本日の東京新聞国際面より。北川記者の記事、当blogでも以前、取り上げました。
アウンサンスーチー女史、残念ながら元から政治家としての力量は不十分と言われていましたが、ミャンマーというか、ビルマ、には代わりになる人がいないようですからね。
……まぁさすがに安倍晋三の代わり、日本ではいるのではないかとは思うんですが、その辺はやはり各国で事情が異なるようではありますね。(アベ信者にいちゃもんをつけられそうな内容ですが……)







 ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャへの迫害問題の取材を巡り、ロイター通信のワ・ロン記者(32)とチョー・ソウ・ウー記者(27)が逮捕されてから十二日で一年がたった。逮捕に謀略の疑いが残る中、一審で禁錮七年の判決を受けた両記者は控訴した。幼い娘を持つ妻らは不安を募らせながら、夫の帰りを待っている。

  (ヤンゴンで、北川成史)


 米タイム誌は十一日、年末恒例の「今年の人」に、真実を伝える「守護者」として両記者を選出。ヤンゴンでは十二日、両記者の釈放を求め、報道関係者ら百人以上がデモを展開した。

 ワ・ロン記者の妻パーン・イ・モーンさん(36)は十一月下旬、八月に生まれた長女テッ・ター・エンジェルちゃんを連れ、ヤンゴン市内の刑務所を訪れた。ワ・ロン記者が娘と会うのは二回目。「時がたつのは早い」と成長をかみしめ、控訴後の状況を気に掛けていたという。

 チョー・ソウ・ウー記者の妻チッ・ス・ウィンさん(23)は十月下旬、長女モー・ティン・ウェイザンちゃん(3つ)と家でロウソクをハート形に並べ、夫不在のまま結婚六周年を祝った。ハートの中央には家族の人数分の三本のロウソクを立てた。十一月下旬、妻と面会した同記者は「すぐに釈放されるから」と、励ましの言葉をかけたという。

 夫の逮捕後、二人は二度、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相宛てに手紙を送った。「夫は無罪です」と釈放への力添えを求めたが、返事はない。

 逆にスー・チー氏は一部のインタビューで「記者らは法を破ったから逮捕された」と主張。パーン・イ・モーンさんが一審判決後、発言に疑問を表したところ、インターネット上で何者からか殺害予告を受けた。

 仏教徒が九割のミャンマーで、ロヒンギャへの警戒感は強い。国軍による迫害を暴いた両記者を快く思わない人たちもいるが、妻らは「夫は記者の仕事をしただけ」と訴える。

 「夫が戻れば家族が再び一緒になれる。理解してくれるはず」。チッ・ス・ウィンさんは、軍政時代に計十五年間自宅軟禁され、家族と分断されたスー・チー氏に、願いを繰り返した。

◆一審判決、多くの疑問 控訴審初公判24日

 ロイター記者二人の控訴審は、初公判が二十四日に設定された。判決まで半年程度かかる可能性がある。

記者らは西部ラカイン州で兵士らがロヒンギャ十人を殺害した事件を取材していた。昨年十二月十二日、治安部隊の極秘資料を警察から入手したとして、国家機密法違反容疑で逮捕された。

 第一審で記者らは無罪を主張。証人出廷した警察官も「逮捕は罠(わな)だ」と幹部の指示によるでっち上げを証言した。だが今年九月、「国益を害する意図があった」と実刑判決が言い渡された。記者らは十一月、上級裁判所に控訴した。

 記者側弁護人によると、判決は報道やインターネットで表に出ている副大統領のラカイン州訪問日程を国家機密と認定するなど、疑問点が数多いという。弁護人は「司法制度が国軍や政府の影響から独立していない」と指摘した。

 ロイターは「判決は事実面でも法的にも誤りだ。記者がいつでも投獄されるというメッセージになった」と主張。報道の自由や民主化に対して悪影響を及ぼすと批判した。




以下、関連記事が昨日掲載されていました。


ミャンマーに記者釈放訴え 米下院が決議採択

 【ワシントン共同】米下院本会議は13日、ミャンマーで昨年12月に拘束されたロイター通信のワ・ロン記者とチョー・ソー・ウー記者の釈放を訴える決議を採択した。

 決議は両記者の訴追を「不当だ」と非難し、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相らに両記者や他のジャーナリスト、政治犯を釈放するよう求めた。ミャンマーでのイスラム教徒少数民族ロヒンギャ迫害を「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と指摘し、実態を調査する記者らが弾圧されていると懸念を表明した。

 ワ・ロン記者らはロヒンギャに関する極秘資料を警察から不法入手したとして拘束され。


参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018121401001164.html





以下、BLOGOSの記事より。


米誌「今年の人」、故カショギ氏や拘束のロイター記者ら

[ニューヨーク 11日 ロイター] - 米タイム誌は11日、毎年恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」を発表した。トルコのサウジアラビア総領事館で殺害されたサウジ人記者ジャマル・カショギ氏と、ミャンマーで拘束されているロイターの記者2人、フィリピン政府に批判的なニュースサイトの創設者、および銃乱射の標的となった米メリーランド州の新聞社キャピタル・ガゼットが選ばれた。

同誌は、民主主義に不可欠な真実という概念が攻撃されていると警告した。

カショギ氏は、サウジのサルマン皇太子に批判的な姿勢を取っていた。死去した人物が「今年の人」に選ばれるのは初めてとなる。

一方12日は、ミャンマー当局により、イスラム系少数民族ロヒンギャに対する迫害問題を取材していたロイターの記者ワ・ロン氏とチョー・ソウ・ウー氏が拘束されてからちょうど1年となる。2人は9月3日に国家機密法違反の罪で有罪判決を言い渡された。

ロイター・ニュースのチーフオペレーティングオフィサー、レジナルド・チュア氏は、「(2人が選ばれたことにより)不当な逮捕と拘束に対する認識が引き続き喚起されるとともに、世界中で報道の自由という必須の役割が再確認されるよう期待する」と述べた。

フィリピンのニュースサイト「ラップラー」は、ドゥテルテ政権をしばしば批判。創設者で、今年11月にサイトとともに脱税容疑で逮捕状が出ているマリア・レッサ氏も「今年の人」に選ばれた。

キャピタル・ガゼットは、今年6月に銃乱射事件の被害に遭い、5人が死亡した。

参照元: https://blogos.com/outline/344780/








本日の東京新聞の「考える広場」より。
暴言というか……杉田水脈あたりがそもそもまともなことを言った試しがあるのか⁇という気はしますね。
泉谷しげるさんとかは、どちらかといえば偽悪っぽく振る舞っている感じですよね。








 世の中には今、暴言があふれている。トランプ米大統領は民主党を「犯罪の党」とののしり、杉田水脈衆院議員は性的少数者(LGBT)は「生産性がない」と雑誌に寄稿して炎上。言論は劣化したのか。

 <暴言> 広辞苑によると「礼を失した、乱暴なことば」。政治家の暴言としては1953年に吉田茂首相(当時)が衆院予算委員会で野党議員に対して発した「バカヤロー」が有名。すぐに撤回したが、野党側は納得せず。内閣不信任案が可決されたため吉田氏は国会を解散。「バカヤロー解散」と呼ばれた。50年に池田勇人蔵相(当時)が言ったとされる「貧乏人は麦を食え」も有名だが、低所得者をばかにする意図はなかったとする見方もある。

◆自己顕示のため攻撃 シンガー・ソングライター 泉谷しげるさん


 暴言吐くやつってさ、要するに頭悪いんだよな。自分のやってきたこととか今の地位とかをばかにされたように思って、自分を誇示するために攻撃的なことを言っちゃう。けど、暴言吐いた途端に、そいつの出来の悪さが露見するんだよな。

 俺は毒舌ですよ。でも、毒舌は暴言とは全然違う。毒舌は文句、批判ですよ。少なくとも俺の場合は。「何だそりゃ」とか「それでいいのか」って。それで「文句言うならてめえがやってみせろ」と言い返されて。毒舌は自分に返ってくる。やらないやつはただの文句言いで、誰にも相手にされなくなる。新聞も国をたたいたりしてるからある種、毒舌じゃないですか。

