あととりあえずTwitterより幾つか。








3つ目のは、東京新聞の記事ですので、以下に掲載しておきますね。


 性的少数者(LGBT)を「生産性がない」と表現した自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の寄稿を掲載し非難された月刊誌「新潮45」が、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」「見当外れの大バッシング」と反論する特集を十月号(十八日発売)に掲載したことに、作家らがツイッターで怒りの声を上げている。発行元の新潮社内や同業他社のツイッターでも、同誌への批判を拡散する異例の動きが起きている。

 特集は保守派論客ら七人が寄稿。評論家の八幡和郎さんは「(杉田議員はLGBTへの)予算配分など政策的な優先順位を論じただけ。差別主義者だと批判する余地などない」「揚げ足を取られているだけ」と杉田議員を擁護。文芸評論家の小川栄太郎さんは、LGBTが生きづらいなら痴漢も生きづらいとし「彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか」と主張した。

 これに対し、同社からも著書を出している作家の平野啓一郎さんは、ツイッターで「どうしてあんな低劣な差別に加担するのか」と発信。文学研究者のロバート・キャンベルさんも「低劣な偏見と分かってそれでも売り物にしていこうという出版に、活路はないはずだ」と指摘した。

 新潮社の編集者らが運営するツイッター「新潮社出版部文芸」は、創業者佐藤義亮の「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」という言葉を紹介し、こうした作家らの批判を次々とリツイート(転載)。これに岩波文庫編集部や文春文庫編集部が「志を共有したい」と呼応し、河出書房新社も「これ(佐藤義亮の言葉)は新潮社さんの社是」と発信した。

 ◇ 

 新潮社は「『新潮45』の記事については、社内でもさまざまな意見が存在している」と認めた上で「言論の自由を最大限に尊重するという立場から、各部署、社員の個人の意見表明に関して言論統制のようなことは従来より一切行っていない」とコメントした。


参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018092002000150.html

ちなみに今朝の朝日新聞社会面にも同様の記事が載っていましたね。


記事本文はこちら

4つ目のtweetは、ハフィントンポストの記事なので、併せてこちらも載せておきます。

杉田水脈・衆院議員(自民)が同性カップルを念頭に「生産性がない」などと主張して批判を受けた問題で、杉田氏の寄稿を掲載した月刊誌「新潮45」が、9月18日発売の10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した反論特集を掲載した。

出版関係者からは「杉田氏の寄稿が掲載された号は売れたから反論特集を組んだ」という声があがる。批判を利用して注目を集める「炎上商法」でいいのか?

ベテラン編集者に聞いた。


元木昌彦さん。講談社時代に「週刊現代」の売り上げを大きく伸ばした、名物編集長として知られている。すでに「新潮45」を読んだという元木さんは開口一番、こう言った。

「炎上商法というか、雑誌にはあえて異論や暴論を投げかけて、議論を巻き起こすという手法はあります。この手法で大事なのは、編集部側に批判を引き受ける覚悟があるかどうかです」

「そのときも特定の人たちを無駄に傷つけるようなことはやってはいけない。杉田氏の寄稿は性的少数者だけでなく、子供をもてない人たちに対する配慮も明らかに欠いていた」

「批判に応えるのか、反論するのか。反論するとして編集部、編集長名義でやるのか。反論特集を組むのであれば、誰に書いてもらうのか。論者の人選がポイントになる。『いろはのい』です」

「この反論は雑誌のためにならない」

では、今回の新潮45の反論特集はどうか。

「新潮45の特集は、論者の選定が弱い。他の右派雑誌で書いている人たちが名を連ねており、同じようなことを書いている。これでは編集部が彼らと同じ意見であると言ってるのと同じです」

「既存の右派雑誌のラインナップに新潮45は寄っている。雑誌の独自性を失ってはいないだろうか。この反論特集では雑誌のためにならない」

どのようなやり方ならよかったのだろうか。

「論者をみて、杉田氏本人にまた書かせればいいんじゃないかと思いました。なぜ本人が書かないのかという疑問が残る」

いずれにしても、と元木さんは続ける。

「徹底的に反論するなら人選が弱い。雑誌の立ち位置を示すために、編集長が自ら書いてもよかったのではなないか」

特定のメディアを叩く雑誌が3つも4つも......

嘆き節は止まらない。

「いまの日本の月刊誌は『まだ比較的売れるから』という理由だけで執筆陣も論調も同じような右派雑誌が3つも4つもあるという状況です。それは明らかにおかしいでしょう」

参照元: https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/19/sincho45_a_23532117/

何というか、非知性主義(反知性主義ですらないので、こうとでも書くしかない)では、本当に何も生まなさ過ぎますからね。要はネトウヨ風情の阿呆に合わせても、紙面の無駄遣いでしかないでしょうし。(エセ保守は所詮、エセでしかないですからね)

以下、平野啓一郎氏(文豪になるかも知れませんね)のtweetより。


















三島由紀夫に関するある考察を書いたblog記事

やはり平野氏などもそのようですが、私もドストエフスキー等に限らず、多くの新潮文庫(言うまでもなく良質な作品が少なからずあります)を読んで参りました。(無論、三島作品等も読んでおりますよ、正直あまり好みではありませんが……)

が、かつてのヤン・デンマン=斎藤十一あたりがいた「週刊新潮」とかの雑誌となると様相はかなり一変しますよね……出版社が週刊誌に力を入れるのは、どうやらある方によると「日銭が欲しい」といった側面も否定できないらしく……とはいえ、色んな意味でのギャップは感じざるを得ませんね。

再掲するロバート・キャンベル氏のblog






















やれやれ、津田氏によると、しかも今の路線、元々少ない部数、しっかり落としているとは…………キリがなさそうなんで、この辺でやめときますね……。






ハーバービジネスオンラインの記事より。



うーん、そもそも過酷事故についての「実験」は不可能なのが原子力発電所(なのでこれ、実証科学とは言えないのでは?)ですし、まぁこれは所詮、室田武氏が言われているように「ただの巨大な湯沸かし器」でしかないんですが……日本のエドワード・テラー(水爆を作った張本人の一人です)になりたかったという、元プロの牧田氏の反論、確かに力があるとは思いますね。
続報にも期待したいですね。


 9月10日に、北海道大停電について、泊発電所の稼働問題は無関係であって、泊が動いてい「れば」「たら」論は、完全に無関係且つ無意味であると指摘しましたところ、たいへんな反響となり、100万PV超となっただけでなく様々な方から内容についてお問い合わせ頂きました。

