サリーの、自由って?+星川京児君の朝日新聞の追悼記事~好きこそものの上手なれ | 堀田はりいと猫まり&マロンのブログ

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おっはよービックリマーク
うんどうぶそくかいしょーしなくっちゃ。
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カリカリカリカリ・・・

ヒヒーン!!
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ニャニャンビックリマークびっくりしゃっくりビックリマーク

サリーはいいなあ。
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なにがはてなマーク

いっつもじゆうで。
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じゆうはてなマークはてなマークはてなマーク

いつもそとでくさをたべたり、そとではしったりできること。
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それって、ふつうのことじゃないのはてなマーク

ふつうじゃない。
ふつうじゃない。
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じゆうね・・・。

どうでもいいや。
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きょうはなにしてあっそぼかにゃあはてなマーク


☆☆☆☆☆ はりいのコーナー ☆☆☆☆☆

星川京児君の追悼記事が朝日新聞6月25日の夕刊に載るという話を聞いたとき、担当者はてっきり朝日新聞編集委員の篠崎弘さんかと思っていました。
篠崎さんは1980年代にわたしと星川君が始めた音楽雑誌『包(
PAO)』のディスク・レビュー担当者のひとりで、星川君とは落語の趣味で長く親交のあった星川君の趣味の友だったからでした。
実際の担当者は、吉田純子さんという編集委員の方でした。
その篠崎弘さん、星川君の追悼記事の上段で落語家の柳家喜多八さんの追悼記事を書かれていました。

追悼記事『惜別』を読んだとき、「この編集委員の人は、星川君のことをよく観察していて、限りある文字数で、よくまとめ上げてるなあ」と感心しました。長くなりますが、いくつか思い出を込めて、補足をさせて頂きます。

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○「ワールドミュージック」の概念を先駆けて提唱。

わたしがわたしの専門の欧米のフォークや伝統音楽を担当し、星川君が彼の専門のアジアの伝統音楽やポップスを担当する役割分担でスタートさせた『包(PAO)』は、「見方を変えれば、欧米のフォーク・ミュージックもまたエスニック・ミュージック(ワールドミュージックという音楽用語はまだ確立していませんでした。その数年後、フランスのパリで巻き起こった「ワールドミュージック」と呼ばれる新興音楽はイギリスに飛び火し、世界的なブームになりました)!という発想のもとで、地球上の伝統音楽やアジアのポップスを公平に紹介し始めました。
わたしの分野では、その流れの中からキングレコードの「ユーロ・トラッド・コレクション」シリーズが誕生し、アイルランド音楽~ケルト音楽ファンが急増しました。

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『包(PAO)』の創刊号(1984年9月発行)と11号と最終号(休刊号)の17号(1990年4月発行)。

○好奇心のみに従って生きるべく、自らが前面に出ることはしなかった。

これはずばり言い当てています。学生時代に彼が音楽サークルに入部して出逢ったときから、彼の言動や音楽などの趣味がそのことをプンプン匂わせていました。
彼はアングラ劇やニューシネマや、音楽は、当時わたしが溺愛していたジェファーソン・エアプレーンの大ファンでした。秘蔵盤を貸し出しもしました。

大学を卒業してから10年後に再会したとき、星川君の好奇心は、インド音楽とアジア各地の音楽に向いていました。
日本が世界に誇るキングレコードの民族音楽シリーズの「ワールドミュージックライブラリー」(最終的に数え切れないほどのアルバムを監修)の仕事で、ちょくちょくアジア各地に録音機を持って出かけて行っては、各地の音楽を録音してまわっていました。そんな彼の旅での音楽にまつわる体験談が、また面白かった。その頃、NHKの民族音楽の番組担当者のよき知恵袋になっていました。それからインド音楽のコンサートのプロデュースもしていましたっけ。

おそらくこの地球上で、星川君ほどアジア各地の音楽を現地で、好奇心をふくらませて、音楽家に敬意を払い、数多くの音を記録した人間は、誰一人としていないし、今後も現われないでしょう。
『包(PAO)』は当初、わたしが編集責任者を務めましたが、わたしはわたしの別の事業が多忙を極め、途中で星川君にバトンタッチしました。彼が編集責任者になってからは、編集者として、彼は自身の名前すら公開しませんでした。自分は黒子でいいと思ったのかも知れません。

pao

星川君は『包(PAO)』の最終号のあとに、『包(PAO)』掲載のディスクレビューから600枚をピックアップして、「エスニック・ディスク・ガイドぱお600」を百夜書房より監修・発刊しました。今から思えば、星川君はディスクレビューの音楽情報を資料として残すことに音楽雑誌発行の意義を感じていたのかも知れません。

