翻訳家の気持ち

翻訳家ではなく普通の会社員ですが、「翻訳家(になったような)気持ち」で書いてみます。


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The Believerは、エッセイやインタビュー、書評などを載せた隔月間誌で、「ナショナル・マガジン・アワード」を何度も受賞しています。

 

2008年のインタビューを翻訳してみます。ニコニコ

 

The Believer - Interview with Lydia Davis

 

III. スタイルのないものなど無い

 

The Believer: 散文的な文章の直訳であるから、平凡な言葉を使うべきなのか?もしくは、プルーストのフランス語と同じくらい平凡な、現代の英語で、その状況を表すために退屈な言葉を使ったほうがいいのか。あなたは前者を選び、スコット・モンクリーフは後者を選びました。

 

Lydia Dabis: どのようにその言葉を選んだのか、今再現することはできませんが、「スワン家のほうへ」を訳しているとき、その時代のフランス語でプルーストが伝えたことをこの時代の英語でどれほど近い意味に置き換えることができるか、何度も何度も推敲しました。あなたの例えでいうと、私はフランス語に音が近い言葉を好んで使ったと思います。3音節で、prで始まる。それは歴史的に、律動的に、退屈とは程遠く、それ自体がすばらしい言葉であって、私自身の作品にも頻繁に使われるものです。

 

BLVR: 同じ状況では、いつも同語源語を選ぶのですか?

 

LD: できる場合は使うようにしますが、それは音・リズムの理由から選んでいるのです。

 

BLVR: ベケットの伝記で、ジェームス・ノウルソンは、ベケットがフランス語で書くことにしたのは、「スタイルぬきで」書くことができるからだと言っています。あなたも翻訳について似たことをおっしゃっています。―著作において独自のスタイルに固執しないための訓練と。それは、スタイルが内包する本質的な真実があるとするポストモダンの立場とは離れているように思えます。

 

LD: スタイルによって本質的な真実が隠されてしまうといっているのではありません。質問を理解しているでしょうか?もし、もとの形式を保持せずに自分なりの形にして翻訳してしまったら、もとの作品の雰囲気を変えてしまうことになるでしょう。

いちどためしに、「ローレンス・スターン」を現代英語に訳してみたことがあります。いくつかの説明部分やユーモア、ひねりはそのままにし、ある程度はうまくいきましたが、つらいことでした。「新しい」方に合わせるため彼の言葉を放棄するたびに、作品の本質的なすばらしい特性が失われるようでした。

 

BLVR: 翻訳家としては、著者のスタイルを、自分のものと置き換えることは避けることが必要とおっしゃいます。一方ベケットは、スタイルなしに書くことを推奨しているようです。できると思われますか?おそらくベケットは、慣れ親しんだ英語の言語スタイルというしばり無しに書くことを言っているのだと思いますが。

 

LD: 結局のところ、スタイルが無いなどということはないんだと思います。口語体や叙情的な装飾語、比喩の多用などがないすごく中庸でシンプルなスタイルであってもそれはスタイルなのです。語句と語彙の配置が重厚で豊かであることと同じように、それは著者の特徴的なスタイルとなるのです。

ベケット自身の説明を見てみなくてはなりませんが、想像するに彼は、彼にとって話すにも書くにも自然である英語のジョイス的な言葉の豊富さに抵抗していたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

続きは明日!爆  笑

 

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