第十一回・外山恒一賞 受賞者発表 | 我々少数派

第十一回・外山恒一賞 受賞者発表

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   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


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 実は今、福岡で怪しいイベントを極秘開催中で、時間的余裕がない。じっくり考えればノミネートすべき個人・団体・作品・行動その他もろもろ、まだまだ思い出せるかもしれないが、じっくり考えるヒマがない。そんなわけで今回の授賞発表はササッと済ませる。
 


  ノミネート1 黒川杯、名古屋アメリカ領事館事件など

 

 「自称室伏良平容疑者」の活躍が止まらない。
 前回受賞の「なごやトリエンナーレ」の首謀者である。
 なごトリ事件での逮捕の際に「自称室伏良平容疑者」と謎の呼称で報道されたのが面白がられ、以後本人も「自称室伏良平」と名乗り続けている自称室伏氏だが、2020年も次々と面白おかしく、かつ革命的な事件を引き起こしてくれた。
 まずは6月の東京・検察庁前での賭けマージャン大会、通称「黒川杯」の開催である。東京高検の検事長を務めた黒川弘務氏の賭けマージャンが発覚するも、レートが低かったということでお咎めナシとなったことを承けて、同一レートで白昼堂々の賭けマージャンを呼びかけたわけだ。当日、大量の警察官が動員され、マージャン大会そのものは開催不可能に追い込まれたが、そのモノモノしい光景は大手メディアでも大々的に報道された。
 それでコケにされた権力側の怒りを招いたか、11月に自称室伏氏は突然逮捕されてしまった。8月に名古屋のアメリカ領事館前(テナントビル内の領事館が入るフロア)で「米軍は出ていけ」という内容のビラをまいたことに「建造物侵入」の云いがかりをつけられ、自称室伏氏を含む青年男女5名の一斉検挙である。自称室伏氏には2021年2月に執行猶予つきの懲役6ヶ月の判決が云い渡されて(他に我が「教養強化合宿」出身者でもある女性1名に罰金刑)、もはや前科2犯、どこに出しても恥ずかしくない凶悪政治犯だ。
 その他、自称室伏氏はいろいろ地道な闘争もやっている。
 波状的な連続決起は充分以上に外山賞の栄誉に値するが、さすがに2年連続というのは気がひけるというだけの理由で自粛する。
 なお領事館事件の詳細については、被逮捕者の救援をそれぞれ担った「自称・救援会」「なりゆき救援会」のサイトを参照のこと。

 


  ノミネート2 アメリカ連邦議会突入闘争

 

 そりゃあこの1年間の世界の出来事で、これ以上に革命的なものはなかろう。そしてトランプ以外のどんな大統領が、かくも革命的な事態を引き起こし得ただろう。革命的な事態は必ずしも「正しい」勢力によって引き起こされるとは限らない。ポリコレ管理社会がますます全面化していく過程では、ポリティカリーにコレクトな立場はむしろ反革命でしかあり得ないことを思い知らされる出来事が、今後も何度となく繰り返されるだろう。トランプ派的なものがどれほど醜悪であろうと許しがたかろうと、現下、革命的なのはトランプ派的なもののほうである。


 

  ノミネート3 清義明「Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー」

 

 一部の目利き(私と、中川文人氏と……あと誰だろう?)の間で「反知性主義の時代の知の巨人」「我らの世代の立花隆」との高い評価が定まりつつあるルポライター・清義明氏の、「web論座」での連載である。
 この連載を通じて清氏は、アメリカを(実に喜ばしいことに)滅茶苦茶にし、つまり世界を(実に喜ばしいことに)滅茶苦茶にしている陰謀論信者ども、通称「Qアノン」の隆盛は、実はなんと日本が“火元”なのだという衝撃の事実を明らかにしている。もちろん陰謀論ではない。
 2015年の第5回外山賞でのノミネート、のち単行本『日本会議の研究』として大ベストセラーとなった菅野完氏の「ハーバービジネスオンライン」での元連載が、日本会議の源流に60年代後半の長崎での右翼学生運動が存在することを解き明かし始めたくだり以来の衝撃と云ってよかろう。
 とにかく読んでみなさい。
 

 

  ノミネート4 西日本新聞「自称革命家 外山恒一の闘い」

 



 さすがに私自身のネタに授賞するようなことは慎むが、“外山恒一の評伝”なんてヤバいものを紙面の上半分(以上?)という圧倒的な大きさで、しかも全7回も、朝っぱらから北部九州約50万戸の家々に行き渡らせようとは、さすが遡れば自由民権運動右派・玄洋社の機関紙としての面目躍如、とうていブルジョア新聞らしからぬ世紀の英断と云う他ない。
 




