TRAZOM@さるさる横丁 -4ページ目

[4231]世界大恐慌の頃フランスはパリ・オペラ座にラヴェルのボレロが踊る

【今日の一枚】
ラヴェル: ボレロ、マダガスカル島民の歌
〔ラヴェル=ラムルー管弦楽団〕
[CD]PHILIPS◎420 778-2(輸)



○8:00起床。
森喜朗さんが「杖ついたら障害者に見えて親切にしてくれる」と言ったとか言わないとか。
バカバカしくて、まともに取り合わん方がええよ。意味不明じゃん。
杖をつくことを奨励しているのか???
ウソついて親切にしてもらって、それでいい気分になるの???

○1928年のパリ・オペラ座
ボレロとは、もともとはカスタネットやタンバリンの拍子に合わせて踊るスペインのゆったりとした音楽。
ロシア人のイダ・ルビンシュタインの依頼で作曲され、1928年にパリ・オペラ座で初演された。
ラヴェル自身は2年後の1930年、自作自演としてレコード録音。これを聴くと、いにしえの味わいが感じられる。録音劣化のためか、よれたカセットテープのように音があやしくなる場面も。まるで酒場で酔っ払ったおっちゃんのよう(笑)
経済恐慌の憂さを晴らして、さあみんなで踊ろうぜ。

○邦訳は「土人」だった
ボレロの次には「マダガスカル島民の歌」が収められている。土俗的で、白人の侵略を糾弾する叫びが聞かれるが、ラヴェル自身は歌も楽器の一つとして作曲したとある。
こちらはボレロ以上にもやもやした録音状態で楽しめないが、まあ歴史的価値のある音源として貴重ではある。

ボクが最初に見つけたレコードのタイトルは「マダガスカル島の土人の歌」だった。
先住民という意味だが、当時は「土人」と普通に表現されていた。
ちなみにキー変換で「どじん」と入れると「土神」しか出てこず、今では全く使われない差別語なのが分かる。
古い映画なんかで「今では差別にあたる表現が含まれていますが・・・」とことわり書きが入るのと一緒だ。

○神経質なブーレーズ盤
緻密で完璧。ベルリン・フィルの技量を最大限に生かしたボレロ。
だが、まったく踊る気がしない。音楽として立派だが、体が反応しない。
それに比べたら、ラヴェルの自作自演はどんなに楽しいか。録音が稚拙でも、聴いてて踊りたくなる楽しさがある。
ブーレーズは「聴かせてやる」だが、自作自演の方は「一緒に聴いてくれないか」てなふうだ。
聴き手にとって、なにが幸せなのか、考えさせられる。
 

[4230]世界大恐慌の直前に流れた古き佳きかなガーシュインの粋な曲の数々

【今日の一枚】
ジョージ・ガーシュイン自作自演集
〔ガーシュイン(p)ポール・ホワイトマン楽団〕
[CD]日本ウエストミンスター◎JXCC-1098



6:20起床。
NHK-BKプレミアムで奈良・春日大社の若宮式年造り替えをやっていた。本来は20年に一度の秘儀のはずなのに、「神さまのお引っ越し」というチャラい番組名をつけておる。
おまけの司会とゲストの女優がしきりに喋っていて映像に集中できないではないか。秘儀なら静かに、かつ厳かに鑑賞すべきである。タイトルといい、NHKは何を考えとるんやろか。

○エロい節まわしが「いいね」
1曲目、ラプソディ・イン・ブルーの冒頭からしてノックダウンを食らった。クラの何とも言えぬ音色と引き伸ばし。ピアノは少し奥まっているが、それが侘しさを醸し出していて最高! SPからの復刻でパチパチしたノイズが入っているし、録音も当然ながら平坦、しかも録音にムラがあるが、聴いてるうちにそんなの気にならなくなる。
テンポが早いのはSPの収録時間の関係からか。全曲10分弱で省略もあるみたい。