 例の「LGBTは生産性がない」っていう暴言は、炎上狙いみたいなところもあって、どうやって関心を持たせるかって考えたのかな。過激なことを書いた方が読まれるだろうと。「私すごいこと言うでしょ」って、自己顕示に近いんじゃないかな。彼女は半分ぐらいの人は賛成してくれると思ったかもしれない。でも計算違いだった。それでも自分は絶対に正しいと思うなら反論しないと。隠れちゃうんだもんな。無責任だよ。

 彼女の言ってることは精神的な虐殺ですよ。用のないやつを切り捨てよう、排除しようという思想につながるから。それは社会的に不都合な感情なんだと気付かないといけない。もしかしたら人間には、心のどこかにLGBTとか障害者に対する差別意識があるかもしれない。だけど、それを乗り越えていくのが人間の知恵であり、知力だよな。生理的な本音のままじゃ駄目なんですよ。

 俺は地震の被災地でコンサートをやると、客に向かって「被災者だからって不幸面しやがって」とか言っちゃうんですね。励ましですよ。そうすると客席から「ふざけるな、ばか野郎」とか言い返してくる。被災者だって遠慮しないで、文句も言っていい。「おまえら被災者扱いされたくねえだろ」って叫ぶと、すごく盛り上がりますよ。障害者が客席にいても障害者扱いしない。「車いすで場所取りやがって」とか言ってね。そうやって相手をする。健全だと思いますよ。

 今の世の中は暴言だらけ。ときの大統領が暴言吐きまくってる。上に立つ人間が差別してんだから話になんないよな。

 (聞き手・越智俊至)

 <いずみや・しげる> 1948年、青森県生まれ。71年デビュー。代表曲に「春夏秋冬」など。俳優としてもテレビドラマや映画に多数出演。「一日一偽善」を掲げて慈善活動に取り組む。

◆真の意図、見抜かねば 明治大教授・海野素央さん


 杉田氏の寄稿で注目したのは、「LGBTは生産性がない」という暴言を吐くことで快適に思う人、スカっとする人がいるということです。賛同する人数は一部でも、非常に熱狂的。敵をつくり対立の構図をあおることによって、自分の支持基盤を固めていく。これはトランプ米大統領と同じやり方なんです。

 米中間選挙の研究で、九、十月にトランプの演説を聞いてきました。中米からの移民キャラバンについて、「あの中には中東の人間がいる」と。二〇〇一年の米中枢同時テロ以来の「中東=テロリスト」というステレオタイプを今も使っているんです。杉田氏と同じく、恐怖と不安と怒りをあおるヘイトです。

 トランプの大統領就任より前から、米国社会は分断されていました。背景には、白人が減りヒスパニックなどの割合が増えるという人口動態の変化への不安があります。オバマ前大統領は、労働者に向かって「グローバルな時代には知識やスキルが必要。だから大学に行こう」と呼び掛けた。一方、トランプは「あなたたちは正しい。悪いのは不法移民や企業だ」。

 分断社会では、ヘイトがすごく効果的なんです。一六年の大統領選で、トランプは分断対応型の新しい選挙をやった。退役軍人や白人至上主義者などの支持者を固めて、火を付けるという方法です。(政治的に)真ん中にいる無党派を狙うのが選挙の常識ですが、トランプは、一部の支持者にしか呼び掛けません。トランプは支持者以外のメディアなどに何を批判されても気にしない。だから、ファクトチェックをやっても効かない。

 トランプ支持者と反トランプの人では、毎朝見ているテレビ番組まで違う。社会の分断が加速すると、お互いの間にブリッジ(橋)が架からず、コミュニケーションがなくなる。日本でも同じ現象が起きる可能性があります。世界各国で似たような政治家が台頭しているのが、トランプ流の手法を学んだ結果だとすれば、困ったものです。

 巻き込まれないためには、暴言には支持者を固めるという真の意図がある、と見抜くことです。今年の中間選挙では、女性や若者、ヒスパニック、LGBTなど多様な属性が融合した「異文化連合軍」の民主党が下院で勝ちました。二年後の大統領選では、トランプ流の「単一文化連合軍」が勝つのか。注目です。

 (聞き手・谷岡聖史)

 <うんの・もとお> 1960年、静岡県生まれ。博士(心理学)。研究の一環で2008~16年の米大統領選はオバマ氏、クリントン氏陣営にボランティアとして参加。著書に『オバマ再選の内幕』。

◆社会常識の再構築を 作家、法政大教授 中沢けいさん


 耳を疑う暴言がまかり通る最近の言論の劣化の背景には、二つの要因があると思います。

 一つは、会員制交流サイト(SNS)の登場です。誰でも発言できるSNS上にヘイトスピーチ(憎悪表現)が現れました。それは当初、タブー(社会的な約束事)を破ることを面白がる思春期の少年少女のような感覚で行われているように見えました。しかし、タブーが破られたことで、今まで社会の底に沈んでいた言説が浮上してしまったのです。

 二つ目に、従来の言論形成に力があった新聞、出版などが一時的な「不況」ではなく「市場規模縮小」の時期に入ったこと。新聞の部数減がいわれますが、出版はもっとひどい。昨年の市場規模はピークの一九九六年のほぼ半分。雑誌では、主要百二十誌中、この十年で実売が半分以下になった雑誌が三十三誌もあります。

 雑誌は表紙や広告を見るだけで世論に影響を与えてきました。ところが、週刊誌は主要読者の高齢者向けに健康やマネー運用などの記事を増やし、政局に絡むような記事は減少。かつての世論形成のプロセスが機能しなくなっています。出版の弱体化は、少しの資金で世論操作がしやすくなっていることも意味します。非常識な内容の本でも出版しやすくなっている。

 しかし私は、非常識はいずれ常識に収れんされてゆくと思っています。自動車がいい例。普及期は交通事故が多発しましたが、道路交通法が整備されると同時に日常感覚としての交通マナーができた。同じように、SNSでも法の整備や社会的ルールの共有などによって秩序を取り戻すでしょう。その意味で、今は新しい言論秩序が生まれる前の混乱が続く「バベルの塔」状態かもしれません。

 今、日本では従来型の言論形成への蔑視や無知がはびこるのに加え、サブカルチャー全盛の中でオーソドックスな精神形成のプロセス(メインカルチャー)が見失われている。しかし、それは「見失われた」のであって「失われた」わけではない。今こそ、広く社会で共有されるべき常識(コモンセンス)の再構築が行われるべきです。特に、昭和中・後期の政治・経済・文化について。「記憶」が失われていく今、これらをきちんと「記録」し、皆で「共有」するプロセスが必要です。小説もその一端を担うと思っています。

 (聞き手・大森雅弥)

 <なかざわ・けい> 1959年、神奈川県生まれ。78年、「海を感じる時」で群像新人文学賞。85年に『水平線上にて』で野間文芸新人賞。2015年に対談集『アンチヘイト・ダイアローグ』を出版。


参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2018121502000228.html


*まぁネットは馬鹿にも発言権らしきものを与えてしまったのかも知れませんし、所詮はその程度のものかも知れませんが、さすがに少しは淘汰されるような気もします、しょうもない有象無象はどうせ存在し続けるんでしょうけれども……。

本日の朝日新聞のインタビュー記事より。
いわゆるネトウヨ層では、正直、本当にどうしようもないですからね……翁長さん、そこを卒業?して真っ当な政治家になれて良かったとは思いますね。


 米軍普天間飛行場の移設先、辺野古沿岸への土砂投入が14日、始まった。保守政治家でありながら自民党政権が進める移設に抵抗し、8月に急逝した故翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事。次男で那覇市議の雄治(たけはる)さんは沖縄を守る保守として、基地を強いる本土の保守との対立も辞さないと言う。元ネトウヨの彼が思い描く保守のカタチとは。

 ――お父さんの翁長雄志・前沖縄県知事が8月8日に亡くなった3日後の11日、那覇市で開かれた辺野古土砂投入阻止の県民集会での雄治さんのスピーチが語りぐさになっています。

 「父が死ぬ2日前、病室で30分ぐらい話をしました。沖縄のこと、基地のこと、あれこれ語りましたが、そのときの父の言葉をここで県民に伝えないでいつ言うのかと思い、自分からお願いしてあいさつをさせてもらいました」

 ――スピーチで、沖縄がいかに米軍基地の負担に苦しめられてきたか。新たな基地には大義名分がないこと。「ウチナーンチュ(沖縄の人)が心を一つにして闘うときは、おまえが想像するより、はるかに大きな力になる」と父から言われた、などと述べています。

 「そんな話をした翌朝、父の容体が急変。午後にまた来るよという呼びかけに、『ああ』と言ったのが、肉声を聞いた最後でした」

 ――後継を選ぶ知事選は、雄志さんが指名しオール沖縄が支援した玉城デニー氏と自民・公明両党が推す佐喜真淳宜野湾市長の一騎打ち。メディアの情勢調査は玉城氏優勢を伝えていましたが。

 「知事選は玉城選対の青年局長をやらせていただきました。今年2月の名護市長選ではオール沖縄が推す稲嶺進氏が事前調査で有利だったのに、最後に自民・公明が推す候補に逆転された。その再来を恐れましたが、今回は自公に名護市長選時の勢いがなかった」

 ――3代続く保守政治家の家系です。選挙はお手のものでは?

