名車列伝、今回は日本で唯一の「スーパーカー」といっても過言ではないミッドシップスポーツ、ホンダのNSXを取り上げてみます。
<それは、84年にさかのぼる>
NSXを語る前に、80年代におけるホンダの立ち居地を改めておさらいする必要があります。
それは、70年代のマスキー法における低公害エンジン「CVCC」の成功による、シビック・アコードのアメリカにおける快進撃により「低公害エンジンのホンダ」の名を欲しいままにし、これまで「走る実験室」と呼んでいたレース活動を再開、ホンダのF2挑戦における破竹の快進撃は、欧州メーカーからブーイングを持って迎え入れられ「F2はホンダのエンジンでなければ勝てない」と言わしめるほどの快進撃(おかげでホンダを締め出すためにF3000というカテゴリを作らざるを得なくなった点が皮肉でもありますが・・・)でした。
しかし、F2を制覇しただけではホンダは満足できない。
それは、これまでの挑戦を凍結していたF1に関して社内の中でも再挑戦すべきときという言葉がささやかれ、83年にスピリット、84年にウィリアムズにエンジン供給が決まり、84年のダラスでは酷暑の中でケケ・ロズベルグがホンダのターボエンジンを用いて優勝を飾るなど、いよいよホンダの技術力を多くに知らしめる車の開発が必要であると考え、ホンダの技術力をあますところなく見せつける車を作るプロジェクトがはじめられました。
しかし、ひとつの問題が浮上しました。当時のホンダでは軽の一部車種以外は、量販車のシビックから高級車のレジェンドにいたるまで、すべて前輪駆動という偏った車種開発を行っており、前輪駆動以外の駆動形式のノウハウが蓄積されていませんでした。早速、リサーチを行いスポーツカーに必要なものを研究するようになり始めました。
<HondaPininfarina-X>
そして、このクルマの存在に、イタリアのカロッツェリア、ピニンファリーナが大きく寄与しています。
ピニンファリーナは、当事のシティ・カブリオレで幌のコーチワークを行い、ホンダとの関係を密にし始めていたころで、このころの多くのホンダデザインには、ピニンファリーナの助言が少なからずあったのではないか?と思われるほどデザインに進歩が見え始めました。
そんな中で、ホンダ・ミッドシップカーのスタディモデルとして、ピニンファリーナがコンセプトカーとしてデザインしたのがこのHP-X(HondaPininfarina-X)で、キャノピーをかぶせたウェッジの強いスタイリングは、いかにも速そうで官能的なデザインであったと言えるでしょう。
残念なことにこのクルマはモックアップのハリボテですが、こんなクルマが日本で走っていたらと思うとワクワクしてしまいます。
<NewSportscar-X>
そして、このHP-Xに触発され、新しいスポーツカーを模索するプロジェクトとして、NewSportsCar-Xこと「NS-X」プロジェクトが設立、駆動形式にミッドシップ方式が採用され、軽量かつ高剛性を狙ったアルミニウムによるモノコック方式を採用して、その研究者である上原繁氏が開発責任者に就任、開発を開始していきます。
上原氏の意向に沿いNSXはいたずらに最高速を求める車ではなく、誰もがステアリングを握って操作したときに感動できるクルマを目標とし、仮想敵としてフェラーリ328を設定して、操縦安定性すなわちハンドリングにこだわったスポーツカーを模索するようになって、いよいよ89年にはプロトタイプが世の中に公開されていきました。
<エンジンはレジェンド用をベースに>
このNS-X計画において一番のネックになったのは、搭載されるエンジンの選定で、当初はスポーツ用エンジンとしてアコードに搭載されていた2リッター直列4気筒DOHCエンジンをチューニングして採用する案や、HP-Xでも使われていたF2用の2リッターV6エンジンのデチューンなどが提案されていたものの、いずれもコストや耐久性などの面で却下されてしまいました。