○夢想するラプソディ
ピアノ・ソロでラプソディ・イン・ブルーからのアダージョが収録されている。ピアノをちょっとずらして弾いてみたり、かなり自由にやっている。2分半の落ち穂拾いのようなトラック。
次のビクターsoとの「パリのアメリカ人」も聴きものだ。小ぶりで粋ながら、なつかしさと夕暮れの淋しさが揺れ動く。酒とタバコが混ざる薄暗いキャバレー生演奏されるガーシュインといった雰囲気がある。
あとの半分は前奏曲3曲を経て、ミュージカルからのナンバー10数曲。
どれもガーシュインの妙技が楽しめる。ジャズなのかラグタイムなのか、わたしには分かりようもない。とにかくゴキゲンな曲が次々とかかっている。

○録音は1928年
ラプソディ~が1927年、パリのアメリカ人が1929年。あとのミュージック・ナンバーは1928年録音とクレジットされている。
つまり世界大恐慌の直前ということになる。経済が疲弊し、音楽どころではなくなる、まさにその直前に収録された、いわば奇跡ではないか。
当時の社会状況がどんなふうだったか、これまた分かるはずもないが、少なくともレコード産業に影響を与えたのは想像できる。

この年、遠くプランスのパリ・オペラ座ではラヴェルのボレロが初演された。もちろんバレエで、ラヴェル自身は2年後に自作自演を行っている。
こうしてみると、ラプソディ・イン・ブルーでの管楽器のアドリブがボレロに似ていて、同時代の作品なのが垣間見られる。
古き佳きかな。ガーシュインとボレロに乾杯!
 

[4229]映画が先でガーシュインが後に作曲したのではと妙に錯覚してしまう

【今日の一枚】
映画『マンハッタン』 サントラ
〔ブロンフマン(p)メータ=ニューヨーク・フィルハーモニック〕
[CD]SONY◎SRCS 7104



8:00起床。
今日は医者へ行き、次に散髪をしに出かけた。いつもかかっている皮膚科で、ボクのWHILL-Cを見て、メーカーはどこですか?とか費用のことなんかを訊いてくれる。何気ない会話。帰りの阪急電車でサポート頼むと、たいへんですねと声をかけてくださった。ありがたいことです。

○ようやく巡り会えたガーシュイン
映画のサントラを聴くと、情景が一つ一つ浮かび上がってくる。
モノクロームで濃淡がくっきりした映像。例えば、ベンチに座る二人の背中が黒くはっきり捉えられ、バックの橋の光景は淡く、そこにガーシュインの曲が流れる。

ラプソディ・イン・ブルーといえば、これまでバーンスタイン、小澤征爾、デュトワなど聴いてきた。でも不満をおぼえた。シンフォニック過ぎるのだ。
そこへこのメータ! 選曲もよし。哀しくもあり無念もにじみ出る。

男はぐだぐたと過去にこだわり、女はこの先を見つめている。男女の悲哀にガーシュインが寄り添う。

○よくぞガーシュインを
ウディ・アレンはガーシュイン好きだそうだが、映画『マンハッタン』によくぞガーシュインをつけてくれたものだと感謝しきり。
いや、こうしてサントラを通して聴くと、映画が先にできて、それにガーシュインがアレンの依頼に応じて曲をつけたのかと錯覚してしまう。
それほど映画とガーシュインの曲が分かちがたい関係にあるのだ。
ガーシュインはこのCDで大満足だが、自作自演集というのがあるから、少し聴いてみようかと思う。

○惜しむらくは・・・
映画がモノクロームで音楽もモノラルだったはず。ならばサントラ盤もモノラルで発売してほしかった。ステレオだと音が左右に広がりすぎるのだ。スピーカーの中央部に集中させなかったのか。
昔のアンプにはステレオ→モノラルに変換できたが、SONYのWALKMANにその機能があるのかないのか。ボクにはわからないので、ステレオのままでガマンするしかないが、どなたか教えてください。