 「我が家には『政治は家業ではない』という家訓があり、できるだけ政治から遠ざかるように言われていました。父の選挙も母は僕を選挙事務所に行かせたくなかった。勝手に遊びにいっていましたけどね。選挙を手伝ったのは大学時代の那覇市長選が最初です」

 ――その頃から政治に興味を持つようになった?

 「正確には大学4年だった09年、民主党自民党から政権を奪取した年です。当時の僕はネトウヨバリバリ。韓国は悪い、中国はとんでもない、民主党はダメな党といった右派のコメントをSNSで読んでは、共感のコメントを書き込んでいました」

 「あの頃、日本は雰囲気がおかしかった。マスコミは政権交代をあおり、盛り上がっていた。僕はマスコミの報道は偏ってもいいと思っているんです。でも、皆が同じ方向を向くのは変。流れで民主党に票を入れるのは、いかがなものかと感じていました。保守政治家の息子として根っからの自民支持で、自民の敵は自分の敵という意識もありましたけど……」

 ――新聞やテレビといったメディアが政権交代ブームに踊っていたのは確かです。

 「真実はネットにあり、マスコミにはないと信じていました。ところが、次第にネトウヨに疑問を抱くようになった。最大の転機は父がネットで叩(たた)かれたことです」

 ――いつごろですか?

 「12年末に民主党政権から自民党安倍政権に代わった後、那覇市長だった父が東京で『普天間基地の県外移設、オスプレイ配備反対』の行動をしたのを境に、ネット上に『翁長の長女は中国の外交官と結婚』『次女は北京大学に入学』なんてデマがあふれました。あまりにアホらしい作り話に、姉たちと笑っていましたけど」

 「他の点では意見が一致するけど、翁長雄志については妙なことを言う。なんかこいつらおかしくないか。そう思い始めると、民主党や中国、韓国が悪いという主張もあやしく見えてきた。ネトウヨの主張は事実でなく、思い込み。自分がそうだと思うことを書いているだけ。SFの世界なんです」

     ■     ■

 ――なぜ、ネトウヨは保守の翁長さんを叩いたのでしょうか。

 「米軍基地に反対する人はすべてネトウヨの敵です。でも、ネトウヨは自分の地元に米軍基地ができるのは嫌。おかしいでしょ。ただ、それはネトウヨだけじゃない。保守の人たちも、国を守るために日米安保は大切と言いながら、なぜ本土で基地を受け入れないのかと父が問うたら、みんな黙る。結局、これが本土の保守」

 ――かつては自民党にも沖縄の窮状に理解を示す政治家がいました。橋本龍太郎首相は普天間飛行場の返還合意をまとめ、小渕恵三首相は「沖縄は第二の故郷」と言って、沖縄振興に尽力した。いずれも派閥は田中・竹下派の系譜を引く経世会(現平成研)でした。

 「父と小渕さんには逸話があります。父は県議初挑戦の時、自民党から公認をもらえなかった。それに小渕さんが怒り、沖縄まできて応援してくれたと言います」

 「思えば経世会の政治家には人情があり、話ができた気がします。小渕首相が倒れ、岸・福田派の流れをくむ清和政策研究会森喜朗さんが首相になったのが転機でしたね。以後の首相は小泉純一郎さんをはじめ、ほとんどが清和研清和研の議員は沖縄とあまり縁がなく、沖縄に厳しい」

 ――安倍晋三首相清和研ですが、自民党には経世会の系譜の政治家もいるはずです。沖縄と積極的にかかわろうとする自民党議員が少ないのは、なぜでしょうか。

 「自民党にもリベラルな考えの先生もおられるのですが、小選挙区制の下、党本部や首相官邸に刃向かえないというのも大きいでしょう。ただ、それがいまの自民党の幅を狭めていると思います。何らかのかたちで沖縄にゆかりのある方は、ぜひ沖縄に想(おも)いを寄せていただきたいですのですが……」

 ――17年7月、雄治さんは那覇市議に当選。14年県知事選で雄志氏を推して自民党県連から除名処分などを受けた議員らでつくる政治団体「新しい風・にぬふぁぶし」に所属しています。翁長家3代目の政治家となったわけですが。

 「兄弟姉妹で僕が一番政治家に向いていないと、父は母に言っていたみたいです。軽すぎるのかな。ただ、最後は『若いやつが政治に燃えたら誰も止められないんだよ』と母を説得したらしい」

 ――道半ばで倒れた雄志さんの遺志を引き継いでいくと。

 「『沖縄は小さな島ですが、そこに住む人たちは胸を張ってウチナーンチュと言えるよう頑張ってきた。本土復帰後、米軍被害と闘いながら、基地に頼らない経済を実現し、さらに飛び立とうという時に国はなぜ足を引っ張るのか。いつまでも基地を押し付けようとするのか』。父は生前、そう言っていました。僕もそう思います」

 ――それが、沖縄の保守の思想なのでしょうか。

 「保守とは、先人がつくりあげてきた地域や国を守ることだと思います。その意味で、僕は日米安保には賛成です。国の平和は沖縄の平和ですから。ただ、沖縄は本土と違う悩みを抱えている。それは、本土と比べて、米軍基地をあまりにも多く引き受けている現実です。それが沖縄の経済的な発展を妨げるなら、基地の過重な負担には反対する。本土の保守と対立しても、そこは主張します」

     ■     ■

 ――場所によっていろんな保守があっていい、と。

 「僕は保守こそ多様であるべきだと思います。イデオロギーに縛られる革新より、違いを認める。その点でネトウヨは保守ではない。自分の信じることだけを言い募り、他を認めないのは間違い」

 ――そうした沖縄の現状を、本土にどうやって伝えますか。

 「まだペーペーですが、こうしてマスコミのインタビューを受けたり、ツイッターなどで発信したりして、父が何を考えていたかをまず伝えたい。生活のために多くの人と連携する保守でありたい」

 「僕が『保守は多様だ』と言っても、ネトウヨは『ちげえよ』とからんでくるでしょう。そんな極端な人たちは脇において、極右、極左の間にいる6割の良識ある人たちに訴えることが大切だと思います」(聞き手・吉田貴文)

     *

 おながたけはる 1987年、那覇市生まれ。故翁長雄志沖縄県知事の次男。大学卒業後、民間企業2社で働いた後、2017年7月の那覇市議選で初当選。

(後略)

宮城大蔵氏の解説記事も含めた記事全文はこちら(文字数制限のための措置です)




同日の朝日新聞記事より、併せて。

新聞記事を撮影し損ねてしまいましたが、内容はわかるので例によって中日新聞のHPより全文引用します。
沖縄在住なのにこの座間宮さんをやたら毛嫌いしている女性を私は知っているんですが……本人は至って真っ直ぐで、だからこそなのか、あまり色々と寛容ではないですね。(フェミニストであるのはそれはそれで全く良いんですが……)
困ったことに、そう言う真っ直ぐだが自らの無謬性等を信じて疑わないような人間が過去、内ゲバの当事者(むろん主に加害者側)になってきたんだろうな、というようなこともあからさまに見えるんで……一応まだ切ってはいないんですが、その当人との距離、Facebookも含め、だいぶ間を開くようになりましたし、まぁ他のSNSは切ってしまいましたね。
政治の現場、そんなに単純⁇とも思いますからね……。