 前回、高校卒業程度の知識で理解できるように執筆しましたところ、たいへんに分かりやすかったと言うお褒めの言葉を頂く一方で、隔靴掻痒であり、もっと説明して欲しいと言うお言葉も頂きました。また、なぜか全く理解できない方、読まずにご批判される方もお見かけしました。なかには、私に見えないようにした上で誹謗中傷行為に及ぶ随分ご立派な経歴の方も見受けられ、たいへんに驚きました。幸か不幸か、複数の知人がすべてを記録して提供してくださっていますので、その後こっそり消された分も含めて完璧に証拠として保全してあります。親方日の丸でリスク完全無視の言説にはたいへんに驚いています。

論理学の基礎問題として全面否定される泊「たら」「れば」論

 さて前回、泊発電所が震災時に稼働してい「たら」「れば」論について、その仮定自体が全く無意味であり、根本的に誤っていると指摘したところ、「コロラド先生のデマ」なる珍妙な反論が現れました。内容は、乾電池に見立てた発電所をエクセルで組み合わせるだけのもので、前回の拙稿を読んでいれば、恥ずかしくてとても人前には出せない稚拙なものでした。実際、私の目に入る前に複数の人物から発電所の組み合わせとしても基本的に誤りの単なる辻褄合わせであると厳しい指摘が入り、論旨が二転三転しているようです。

 三相交流同期広域発送電網の過渡現象はたいへんに難しい問題で、私の出身である大阪大学大学院工学研究科電気工学専攻でも、電力系の一つの研究室が成り立つもので、となりの研究室ではSX-3(1990年代のスーパーコンピュータ)でなんとかシミュレーションしている人物がおりました。落雷による超高圧送電網の挙動とレーザー導雷を関西電力と共同研究されており良く深夜まで話し込んだものです。最近のコンピュータはSX-3など遥かに凌駕しますので、経産省か電中研秘蔵の凄いエクセルマクロでもあるのかと期待していたのですが、実際にはエクセルで乾電池の組み合わせをされているだけでしたので、私は1日寝込むほどにがっかりしました。発電所はお小遣いの少ない小学生のプラレールやラジコンの乾電池ではありません。

泊原発は「公道走行不可能な野良自動車」

 さて泊発電所は、現在適合性審査がきわめて難航しており、今後1年は審査合格が出る可能性はありません。これは原子力規制委員会(NRA)と北海道電力の間の問題であって、他者が介入する余地はありません。(参照:泊発電所の審査状況 北海道電力

 適合性審査に通っていない原子力発電所と言うのは、車に例えれば形式承認が得られておらず、車検どころか仮車検証すら給付されない、絶対に公道を走ることの出来ない野良自動車です(前回、整備不良の無車検車と例えましたが、Twitterのフォロワーさんから、そんな甘いものではない、形式承認すら得ていない野良自動車だという指摘がありましたので、ここに訂正します)。

 泊発電所3号炉(泊3)の現在の審査状況は絶望的に遅滞しており、今後問題なく迅速に審査が行われたとして、審査終了まで1年はかかるでしょう。その後運開準備に1~3か月かかりますので、最速でも来年の冬に間に合うかどうかと言う状況です。

 実際には、泊サイト内の活断層疑惑が払拭できず、原電敦賀2や北陸電力志賀発電所と同じく泊も審査不適格で二度と運開することなく全炉廃炉となる可能性があります(参照:火山灰での証明、北海道電が断念 泊原発「活断層なし」, 朝日新聞, 2018年2月3日05時00分【原発最前線】活断層否定の火山灰が見つからない! 再稼働へ苦難続く北海道・泊原発, 産経新聞, 2017.12.12 17:00

 NRAによる適合性審査には批判も多いのですが、所内の断層評価と基準振動の評価については世界的に見てもかなり厳しい高水準で、これは旧基準時代に断層や地震の評価で横行した著しい過小評価(断層カッターや年代偽鑑定)への反省の上にあります。

 大阪大学理学部物理学科には、かつて池谷元伺博士(故人・阪大名誉教授・工学博士)がご在職で、この方は大阪大学工学部原子核工学科(原子力工学科)出身という変わった経歴の方でしたが、地層の年代測定でも活躍されていました。池谷博士がよく主張されていたのは、「原子力発電所の立地評価での地層の年代測定は、お金の力でねじ曲げられていて、仮に再評価が行われれば多くの原子力発電所が稼働不能になる。」と言うものでした。

 池谷博士は、すでに物故者となっていますが、30年を経て、多くの原子力発電所が断層再評価によって再稼働不能や審査大遅延に陥っているのを見ると、池谷博士の主張は当事者として偽らざるものだったのだと思います。

 こと、断層の再評価による適合性審査の難渋は、電力事業者に最大の責任があり、そのような不適切な行為に迎合した旧原子力規制当局にも同等の責任があります。電力事業者は不服があるのならば国家賠償請求訴訟を起せばよいだけで、規制そのものは情実で動かすことがあってはなりません。

 ここまでで自明なのですが、「泊発電所が動いていたら」という仮定は、適合性審査に合格してない、今後1年、場合によれば永久に審査合格の可能性がないと言う事実の前には、論理学の初歩問題として成立し得ません

 要するに憂さ晴らしの言葉遊びか八つ当たり、乾電池遊び以外のなんの意味も持たず、こと電力供給の議論に関しては完全に無意味であり、有害無益そのものです。

 原子力・核産業は「規制の上に成り立つ産業」です。この言葉を誰が言ったのかその原典は現時点ではわかりませんが、フランスCEA(フランス原子力庁)か合衆国NRC(合衆国原子力規制委員会)で要職を務める人物の発言だったと記憶しています。元NRC委員長ヤツコ氏のインタビューではないかという記憶があるのですが、現在調査中です。

 原子力・核技術は、得られる利益が巨大である反面、内包するリスクも巨大であって、工学的に確率をどんなに下げても一度でも大事故が起これば一国家が破滅するほどの損害となりかねないものです。例えば、ソ連邦が崩壊した原因の一つとしてチェルノブイル核災害(Chernobyl Nuclear Disaster)が挙げられます。また福島核災害(Fukushima Nuclear Disaster)でもその被害、損失は国家を揺がすほどに激烈なもので、これらのような核災害を二度と起してはなりません。この為、「厳しい規制を厳格に遵守し、厳正に運用すること」が原子力・核技術利用の大前提となります。これを表した言葉が「原子力・核産業は規制の上に成り立つ」というものです。

 規制、基準が厳しいから緩和しろ、旧基準に戻せと言う主張は、規制の上に成り立つ原子力・核産業にたいして、後ろから機関銃を撃ち込むに等しい、最も愚かなものです。私は、原子力・核工学を愛するものとして、このような行為に強い怒りを抱きます。