一日中出かけていたので、短いですがこれで終わりにします。いやー疲れました。
 

[4228]日本の財政がもたない前に庶民のフトロコがもたない消費税引き上げ

【今日の一枚】
ガーシュイン: ラプソディ・イン・ブルー
〔ティルソン・トーマス=コロンビア・ジャズ・バンド〕
[CD]SONY◎SRCR-2033 ※ガーシュイン(1925年製ピアノ・ロール)



7:00起床。
映画『マンハッタン』が公開された1979年、ちょうど就職が決まった年だ。あれから30年、よく働けたもんだと思う。足の不自由なボクに「何ができるか」ではなく、できないことを伝えて、と言ってくれた上司。まわりのスタッフにも恵まれた。

あの頃は預金の利子が6%とかあった。お金貯めてその利子でレコードを買おうと算段したものだった。それが今はどうか。ゼロ金利とやらで、利息など死語になってしまった。
それもあろうことか、消費税の引き上げ議論が始まっている。「10%のままでは日本の財政がもたない」とか。
昨日書いたが、安倍vs野田の国会論戦で、消費税増税の代わりに議員削減が約束されたのではなかったか。その話がいつの間にか「なかった」ことに。あ~あ、とため息が出てくるばかり。

○Michael Tilson Thomas,Music Director
冒頭のラプソディ・イン・ブルーはじめ、映画のサントラはメータ指揮ニューヨーク・フィルが担当している。メータがニューヨーク・フィルの常任になってすぐの、飛ぶ鳥を落とす勢いのあった時期。
全編メータが指揮しているのかと思いきや、エンドロールでティルソン・トーマスの名前を目にした。
トーマスがガーシュインのピアノロールを使用してジャズ・バンドと演奏(多重録音)したのが1976年だった。ガーシュイン自身のピアノ・ソロにジャズ・バンドのバックをつけるアイデアなど、当時は画期的なものだった。

○ウディ・アレンの慧眼
ラプソディ・イン・ブルーをメータに託したのも、またミュージック・ディレクターにティルソン・トーマスを採用したのも監督も務めたウディ・アレンの慧眼だった。
少なくとも、バーンスタインでなくてよかった。どうしてか。バーンスタインだと濃厚な表現が映像とそぐわなくなるからだ。
ひょっとすると、ウディ・アレンは今日紹介したCDを知っていたんではないか。単にピアノロールに伴奏をつけるだけでは終わらない。ガーシュインを相当研究していないとできないはず。そこにウディ・アレンは目をつけたと想像できる。

○せっかちなニューヨーカー
雰囲気バツグンな冒頭のクラリネット。ゆったりとしたリズム。だがピアノが入った途端、ギアアップされて加速する。
ガーシュイン自身のピアノロールがテンポアップされているためである。だから伴奏もそれについてゆかざるを得ず、せっかちな印象を抱いてしまう。
当時の録音技術により速いテンポが設定されたのだろうが、聴きようによっては、せっかちなニューヨーカーを音化しているようで、それもまた面白い。
 

[4227]男は成り行きで別れを切り出すが少し経ち後悔するだらしない生き物

【今日の一枚】
映画『マンハッタン』
〔出演; ウディ・アレン、ダイアン・キートン、マリエル・ヘミングウェイ、他〕
[DVD]20世紀フォックス◎GXBR16927



8:30起床。
野田元首相による安倍さんへの追悼演説はよかったですね。どこかの前幹事長だったら・・・と思うと、いやこれ以上は何も言えません。
ところで、両者の最後の論戦で交わされた約束、すなわち消費税を上げる代わりに議員を削減するはどうなったんでしょう。実のところ、議員の方が二人を冒瀆しているわけで、嘆かわしいことです。