◆幸せの鍵は選挙 有権者に訴える

 タレントの大竹まことさんの付き人、人気番組の放送作家を経て、「日本選挙新聞」という聞き慣れない新聞を立ち上げた。そんな座間宮ガレイさん(41)は実は、三十五歳まで投票所に行ったこともなかった。「選挙は私たちの生活の幸せづくり」と気付いたことが、立ち上げのきっかけになったという。

 -座間宮ガレイってすごい名前ですね。

 仕事がなくて、部屋にこもりきりだったころ、見かねた友人がカラオケに誘ってくれて、そのときに歌手の忌野清志郎さんの動画を見たんです。「ざまあみやがれ!」って全力で歌っている姿が格好良くって。社会に対してあきらめないで何くそと生きていこうと、座間宮ガレイってペンネームを決めたんです。

 -芸能人の付き人、放送作家、選挙新聞の編集長。ユニークな経歴です。

 早稲田大で演劇サークルに入り、最初は俳優を目指しましたが、顔はジャニーズに負けてるし、演技力は子役出身者にかなわない。だったら作家になって、面白いものを作りたいと思うようになりました。

 大学二年のとき、裸で舞台に上がる意味不明のコント劇に出たんです。その舞台を大竹まことさんが見ていました。真っ裸の自分が何か言うと大竹さんの笑い声が聞こえるんですよ。

 舞台後に大竹さんの電話番号をゲットして後日、「作家になりたい」と相談したら、「おまえにはお笑いだろ」と言われました。このとき、笑いの道にあらゆるエネルギーをぶつけたいという衝動が起きたんです。芸人ではなく、コントの台本を書こうと大学を二年で中退しました。

 -それで放送作家になったのですか。

 最初は、付き人とバイトをしながら、コントの台本を書き続ける毎日でした。大竹さんからは「三十本くらい書いたら俺を呼べ」って言われたけど、そんなにすぐにできないじゃん。

 頑張って納得できる三十本を完成させて。でも、使ってもらえず、講評されるだけの日々が二年間続き、ようやく一本、「コントで使わせてくれ」というものができました。電柱の地中化が始まったころで、電柱の希少性をテーマにした設定でした。本番を見たら、設定以外は全く違うものになっていましたけどね。

 二〇〇八年ごろから、テレビ番組「ナニコレ珍百景」を担当しました。新人だし、とにかく面白いものを持っていった。「ネタをリサーチして考える」を繰り返し、深夜帯でしたが、ロケの台本の八割ほどを僕が書くようになりました。

 けれど、リーマン・ショックで、若手の放送作家は使われなくなっていった。仕事がだんだん減り、一一年は引きこもりみたいになっていたんです。

 -どうやって引きこもりを脱したのですか。

 座間宮ガレイというペンネームを決めたのがきっかけです。あれは一一年三月十日でした。その後、原発問題をブログで発信したりしていたのですが、一三年に、山本太郎さんに出会うんです。ずっとファンだった山本さんが参院選に出馬すると聞いて、手伝いたいなと思っていたら、偶然、知り合いが事務所に連れて行ってくれた。「どうせ、僕たちの意見なんて聞いてくれないでしょ」って思って、三十五歳まで投票したことがないほど選挙とは縁遠かったんですけど。

 山本さんに何となく、「政見放送をどんな感じでやるんですか」って尋ねたら、NHK批判とか反原発だけだった。これじゃ多くの人の受け皿にはなりませんよ、と言ったら納得してくれて、一週間くらいかけて一緒にゼロから原稿を作り直しました。そのとき、国を良くしたいという多くの人の思いを感じたし、選挙って幸せをつくっていく、幸せを求めていく作業だと思いました。皆の声が出れば出るほど、社会は良くなるはずだから声を出しやすい社会をつくりたいと燃えてきたんです。その後はとにかく選挙を仕事にしたいと思うようになりました。まず、全身タイツを着て、ギャグを言いながら選挙の解説をするという動画の配信を始めました。一四年の沖縄県知事選では那覇の国際通りで全身タイツで(紙芝居ふうにネタを展開する)フリップ芸をしながら、こんな争点がある、こんな報道がされていると紹介していったんです。

 -そこからなぜ、選挙新聞を作ろうと思いたったのですか。

 僕一人の力でも社会を良い方向に変えたいと思ったんですが、権力はないから影響力を持たないといけない。ドイツ人の友達から選挙のことばかり書いてある新聞があるって聞いて、これだと思いました。永田町から地方まで、何から何まで変えてやろうって。

 日本選挙新聞には、選挙の検証記事などを載せています。例えば、ある知事選は、どうしてこの票差になったのか。新住民の数、どの辺りに住んでいるか、産業構造はどうか。地域のさまざまな情報から検証していく。「結局、この選挙は私たちにとってなんだったの」という問いに答えられる新聞だと思います。

 今年は沖縄県知事選や新潟市長選の取材をしてきました。地方の選挙を掘り下げれば掘り下げるほど、普遍的な課題が見つかると思うんです。

 -新たに取り組んでいることはありますか。

 新聞の発行と並行して全国を回って選挙の勉強会をやっています。三年で五百七十回くらいやりました。地域を回って地域の課題など勉強し、新聞を作れればいいなと思います。今は、会社を立ち上げたいと思っています。うちの会社は「民主主義」を実現する会社ですって堂々と言えるようにしたい。

 辞書などで調べると、民主主義国家は「正常な選挙によって決まっている国」と定義されています。民主主義が成熟している国は、有権者が変化を生み出している。選挙新聞を読んで、この課題を解決したい、この人を当選させたいという選挙に向き合う人が増えたらいいですね。日本人の一億人がそういう感覚だったら、どうなると思いますか。絶対にいい国になると思うんです。

 -自分が選挙に出ようとは思わないのですか。

 幼少期から、知の力で物事を動かす軍師への憧れがあります。理屈っぽい父親の存在があったから。何を言っても論破してくる。

 小学五年のときに読んだ野球漫画「ドカベン」で、小柄な選手が「成長過程にある高校生は体格に差があるから高校野球はフェアじゃない」と言うせりふがあった。当時、僕も背が小さくて、すごくシンパシーを感じたんですが、父は「大相撲のほうがフェアじゃない」って言ってね。

 その通りだなって悔しくて泣いた。知識のある人に負かされるのはこんなに悔しいのか、と同時に憧れになりました。あとは大竹さんとの出会い。ネタがコントに使われた。自分が光るのではなく、後ろから支える喜びは大きかった。僕は裏方のほうが合っていると思います。

 <ざまみや・がれい> 1977年、石川県小松市生まれ。「自由な髪形が認められていた」との理由で金沢大付属中を受験して合格した。入学式では同級生に一目ぼれ。毎学期末に「告白」を続け、付属高3年の夏、ようやく「OK」をもらって、恋を成就させた。早稲田大法学部に進学したが、中退して大竹まことさんに師事。「酒を飲むくらいなら社会学者の本を読め」という大竹さんの言葉から、社会の課題に目を向けるように。その後、放送作家に。2013年の参院選で山本太郎氏の運動に関わり選挙に関心を持ち、各地の選挙を取材して動画サイトでの配信を始めた。17年2月に日本選挙新聞を立ち上げ、これまでに7号を発行した。日本選挙新聞のホームページで、1~7号を購入できる。

◆あなたに伝えたい

 忌野清志郎さんの動画を見たんです。「ざまあみやがれ!」って全力で歌っている姿が格好良くって。社会に対してあきらめないで何くそと生きていこうと。

◆インタビューを終えて

 「幸せになりたい人が声を上げられる社会にしたい」

 三時間、ぶっ通しでしゃべり続けてくれた。出てくるエピソードはどれも面白く、全て書き切れないのがとても残念だ。

 二〇一七年の衆院選で石川県に来ていた座間宮さんと初めて会ってから、なぜそんなに選挙が好きなのか、もっと聞きたいと思っていた。取材する座間宮さんがあまりにいきいきとしていたからだ。

 「選挙は皆の幸せをつくる」と何度も繰り返していた。選挙を身近なものとして有権者が体感できるようにと、走り続ける思いの強さ。これこそが選挙に懸ける理由なのだと知った。