ワールドミュージックの分野では、「エスニック・ディスク・ガイドぱお600」のスタイルを受け継いだガイドブック「地球の音を聴く~ワールド・ミュージック CDカタログ」(スーパー・ドーム・スタジアム編。ティビーエス・ブリタニカ)が1992年に刊行されました。わたしもレビューを担当していますが、確か星川君からの執筆依頼だったと記憶しています。しかし、今確認したら、この本には彼の名前はどこにもありません。
アイルランド音楽~ケルト音楽、ユーロ・トラッドの分野では、「エスニック・ディスク・ガイドぱお600」のスタイルを受け継いだガイドブック「アイリッシュ&ケルティック・ミュージック」(山尾敦史監修。音楽之友社)が1997年に、「ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン」(大島豊監修。音楽之友社)が1999年に、「アイリッシュ・ミュージック・ディスク・ガイド」(大島豊監修。音楽之友社)が2002年に刊行されました。これら三冊の中心的な執筆者は、『包(PAO)』から巣立った音楽評論家の皆さんでした。

○「いつもそばにいてくれる『辞書』のような存在だった」と坂本(龍一)さんも振り返る。

音楽愛好家はどちらかと言えば、わたしを含め、アナログ人間が多いかと思いますが、星川君は感性はアナログでも、頭脳はデジタル人間でした。電子手帳も出始めた頃に、迷わず入手し愛用していました。
CDが登場したとき、わたしは「小さくなってつまんない」と思いましたが、彼は「これはコンパクトで使いやすい!」と歓迎していました。
彼は自分で見聞きした音楽を世界地図レベルで、その特徴をささっと見極め、分類し、整理する特技がありました。 (ここだけの話。特技と言えば、専門外の音楽を名前を変えて評するという特技がありました)
優れたシタールの演奏家でもあった星川君は、「楽器のことなら何でもござい!」なほどに楽器博士でした。それらの知識は、本などで得た知識と本人がアジア各地で見て、触って、習って、音をかき鳴らす体験などをもとに獲得した彼のオリジナルな生きた知識でした。そんな彼が書いた音楽評は、その土地の音楽の特徴が客観性を持って、簡潔にに記述されていました。
実はわたしは以前、彼のそういう評の仕方に味気なさを感じていたのですが、あるとき、あるアジアの見知らぬ歌手のCDを聴こうとしたとき、その歌手の別のCDを『包(PAO)』に星川君が書いているのを見つけ、民族音楽的視点からの彼のいたって客観的な記述が、その音楽を味わう上で、とても役に立ったことがありました。

○晩年に精力を傾けたのが純邦楽の再評価だ。

○「発展しないこと、変わらないこと。実は、これが真の多様さの源」。この言葉とお座敷唄や 箏曲などを録ったCD集「日本伝統音楽の粋」が、遊びに生きた賢人の命がけの遺言と なった。

そうかそうか。星川君はそんな仕事をしてたのか。
彼は、日本の伝統音楽も地球上の伝統音楽の中の個性的な音楽として魅力を感じとり、好奇心をふくらませ、耳を澄ませ、音楽の特徴を聞き分け、伝統に育まれた個性的な「音」を録り続けたのでしょう。
大学を卒業してから10年後、(神さまのいたずらとしか思えないような)奇跡が重なって、星川君と福岡で再会し、「先輩!二人の得意分野を合わせたら、面白い本ができそうですね!」の彼の軽い言葉に誘われて、再び上京し、冒険心いっぱいで始めた『包(
PAO)』からおよそ30年。
星川君が元気だったら、「星川君!ふたりで日本の伝統音楽・芸能の雑誌を創ったら、面白い本ができそうだね!」と、軽く声をかけたかった。

星川君の人生は、「好きこそものの上手なれ」を身を以て示し、体が動かなくなるまで好きな音楽の旅を続けた人生でした。

そんな星川君は、わたしにとってはずっと、自由と不思議を愛するやんちゃな弟のような存在でした。

余談。
昨日の朝日新聞の天声人語萩尾望都さんのマンガ『ポーの一族』の40年振りの続編のことが書かれていました。それで思い出したのですが、『包(PAO)』に、どなたかがそのマンガのことを書かれているのを読んだわたしの妻が、「わたし、学生時代、萩尾望都さん宅で、絵描きのバイト(アシスタント)をしてたの」とひと言。少女マンガに無縁な生活をしていた(今も)わたしは、「ああ、そう」くらいの反応でした。
その後、妻が萩尾望都さんや望都さんの作品のことを話したのは、長い結婚生活の中で、数える程度。それも、マンガ家の友達から年賀が来たときとか、本棚に置かれた妻所蔵のマンガ本を見た友人(あるときは、国文学の大学教授)が目を輝かせて「これらの本はどなたの本ですか!?」と詰め寄られたときでした。
最近、妻と娘はわたしそっちのけで、萩尾望都さんや望都さんの作品について、よくひそひそ話をしています。

poo
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