暴力型PA(パブリック・アクセプタンス)活動の手口

 さて、冒頭で触れた「コロラド先生のデマについて」という珍妙な反論は、「宇佐美典也のブログ」において2018年09月12日付けで公表されたのです。その前から、Twitterにて宇佐美典也氏(@usaminoriya)という方が、私を罵倒していると言う指摘が私のTwitter TL(タイムライン)上に現れていました。しかしながら、9月11日7時34分10秒時点でのスクリーンショットが示すように宇佐美氏は私をブロックしており、何を言っているのか当方には全くわかりませんでした。


 知らない人が何か言っているらしいことはわかりましたが、過去に私が失礼なことでもしたのかと過去ログを調べてみたところ、直接の関与は見当たりません。なお、私は過去ログを原則として消しません。Typo(打ち間違い、誤脱字)などによる差換の際は、稀にその旨明記した上で削除差換をすることはありますが、論旨が変わるような削除行為はしません。

 但し、例外として私が他者の人権を傷つけるような発言をした場合と、私によるPC(Political Correctness:政治的正しさ)を大きく逸脱する発言があった場合は、過去に遡って注記した上で削除しています。

 宇佐美氏については、当方がそのような過去ログ削除をした可能性はありません。なにしろ、知らない人です。削除対象になるような発言の応酬になった場合は、必ず覚えていますし、備忘録をTweetに残す習慣があります。

 フォロワーさんが採取してくれた宇佐美氏語録の一部(採取自体はほぼ100%網羅されている)を見ると、私に波状的にいちゃもん付けてきた人たちがすべて宇佐美氏の受け売りであったことが分かり、がっかりしました。

 現時点で採取されたものは、500前後の発言ですが、採取者の報告によると、宇佐美氏は、9/13迄に「反原発」「デマ」「コロラド」それぞれを含むツイートを消したようだとのことです。



 宇佐美氏による一連の採取されたTweetは、この執筆時点(9/18 10時頃)に初めて閲覧していますが、ただひたすら罵倒するだけで、さすがに伝え聞くかつてのインターネッ党の広報担当者です。宇佐美氏の取り巻きの方々の中にも今回、私をとても失望させる方が一人います。心底がっかりです。本当に、本当に残念です。

 これらの一連の宇佐美氏の発言に特徴的なのは徹底した誹謗中傷です。まず、拙稿は、「牧田寛」という実名で執筆しています。同時に、Twitterでの名前もHiroshi Makita Ph.D.としています。もちろん、私を「コロラド先生」という愛称で呼ぶ人は実名公開後も増え続けており、とてもありがたいことですが、私自身は「コロラド先生」という筆名を使っておりません。ところが、「宇佐美典也のブログ」において、「コロラド先生のデマについて」という表題記事が掲載され、そのなかで“コロラド先生なる人が<北海道胆振東部地震「泊原発が動いていれば停電はなかった」論はなぜ「完全に間違い」なのか>という記事を書いていて、これがデマだ、ということを指摘したらいわゆる反原発の人に噛み付かれて仕方ないので簡単に反証しておく。”という既述が冒頭になされています。

 宇佐美氏はなぜ、私が使ってもいない「コロラド先生」なる筆名をわざわざ使うのでしょうか。これは暴力型PA(パブリック・アクセプタンス:原発などの建設について、社会的合意を形成するための広報活動を指す。しかし、ほとんどの実態はカネと権力をつかった強権的詐術と言ってよいもので、極めて強い批判を浴びている。玄海原発九電やらせ事件などが記憶に新しい。福島核災害などの原子力重大事故の根本にもPAによる原子力従事者の自己暗示=安全神話の一種が見られる。「暴力型」というのは筆者による分類で、現在研究途上)の典型技法と同じです。

 宇佐美氏のブログの読者が、拙稿を読まないことを前提として、私を匿名化するという印象操作をした上で、デマ、嘘、反原発、(反原発で)飯を食っているなどのパワーワードを散りばめます。私が知る限り高木仁三郎氏が初期の被害者で、氏は「反原発で飯を食っている」という中傷に深く傷ついていたと氏の死去後しばらくして聞き及んでいます。私は文筆で飯を食っていますので、宇佐美氏の言う「(反原発で)飯を食っている」の後半は正しいです。頭と腕で飯を食って何が悪いのでしょうか。そして、反原発、脱原発を主張している方で私を自陣営と考える人は余りいません。私は、原子力と核を愛する原子力・核の狂科学者だったからです。残念ながら力及ばずでしたが、私が少年時代から目指したのは、合衆国のエドワード・テラー博士です。

 こうした暴力型PAによる被害者には、近くは故Study2007氏(※原子核物理の研究者(Ph.D.)であり、雑誌『科学』などにも論文を寄稿。福島第一原発の事故以降、Study2007というTwitterアカウントで積極的に情報発信を行い、岩波科学ライブラリーから『見捨てられた初期被曝』を上梓する。2015年11月病没)への誹謗中傷もありました。匿名の卑怯者、みんな嘘、でたらめ、嘘つき、放射脳と罵声を浴びせ続ける大学教授まで現れ、私はたいへんにたいへんに幻滅しました。

 Study2007氏は、実名での学術論文の投稿についても公表されており、その実名は誰でも知ることができたものです。氏は不治の癌に侵されており、病没されましたが、その際、F.D.ルーズベルト氏が病没した際にヒトラーが全世界に投げつけた罵声と寸分変わらない罵声を浴びせかける立派な経歴の人物など、凄まじい呪いの言葉の応酬には心底辟易されたものです。Study2007氏は公人ではありません、心優しく聡明な一私人でした。

 今回の私への人格攻撃も含め、これらは、私が暴力型PAと命名している典型技法です。私自身は、この技法を熟知していますので、屁の河童ですが、こういう害悪極まりない言論が世を汚すことはよろしくありません。今後も粛々と採取し、記録し、世に告発して行く所存です。

 なお、この暴力型PAで一番愚弄されているのは、そのPA媒体の読者です。

 繰り返し述べますが、私にPAの技法は通用しません。むしろ大喜びで採取、記録し、PA研究の題材にします。また、暴力型PAは、司法リスクの塊ですので、濫用はなさないことを強くお勧めします。世の中には、泣き寝入りする人ばかりではないでのす。

論旨の土台も枝葉も間違ってる宇佐美氏の反論

 なお、宇佐美氏の私への反論は、そもそも論理的に泊発電所の稼働というものはあり得ないという拙論に対して、乾電池の組み合わせの如く「送電網」の状態や性能、各発電所の特性を無視して組み合わせ、辻褄を合わせるものですので、論旨の土台も枝葉も誤っています