先ずは本日の東京新聞特報面メイン記事より。以下はリード文部分。

辺野古埋め立て土砂を積み出し 「国策」協力 琉球セメント

 政府が沖縄県名護市辺野古の海で強行しようとしている埋め立て土砂投入の背後に、政権に近い企業の影がちらつく。安倍首相の地元、山口県の宇部興産を大株主に抱える琉球セメント(本社・浦添市)だ。同社は今月、県条例に反して同社の桟橋から土砂を辺野古に向けて積み出した。桟橋周辺には反対する県民を威嚇するように、カミソリ刃のついた鉄条網が付けられた。ルール違反もお構いなしの埋め立てのどこに正当性があるのか。 (石井紀代美、安藤恭子)






























あとは本日の朝刊一面や社会面、夕刊も同様です。




 沖縄県の米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の移設に伴う名護市辺野古(へのこ)への新基地建設を巡り、菅義偉(すがよしひで)官房長官は十三日、玉城(たまき)デニー県知事と官邸で会談し、予定通り十四日に建設予定海域に土砂投入を始める方針を伝えた。玉城氏は工事の中止を重ねて求めたが、菅氏は「計画通り行う」と応じなかった。政府と沖縄県の対立が一段と激化するのは確実。埋め立てが進めば原状回復は困難になるため、新基地問題は重大な局面を迎える。

 玉城氏によると、菅氏は「沖縄県の置かれている立場は十分理解しているつもりだが、工事は引き続き進める」と明言。玉城氏は「非常に残念だ。強硬な姿勢に県民が大きな憤りの声を上げるだろう」と政府の対応を厳しく批判した。

 菅氏との会談に先立ち、玉城氏は防衛省で岩屋毅防衛相とも会談。玉城氏は、県の埋め立て承認撤回の効力を停止した石井啓一国土交通相の判断を「違法」と指摘し、土砂投入を始めないよう求めた。岩屋氏は「気象状況などにもよるが、予定通り開始したい」と強調した。

 県が埋め立て承認撤回の効力停止を不服として審査を申し立てた総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」は、十四日に初会合を開く。来年二月二十八日までに結論を出す。県は二月二十四日、新基地の賛否を問う県民投票の実施を予定している。

 政府の計画では、土砂を投入するのは、辺野古沿岸部の埋め立て予定海域南側の護岸で囲まれた約六・三ヘクタールの区域。当初の計画では、土砂は沖縄本島北部の本部(もとぶ)港(本部町)から搬出することになっていたが、岸壁の使用許可権限を持つ同町が、台風被害を理由に使用を認めない方針だったため、名護市安和(あわ)の民間会社の桟橋を使って土砂を船で搬出した。 (中根政人)

参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201812/CK2018121402000142.html


 政府は14日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部で土砂投入を始める。埋め立ては本格化し、辺野古移設に反対する沖縄県が反発を強めるのは必至。来年2月に実施する県民投票や工事の規制強化などで対抗し、完成を食い止める考えだ。日米両政府による1996年の普天間返還合意から22年を経て、普天間移設は新たな局面に入った。

 政府は、14日から土砂を投入すると県に伝え、政府関係者は午前中にも開始されるとの見通しを示した。土砂投入の現場は、埋め立て予定海域南側の護岸で囲まれた約6・3ヘクタールの区域。

(共同)



 政府は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、予定通り14日に辺野古沿岸部に土砂を投入する方針を決めた。岩屋毅防衛相が13日、防衛省で沖縄県の玉城デニー知事と会談し、伝えた。会談後、岩屋氏が記者団に明らかにした。玉城氏は首相官邸で菅義偉官房長官とも会談し、土砂を投入しないよう要請したが、菅氏は「沖縄県の立場は理解しているつもりだが、工事は引き続き進める」と応じなかった。

 岩屋氏との会談で玉城氏は「埋め立て工事を行わないよう、強く申し入れる」と求めた。岩屋氏は「抑止力を維持しながら、沖縄の負担を軽減する」と強調した。

(共同)


朝刊社会面。




 沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設に向けた土砂投入に抗議する「三日連続座り込み行動」が十二日夕、官邸前で始まった。政府が投入開始を表明した十四日が迫る中、市民ら約百五十人が「工事は止めて、政府は話し合え」と日没後の寒風に負けず訴えた。

 抗議行動は二十以上の市民団体でつくる「辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会」が呼びかけ、十三日午後四時〜七時半と十四日午前九時〜午後七時半にも予定する。

 この日集まった市民らは次々とマイクを握って「沖縄の民意を無視した強行は許さない」と声を上げ、沖縄の基地反対運動でもよく歌われる「座り込めここへ」を熱唱した。

 参加した会社員中村利也さん(67)=東京都東久留米市=は「安倍政権は米軍と自衛隊の基地負担を沖縄に押し付け、憲法を踏みにじり軍事拡大している」と憤った。

 沖縄出身の教員上原こずえさん(37)=杉並区=は「国防、国益というまやかしの言葉のもとに地域の人々の生活が急変を強いられる問題は沖縄だけでない。本土の皆さんと思いを共有し、三日間参加したい」と語った。 (辻渕智之)

参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121302000137.html


本日の夕刊一面。


政府、沖縄・辺野古で土砂投入 埋め立て工事が本格化

 政府は14日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部で土砂投入を始めた。埋め立ては本格化し、辺野古移設に反対する沖縄県が反発を強めるのは必至。来年2月に実施する県民投票や規制強化などで対抗し、工事を食い止める考えだ。埋め立て開始で、原状回復は困難になる。日米両政府による1996年の普天間返還合意から22年を経て、普天間移設は新たな局面に入る。

 玉城デニー知事は土砂投入を受けて県庁で記者会見し「県民を諦めさせようと躍起になっている」と政府を批判。「法治国家や民主主義国家ではあってはならないことだ」とも語った。

(共同)


辺野古に土砂投入 新基地建設、本格化



 政府は十四日、米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設先、名護市辺野古(へのこ)沿岸部で土砂投入を始めた。埋め立ては本格化し、辺野古移設に反対する沖縄県が反発を強めるのは必至。来年二月に実施する県民投票や規制強化などで対抗し、工事を食い止める考えだ。埋め立て開始で、原状回復は困難になる。日米両政府による一九九六年の普天間返還合意から二十二年を経て、普天間移設は新たな局面に入る。

 玉城(たまき)デニー知事は県庁で記者会見し「激しい憤りを禁じ得ない。一刻も早く工事を進めて既成事実を積み重ね、県民を諦めさせようと躍起になっている」と政府を批判。「民意をないがしろにして工事を進めることは、法治国家や民主主義国家ではあってはならないことだ」とも語った。

 岩屋毅防衛相は首相官邸で記者団に「普天間飛行場の一日も早い全面返還を成し遂げるために工事を進めていく。抑止力を維持しつつ沖縄の負担を軽減するためには、辺野古という方法しかない」と強調した。二〇二二年度とされる普天間飛行場の返還は、達成が困難だとの認識も示した。

 土砂投入の現場は、埋め立て予定海域南側の護岸で囲まれた約六・三ヘクタールの区域。午前九時ごろには、土砂を積んだ運搬船が桟橋として用いる護岸に接岸し、土砂をダンプカーに積み替え、午前十一時ごろ、海に向けて投入した。現場周辺には早朝から反対派の市民らが詰めかけ、抗議活動を繰り広げた。

 防衛省の計画では、埋め立て予定海域は全体で約百六十ヘクタール。昨年四月に第一段階として、施設の外枠となる護岸の造成に着手した。当初は埋め立てに要する期間は計五年としていたが、工事手順の変更などによりずれ込む公算が大きい。

参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201812/CK2018121402000279.html

民意より22年前の日米合意重視 辺野古土砂投入

<解説> 安倍政権が沖縄県名護市辺野古の海で、米軍の新基地建設の本格化を意味する土砂投入を始めた。九月の知事選で県民は新基地反対の意思を示し、玉城デニー知事は民意を背に工事中止を訴え、話し合いを求める。埋め立てが進み、原状回復が困難になってからでは遅い。政権は「工事ありき」の姿勢を転換して、まずは沖縄と向き合い、なぜ県内移設なのか、なぜ民意より二十年以上前の日米合意を重視するのかの説明を尽くすべきだ。

