2025年も残すところ一週間を切ったが、とりあえず今年読んだ本の中からベスト10を選んでみた。取り上げた書物のうち、何冊かについてはいずれまとまった書評を書くことにしたい。

 まず、今回はベスト1~5を取り上げる。

 

1. 中島岳志『縄文』(太田出版)

 タイトルにつられて縄文時代の人びとの生活様式やその歴史的意義などを解明している本だと思うと期待外れに終わる。ひと言で言って、この本は序章のタイトルにあるように「戦後日本が『縄文』に見ようとしたもの」を論じた書物である。要するに戦後日本人の精神史を扱った本である。

 岡本太郎、民芸運動の柳宗悦、ヤポネシア論の島尾敏雄、共同幻想論の吉本隆明、オカルトとヒッピー、左翼から右翼へと転向した太田竜、新京都学派の上山春平や梅原猛など、扱われている人物・現象は多岐にわたるが、それがまさに「縄文」を特徴づけていると言えるのである。そもそも、著者自身が「あとがき」で述べているように、本書の構想のきっかけになったのは安倍晋三元首相の妻・昭恵さんが森友学園の右派的な教育方針に賛同する一方で左派的な脱原発や無農薬栽培にも共感する姿勢がどのように繋がっているのかということである。昭恵さんは大麻の有用性と神秘性をも訴えており、そこに著者は自然志向に基づくスピリチュアリティとナショナリズムの結びつきを見るのであるが、調べていくうちに両者の間には大きな断絶があることも分かってきて、それが「縄文」についてのスタンスであるということになる。

 

2. 鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』(中公新書)

 歴史学や社会科学では「主体か構造か」という問題がよく議論される。本書によれば「『ユダヤ人の歴史』の見どころは、ユダヤ人が構造と格闘したり、構造を前提にしてそれを活かす道を考えたり、複数の構造を組み合わせて第三のものを作り出したりするような、『主体と構造』が織りなす局面だ」(p.9)ということになる。本書はこの観点から『聖書』の時代からつい最近のイスラエルのネタニヤフの時代までのユダヤ人の歴史を「古代」、「古代末期・中世」、「近世」、「近代」、「現代」の各局面における「主体と構造」の組み合わせを軸として展開した書物である。

なお、シオニズムによって建国されたイスラエルを正統的なユダヤ国家ではないとして批判しているヤコブ・M・ラプキン著『イスラエルとは何か』(平凡社新書 管野賢治訳)も興味深い書物である。

 

3. 西田正規『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫)

 人類が定住生活を始めたのは今から約1万年前のことだが、従来、その原因は食料生産(農耕)が始まったことであるとされてきた。本書の著者はこの通説を正面から批判する。著者の疑問は、定住生活を始めるにはゴミや排泄物の処理、死体を埋葬するための墓地の設置といった問題、さらには不和が生じたときに容易に別の場所に移動できないといったことなど、遊動生活では問題にならなかった様々なことを処理しなければならないが、数百万年ものあいだ狩猟採集を行いながら遊動生活を送ってきた人類が定住に伴うそんな面倒なことをわざわざ行おうと思っただろうかということである。つまり、人類が定住生活に入っていったのは自ら進んで行ったことではなく、そうせざるを得ない事情が約1万年前に生じたのだということである。それは何か…。ひと言で言うと、氷河期が終わったことに伴う地球温暖化であり、農耕が始まったということなのではない。むしろ、農耕は定住生活をするようになったあとで始まったというのが著者の主張である。素人の私には著者の主張が正しいかどうかの判断はつかないが、興味深い議論で説得力があるようには思われた。

 

4. 上山春平『埋もれた巨像』(岩波書店 同時代ライブラリー)

 日本の歴史において8世紀初頭は律令(大宝律令)、正史(日本書紀)、都城(平城京)といった最高度に重要なモニュメントが姿をあらわした時代であるが、そのすべてに中心的な存在として関わったのは藤原不比等であるというのが著者の主張である。つまり、その後の日本という国家のグランドデザインを描いたのは藤原不比等であるということなのだ。不比等って、あの藤原鎌足の息子の…ということで、まず、この点に驚かされるのであるが、それを仕掛けたのは持統天皇であるという点に二度びっくりさせられる。だって、藤原不比等は壬申の乱において天武天皇の敵であった大友皇子の側に属していたからである。つまり、持統天皇の敵だったはずなのだが…。著者は資料をじっくり読み解きながらこういった疑問を一つ一つ解明していくのであるが、そのプロセスもじつに興味深い書物である。

 

5. 朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)

 

 今年読んだ小説の中で最も面白かった小説。「推し活」という言葉が一般的になった現代。主な登場人物は3人。「推し活」に夢中になる人たち、それを仕掛ける人たち、かつて推し活にのめり込んでいた人たち。彼らの姿を通じて現代社会の病理とも言える側面を見事に剔抉した小説であるというのが私の感想。

推し活を仕掛けるチームのリーダー的存在である国見の発言。

「このチームの本来の目的は、彼らの物語を人が最も没入しやすい形に整えて差し出すこと、なんです。その上で、最も共感力が高く、自他の境界が曖昧で、視野を狭めやすい気質のファンをあぶり出し、より先鋭化させることなんです。」(p.169)