今週のみことば イエスも、自分のうちから力が外に出て行ったことすぐに気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか。』とおっしゃるのですか。」イエス周囲を見回してだれがさわったのかを知ろうとされた。彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」

―マルコ5:30~34-

ここに登場する女性は12年間病に苦しんできました。しかもその病は長血(婦人病)でした。彼女はその病の故に汚れたものとみなされ、つまはじきにされていました。切実に癒しを求めましたが、かえって悪くなり、しかも医者からひどい目にあわされて、持ち物を失ってしまったのです。絶望のどん底の中にいた時に、彼女はイエスの噂を聞いて町に出かけました。多くの群衆が集まり、近づくことができない状況でしたが、彼女は「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる。」という希望を抱いて衣をつかみました。すると、彼女は癒されました。イエスはまさに最後の希望だったのです。イエスも自分のうちから力が外に出ていくのを感じ、彼女と話すことを望まれました。ここで、注目するべきことは、イエスのうちから力が外に出て行く事で、彼女が癒されたということです。これはまさにいのちの移動、希望の移動でした。そして、これはイエスのいのちと力が奪われていくことをあらわしています。イエスの地上での生涯はまさに、いのちを与え、奪われていく営みでした。その結果多くの人々は癒され、真の神に出会い、救われたのです。イエスは力を奪われ、そして、十字架では極限まで傷つき、いのちまで投げ出されました。その結果罪の赦しと永遠のいのちの道が開かれたのです。イエスは力といのちを奪われ、失われることをためらいませんでした。ここに、最高の模範があるのです。私たちもイエスの模範に習いたいと思います。私たちはどうしても自己中心的です。誰かから助けを求められた時、時間や力を使うことにためらいがちです。しかし、ここに登場する女性がそうであったように、助けを求める手が私たちのうちにある愛といのちを引き出すのです。その結果お互いの間に祝福と癒しがもたらされるのです。愛とはいのちの移動なのです。私たちは伸ばされた手をつかむ者になりましょう。また、時には自分自身も手を伸ばす者になりたいですね。