていいのに。結局はオレの方向に合わせろオマエラっていうメッセージでしかないよね。知らんがな》
《批判やめよう、一致団結しようみたいな人って、それ言ってんのは気持ちいいんだろうけど311の時とか絆、絆って感動ハラスメントの裏で何が起きてたかとかは考えもしないんだろうな。見たくないもんは見ないし考えないんだろうな》
(略)