○最高の脇役ガーシュイン
モノクロームの映像にガーシュインの曲が流れる。Rhapsody In Blueだ。N.Y.の摩天楼がシルエットとなって浮かび上がる。それはクロノスSQのジャケットでもあるかのよう。「僕にとって街はガーシュインの曲」というフレーズがサックスと共に流れる。人と車が猥雑に行き交い、街は喧噪に包まれる。
ここまでで4分ばかり。ガーシュインの曲もモノラルに編集されているようだ。この映画がガーシュイン抜きではあり得ないと思わせるに足りる冒頭だ。

○しがない中年男
アイザック(ウディ・アレン)は中年男。17歳の高校生トレイシー(マリエル・ヘミングウェイ)と付き合っているが、別の女性を愛したことから別れを切り出してしまう。
ところが、ロンドンへ留学するとなった途端、別れないでくれと懇願しに行く。なんだかなぁ。自分勝手でうらぶれた人間が描かれている。
いったん別れを口にしたら二度と会いに行ってはならぬ。逆に本当に愛しているならロンドンにまで一緒について行く覚悟がなきゃ。男ってこういう生き物なんですね、と書いても共感は得られないだろう。
ぐだぐだ後悔するアイザックにトレイシーが口にする最後の場面は必見。そこへガーシュインの音楽が流れてくる。

○マーラー、ランパル、ジュピター
登場人物のセリフに音楽に関係するのが出てくる。知的好奇心をくすぐられている感じがして、この映画が単なる恋愛物語でない証を示している。モーツァルトの交響曲第40番の第1楽章なんかも使われている。
 

そういや、今話題の○○教会が出てきてドキッとした。
〈最初の妻は幼稚園の先生で 麻薬をやって ○○教会に入って 今は・・・〉
ごく普通に会話の中に麻薬や○○教会が出てくる。日本では広告塔だとか、誰それが会合に出席したとか、マスコミ中心にかまびすしいが、N.Y.ではごく当たり前のことなんやろね。いいか悪いかは別として。

○涙するミレナ
忘れてました。どうして映画『マンハッタン』を見たのかを。
小説『すばらしい旅人』で、アドリアンとミレナが出会ったのがこの映画だったからだ。隣に座った女性が涙をすする。ガーシュインが流れる。それが出会いの始まりだった。
ところが、アドリアンが旅立つところで、ミレナは「私、子供がほしいのよ」と言う。
二人に生じるズレがすでに暗示されている。お互いが違う方向で愛し合ってしまった。『マンハッタン』に涙するミレナに対し、アドリアンも感動したと口にする。しかしミレナは「人と同じ感動なんてないわ」と突っぱねる。
ミレナに合わせようと努力するアドリアン。歯車が徐々に違う方向へまわり出すきっかけは、最初から芽生えていたのだと小説は伝えているのである。
 

[4226]ヴィラ=ロボスで始まり、高橋悠治に続いてシューベルトで終わる。

【今日の一枚】
『バッハで始まり、高橋悠治で終わる。』
〔高橋悠治(p)オーケストラ・アンサンブル金沢〕
[CD]avex◎AVCL-25753



8:00起床。
気温が下がる予報なので、鎮痛剤トラムセットとロキソニンをいっしょに服用。おかげで、ぐっすり眠って体温もようやく下がってホッとしてます。
最低気温が1ケタにまで下がるそうで、この時期がボクにとっての正念場いうところ。

○高橋悠治のバッハ
現代音楽の旗手、高橋悠治は1970年代にバッハをまとめて録音していた。中にはピアノとシンセサイザーを組み合わせた協奏曲のアルバムがあったりで、レコードが出るたびに注目したものだった。
今回のCDは2000年代に入ってからのもの。チェンバロにない細かな表情づけが特長で、現代に生きるバッハがここにある。しかし、これはエイベックスのクソ録音のせいかもしれないが、あまりに細かすぎて音楽の流れが削がれてしまっている。ライヴとクレジットされているのにどうしたものか、残念。