 土台については拙稿で繰り返し繰り返し指摘してきています。まずきちんと拙稿を読んで理解しましょう。参考文献・資料などは可能な限り提示しています。

 枝葉については、既に多くの方から誤りや矛盾点の指摘がありますが、私からも簡単にその誤りを指摘します。

 大前提として、北海道電力が泊3の適合性審査を合格させることが出来た異世界を想定します。

宇佐美氏による第一案(発災前)
原子力 泊3   900MWe
石炭  厚真4  700MWe
重油  知内1,2 700MWe
重油  伊達1,2 700MWe

 第1に、深夜早朝の電力需要閑散期に、重油を全出力で焚いていると言う想定がおかしいです。北海道電力にとって苫東厚真2、4号機は最大の稼ぎ頭であって、苫東厚真2を止めて重油を2か所全出力で焚いていることはあり得ません。また、この想定では、石油火力の出力追従余力を使い切っていますので、苫東厚真4が震災停止した途端に泊3は停止します。被災後17分間動き続けた苫東厚真1が停止中ですので中央給電司令所が対応する間もなく、ほぼ同時に全道停電します。この場合、泊3は外部電源を直ちに喪失したことになります。(現実の震災では、中央給電司令所が泊3への最優先の送電を試みていたと見られる。)

 第2に、宇佐美氏は“「この組み合わせが不自然で経済性を考えれば厚真は130万kwのはずだ」という人もいるかもしれないが、そもそもそのようなことは断定しようもないので、反証としてはこれで十分であろう。”と述べていますが、とんでもない屁理屈です。

 電力会社はその時々で最適の経済効率を求めて発電します。宇佐美氏の案の前提条件ならば、苫東厚真の定検周期にもよりますが、苫東厚真1、2、4の最低限、どれか2つの組み合わせまたは全てで発電します。余剰電力は揚水発電所(揚水)で蓄電します。石油火力の発電原価は石炭火力の概ね2倍です。現在は、原油価格が高騰していますので、更に高くつきます。そんなものを深夜にフルパワー運転する大手電力会社はこの世に存在しません。正当な理由なくそのようなことをすれば、株主代表訴訟を提起される前に経産省によって制裁的行政指導を受けるでしょう。

 第3に、宇佐美氏は調整余力が不足した場合には“出力が足りないというならば、奈井江35万kwを加えてもらっても結構だ。結論は変わらない。”と記しています。確かに結論は変わりません。奈井江発電所は起動できず、北海道は3時10分ごろに一挙にブラックアウトするでしょう。理由は簡単です。奈井江発電所は石炭火力です。北海道電力は、本来出力調整に向かない石炭火力を、旧式のものについては出力調整に用いています。これは北海道電力のベースロード向け電源偏重と言う電源構成の為です。そして石炭火力は、即時起動が出来ません。即時起動ができるのは一般水力と揚水で、次いで連系線です。石油火力や天然ガス火力は負荷変化率が5~10%/分と、出力追従性に優れますが、それでも起動には時間を要します。そして石炭火力は起動にたいへんに時間を要します。おおまかにはこうなります。

各発電方式による一般的な起動時間(点火→全負荷)
一般水力   数分
揚水     数分から十数分(運転状況による)
石油火力   60分前後
天然ガス火力 60分以上
石炭火力   6時間程度
原子力 一週間程度(条件によっては三日程度)
(参考文献:山地康博 火力発電の技術動向 日立評論, Vol.69 No.10 pp.891- 1987/10 ほか)

 なぜ、火発が瞬間起動できないかは、ボイラーの特性に依存しています。いろいろと書籍は出ていますが、一番簡単で宇佐美氏でも良くわかるのは、汽車のえほん(きかんしゃトーマス)シリーズ(ポプラ社)でしょう。正確さと言う点で絵にはいろいろと問題がありますが、ウィルバート・オードリー牧師の記述はたいへんに正確です。

 次に宇佐美氏による第2案です。これは神戸大学の牧野淳一郎博士(@jun_makino)によって第1案の誤りが指摘された後、宇佐美氏による数多くの罵倒の後に差し替えられたものです。

宇佐美氏による第2案(発災前)
原子力 泊3    900MWe
石炭  厚真4   700MWe
石炭  奈井江1,2 350MWe
重油  知内1,2  700MWe
重油  伊達1,2  700MWe

 これは数字があっておらず、答案却下なのですが(実は、第一案でも石炭火力が合計2GWeという表記があり本来はこれで答案却下)、善意に解釈して、奈井江、知内、伊達を出力調整運転していたと仮定します。

 第1に、北海道電力で最高の経済性を誇る苫東厚真1、2、4のうち4号機だけ運転して、旧式で経済性に大きく劣る奈井江1、2を運転している。これはあり得ない。

 第2に、経済性で最も劣る石油火力の知内1、2と伊達1、2を全機運転している。現実にはこれら石油火力のうち1基は停止中。出力追従運転用の石油火力を全機運転しているという状況は電力枯渇状況以外考えられない。特に9月は定検入りするユニットが多い。

 第3に、奈井江1、2は出力調整運転をしているものの、石炭火力は負荷変化率がたいへんに小さく、1~1.5%/分でしかない。仮にタービンが中間負荷用に改良されていても5%/分発揮できるかは不明。

 したがって、第2案でも負荷変動に耐え切れずに全道停電する可能性は排除できません。そもそもこのような経済性に著しく劣る電源運用は、私企業ではありえず、公営電力でもあり得ません。ただ、未来予知によって地震を予知していたならば、あり得なくもないですが、その場合はもっと別の手を考えます。

 これら第1案と第2案は、泊3を動かす為に電気事業を行うという手段が目的化している(犬のしっぽが犬を振り回す)思考によるもので、結果として辻褄合わせの為にあり得ない想定を積み重ねているのです。故に私は、「宇佐美氏の乾電池エクセル」と呼称するのです。

 同様の指摘は既に神戸大学の牧野淳一郎博士(@jun_makino)も繰り返しその誤りを指摘されていますので、そちらもご参照ください。(参照:牧野の公開用日誌9月12日

 きわめて基本的な誤りですので工業高校卒業生や高専3年生ならすぐに誤りに気がつくと思います。

 宇佐美氏は更に“追記;この記事を書いた動機についてだが、私は「泊原発を動かせ」という気はない。それは最終的には道民が決めることだ。ただこの機に乗じてデマを広げようとする人が許しがたいだけだ。“と述べられています。宇佐美さん、あなたは、鏡を見ておられるのですよ。

