今週のみことば こういうわけで、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。神の安息にはいるための約束はまだ残っているのに、あなたがたのうちのだれかが、そこに入れなかったということのないようにしましょう。

というのも、私たちにも良い知らせが伝えられていて、あの人たちと同じなのです。けれども彼らには、聞いたみことばがは益になりませんでした。みことばが、聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。信じた私たちは安息に入るのですが、「わたしは、怒りをもって誓った。彼らは決してわたしの安息に入れない。」と神が言われたとおりなのです。と神が言われたとおりなのです。もっとも世界の基が据えられたときから、みわざはすでに成し遂げられています。   -ヘブル4:1~3-

毎週の礼拝の聖書のことばは、なるべくわかりやすいものを選んでいますが、今回はあえて深いところを選んでみました!このヘブル書4章の「神の安息」は、いろいろ意見のわかれるところです。民数記13~14章 イスラエルの民はモーセの導きのもと、約束の地カナンを目指して旅をしていました。約束の地を目の前にして、12人の斥侯(スパイ)が派遣されました。約束の地は確かに豊かで実りの多い場所でした。ヨシュアとカレブは信仰に燃え、神の約束を信じて、戦うように働きかけましたが、他の人々はそこに住んでいる強そうな先住民を見て、嘆き、失望し、モーセに不平不満をつぶやきました。彼らの不信仰は神様を怒らせました。モーセのとりなしで何とか滅ぼされることは免れましたが、40年間荒野をさまよう事になってしまいました。ヨシュアとカレブは信仰の報いとして約束の地へ生きて入ることを約束されましたが、それ以外の人々は生きて約束の地へと入る事はできなくなってしまいました。豊かな祝福を前にして、神様の約束に従えばそれを得る事ができたのですが、民は不信仰で祝福を逃してしまいました。これは本当に残念なことでした。ここで語られている「安息」は神様に従うことで得られる祝福と平安の事です。実はこの手紙が書かれていた当時は激しい迫害の時代でした。多くの人々が迫害の故に信仰から離れてしまっていたのです。目の前の問題、試練は確かに深刻です。時には私たちは圧倒され、絶望に打ちひしがれそうになってしまいます。ですが、そこで小さな信仰をフル回転させて、全てを支配しておられる神様を信じて委ねる事が最善である事を忘れてはいけません。そうすれば、必ず神様は私たちに道を開いて下さいます。イスラエルの民の過去の失敗は現代に生きる私たちにとって、大きな道しるべとなっています。神様の願いは私たちが神様に従って、平安と祝福を得る事です。そこに本当の安息がある事を忘れないようにしたいですね。