○トリオ・ソナタの極み
続くハイドンのピアノ三重奏曲第37番ニ短調は、どうみたってソナタ形式のモデルのような曲。本来はピアノ・ソナタなんだろうけど、そこに弦を補強して曲を大きくしたみたい。
短調のメロディに続き、ピアノと弦がみごとにからみ合う。お互いが会話しているようで、ハイドンの魅力が十分伝わってくる。

○不思議なシューベルト
次のトラックにはシューベルトのノットゥルノD.897が収録されている。
ドイチェ番号(D.)が示すとおり、最晩年の曲。いかにも寂しくて気が滅入る。うつろいゆく音の戯れの中に、ありし日の思いを綴る私小説的な曲。
同じメロディが揺らめいている。それはゆったりとした舞曲のようでもあり、感情の揺らぎにも聞こえる。歌曲王の片鱗など、どこにもない。
不思議な曲だ。ここには古典もソナタ形式もない。シューベルト独自の世界、シューベルトにしか表現できない世界。

○終わりとしてのシューベルト
高橋悠治のシューベルトは夜を思わせる。ならばバッハは昼で、短調のハイドンは夕刻を、そしてシューベルトは夜と、一日の流れをあらわしているのではないか。
いや、夜のシューベルトは西欧音楽にとっての終焉を高橋はここで表現したかった。そう思えてくる。
続くヴィラ=ロボスのショーロは中心からはずれた辺境の音楽で、最後に高橋自身の朗読による室生犀星の詩(という音楽)が収められている。どちらも西欧音楽にない世界。
シューベルトで終焉を迎えた西欧音楽は、辺境の地の音楽で再生を果たす。そんな壮大な歴史が凝縮されたアルバムなんだと、聴き終えた後で考えさせられた。

[4225]はじまりの地へ旅立つ日ふたりの歯車はすこしずつ違う方向にまわり

【今日の一枚】
シューベルト: ピアノ・ソナタ第4番 D537、同第7番 D568
〔バレンボイム(p)〕
[CD]DG◎4792783(輸)



7:30起床。
今朝の体温は37.1度。少し肌寒く、外は曇り空で暗い。
昨日はスポーツで盛り上がった。中村俊輔の引退試合(サッカー)渋野日向子ホールインワン(ゴルフ)菊花賞はハナ差決着(競馬)ヤクルト9回裏の同点3ラン(日本シリーズ)・・・
若手もすごい。ゴルフでは、蝉川泰果(21)が95年ぶりアマでメジャー優勝すれば、競馬の今村聖奈(18)は女性騎手年間最多勝利をマーク。

○映画『マンハッタン』
イヴ・シモン著『すばらしい旅人』をようやく読み始めた。主人公の二人が出会ったのが映画館。ウディ・アレン主演の『マンハッタン』が上映されている。音楽はジョージ・ガーシュインだ。
映画での男女のすれ違いのように、この小説でも二人の間にずれが生じて徐々に膨らんでいく予感がする。
男は「はじまりの地」に惹かれる。ケニアのチュルカナ湖、ケープ・ケネディ、そしてヒロシマ。いずれも「人類にとって初めて」という共通項がある。
読み終わった箇所までは二人のずれは、まだない。彼が旅に出るときに彼女はどうするのか・・・。

○ラプソディ・イン・ブルー
小説を読み始めて、最初の数ページのところで立ち止まってしまった。映画にはあまり興味がないし、ウディ・アレンも見たことがない。ところがバックに流れているのがガーシュインだと記されているではないか。
これはぜひ見なくては。TSUTAYAレンタルで即借りるリストに入れて、今日届くはず。ガーシュインのサントラも注文。メータ指揮ニューヨーク・フィルらしい。
こうやって芋づる式に何にでも手を出す悪いクセがあって、結局収拾がつかなくなるんだが、さて楽しみではある。
ピリスのCD「旅人」をきっかけにリヒテルを聴き、比較にバレンボイムを取りあげ、イヴ・シモン『すばらしい旅人』を借りて、書かれてある映画にガーシュインの音楽。
とりとめもない連鎖がおもしろい。