(斜字は私が加工しました)

文字数制限にかかるので、続きはtwishortに入れました


『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』番外編2-2


ちなみに、一応、アゴラの問題の記事もリンクしておきます。


そういえば、9/18に、こんなのも見かけました。
HBOもどうもフジサンケイ系列っぽいんですが、こちらのマスメディアとかとはだいぶ違うんですかね。
こちらは、起用している人物も含め、正に?フジサンケイクオリティになっていますが。




続報絡みの関連記事、毎日新聞より。


▽北海道大停電:18分間に3度負荷遮断 周波数が急低下
https://l.mainichi.jp/mdrymt1


朝日新聞にも同様の記事がありましたね。

■強制停電、3回目不十分 直後にブラックアウト 北電
 http://news.asahi.com/c/an8zcXhEiB1S6Aaq





 北海道で六日に地震が発生し、道内全域が停電に至るまでの十八分間の北海道電力の初動の概要が十九日判明した。主力の火力発電所が緊急停止した後、一部地域を強制停電する仕組みが三度作動し、別の火力発電所が出力を増やすなど緊急対応システムが自動的に作動していた。経済産業省の指示を受けた電力広域的運営推進機関(広域機関)は十九日、検証委員会を発足させ、停電の原因や再発防止策を議論する。 (伊藤弘喜)

 経産省などによると、北海道で六日午前三時七分に最大震度7の地震が発生。同八分、道内の電力供給の約半分を担う苫東厚真(とまとうあつま)火力発電所(厚真町)三基のうち2号機と4号機が地震の揺れを感知し、緊急停止した。一部の水力、風力発電所も停止。電力の供給量が急減し、常に同量に保つ必要がある電力の需要と供給のバランスが崩れた。

 直後に、一部地域を強制停電させて需要を減らして需給バランスを復旧させるシステムが作動。北海道と本州をつなぐ連系線で本州から電気が送り込まれたこともあり、需給バランスは一時的に回復した。

 だが、地震で起きた道民がテレビをつけるなどして電力需要が急増。他の火力発電所が発電量を増やしたが追い付かず、需給バランスが再び崩れた。強制停電のシステムが再度作動したが、需給バランスの乱れで残る火力、水力発電所が次々と停止。苫東厚真1号機も止まり三度目の強制停電が作動したが、電力会社の管内のほぼ全域が停電する国内初の事態に至った。

 こうした事態の再発防止策を議論する委員会は専門家四人で構成し、委員長に横山明彦東京大大学院教授が就任。二十一日に初会合を開く。



今朝の東京新聞より。この記事、不定期に出てきていますね。




私も透析患者(一級障害者)なので、完全に当事者です。
なかなか適当な求人、ないみたいなんですよね……。



 障害年金の支給を決めるうえで、大きな影響力を持つのが、障害の程度を審査する認定医だ。千人を超える障害基礎年金の受給者が症状に変化がないまま、支給停止や停止の予告を受けた問題も、昨年四月に認定医が大幅に入れ替わったことが原因だった。しかし、認定医が誰で、どのような経験や専門性を持つかは非公表。専門家からは「恣意(しい)的な審査の温床になる」と開示を求める声が強まっているが、国側は「審査に支障が出る」として応じていない。 (添田隆典)

 「これじゃ、まったく話にならない」。東京都東村山市の社会保険労務士、安部敬太さん(58)は昨年三月、日本年金機構が開示した「認定医一覧表」を見てあきれ返った。開示されたのは認定医の県名と、精神疾患や内部疾患といった担当疾患のみ。氏名や勤務先、連絡先などは黒塗りにされていた。

 安部さんが開示を求めていたのは、埼玉県を含む北関東・信越地方の認定医の情報。障害基礎年金の申請手続きを請け負った同県の発達障害者が、症状が重いにもかかわらず、不支給の判定を受けたことに疑問を抱いたのがきっかけだった。

 機構は「障害年金の請求者などから不当な働きかけを受ける可能性が高くなり、審査に支障が出る。過去に開示したことで、辞退を申し出た認定医もおり、特定につながる情報は明らかにしないと契約で定めている」と、氏名などの開示を拒否。安部さんは昨年九月、不開示の決定を取り消す訴えを東京地裁に起こしたが、八月の一審判決は機構側の主張を認め、訴えが退けられたため、控訴中だ。

 安部さんが開示請求をしていた当時、障害基礎年金の審査は都道府県ごとに分かれ、各地の認定医が機構から業務を請け負っていた。しかし、都道府県によって不支給となる人の割合に最大六倍の開きがあることが発覚し昨年四月、業務を東京に集約。認定医も東京と近郊の医師に一新した。

 ただ、機構が取材に明らかにした現在の認定医の情報は「三百人」という人数のみ。障害年金の対象は、目や耳から精神、肢体、がんなどの悪性新生物まで十九分野あるが、認定医の専門分野や経験年数、選定方法さえ公表していない。

 障害年金では、一つの案件を複数の認定医で審査する慣例がなく、「厳しく判定する医師に当たれば、受給できるはずの症状でも不支給になる」と、公平性を疑問視する声は社労士らの間で上がっていた。この点は厚生労働省も認め、判定が難しい案件については他の認定医とも協議するよう、機構に通知したのは今年七月。千人超の障害基礎年金の受給者に対する一連の打ち切り予告などが発覚した後だった。

 国の障害認定基準がはっきりしないという問題もある。障害基礎年金を受けるには、検査数値などの客観的な指標だけでなく、「日常生活が著しい制限を受けること」も問われるが、中身は曖昧で、個々の認定医によって判断が分かれやすい。しかも、審査にあたって認定医と本人との面談はなく、主治医が書いた診断書を頼りにしているのが実情だ。

 障害年金に詳しい日本福祉大福祉経営学部(愛知県美浜町)の青木聖久教授は「審査の透明性を高めるため、認定医は名前を含めて公開すべきだ」としたうえで、「誰が審査しても結果に齟齬(そご)が出ないよう認定基準の客観性も同時に高めなければ、根本的な解決にはならない」と指摘している。

参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201809/CK2018092002000193.html

今朝の朝日新聞より、オピニオン面、このところかなりよく引用していますが。
うーん、フランスの例とかを見ると、地方自治体、小さい方が小回りも効くし、きめ細やかなサービスを提供できているはずなんですが(この辺は内橋克人氏の書かれていることから)、政治の当事者的な視点からはまた違うんですかね?
峰さんの意見、重要な気がしますけれどもね、簡単ではないんでしょうけれども……。
合従連衡ばかりが続いた損保にいたからか、こういう問題、余計に色々と考えてしまいますね……。



