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Agnus Dei

気取らず、前向きに、美しく。

今日、受洗した思い出の教会に久々に帰り、御ミサにあずかったのですが、代夫が僕と同じ方ということもあり兄貴のように慕っていた信者の方(以下、Aさんと呼びます)が、司祭の道に進んだという話を聞きました。僕はそれを聞いてとっても嬉しかった。彼こそ司祭になるべき人だとずっと思っていたので。
Aさんは警察官でした。僕の職業柄関連性もあるので、一度彼のお仕事姿も警察署で偶然拝見したことがあったのですが、普段の優しく温厚な感じと違ってビシッとしていてカッコ良かった。でもやっぱり、Aさんはとっても優しくて、温厚な方なんです。警察が優しくないと言ってるわけじゃないですよ。ただ、正義感に燃えるというよりは、人の心の弱さやもろさに目を向けるような人だったから。やっぱりどこか無理をしていたんじゃないかなあと思います。
とあるクラシックギタリストのコンサートに行ったときに、偶然Aさんとお会いして。Aさんにギターお好きなんですかって聞いたら、全然分からないと。でもとってもよかったからCD買っちゃいましたと。すてきな笑顔で話すわけです。Aさんはクラシックが大好きなのですが、有名なロックバンドのライブがあればそれにも行ったりする。僕なんかロックはうるさいし客層もよくないから嫌いだみたいな感じでライブとか行こうとしないですけど、ほんと、Aさんって壁を作らない方なんですよね。そういう姿を見ていると、すてきだなって思うのです。
そのコンサートの帰りは結局Aさんが車で送ってくれたのですが、車の中でいろんな話をしました。Aさんも僕と同じ、成人洗礼。思うところは、色々あるのです。教会建築や音楽にはじまり、マリア様についても語りました。僕もAさんも、マリアに燃えているのです。まさに聖母の騎士です。
Aさんの優しさと愛、マリア様への思い、強い信仰心……きっとAさんは、素晴らしい司祭になります。誰に対しても分け隔てなく接する姿、変なこだわりを持たずよいものはよいものとして素直に受け入れる姿勢、そして元警察官という異色の経歴……若い司祭が激減していて司祭召命が喫緊の課題である今、カトリック教会の救世主になると思います。

僕もAさんとは違うフィールドで、カトリック教会の救世主になりたい。カトリックをことさらに標榜せずとも、仕事のやり方で相手に誠意は伝わる。世界を優しくしたい。神は愛。プライベートでは、数少ないカトリックのクリスチャンとして、誇りを持って、信仰のすばらしさを伝えていきたい。来るもの拒まず、去るもの追わず、それでもたくさんの人が興味を持ってくれるように。このおかしい世の中で。主の平和。

先日、五島列島と長崎を一人旅してきまして、それが本当に素晴らしい旅行になったので、そのことについて書きたかったのですが、ちょっと分量がかなり多くなりそうなので、まず以前から書こうと思っていたことで旅行記よりはさらっと書けそうな記事を先に書いてしまおうと思います。


昨今、晩婚や「結婚しない」人が増えていますが、僕にはものすごい結婚願望があります。いつもいろんなことを考えたり感じたりして、面白いものを見つけたらすぐ誰かに伝えたくなっちゃうし、そういう意味でやっぱり僕は誰かと一緒にいたいのです。一人の時間なんて、ほんの少しでいい。誰かに伝えたい、誰かと話したい願望がうまく達せられないがためにSNSに依存してしまうのはもうこりごり。

結局、友達だって恋人がいればその人のところに行ってしまうわけですよね。僕のことを最優先してくれるわけではない。彼女とか奥さんって、どんなときもお互いの味方になれる存在だし、いつでもそばにいてくれる存在。やっぱり素敵だなと思うわけです。


でも僕はカトリック信者。ちょっと食事をしたりデートしたりするくらいならよくても、この歳になって結婚を考えるようになってくると、やはり恋愛に関して信仰の問題を措いて考えるわけにはいかなくなってくるわけです。