○若くて流麗なソナタ
小説を読むじゃまをしない音楽をと思い、バレンボイムのシューベルトを取り出した。といっても後期のソナタではなく、第4番と第7番という有名でない曲。
解説を見ても、若い情熱と流麗な舞曲ふうとしか記されていない。
どうやらシューベルトのピアノ・ソナタは第13番以降しか解説する価値がないのか。バレンボイムのピアノは軽やかな粒立ちがあって心地いい。若い頃に録音したモーツァルトを彷彿させる。
有名じゃない。けど多くのピアニストが手がけない初期のソナタを不満なく聴かせてくれるバレンボイム。これもまた非凡な才能ではないか。
 

[4224]長年熟成されたコクのあるアンサンブルとすぐに解散した若手トリオ

【今日の一枚】
シューベルト: ピアノ三重奏曲第1番、第2番
〔ボザール・トリオ〕
[CD]PHILIPS◎PHCP3615



8:00起床。
昨夜の体温37.8度。今朝起きたら37.4度にまで下がったけど、いや世間では熱があると言うんです。予防接種の副反応がひどいのは実感してるんですが・・・。
去年もそうだったなぁ。接種して3日後に埼玉・浦和へ『タイガー立石展』を見に行ったっけ。ホテルで測ったら37度を超えていて、美術館で入るのを断られるかとヒヤヒヤもんだった。


○トリオ・レ・ゼスプリ
昨日取りあげたトリオ・レ・ゼスプリ。アルペジョーネ・ソナタの他にピアノ三重奏曲2曲が収録(こちらがメイン)されている。
ヘッドフォンで聴くと、空中で音がふわっと浮き上がって淡い雪片のように消えてゆく。シューベルトだからと気負っていない。この刹那感がたまらない。
惜しむらくは、彼らは解散してしまったという。理由は分からないし、知る必要もないだろう。気が合ってトリオを組み、少ししたら離れて各々が別の場所を探してさまよい続ける。そんな生き方があってもいい。

○1995年結成のトリオ
逆に60年以上アンサンブルを続けているボザール・トリオ。ピアノのプレスラーは1923年生まれというから驚くほかない。
彼らによるシューベルトを聴いた。1984年に再録音された方のやつ。実は1960年代に録音されたレコードをボクはずっと愛聴していた。この2曲といえばボザールが基準となっていたのだ。

 

ボザール・トリオの旧盤


今回、新しい録音を聴いて、基本が全く変わっていないのにびっくりした。曲の進め方、高揚感、これらは一緒。録音技術のおかげでディティールが鮮明で、例えていえば、弓の動きがわかるほど。
長年培ってきた息の合ったアンサンブルにしか出せない極上のコク、熟成されたワインのような味わいがある。

○長年続けるむずがしさ
指揮者とオーケストラもそうだ。オーマンディ、ムラヴィンスキー、朝比奈隆と列挙するまでもなく、かつては常任を長くやるのが通例だった。そして晩年には他では味わえない独特のオーラを醸し出したものだった。
それが今はどうだろう。渡り鳥よろしく、次々と変わっていく。気心知れた関係から紡ぎ出される音楽など望むべくもなくなっている。

ボザール・トリオのように熟成された演奏がいいのか、新鮮なトリオ・レ・ゼスプリがいいのか。そんな選択など無用。その日の気分で好きな方を聴くがよろしい。
花火のようにパッと消えたトリオ・レ・ゼスプリにとって、シューベルトの2枚組は頂点だったように思える。それで解散したのだから、彼らの記念碑でもある。それをわたしが聴いて感銘を受ける。これ以上、何が言えるだろう。
 