 新基地建設によって米側から返還される予定の宜野湾市の米軍普天間飛行場は市街地にあり、世界一危険な基地といわれる。政権が強調する通り、その危険性除去は急務ではある。

 だが、新基地建設に関しては「辺野古が唯一の解決策」の一点張り。沖縄は戦後七十年を過ぎて、今も在日米軍専用施設の70%を抱える。なぜ沖縄だけが基地の負担を押し付けられるのか。政権は理解を得られるだけの説明をしていない。

 共同通信の十、十一月の全国世論調査では、いずれも新基地建設を進める政府の姿勢を「支持しない」との回答が過半数を占め、国民の目も厳しくなっている。

 沖縄では来年二月、新基地建設の是非を問う県民投票が行われる。政権の姿勢からは、年内に既成事実を積み重ね、県民投票を無力化させたい思惑が透けて見える。安倍晋三首相は、ことあるごとに「沖縄に寄り添う」と発言しているが、県民の心に響いているとは思えない。 (関口克己)

参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201812/CK2018121402000278.html


本日の夕刊社会面。


辺野古土砂投入「問答無用の暴挙」 立民・福山幹事長ら批判


海上での抗議活動が続く中、埋め立て用の土砂の投入が始まった沖縄県名護市辺野古の沿岸部=14日午前11時4分

 立憲民主党の福山哲郎幹事長は十四日午前、沖縄県名護市辺野古(へのこ)での土砂投入を受け、国会内で記者団に「問答無用とばかりに暴挙に出た」と批判した。

 福山氏は「怒りを禁じ得ない。政府には直ちに土砂投入をやめ、沖縄県との対話を再開するよう強く求めたい」と強調。「安倍政権は沖縄への情も、民意への謙虚さのかけらもない」とも非難した。

 国民民主党の原口一博国対委員長は取材に「土砂投入は沖縄に対する差別であり、最大限の言葉で非難し、抗議する」と話した。共産党の小池晃書記局長も「土砂投入は明らかに違法行為だ。日本の民主主義、法治主義に土砂をかけるようなものだ」と指摘した。

 菅義偉(すがよしひで)官房長官は十四日午前の記者会見で、「わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、日米同盟の抑止力維持と米軍普天間(ふてんま)飛行場の危険除去を併せて考えたとき、辺野古移設が唯一の解決策だ」と理解を求めた。

 その上で「沖縄の基地負担軽減を目に見える形で実現する政府の取り組みについて、丁寧に説明し、地元の理解を得たい」と語った。

参照元: http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201812/CK2018121402000270.html


辺野古、知事権限で対抗へ 政府は土砂投入続行

 沖縄県の玉城デニー知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設について、辺野古の沖合に存在が指摘される軟弱地盤の地盤改良工事を巡り、知事権限を行使して対抗する考えを明らかにした。14日、辺野古で開かれた反対派の集会に寄せたメッセージで「軟弱地盤への対応が必要で、辺野古新基地建設の完成は見通せない」と表明した。政府は午後も土砂投入を続けた。

 県は防衛省の調査結果などを基に、埋め立て予定海域東側の海底に、強度が低い地盤が存在すると指摘している。地盤改良が必要となった場合は計画変更の届け出が必要だが、県知事が不許可とすれば工事は停止する。

(共同)



本日の東京新聞特報面右側のサブ記事より。これでは正に、ていの良い人体実験ですね。













Facebookの記事より。




とにかく、国の言うとおりにしていればお金が降ってくるのだから、解除でもなんでも、自治体はそうするしかない。

でもそれが住民のためになるのかは、大きな大きな疑問が消えない。
お金を使う目的が、お年寄り対象の福祉や医療に重点を置いていればまだしも、土建関係が基本だし。

→「復興拠点」整備に869億円 179億円増、19年度の関連予算案:福島民友ニュース

記事本文。

 政府の2019年度復興関連予算案の概要が11日、分かった。東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域のうち、6町村で始まった特定復興再生拠点(復興拠点)の整備事業費に869億円を盛り込む方向。除染や家屋解体の本格化を踏まえ、18年度より179億円増となる見込みだ。

 このほか、福島再生加速化交付金は18年度の828億円より50億円前後の増額を目指し、財務相と各閣僚が予算計上について最終調整する「大臣折衝」を予定している。

 新規の「ふくしま食品衛生管理モデル等推進事業」を巡っては、厚生労働省内で調整が続いている。要求額は2億1000万円。食品衛生管理の手続きを定めた国際基準「HACCP(ハサップ)」に、放射性物質対策を組み込んだ本県独自の「福島版HACCP」の構築を支援することが柱。

 政府は自民、公明両党の議論を経て、21日にも予算案を閣議決定する方針だ。

参照元: 

http://www.minyu-net.com/news/news/FM20181212-333351.php

https://www.facebook.com/100000723687777/posts/2254978034536297/


本日の東京新聞朝刊4面より。
やはりこういうのを見ると、京大も何やってんの⁇となりますね。



東京新聞の論説委員ということだけで白鳥氏を嫌っているっぽいTweetとかはスルーしました。
















……世の中に問題点なら幾らでもありますね……。




昨日の東京新聞特報面右側サブ記事より、昨日のうちには取り上げ損ねていました。
ドキュメントNNNでもこの事件の証拠は捏造が疑われると放送していた通りで、正直、検察に限らず、日本の司法は未だに何やってんの?こんなだから日本の司法は中世並みと言われるんでしょう?ということに尽きるような気がしますね。








































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『袴田事件──冤罪・強盗殺人の真相』(プレジデント社)

 1966年に静岡県の一家4人が惨殺され、放火された「袴田事件」で、強盗殺人などの罪に問われ死刑が確定していた袴田巌さん(78)について、静岡地裁(村山浩明裁判長)は昨年3月27日、再審開始を認める決定をし、あわせて刑の執行停止も決めた。

 刑が確定した事件について、確定囚がその再審開始決定を得る事は、“ラクダが針の穴を通るより難しい”と言われる事もあるほど困難だ。袴田さんは逮捕からこの日まで約50年も塀の中にいた。しかも、死刑が確定した1980年からは、いつ“その日”が来るか、と怯えながらである。静岡地裁は「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」とこれまでの捜査や裁判所の判断に誤りがある可能性を示唆している。

『袴田事件──冤罪・強盗殺人の真相』(山本徹美 /プレジデント社)は、絶版になっていた同書に追記がなされ再審決定後の7月に出版されたものだが、これによれば、確かにこの「袴田事件」は証拠捏造、自白の強要、見込み捜査など、捜査機関のずさんさ、乱暴さが際立っている。さらにカネ目的の“強盗殺人”には到底思えないような、真犯人による何らかの意図を感じさせる猟奇的な態様も見られるのだ。

 袴田事件は1966年6月30日の夜に静岡県清水市で起こった。味噌製造会社「こがね味噌」の専務(当時41)宅が火事になり、焼け跡から専務とその妻(同38)、次女(同17)、長男(同14)の遺体が発見された。全員に刃物によるものとみられる刺し傷が多数あったことから、事件として捜査開始。同年8月「こがね味噌」従業員であった元プロボクサー、袴田巌さんが逮捕された。袴田さんは逮捕当初から否認していたが約1カ月後に自白。公判開始以降、一環して否認を貫いたが、死刑判決が下され、最高裁で確定していた。

 まず逮捕直後から自白までの袴田さんには、この手のずさんな捜査にありがちな連日の厳しい取り調べが行われていたことは周知の通りだ。清水警察署が保管する「留置人出入簿」によると、袴田さんには基本、朝8時前後から23時前後まで取り調べが続き、自白までの数日間はラストスパートと言わんばかりに、午前8時前後から午前2時までの調べが行われている。この影響か、自白4日前には初めて医師の診察を受け「からだ全体がむくみまして、中耳炎を起こし、膿が出るようになりまして、耳などもほとんど、いったことが聞こえないようになりました」と訴えている。「寝不足が原因と思います。(午前)12時頃終わって、留置場に戻されまして、床につくんですが、かわるがわる酔っぱらいを連れてきまして、2つか3つ離れたとなりの部屋に入れまして、それが一晩中騒いでいるんです」とも訴えており、睡眠も十分ではなかったことが伺える。