自分で言うのもなんですが、僕はもてるほうです。見た目も学歴も仕事も年収も声も話し方も特技も、「スペック」(僕はこの言葉が嫌いですが)という観点からすれば、女性にとっては印象がいいはずです。自意識過剰などではなく、今までの女性からのアプローチの数を客観的に思い返せば嫌でも自覚します。

でも、やっぱりダメなんです。素敵な女性からアプローチしてもらっても、嬉しいけど、この人とはダメだろうなあって、初対面の時から感じてしまうのです。神様を信じてるなんて言ったら心のなかでは笑うんだろうな、とか、毎週日曜早起きして教会で単なるパンをありがたがって跪いてるなんて変な人って思われるんだろうな、とか、いろいろ考える。

そんな理由から、アプローチを断ります。中には、それでも納得せずに、「キリスト教のこと知りたいから教えて」といって近づいてくる人もいます。


でも、ダメなんです。「理解がある」じゃダメなんですよ。

よく、「私あなたの信仰も理解したいと思っているよ」と女性から言われます。僕はそういうスタンスな時点でもうダメです。「理解する」って上から目線ですよね。あなた変な趣味持ってるけど私それ否定しないよ、心広いでしょう、そんな印象を受けてしまう。


やっぱり、神様の存在を常に感じている人じゃないと。イエズス様やマリア様の存在なんかは、別にあとから知っても問題ないです。信仰表現の仕方の違いに過ぎないと思いますし。結局「八百万の神」だってキリスト教的にいえば「聖霊」のことでしょう。一神教か多神教かすら、捉え方の違いにすぎないわけです。でも超自然的な「何か」を常に感じられること。これは本当に大切。そしてキリスト教的な世界観、美術・芸術に強い関心と親和性を持っている人。これも大切です。寺もいいけど教会が一番好き、そういう感覚的なスタンスからやっぱり共有できないと、夫婦になんてなれっこないのです。


信仰ってそんなに大事なことなの?一緒にいて楽しいならいいじゃん、私のどこがだめ?

こういうことを今まで何度も聞かれました。どこがだめとか聞かれても困るのです。だめなところなんてないです。あなたは素敵な女性だと思います、でも僕とは合わない、それだけで。


そうすると、結局僕は教会での出会いに期待するか、僕の気を引くためとか一切関係なしに本当に心から信仰に関心があって、ただ今までカトリックを知る機会がなかっただけで、教えてあげたらどっぷり浸かっちゃうような人との出会いに期待するかしかないわけです。どちらもかなり絶望的な確率といえます。日本のカトリック人口は割合的に0.3%しかいません。そして若い人はとっても少ないです。僕と同年代の人なんて、いくらカトリックに女性が多いと言っても、まず教会で見かけることはないですね。たまにいてもそれはただ女性というだけで、そこから、性格や見た目やフィーリングが合致するかという問題が出てきて、さらに向こうが僕のことを好きになってくれるかという問題が出てくる。


正直、本当に絶望的な確率です。


でもやっぱり、僕の代父の方とその奥様は本当に素敵な夫婦で、絵に描いたようなカトリック夫婦で。ここでは語り尽くせないほどたくさんの信仰体験や辛い出来事を夫婦二人で乗り越えてきて。お互いの大事なときにうまくいくようにお祈りしたりとか、毎週二人揃って御ミサにあずかったりとか、アッシジに旅行したりとか、いろいろ……素敵じゃないですか?僕は将来カテキスタもやりたい。代父の先生がやっているように。結婚講座とかも受け持ちたい。奥さんと一緒に。


