
2003年3月20日に鴨志田穣さんが亡くなられてから、もう6年が過ぎた。
亡くなる数か月前に、吉祥寺のアーケード街の書店でサイン会が行われたことをよく覚えている。
『酔いがさめたら、うちに帰ろう』
装丁は、リリー・フランキーによる鴨志田さんの赤い顔。
サイン会の終わりに、ぼくは列の最後に並んでサインをいただき、握手をしてもらった。
がんばってくださいとか、ファンですとか、何もいえなかったけど
一緒に写真を撮ってもらった。
歩みが止まりそうなほど細くなってしまっても、こつこつと紡ぎあげた文章。
2年が過ぎても鴨志田さんの記憶は薄まらない。
子ども達が大きく成長していることだけが、時間の経過を感じさせる。
橋田信介さんは、鴨志田さんの元上司にあたる。
西原理恵子さんのマンガにも出てくる。
鴨志田さんは最初、東南アジアで戦場を取材していた橋田さんのアシスタントとして働いていた。
2004年5月27日、橋田信介さんがイラクで狙撃されて亡くなった事件は衝撃的だった。
ダイアナ妃と、アイルトン・セナと、橋本信介さんの訃報を聞いたときは、歴史的事件に立ち会っていると感じた。
2003年の秋に、ぼくはバンコクで橋田さんとすれ違っている。
日曜日のせいかなかなかバスが来ず、少々高いタクシーに乗るしかないかと不安に思っていたら、見かねた日本人のおじさんが、タクシーと値段交渉をしてくれた。
帽子の下には白髪が見える。年齢のわりには背が高い。身軽な格好。
バスが来ないことを気にしてバス停の周囲にいるタイの人たちに片言英語で「何時に来るの?」と何度も聞いているぼくの様子を見て声をかけてくれたのだろう。
感謝の気持ちを伝えようと思ったけど、ありきたりの言葉しか伝えられなかった。
タイ語で交渉できるのはすごいなと思ったけど、おじさんは「もうこっちに30年もいるから、たいしたことではない」というようなことを口にした。
その時、ぼくは名前を聞かなかったけど、翌年になってテレビで流れる映像を目にして、バンコクで会った人のことを思い出した。
あの帽子、あの風貌。
あれは、橋田さんだった。
橋田さんや鴨志田さんの本は何冊も読んでいる。
彼らは、優しさというか、人に共感する力が豊かな人たちだと思う。
カメラマンやジャーナリストは、厳しい局面で物事を客観的に見てしまう場合もあるだろうけど、人一倍、物事の性質や成り立ちを認識することができるのかもしれない。
橋田さんや鴨志田さんは多くの人を助けている。
それは、偽善扱いされる恐れのある行為ではなくて、自分を強者にする庇護の姿勢ではなくて、生理的に無理のない、誠実な行為だったと思う。
ぼくはまだ誰も助けていない。
何も理解していないし、何も放棄していない。
何も譲っていないし、何も獲得していない。
そんなことも、来週は雨季のベトナムでゆっくり考えてみたいと思う。
<参考>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%94%B0%E4%BF%A1%E4%BB%8B
橋田信介(はしだ しんすけ、1942年8月22日 - 2004年5月27日)はフリージャーナリスト、戦場カメラマン。山口県宇部市出身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E5%BF%97%E7%94%B0%E7%A9%A3鴨志田穣(かもしだ ゆたか、1964年7月2日 - 2007年3月20日)は、日本のフリージャーナリスト、カメラマン、エッセイストである。