そこでホンダが目をつけたのが、87年に生産・発表したレジェンドクーペ用の2.7リッター、V6エンジンで、このエンジンの排気量を3リッターに拡大した上に、シビックで先行開発されていた可変バルブタイミングリフト機構「VTEC」を採用して低速から高速まで胸のすくエンジンフィーリングを味わうことができるエンジンを搭載することを実現しました。
しかも、このエンジンには「燃費がいい」というおまけまでついており、このクラスのスポーツモデルとしては珍しく10Km/リッターの燃費を稼ぐことも出来るフレキシブルな性能も兼ね備えており、軽量ボディの恩恵がこんなところで役立つとは、うれしい誤算でもあります。
<サウンドオンリー>
そしてプロトタイプによるテスト運転が国内外のレーサーや、ホンダエンジンに乗るF1ドライバーを召還して開発を続けていきました。
しかしその中で、テストドライバーを担当していたアイルトン・セナ氏が言い放った「サウンドオンリー(このクルマ、音だけだね)」は、開発陣を愕然とさせました。
その原因は軽量化のために使ったアルミモノコックが剛性低下の原因となっていたことを突きとめ、アルミモノコック車体の剛性に関し徹底した改良を行い、車体剛性の改善を行うことでNSXを更なる高みに昇華し始めていきました。
<ニュル詣でのはしり>
そしてこの改善が本当に良好な効果となるのか?開発陣はドイツにある世界一過酷なサーキットして知られているニュルブルクリングの北コースに8ヶ月の間走行テストを繰り返すことでこれまでのホンダ車におけるアキレス腱ともされていたボディ剛性の甘さはニュルブルクリングのコースで克服されることとなりました。
ニュルブルクリング・北コースは全長約22.8キロ、コーナーの数172個、しかもそのほとんどが見渡すことの出来ないブラインドコーナーで、路面が波打つ上に、コースの高低差がなんと300メートル(!)という、日本のサーキットでは到底真似の出来ない過酷なもので、このコースで市販車が9分を切れば上出来(今では8分を切る車がザラですが・・・)という中でNSXは試作モデルでありながら8分台をたたき出し、その進化版であるNSX-Rでは8分を切る7分台 をたたき出し、かつて、F1初挑戦を行ったこのニュルブルクリングで、周囲をもう一度驚愕させる事となりました。
今では高性能な日本車における「ニュル詣で」はもはや当たり前という風潮もありましたが、当時の日本ではまだまだニュルを使った性能試験を疑問視していましたが、NSXの一件から大手のほとんどはニュルにファクトリーを持ちハンドリングの向上に心血を注ぐことになった・・・
そういう意味ではNSXほどエポックメークなクルマもそうそうないことになります。
<15年間、愛され続けた訳>
このNSXはプロトタイプが世に出されてから、もう20年の歳月が経過しています。それでも中古市場は200万円中盤~後半で安定的に供給されており、一部の高性能車のようにガクンと中古価格が落ち込むということがありません。
なぜ、ここまでNSXが愛されてきたのでしょう?
答えは至極簡単で、ホンダの本気がこのクルマに宿っていること、そして日常使用にも十分耐えうるスーパーカー(今ではアウディR8がこのポジションを確保しているが価格はNSXの1.5倍する)であることも、このクルマの地位を確固としていると言ってもいいでしょう。
そして、賛否両論はあるものの、日常利用に耐えうるトランク(写真を見ればわかるように、ビールの箱が4つ入る!)ユーティリティ性を犠牲にしなかったことも、この車を一部のユーザーだけにウケればいいという狭い視野で開発させたわけではないということにつながったのではないかと、私は考えます。
でも、個人的には、あそこまでのトランクルームは要らないから、全長をつめたほうがカッコいいと思いますが・・・ね(^^;
そして、何よりも残念なのがそのスピリットを受けつぐクルマが、ホンダに存在しないことが口惜しくてなりません。この不況がなければ、V10エンジンをつんだFRのスーパースポーツが走っていたかもしれません。