神様が素晴らしい人に引きあわせてくれる、ただただそう信じています。

絶望的な確率をいとも簡単に乗り越えてくれるのは神様しかいないのです。


来月から転勤先の新しい教会に所属します。それも、近所に有名な教会があってそこに転籍を希望したところ、人数がいっぱいだからもっと近いところに行ってほしいと言われて行くことになった教会。名前すら知らなかったけど、今日聖堂を訪れたら木彫りの像が美しく素朴な、僕が以前通っていた北町教会にも通じる素晴らしい教会で、神様のはからいを感じました。きっとここで、何かある。


信仰と恋愛の両立は、僕は絶対に諦めたくありません。だから寂しくても恋人は安易に作らない。

待たされれば待たされるほど、恵みと喜びは大きいのです。

※この記事と同時にもう一つ記事を書いたので、読んでいない人は是非読んでみてください。音楽関係の話です。

僕はブログの記事をいつもiPadで書いています。たまに家でパソコンを使ってブラウザから直に文章を打ち込むこともありますが、たいていはiPadのテキストエディタに打ち込んでおいて、あとでそれをコピーペーストしてネットにアップするという方法をとっています。確かにパソコンで文章を作成するのが一番ストレスがないことは間違いないのですが、移動中の電車の中とかカフェで時間をつぶしているときとか、ちょっとした時間に思いついたことを書きためておけるので、やはりiPadを文章作成に使うニーズっていうのはあると思うんですよね。
そんなわけで、もともと文章を書くことにはこだわりがあることもあって、ストレスなく文章を作成できるアプリというのを本当に真剣に探しました。App Storeにある、ありとあらゆるテキストエディタを全部試したと思います。有料のものも惜しまず購入しました。文書作成を捗らせるため、ロジクールのBluetoothキーボードも買いました。

で、それでいろんな方法を試した僕が結局選んだのは、「ATOK Pad+内蔵キーボード」という組み合わせでした。凡庸な回答かもしれないですが、本当に、これが間違いなく一番なのです。なぜか。これからその理由を書いていきます。

まず、やはりiPadの問題点として、外部のIMEを使うことができないという点が挙げられると思います。僕はパソコンではかならずATOKにしますが、iOSの場合はそのまま内蔵のIMEによる日本語入力を甘受せざるを得ない。これが、正直本当に頭が悪いんです。あと、変換するにもワンタッチでできなくて、スピード感にも問題がある。
そんな中、ATOKで日本語入力をすることのできるアプリはこのATOK Padしかないんですね。というわけでアプリはATOK Pad以外どうしてもありえなくなってしまうわけです。iText Padというアプリを使えば、入力ツールをATOK Padにすることができますが、結局入力のためにATOK Padを開くことになるので、それなら最初からATOK Pad一本で全然問題ないだろうと。特に保存形式に問題があるわけでもないですしね。タグ付けして簡単にフォルダ分けもできますし。

他のアプリでは、かの有名なOmm WriterとかもiPadで出てるので魅力的でしたが、Bluetoothキーボードを使わなければ日本語入力ができず、それで変換もデフォルトのままなので精度が悪く使い物になりません。ATOK PadにOmm Writerみたいな機能があればそれはそれは魅力的なツールなんですけどね(笑)

というわけでアプリはATOK Pad一択なわけですが、じゃあなぜ内蔵キーボードなのかと。これはですね、今のバージョンのATOK PadがBluetoothキーボードだとバックスペースの速度が非常に遅くてもうめちゃめちゃイライラするからなのです。あと、僕はロジクールの蓋一体型のキーボードを使っていましたが、結局いちいちキーボードを外すのが面倒ですし、iPadは書くことよりも「見る」ことに力点を置いたツールですからね、やっぱり普通にカバーだけつけて身軽な状態で使うのが一番なわけです。

$Agnus Dei

そんな理由から、こんな感じでいつでもどこでもiPadを持ち歩いてブログの記事を書き留めたりしています。
あと、イヤホンをつけてiPadのミュージックアプリで音楽を聴きながら記事を書くと、ちょうどこのアプリの打鍵音とかも聞けるので、とても打ちやすくていいですよ( ´▽`)