 「平成の大合併」は市町村にとって明治、昭和に続く大波だった。国は財政危機をあおって合併を促したが、単独での存続を選んだ町村もある。大合併は私たちに何をもたらしたのか。

 ■「大合併」数の上では成功 片山虎之助さん(元総務相

 小泉内閣総務相として「平成の大合併」に取り組みました。構造改革や規制改革で政府の経済財政諮問会議の発言権が強かった時代です。

 「市町村の規模を大きくしなければ、国の財源や権限を移すべきではない」。諮問会議で学者や経済人の皆さんからよく言われました。そこで住民に一番身近な市町村を強くし、自分たちのことは自分たちで決める――という地方分権の実現のため、平成の大合併は必要と考えました。

 結果、3232あった市町村が10年間で半減し、1727に減少しました。数の上で合併は成功です。しかし課題は少なくありませんでした。

 西日本では合併は大きく進みましたが、市町村あたりの面積が大きい北海道など東日本や大都市圏はいま一つでした。あの頃、小泉構造改革による歳出削減で国の公共事業予算がガクッと減りました。合併した市町村には合併特例債の発行を認めて諸々の事業をできるようにしたから、それ目当てに合併したところもあったと思います。

 合併自治体からは、中心地ばかりが栄えて、周辺部がさびれたといった嘆きや、役場と住民の距離が遠くなったという声を多く聞きました。

 明治や昭和の大合併は人口が増え、国力が高まる中での「攻めの合併」。しかし平成の大合併は視点が少し違います。将来的に人口が減り、少子高齢化が進む、国力衰退の中でのいわば「守りの合併」だったのです。

 政治的に言うと、政権党の自民党には大マイナスでした。合併で市町村議会議員が約2万9千人減った。選挙の手足は地方議員ですからね。また、合併で大きな市の市長になると、自民党出身でも他の政党や労働組合などの協力がないと当選できないので、立場は真ん中になる。私は自民党時代、「自民党を強くする何らかの方策を考えないと弱体化していくよ」と言いましたが、党は何もできなかった。党の基盤は確かに弱くなったと思います。

 人口1万人以下の市町村が1万人以上の市町村と同じように仕事をするのは簡単ではない。これからは自治体のやる仕事と、地域コミュニティーでやる仕事、住民自らやる仕事にわけて考えなければ、増える仕事が処理できない。

 どこまで税金による公助とするか、どこからお互いの共助とし、残りは自身の自助に任せるか。役所の仕事も民間への移譲や委託、隣の市や近くの中心市、さらには都道府県で引き受けてもらう仕組みを作るなど、いままでの画一的な仕組みを見直すことを考えるべきでしょう。

 とはいえ、これまで地方制度調査会などの新しい提案も、言うだけでなかなか実現しないし、できても定着もしない。難しいですね。(聞き手・金子桂一)

     *

 かたやまとらのすけ 1935年生まれ。元自治官僚。参院自民党幹事長などを経て、日本維新の会共同代表・国会議員団代表。

 ■分離・独立、できる制度を 島田恵司さん(大東文化大学教授)

 平成の大合併は「地方分権の受け皿づくり」という建前で進められました。私は2013年から約2年かけて全国の市町村を回り、合併の実態を見てきましたが、実際は財政の論理が優先した「大義なき合併」だったと思います。

 合併で周辺部となった旧市町村の多くは衰退しています。特に大規模合併の周辺、離島の状況は悲惨です。まず人口減に歯止めがかかっていません。かつての役場は支所や出張所に衣替えし、周りの飲食店もなくなった。学校などの公的施設の廃止は周辺部から始まっています。

 かつての役場には地域を知り尽くしたベテラン職員がいました。目に見えない人間関係や災害の危険がある場所も熟知している貴重な存在でした。しかし、合併後は異動で別の地域に移っていっています。

 合併後の地方議員は人口集中が進む中心部から選ばれ、周辺部には「議員ゼロ地域」も目立っています。国は地域が衰退する懸念から合併でなくなった町村に公的な地域自治組織をつくれる仕組みを設けていましたが、今では数えるほどしか残っていません。

 国は財政を締め付ける手法で合併を促した。その結果、財政的に余裕がある大都市部は合併が進まず、地方交付税への依存度が高い地方は合併が進むという、地域的な偏りも生みました。

 平成は、大規模災害が相次いだ時代です。災害時は、住民同士の顔が見えるコミュニティーが重要な役割を果たすというのが今や共通認識です。そのコミュニティーを支えるはずの市町村が大規模化したため、きめ細かなサービスが難しくなりました。災害対応という面では、平成の大合併は完全な失敗でした。

 実は、昭和の大合併ではどうしても合併したくない集落は住民投票によって合併から外れることができる仕組みがありました。実際、この仕組みを使い、多くの集落が住民たちの意思で合併から外れたといいます。平成の大合併ではこの仕組みがなかったため、周辺部の意向は無視されたまま進んでしまいました。

 公平で透明な運営を行うためには、住民が自ら地域の未来を決定できる「自治体」を持つことが不可欠です。そのためにも、合併後に旧市町村の住民の意思で分離・独立できる仕組みを制度化すべきです。有権者の3分の1で住民投票直接請求を行い、過半数の賛成が得られれば、認めるというのはどうでしょう。

 いまは東京中心の考え方に毒され過ぎです。多くの人が「自分たちの町や村には何もない」とこぼし、自分の地域に誇りを持てない。分離・独立が可能になることで、欧州の小さな町や村のように、住民に自立心や自信が生まれればよいと思います。(聞き手・日浦統)

     *

 しまだけいじ 1955年生まれ。専門は自治政策論。著書に「だれが地域を救えるのか―作られた『地方消滅』」。

 ■小さくても個性ある街に 峰竜太さん(俳優)

 私が生まれ育った長野県下條村は「奇跡の村」と呼ばれています。大企業も、これといった産業もない人口約4千人の村なのに、14歳以下の子どもの比率は県内トップで、財政状況も良い。そのわけを知ろうと、国や自治体の関係者が視察にやってきます。

 平成の大合併に背を向けて単独で生きる道を選んだのは伊藤喜平(きへい)・前村長。私の親戚で、親しみを込めて「喜平さ」と呼んでいます。徹底した民間流のコストカットで赤字行政から脱却し、若い夫婦を引きつける政策で子どもの声が響く村を実現しました。