「長期的な調べで、からだも疲れきって、ほとんど寝られないような状態で、その朝、9月6日だと思いますが、いつもと同じように引張り出されまして、そしていつにも増してテーブルをぶったたいたり、怒鳴ったりで、わたしは頭が痛くて、めまいもするし、とても疲れちゃって、午前中休ましてくれ、と頼んだです。ところが『だめだ』、と、『認めりゃ、休ましてやる』こういって警察官がいいまして、私が目をあいたら、調べ室がぐるぐるまわり出したもんですから、テーブルに手をついて、手をつくだけでも転びそうだものですから、頭をつっぷしていると、テーブル叩いて、『なんだ、その態度は』と、テーブルどんどん叩いていうので、静かにしてもらいたいから、『昼から、あんた方のいうように認めるから、午前中、休ましてくれ』といったのが、10時頃ではないかと思うんです」(昭和42年12月8日、第22回静岡地裁公判調書)

 ところがこうした袴田さんの話は、取り調べ室にいた巡査部長によれば「袴田は、自分のひざの上に両手を開いてついて、私の話を聞いておったわけですが、その両方の手を握りしめまして、こぶしをつくって顔をあげて、ぽろぽろと涙をこぼして『申しわけありません。私がやりました。うちのことはよろしくお願いします』というように断片的でありましたが申しました」とこんな具合に変貌している。取り調べ状況についての食い違いはこの場面だけでなく多々あったことが本作には記されている。

 とはいえ、これはまだ可愛い方だ。この事件における最大の問題は捜査機関によると思われる証拠の捏造、そして事件の骨子を早期に組み立て早くから袴田さんを犯人と決めつけてしまい、それに沿うように捜査を進めた点にある。実況見分調書にある証拠品発見の状況と、その後の警察発表による報道が微妙に食い違っていき、いつのまにか事実でないことが事実として広まってしまったりする、ということが本件ではたびたびあったようだ。例えば作者によれば、事件直後の7月4日、袴田さんの居室からシミの付いたパジャマが発見されたことについて、新聞社各社は次のように伝えている(すべて7月5日付朝刊)。

「多量の血こんが付着していた」(静岡新聞)
「血のついたパジャマと作業衣が発見され」(朝日新聞)
「特別捜査本部の発表によると、パジャマには多量の血こんがついており、作業着にも血こんがついている」(毎日新聞)

 袴田さんによるとパジャマは事件当日に着用して眠っており、火事に気づきそのまま消火活動をしたという。捜査本部はこのパジャマを着て犯行に至ったという筋書きを組み立てていた可能性がありありと伺える。実際、袴田さんの自白調書にはパジャマを着てその上にゴム製のカッパを着て犯行に及んだと記載されていた。消火活動にあたっていた従業員らの調書にも、袴田さんがパジャマを着て頭からずぶぬれになっていた、という記載がある。

 ところが、事件から1年後の67年8月31日、「こがね味噌」工場の一号タンクから、味噌の中にうまった状態の5点の衣類が見つかり、これらには多量の血痕が付着していた。さらにマッチ箱と絆創膏も同タンク内から発見された。一審公判真っ最中の時期だったが、なんと検察官は冒頭陳述を変更。犯行時に着ていた着衣はパジャマからこのとき発見された衣類に取って代わったのである。

 また供述調書にも変更を加えている。もはや何が真実だったのかどんどん分からなくなってくるのだ。ちなみに事件当時に衣類を隠せるほどの味噌がタンクに残っていたかについては従業員ごとに話が食い違っているし、この味噌を踏んでならす作業を誰が行っていたかについても、食い違いがある。何より、この時発見された衣類は袴田さんの体型に合っていなかったことも分かっている。お粗末としか言いようがない。

 さらに強盗殺人というからにはカネ目当ての犯行であり、奪われた金品が存在し、それが何らかの目的で使われたとみるべきだが、袴田さんが事件後にまとまったカネを使った形跡も見当たらなかった。自白調書には事件後、「こがね味噌」元女性従業員のもとに袴田がやってきて「僕のぜにだけど取りにくるまであづかっておいて下さい」と、カネを渡したとある。

 そして不思議な事に、この女性とその家族について捜査員が調べを行った直後、「匿名で清水警察署に対し『ミソコウバノボクノカバンノナカニシラズニアッタツミトウナ』と書いた手紙と一緒に現金5万700円が一部焼燬(ショウキ)されて郵送されて来たので、直に同人方を捜索して筆跡対象資料を得たうえ筆跡鑑定を行ったところ女の筆跡と一致したので同女が被告人から5万円を預かり保管していた後警察の調べを受けて贓物寄蔵の罪に問われるのを恐れて匿名で郵送して来たことが明らかとなった」という。

 女性は公判でカネを受け取った事は否定しているが、一審の筆跡鑑定ではこの手紙を書いたのはこの女性だとされた。二審の鑑定では「その信頼性はない」と結論付けられており、この匿名の郵便物と女性、ひいては袴田さんとの接点は消えている。このように不思議なことが次々と起こり、それによって証拠や論点がたびたび変わっていくというのが袴田事件であった。

 ところで殺害現場は、到底金目的とは思えない、真犯人の何らかの意図を感じさせるものが残されていた。次女が刺され、倒れていた場所の下に「ピアノ上部の鴨居」が倒れており、さらにその額を取り去ると、使用済み生理用パンツが2枚置かれていたという。さらに水を含んだマッチも置かれていた。本書は、これについて以下のように分析している。

「なんとも、おぞましい“処刑”ではないか。次女は、この板を枕がわりにして、うつ伏せにされていたのである。犯人は彼女の顔や上半身をことさらによく焼くことを意図してこういう火葬台ともいうべき“装置”を考案したのだ」

 強盗殺人として捜査されているが現場には金品が多数残されていた。真犯人が次女殺害現場に残した生理用パンツ2枚の意味は、何なのか。少なくともこの状況だけみれば、とてもカネ目的の犯行には見えない。


「g2」(講談社)連載中の「袴田巖 塀の中の半世紀」によると、袴田さんは死刑確定後の93年、姉の秀子さんとの面会時に「1000メートルもある猿が電波を送るので顔が変わる。血圧なども変わる。人間は死なないが、電波で猿に吸収されしなびていく。(略)神様がくれた人間の美しい顔を欲しいので、猿の霊が電波で人間の顔を猿にする」など不可解なことを言うようになったうえ、面会に訪れても「霊と話をするので忙しい」と断るようになったという。

 秀子さんは98年暮れ、当時、死刑廃止問題に取り組んでいた社民党衆議院議員の保坂展人に助けを求め、法務省に問い合わせてもらった。矯正局長はこのとき「以前は米粒を一粒ひとつぶ洗って食べるということもあったそうですが、現在はそういう行動もなくなったそうです」と告げ「精神的に安定しています」とも言ったという。99年、袴田さんの状態を診た医師は「死刑を前提とした長期間の拘束による『拘禁反応』との見方を示した」。

 長期間のストレスフルな勾留生活で袴田さんはぼろぼろになっていた。真犯人は、長年無実の罪で塀の中にいた袴田さんのことをどう思っていただろう。
(高橋ユキ)


参照元: https://lite-ra.com/2015/01/post-755.html







ゴーン氏への公開書簡(佐藤優)

本日の東京新聞特報面コラムより。
特捜部、やはり一定の意思を持ってこの間、恣意的に動いているんですかね……。

























郷原さんとかも、この件に関しては色々と書かれていますね。ゴーンを褒めていた日本の企業人、少なからずいたかと思いますが、今どうしているんですかねぇ……。
本日の朝日新聞インタビュー記事より。
全くもって、他人事ではありませんね、これ………やはり、儒教的な背景等も根底にはあるんですかね⁇ この辺では呉智英あたりに聞いても無駄っぽいですが。


 韓国で1冊の小説が爆発的に売れている。「82年生まれ、キム・ジヨン」。様々な差別に苦しみつつ必死に生きる女性、その苦悩が映す社会の姿を描き、100万部を超えるベストセラーになった。女性たちが自分らしく生きられるように「声を上げよう」という著者の趙南柱(チョナムジュ)さん。韓国を訪ね、小説に込めた思いを聞いた。

