NEW! 【対訳注解】「ナクソス島のアリアドネ」連載開始
2011/2/9 「サロメ」日本語対訳
2010/11/26 「トリスタンとイゾルデ」日本語対訳第2版
2010/7/10 「アラベラ」日本語対訳第1版
2011/2/9 「サロメ」日本語対訳
2010/11/26 「トリスタンとイゾルデ」日本語対訳第2版
2010/7/10 「アラベラ」日本語対訳第1版
「ローエングリン」新演出
昨晩、新国の「ローエングリン」新演出を見た。標題役フォークトさんのすばらしさに尽きる。"Heil dir, Elsa..."の半分ファルセットみたいな透明な美声、まるで演劇のように明瞭な言葉が飛んできて、しかもあの声量。
幕切れ、エルザは、幼少のブラバント公がすがりつくのを邪険に振り払ってローエングリンを追う。どう捉えたらよいのか?
幕切れ、エルザは、幼少のブラバント公がすがりつくのを邪険に振り払ってローエングリンを追う。どう捉えたらよいのか?
「サラサーテ」6月号への連載のお知らせ
宣伝失礼します。弦楽器専門誌「サラサーテ」6月号発売です。
鎌田の連載、今回は、ニューヨーク・フィル図書館所蔵のブラームス交響曲第1番総譜へのバーンスタインの書込みのお話です。ウィーンフィルのライブラリアンがボウイングをパート譜に書き写す際のバーンスタインとのやり取りなど、興味深いお話を総譜該当ページの写真入りで紹介します。
amazonでどうぞ。よろしくお願いします。
鎌田の連載、今回は、ニューヨーク・フィル図書館所蔵のブラームス交響曲第1番総譜へのバーンスタインの書込みのお話です。ウィーンフィルのライブラリアンがボウイングをパート譜に書き写す際のバーンスタインとのやり取りなど、興味深いお話を総譜該当ページの写真入りで紹介します。
amazonでどうぞ。よろしくお願いします。
新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」再演
長らく更新せず、失礼しました。ぼちぼち再開します。
2012/4/27 新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」再演
出演者などは、http://www.atre.jp/12giovanni/staff/index.html
再演なので、舞台については省略。標題役クヴィエチェン氏の文句なしにカッコいい。歌もヴィジュアルもいい。なるほどこれなら女は騙される。アンナのミコライさんは、息音が適度に混ざったセクシーヴォイスで歌は堂々の存在感、ゴージャスな舞台姿が目を楽しませる。
今夜特筆すべきはマッツォーラの音楽づくり。自在なアーティキュレーションと伸縮で実に表情豊か。冒頭のシーン、"se vuoi morir"のニ短調属和音が長く引っ張られるのをはじめ、随所に大胆なルバートが聞かれる。古典の様式美と劇的表現のバランスをぎりぎりのところで取る綱渡りのようなスリリングな音楽に引き込まれる。
注目すべきは、セッコ以外でもチェンバロが鳴っていたこと。幕間のピットでチェンバロの小埜寺さんに話を伺った。全編のコンティヌオ譜を小埜寺さんらが作成し、マッツォーラ氏が鳴らす場所を指定したとのこと。バロックのようにべたっと全編鳴るのではなく、シンフォニックなピアノコンチェルトのように、要所要所で鳴ってオケの表情変化を印象づけている。
この先は自分の想像だが、ジョヴァンニの意思が強く作用する箇所、あるいは、ジョヴァンニに擬人化される恋のときめきや恋の力が強く作用する場面で、コンティヌオが鳴っていたような気がする。例えば、7番、ジョヴァンニ+ツェルリーナの二重唱では、ツェルリーナがジョヴァンニの魅力に落ちて、音楽が6/8になる"andiam, mio bene..."からチェンバロが鳴りだす。対照的に、ジョヴァンニから最も遠いオッターヴィオの2曲のアリアでは、コンティヌオは沈黙する。例外的に21番の中間部でチェンバロが鳴るのだが、それはジョヴァンニがオッターヴィオの決意を嘲笑するかのようなパッセージが弦に現れる部分だ。アンナの決意が揺らぐところでチェンバロが鳴るのは、アンナにジョヴァンニの抗しがたい魅力が及んでいることを直感的に分からせてくれてこのドラマの本質を突いているように感じる。これはおもしろい。
マッツォーラ氏でダ・ポンテ作品を全部聴いてみたい。
2012/4/27 新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」再演
出演者などは、http://www.atre.jp/12giovanni/staff/index.html
再演なので、舞台については省略。標題役クヴィエチェン氏の文句なしにカッコいい。歌もヴィジュアルもいい。なるほどこれなら女は騙される。アンナのミコライさんは、息音が適度に混ざったセクシーヴォイスで歌は堂々の存在感、ゴージャスな舞台姿が目を楽しませる。
今夜特筆すべきはマッツォーラの音楽づくり。自在なアーティキュレーションと伸縮で実に表情豊か。冒頭のシーン、"se vuoi morir"のニ短調属和音が長く引っ張られるのをはじめ、随所に大胆なルバートが聞かれる。古典の様式美と劇的表現のバランスをぎりぎりのところで取る綱渡りのようなスリリングな音楽に引き込まれる。
注目すべきは、セッコ以外でもチェンバロが鳴っていたこと。幕間のピットでチェンバロの小埜寺さんに話を伺った。全編のコンティヌオ譜を小埜寺さんらが作成し、マッツォーラ氏が鳴らす場所を指定したとのこと。バロックのようにべたっと全編鳴るのではなく、シンフォニックなピアノコンチェルトのように、要所要所で鳴ってオケの表情変化を印象づけている。
この先は自分の想像だが、ジョヴァンニの意思が強く作用する箇所、あるいは、ジョヴァンニに擬人化される恋のときめきや恋の力が強く作用する場面で、コンティヌオが鳴っていたような気がする。例えば、7番、ジョヴァンニ+ツェルリーナの二重唱では、ツェルリーナがジョヴァンニの魅力に落ちて、音楽が6/8になる"andiam, mio bene..."からチェンバロが鳴りだす。対照的に、ジョヴァンニから最も遠いオッターヴィオの2曲のアリアでは、コンティヌオは沈黙する。例外的に21番の中間部でチェンバロが鳴るのだが、それはジョヴァンニがオッターヴィオの決意を嘲笑するかのようなパッセージが弦に現れる部分だ。アンナの決意が揺らぐところでチェンバロが鳴るのは、アンナにジョヴァンニの抗しがたい魅力が及んでいることを直感的に分からせてくれてこのドラマの本質を突いているように感じる。これはおもしろい。
マッツォーラ氏でダ・ポンテ作品を全部聴いてみたい。