[4223]かつての濃密な人間関係の時代から適当な距離を保つのがトレンドに

【今日の一枚】
シューベルト: アルペジョーネ・ソナタ
〔トリオ・レ・ゼスプリ〕
[CD]SONY◎19075821702(輸)



7:30起床。
今朝の体温37.5度。体の節々がまだ痛くて、こうしてパソコンを操作するのも辛いものがある。インフルエンザの症状そのものなんです。でも、ご心配おかけし、申し訳ありません。

○YouTubeでリストを
昨日はベッドフォンではなく、YouTubeを音量小さくして聴いていた。シフラ(p)によるリストのハンガリー狂詩曲全曲。ああ、この訛りがいい。貧弱な音から、かの地の民謡(らしき旋律)に触れて想像が膨らんでゆく。
入院生活が長かった頃は、毎日することがなく退屈に過ごしていた。音質がよくないとはいえ、いい時代になったもんだと感慨深くなる。
不思議なもので、音楽を聴いていると熱があるのを忘れてしまう。

 

 ↑シフラ盤

○揺るぎない名盤
アルペジョーネ・ソナタといえば、ロストロポーヴィチ盤(ピアノはブリテン)だった。濃厚なチェロから紡ぎ出される表情豊かなシューベルト。もう極め付けの名演といって差し支えない。今でも名盤○○選などの最上位にきている。
それは認めた上で・・・あまりの表現力に(言葉は悪いが)辟易することがある。ほっといてくれと。押しつけがましいは言い過ぎだが、少しうっとうしいと感じてしまう。むろんボクだけの感想だから、評価する人をとやかく言うつもりは毛頭ない。

 ↑ロストロ盤

○水彩画のような
TSUTAYAから借りたCD。トリオ・レ・ゼスプリなんて初めて聞く名前だ。チェロは誰が弾いているのだろう。調べると、ジュリアン=ラフェリエールとある。ピアノはラルームという人で、これも知らない。
ところが、このアルペジョーネが何ともいいのだ。しつこくなく、さらさらとして、すっと消えていく感じ。体調がイマイチのボクにも、耳にすんなり入ってくる。どこといって個性的ではないし、技量をひけらかすのでもない。
ロストロ盤が油絵としたら、こちらは淡い水彩画のような風情がある。ロストロ盤は名画に違いないが、水彩画ないしは水墨画にも独特の味わいがあるのだ。

○ソーシャルディスタンス
インフルエンザ予防接種に行った病院で「2m以上の間隔を」と掲示があった。コロナ禍で人と人との距離をとれ、とやかましく言われる。
ところが、それは実際の距離だけではなく、人どうしの関係にまで及んでいるのではないか。リモートでのやりとり、イベントには集まるな、食事の時は会話を避けよ、等々。そんな状況に、人間関係も希薄になっているのを実感する。

トリオ・レ・ゼスプリのシューベルトを聴きながら、この時代にフィットした演奏だと思い浮かべていた。かつてのロストロ盤は、酒席で上司に説教されているようなもの。そんな時代は淘汰され、これからは一定の距離を保つ演奏が主流になっていく。そんな予感がトリオ・レ・ゼスプリから伝わってくるのである。
 

[4222]インフルエンザ予防接種の副反応がひどく今日の横丁はお休みします

昨日、インフルエンザの予防接種を受けてきました。

家に帰った途端、体の節々が痛くなり、気分も急にダウン!

夕方に熱を測ったら、37.8度。

20:30・・・37.8度、脈拍 99、SpO2 98。

→鎮痛剤を飲んで就寝

 

今朝は7:00起床。

7:10・・・37.6度、血圧 116と72、脈拍 72、SpO2 98。

痛みはやわらいでますが、熱があるので今日はお休みします。

 

具合が良くなったら音楽を早く聴きたいなあ。

それではこれで失礼します。