 喜平さはまず村の職員をホームセンターなどで研修させて意識改革を進めました。職員が退職しても補充せず、1人で何役もこなせるようにしました。公共事業は役場が資材を準備して、実際の工事は村民に共同でやってもらう手法を導入。捻出したお金を使って次世代向けの住宅を造りました。私が宣伝部長役を務めたこともあり、村はマスコミにも多く採り上げられました。喜平さは「合併しなかったおかげで、自治体の適正な規模を守れた」と話します。

 市町村の適正な規模は地形や自然、地域の歴史などで決まるもので、正解はありません。東京の1万人と下條村の1万人は全く違うのです。

 これからの市町村に大切なことはやみくもな規模拡大ではなく、どんな個性を持てるかではないでしょうか。

 私が出演している「出没!アド街ック天国」(テレビ東京系)は1995年から続く長寿番組で、街の個性発掘が売り。収録前に下見で現地を訪ねますが、毎回、新たな発見があります。神社や寺、老舗の店に行けば土地の歴史がわかります。シャッター商店街が住民の創意工夫でステキな商店街に変わった例もありました。たとえ小さくても個性があれば、街は滅びることはないのです。

 本当は合併したかったのに、財政問題などを理由に断られた町村もあると言います。でも、諦めてはいけません。一歩踏み出してみなければ、どんな結果が出るかわからない。好例が下條村です。

 企業誘致もいいですが、不景気で撤退すれば、それまで。高額返礼品でふるさと納税額を増やすのも邪道な気がします。まずは地域の歴史や文化など足元に眠る宝を掘り起こすべきでしょう。町並みの保存、祭りや風習の伝承などを住民が関心を持って調べてネットで発信する。日本文化に興味を持つ外国人は世界中で増えていますから、観光資源になるかもしれません。

 少子高齢化や過疎はどの市町村でも深刻な問題です。魅力ある街に人は住みたがるので、住民の獲得競争は避けられません。時には地域が手を組んで、全体のことを考えることも必要だと思います。(聞き手・日浦統)

     *

 みねりゅうた 1952年生まれ。司会やタレントとして活躍。長野県観光大使。著書に「“喜平さ”がつくった奇跡の村」。



”沖縄知事選と日米地位協定”


日本の問題、なんですが……。

そういえば、Twitterより、こんな事件もまたありました。

いつまでも、こんなこと、許すんですかね?







Facebook松本氏の記事より。



いつかは日本に戻りたい。家族や友達と普通に出かけ、普通に暮らしたい。- 伊藤詩織 #metoo

「スウェーデンは今年、同意を得ないセックスをレイプと規定する変革をしました。一方、日本では昨年、強制性交等罪に改正されましたが、犯罪とみなす要件に暴行・脅迫が残りました。実際の場面では、恐怖で体が固まって抵抗できなかったり、命の危険を感じてあえて従うふりをしたり、著しい暴行や脅迫に及ばなくても性犯罪が起こり得るのに、現実への想像力が足りません」

「日本の社会は当たり前とされるものや、権威にNOを言いづらい。逆にNOを言う人に反発すら覚えてしまうのではないでしょうか。私は激しいバッシングにどう生きていけばいいのかわからなくなり、『人生を終わりにしよう』と考えたこともありました。でも、声を上げれば結局そういう末路をたどるんだ、と受け止められてしまう。立ち続け、話し続けなければいけないと思っています」

「いまもフラッシュバックが起こり、突然涙があふれます。後回しにしてきた心のケアを始めるべきかと治療法などを調べています。相手には一瞬のことかもしれないけれど、性被害は人間の根幹に傷を負わせる行為です。レイプが戦争の兵器として、あるいは民族浄化に使われていることも悲しい現状です。今後の自分の仕事を通し、こうしたサバイバーの声に耳を傾けたいです」

- 朝日新聞 |【オトナの保健室】性犯罪なぜ? 問い続ける bit.ly/2NmZuxr

◎#wetoojapan on Facebook bit.ly/2OxWnPR
◎Shiori-Black-Box shioriblackbox.com

*BBC | Japan’s Secret Shame(日本の秘められた恥)bit.ly/2LkJoiM
*性教育は男女平等や人権、人の多様性を教えることにつながる。bit.ly/2MIzE1S

コメント欄より。




被害者が社会からパッシングを受ける社会とは、何だ⁉️弱者、傷つけられた人々に手をさしのべるのが当たり前ではないか?権力にまかせて、弱者をいたぶる社会から脱却できぬものか。





転機の年齢 等

テーマ:
今朝の東京新聞特報面より。#斎藤美奈子

あと、同新聞の本日夕刊より。
#水無田気流


あと、新潮45 関連とか……。












今朝の朝日新聞オピニオン面より。
困ったことに、要は日本はこの程度の国なんでしょうね。

 女子の入学者数を抑えるため、一律に入試の得点を減点していた東京医大問題。表だって男女差別を認める人は少ないのに、何が「コンクリートの天井」となり、女性を阻むのか。

 ■抜け出せぬ役割分担意識 宋美玄さん(産婦人科医)

 性別や国籍への差別は存在するけれども、点数は裏切らないと思って育ちました。コンクリートの天井があるのもわかっていたけど、それでも女性でも、勉強すればなれるのが医者だと思っていました。それだけに、裏切られたことがショックです。

 得点操作に理解を示す医者がいますが、容認しているわけではないと思います。限られた人数での仕事に疲弊し、無力感から現状を変えられないと感じている。今の状態を諦めての発言だと思います。

 20代のころの私も、24時間態勢の産科医療の現場で働きながら、「産休や育休による人材減少を防ぐには、女性の医者は1割ぐらいに抑えた方がいい」と思っていました。周りはみな仕事と生活で燃え尽きていました。毎日降りかかってくる仕事を前に、「きれいごとを言っている場合じゃない」と考える気持ちはよく分かります。

 しかし健康面での「弱者」が来るのが医療現場です。様々な背景を持つ患者の気持ちを理解し、健康を守るには、医者も多様な人材であった方がいい。健康で、いくらでも働けるマッチョな人しか診る人がいないのは困ります。

 男性にも女性にも、色々な人材がいます。「女性にはこれが向いている」とか、一律に性別で分ける議論はしないようにしています。子どもの世代にも、こうしたジェンダー意識は植えつけたくないと思っています。

 それでも私自身、役割分担意識から抜け出せていない部分があります。たとえば医者同士が結婚し、夫の海外留学に妻がついていく例はよくありますが、その逆はあまり聞きません。みんな「おかしい」と思っているけれども、実際はそうなっている。我が家も夫が医者ですが、子育てを主に担うのは私で、夫は時間があったときだけかかわるという形です。