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   第十一回外山恒一賞

   クラスターフェス


  理由
 

 平塚正幸という人を、基本的にはまったく支持できない。荒唐無稽な陰謀論者だし、活動歴をちょっと調べてみるだけでウンザリしてくる。授賞対象とした活動の背景にある、肝心のコロナ論ですら相当ムチャクチャである。
 が、私は平塚氏の「クラスターフェス」を断固として支持する(授賞対象は「クラスターフェス」という“活動”であって、平塚氏個人ではない)。
 知らない人のために一応説明しておこう。
 平塚氏は82年生まれで、2019年夏の参院選にN国党から立候補したりしてたらしい、つまりトンチンカンな活動家である。私もそうだし、おそらく世間のいくらかの人が平塚氏の存在を認識したのは、コロナ騒動下の2020年夏、「コロナはただの風邪」をスローガンとする(つまり“反自粛派”なわけだ)、都知事選への出馬によってだろう。
 私も“反自粛派”だし、「コロナはただの風邪」などとはこれっぽっちも思ってないが(私は一貫して「チョイわるウイルス」、つまり云うなれば「ちょっとタチの悪い風邪」的な表現を心がけている)、コロナなど恐るるに足らずというスタンスを貫いている点では平塚氏と同じである。コロナに関して“自粛不要”、という以外の平塚氏の主張にはほぼ不賛成だが、07年の私の出馬以降、“面白い”ということを根本的に勘違いしている、何の主張もない、そしてもちろん1ミリも面白くもないクズ候補がわんさか沸いて出る中、久々に最低限“主張”のある正統派の泡沫候補が登場したことには、多少の好感も抱いた。
 いつからやっていたのか、都知事選の前後からなのか、都知事選が終わって以降なのか知らないが、渋谷駅周辺で、「クラスターフェス」と称する、マスクなしでの路上イベントをたびたび開催しており、かなり(ネット上で? 新聞もテレビ報道も私は一切見ないのでよく知らないが)話題になった2020年8月10日のそれは「第10回」だったという。たぶんその後もやっているのだろう。くだんの回が話題になったのは、50人ほどで単に路上で騒いだのみならず、そのままノー・マスクで山手線に乗り込むという戦術のエスカレートが図られたからである。
 「バイオテロだ!」との非難が集中していた。
 しかし私は、これを断固として支持する。非難するほうが間違っていると断言する。
 もはやいちいち説明しない。1年以上このバカバカしい騒動を経験して、今なおマスク強要圧力に疑問を感じないFラン人民に何を云ってもムダだろう。ま、どうしてもという向きは、(平塚氏同様、いや平塚氏よりは多少マシかもしれんが、やはりコロナ問題以外ではあまり支持できない)小林よしのりのコロナ論でも読めばよろしい。
 私もこの1年間(以上)、自粛なんてやめてしまえ、以前と同様に街に繰り出し続けろ、マスクなんかする必要はない、“3密上等”、ネット配信限定イベントなんぞ女々しい見苦しい、どんどん客を入れてイベントを開催せよ、なーにがZOOM飲みだ臆病者、いっそ麻生あたりが罹患するまで感染爆発させてしまえ、……などなどと煽り続けてきた。「そうだそうだ!」という人は煽り始めた当初からそこそこ多かったし、“自粛”疲れなのか最近ますます増えてもいる。が、その大半はいざ自分もマスクを外して街に繰り出すことには引き続き二の足を踏み続けているようだ。
 そんなことだから、くだらん“自粛”をいつまでも強要され続けるのである。
 ぐだぐだ云うな、と。平塚氏の“やり方”がどんなに野蛮で品がなくても、ぐだぐだと云い訳をして結局は街に出ないより、何であれ出るほうが何億倍も偉い。
 某氏がやってる、1日ウン万円の休業補償を受け取りながら店を開けてタダで酒をふるまって(普段の売上からすればそっちのほうがよっぽど“儲かる”らしい)「“営業”はしていない」と云い張るとか、ほんとに実際やってるかどうかは知らんがコレとかコレとか、頓智を利かせて店を開け続けたりイベントを開催したりする方法を案出している人たちもいる。グローバルダイニング社のように、もうやってられん、“自粛”要請に従ってたら従業員のクビを切らなきゃいけなくなる、と正面から法的に行政と闘いながら営業を続ける路線を選択するのも立派だと思う。
 が、そういったセンスや知恵のある人たちばかりではあるまい。もちろん個人的な好みとしてはセンスや知恵のある闘争を称えたいのだが、もはやセンスなどどーでもいいのだ、ただ“自粛”しなければいいんだし、思いっきりセンス悪く、野蛮なやり方であってもこの際かまわないのだ、ということを強調するためにも、今回は「クラスターフェス」を絶賛しておくことにする。