 ――小説の主人公、キム・ジヨンは33歳の主婦です。3歳年上でIT関連企業に勤める夫と3年前に結婚し、1歳の娘がいます。幼い頃から経験してきた出来事を描き、韓国社会の日常にある女性差別を告発していますね。

 「1982年前後に生まれた女性で一番多い名前が、ジヨンだそうです。子どものころ、ご飯が炊きあがると父、弟、祖母の順に配られ、姉妹は後回し、学校でも給食は男子が先が当たり前。姉は母の勧めで、長期休暇があって子育てがしやすいから、と教職を目指し、教育大学に進みました。ジヨンは人文学部で学びましたが、就職試験は書類選考で次々に落とされました。何とか入った広告会社では大事な仕事は男性に任され、給料も男性優位。子育てのためには、会社を辞めざるをえませんでした。そんなストーリーです」

 ――小説ではジヨンの母の世代の生き方にも触れています。

 「地方の農家に生まれたジヨンの母は、小学校を終えると14歳でソウルに出て、姉が働く紡績工場で仕事に明け暮れました。急速に経済が発展し産業化が進む中、農業は衰退し、子どもたちはソウルで働くしかなかった。過酷な勤務で稼いだお金は兄弟の学費に使われました。娘たちは男兄弟を支えるのが当たり前だったのです」

 ――小説に登場する女性はすべてフルネームで出てきますが、男性はジヨンの夫だけで、父も弟も名前がありません。なぜですか。

 「韓国の女性は、常に周縁の存在でした。結婚前は『誰々の娘』であり、結婚すると『誰々の妻』になる。子どもが生まれれば『○○ちゃんのお母さん』です。逆に男性の名前をすべて消してしまうとどうなるのか。その不自然さがはっきり見えると思ったのです」

 ――ジヨンの母が「娘を産んで申し訳ない」と義母に涙ながらに謝る場面には驚きました。儒教の影響もあり、家父長的な社会を象徴する出来事だと思いますが。

 「男の子を望む傾向は根強く、ジヨンが生まれた頃は、おなかの子が女の子だと分かると中絶するケースが珍しくありませんでした。その結果、男女比が著しく不均等になりました」

 ――それでも、ジヨンと同じ世代の女性たちは、男子と対等に高等教育を受けることが普通になりました。女性の地位は高まったのではないでしょうか。

 「そんなに簡単ではありませんよ。女性が社会に出ようとすると大きな壁にぶつかります。ジヨンの母には機会そのものが認められず、社会構造に問題があることが明確でした。しかし機会が与えられた若い世代は、挫折を自らの能力のせいだと考え、戸惑います。自尊心が傷つき、ときに精神を病んでしまうのです」

 ――大きな壁とは。

 「『経断女(キョンダンニョ)』という象徴的な言葉があります。『経歴断絶女』という意味です。キャリアウーマンとしてどんなに活躍していても、結婚して出産すると、子育ての問題にぶつかります」

 「実は、私自身も『経断女』です。大学4年で始めたフリーランスの放送作家の仕事はやりがいがあり、出産の1週間前まで働きました。母に娘をみてもらおうと思いましたが、姉の子たちで手いっぱいでした。そのうち1年、2年が過ぎ、社会と関わらなくなりました。実に歯がゆく、娘が寝静まると小説を書き始めたのです」

    ■    ■

 ――韓国の昨年の出生率は過去最低の1・05。今年はさらに下がりそうです。日本(1・43)を下回り、世界でも最低水準です。

 「少子化は、女性が社会活動と育児を両立できないのが大きな原因です。長時間労働が当たり前で、夫が帰るのは深夜。休日出勤もあります。ソウルのような大都市では保育園が足りず、親が子育てを助けてくれる家庭ばかりではありません。結局、女性が育児に専念するしかないのです」

 ――小説には、ジヨンが娘を連れて公園でコーヒーを飲んでいると、会社員の男たちが「ママ虫(チュン)もいいご身分だ」とからかう場面が出てきます。

 「ママ虫という言葉は、数年前からネットで広まりました。一人で子育てをしているのに、『夫に働かせて自分は優雅に遊んでいる』と非難するものです。かつて母親は、何か神聖視される存在だったのですが」

 ――そんな現状を変えようと、女性たちの動きも活発です。

 「韓国では2015年が女性運動の転換点と言われます。当時、MERS中東呼吸器症候群)が流行したのですが、病気にかかった女性たちが隔離を拒否したせいだ、といううわさがネットで広まりました。何の根拠もありません。怒った女性たちが、偏見や誤解を正そうと声を上げました」

 「女性に対して暴力的な言葉を使った芸能人がテレビ番組から降板させられたり、女性を卑下するような雑誌の表紙が消えたりするようになりました。フェミニストやフェミニズムという言葉も堂々と語られるようになり、私も触発されました」

 ――女性嫌悪とでも言うべき現象は、従来の家父長的な差別と違いますね。

 「韓国では大学を出た男性も、就職するのが大変です。非正規労働者が4割とも言われ、社会は不安定です。一方で有能な女性が、たくさん出てきました。女性にポストを奪われる、という男性の被害者意識が、女性嫌悪に向かわせるのでしょう。10年くらい前からネットでは暴力的な書き込みが見られるようになりました」

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 ――小説は一昨年10月に発売され、先月末に100万部を突破しました。韓国も本が売れない中、久しぶりの快挙です。映画化も決まりました。読者の約8割は女性で、20代から40代が圧倒的だそうですね。反応はいかがですか。

 「女性がよくみるインターネットのサイトの書き込みを通じて評判が広まりました。ジヨンの体験が、まるで自分のことのようだ、という女性の声がたくさん寄せられています。拒否感をあらわにする男性の書き込みも多いですが、熱心な読者もいますね。ある男性の国会議員は同僚みんなに本をプレゼントしました。別の議員は文在寅(ムンジェイン)大統領に渡して話題になりました。講演会で、『自分に何ができるだろうか』と質問する若い男性にも勇気づけられます。さすがにおじいさんは、あまり見かけませんが」

 ――ご自身も、小学校3年生の娘さんがいらっしゃいますね。将来、どんな社会を望みますか。

 「92年生まれ、02年生まれの○○といった小説を書いたらどうなるか、そんなことも考えます。読者イベントでは、手塩にかけて育てた娘が、絶望するような社会にしてはいけないと心配する父親にも会いました。性別や人種などの属性ではなく、自らのアイデンティティーをきちんと持った個人として機会が与えられ、発言できる社会になって欲しいと思います」

 ――何が必要でしょうか。

 「女性に対する家庭や学校、職場での差別や性暴力の問題が、公の場でもっと語られるべきだと思います。これまでは女性たちが声を潜めておしゃべりをしていたのですから。みんなそんな体験をしてきた、といって過ぎてしまうのではなく、社会全体で語り合い、解決してゆくべき問題です」

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 ――小説は台湾やタイでも翻訳されました。さらに英仏やイタリアベトナムインドネシアなど十数カ国でも出版の話が進んでいるそうですね。

 「ジヨンの経験が、韓国特有のものではないということです。だからこそ、多くの国の人たちが関心を持ってくれるのでしょう」

 ――日本でも女性差別は、大きな問題です。医大で受験生の点数を調整して女子の合格者を抑制したことが発覚しました。

 「東京医大ですね。他の医大にも問題が広がったそうです。関心を持ってニュースを見ていましたが、社会にはびこる不正の全体像が明らかになるといいですね。韓国でも高校、大学入試や就職試験で不正に女子を不合格にしたことがありました」

 ――日本語版(筑摩書房)も今月発売されました。日本の読者には何を伝えたいですか。

 「日本も女性をめぐる状況は厳しいようで、(性暴力を告発したジャーナリストの)伊藤詩織さんが韓国に来て訴えていました。私の小説を読んで、あらすじがどうのこうのとか、テーマがどうだとかを語り合うだけではなく、私もこんな経験がある、と語り合えるようになればいいと思います。そうした体験は、周りのだれかのせいではなく、社会の構造に問題があるのです。勇気を出して、声を上げてほしいと思います」(聞き手・桜井泉)

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 チョナムジュ 1978年ソウル生まれ。社会・教養番組の放送作家をへて、2011年に長編小説「耳をすませば」(邦訳なし)でデビューした。