 こうした社会の現状を変えるには、男性がもっと育児休暇を取ることです。男性が育児や家庭に関わることで、女性にも男性にも「仕事と私生活を両立しなくては」という意識が育つ。子育ての負担が女性に偏っているから両立が課題となり、「女性は使えない」と言われてしまう現状はおかしくないでしょうか。

 昔はもっと低い所に「天井」があったと思います。「そんなものかな」と諦める雰囲気の中、いい意味で空気を読まない人たちが、子育てを諦めてでも男性社会に進出し、その下の世代が少しずつ道を広げていったのです。

 男性が重用されるのは、長時間労働に何十年も耐えてきたからです。そういう価値観で人を採用している組織を、若い人は避けて欲しい。日本社会が変わらなければ、優秀な人材はどんどん海外に逃げていくでしょう。

 (聞き手・湊彬子)

    *

 ソンミヒョン 1976年生まれ。丸の内の森レディースクリニック院長。女性の健康についての発信を続けている。

 ■能力の評価、恣意的に変化 中村高康さん(東京大学教授)

 能力というのは、厳密にはかったり比べたりするのが難しいものです。能力の定義は社会状況に応じて変わり、能力があるかどうかの判定にはあいまいさや恣意(しい)性がつきまとうからです。はかるのが難しい能力を、はかろうと無理をする時、そこに「差別」が潜り込む余地が生まれます。

 東京医大は入試で、受験生の将来の生き方や働き方まで判定しようとしました。医療の世界では「長時間働けて辞めない人材が医師として能力がある」という考え方もあり、それが入試でも物差しとして使われました。

 けれど受験時点で、将来の出産や退職などわかるわけがありません。そこで「女性は出産をきっかけに辞める例が多い」といった過去の事例にもとづき、一律に女子の得点を下げました。「Aという属性の人は能力がある(ない)確率が高かった」という経験に基づき人を評価する、「統計的差別」の典型例です。

 子育て中の女性医師が辞めたり早く帰ったりする様子を間近で見たことがあると、こうした判断に一定の合理性があると納得してしまいます。彼女たちがよい仕事をしたケースもたくさんあるはずですが、そこは注目されません。

 能力の判断は、特定のコンテクスト(文脈)に縛られています。たとえば労働問題を語る場では、「『子どもがいる女性』は勤続能力が低い」とみなされがちです。一方、国会議員の「生産性がない」発言が話題となりましたが、そもそも少子化という問題の前では、子どもがいるというだけで人を高く評価する視線さえ生まれます。このように、能力の評価は非常に恣意的に変わるのです。

 たとえば、医師でなく受験生や親の立場なら減点をどう思うかなど、異なる視点を想像してみましょう。それによって、自分とは異なる能力観を踏まえた建設的な議論が生まれやすくなると思います。

 今気になるのは、権力を持つ人が、鋳型にはめるように能力の判定基準を一方的に決めつける空気です。現在進行中の大学入試改革にもあてはまることです。東京医大の問題では、識者や医師の一部から「そんなに悪いことではない」という意見が公然と出たこと自体が、社会の雰囲気を示しています。それを容認するのは、「現実を考えれば仕方ない」と、あたかも男子優遇を医師不足の新たな解決策のように考えてしまうからですが、昔からあった差別を持ち出しているに過ぎません。

 人を選抜するという行為にはコネや主観が入り込みやすく、公平性の手綱を少しでも緩めると、すぐ隙ができてしまうものです。公平という価値は、先人が勝ち取り、築いたこの社会のインフラです。一度捨てたら簡単には取り戻せないと認識すべきです。

 (聞き手・高重治香)

    *

 なかむらたかやす 1967年生まれ。専門は教育社会学。入試や高大接続に詳しい。著書に「暴走する能力主義」など。

 ■弱者への批判と同じ構造 木村忠正さん(立教大学教授)

 私は、ツイッターや掲示板、ニュースサイトのコメント欄などに掲載されている数百万にのぼる投稿を分析し、いわゆる「ネット世論」について研究しています。今回の東京医大の問題も、得点操作が報じられた8月2日以降、ネット上の言論空間で発せられたさまざまな意見に目を通しました。

 医療現場の現状など問題の根深さを考える内容が目立ちましたが、中には女子大の存在への異議や、入試で女性枠は認められているのに、男性を優遇する得点操作を許さないのは「男性差別ではないか」という趣旨の投稿もありました。女性への優遇措置だけが社会的に認められているのはおかしいという、男性からの「逆批判」と言えます。

 女性に向けられたこうした批判は、ネット空間で「生活保護」や「LGBT」「沖縄」「障害者」など、社会的弱者や少数派へ向けられる批判やいらだちと同様の論理構造です。根は同じところにあると思います。

 ネット世論は保守的傾向が強いとされますが、「嫌韓・嫌中」を、憎悪に近い過激な言説で繰り返し投稿する人は投稿者の1%もいません。むしろ、ネット世論に通底する主旋律は、弱者や少数派が立場の弱さを盾に取って権利を主張し、利益を得ていると考える層が形作っています。いわゆる「弱者利権」へのいらだちや違和感です。

 私はこれを「非マイノリティポリティクス」という概念で捉えています。マジョリティーだがマジョリティーとして満たされていないと感じている人々が、彼らなりの「正義」や「公正さ」を求める現象です。彼らは仕事や家庭、生活で困難を抱えていても、女性や障害者のように自らを「弱者」と表明できず、そこに違和感を感じています。

 一般的に、リベラル的な公正さは平等や人権に象徴され、社会的弱者や少数派への優遇策や配慮につながります。しかし「非マイノリティ」が考える公正さは「数に応じた比例配分」や「因果応報論」「伝統・秩序の尊重」と結びつきます。LGBTへの配慮に疑問を呈した杉田水脈議員のような主張は、心情的に浸透しやすいのです。

 彼らの投稿を読むと、極端な感覚をもつ人々ではないことがわかります。しかし「女性専用列車は男性差別だ」と主張するとき、痴漢犯罪に苦しんできた女性へ想像力が向かうことはありません。

 社会が積み重ねてきた少数派への配慮の記憶を失うと、秩序や権威への服従が進み、「目には目を」といった地が現れてきます。こうした流れを止めるためにも、ネット世論を特別視するのではなく、理解を深めながら、公論の場を形成する言葉が必要とされていると思います。

 (聞き手・中島鉄郎)

    *

 きむらただまさ 1964年生まれ。専門はネットワーク社会論。「ハイブリッド・エスノグラフィー」を近く刊行。



参照元: https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S13685068.html?rm=150