18/12/16「まさかこの私が、日本とインドの二重国籍だったとは」


山下良道先生法話のまとめ

インドの仏跡巡礼と二カ所のリトリートを終えて、日本に帰国された山下先生の帰国報告も兼ねた法話です。鎌倉のイエズス会の黙想の家におけるリトリートの中で話されたもの。

(法話のまとめ始まり)

インドで仏跡をまわり、インド人たちを対象にリトリートをしてみて、強く感じたのは、内山老師の第五図(写真参照)は非常に強力な武器で、もう第五図だけで世界と真っ向勝負できるということ。

今回の旅でその自信がさらに深まった。一法庵でずっと問題にしてきた般若心経も、もともとはサンスクリット語によって原典が書かれている。その原典のサンスクリット語による読誦を聞きながら、細かいところは勿論わからなくても玄奘が訳した漢訳が浮かんでくる。サンスクリット原典から漢訳経典とつながり、いま一法庵でやっていることが、世界中どこに行っても通用するなぁと、インドで更に感じた。

仏跡巡礼でブッダガヤにいったとき、お釈迦様が悟られる前に苦行をしていた岩山にいった。ブッダガヤとは尼連禅河をはさんだ向かい側にある。その洞窟でシッダールタ王子は一日一粒の米しか食べない、という苦行をされていた。何の為にそのような苦行をするのか?

これは心を止めるのが目的である。人間の苦しみの実態をよく観察すると、どうも自分の心が悪さをしている。欲望や怒りが苦しみを生んでいる。だから苦しみから解放されるために、それを生み出している心を止めればいいのだ。

そこで極端な断食をして、心の動きを生み出すエネルギー源を断ち、心が苦しみを生み出すのを止めようという修行。しかし、シッダールタ王子は六年間そのような苦行をしても、心が止まらなかった。

そこで修行のやり方を変えた。洞窟から村へ出て行って、村娘のスジャータから、乳粥をもらって元気を取り戻し、尼連禅河で沐浴をしてから、ブッダガヤの菩提樹のもとで坐られて、ついに真理を発見し、仏陀(真理に目覚めたひと)になった。

これは何を意味しているかというと、極端な断食では心が止まらず、別の方法で悟りを得たと言うこと。

インドでは真理を悟ったひとは釈迦牟尼仏陀のみとは考えられていない。他にもいらしたが、そのひとたちは自分で悟るだけで人に伝えることはしなかった。釈迦牟尼仏陀が違うのは、自分が悟った内容を他人に伝えることに成功したこと。

でも伝える内容は単なる情報ではないので、誰にも伝えられるわけではない。伝える相手を選ばなければいけない。

そこで、昔の修行仲間である五比丘に伝えようと思った。その五比丘はいまバラナシ近くのサルナートにいると知って、仏陀はブッダガヤからサルナートへ移動された。そこで最初に一人に伝わり、すぐに五人全員に伝わり、その時、これまで超えられなかったものを超えた。その出来事を初転法輪と言われ、サルナートは四大聖地のひとつになった。

仏陀は真理を伝えるのに慎重であった。簡単には伝わらないという認識、そこをなんとか伝えるための工夫があった。

以上のことが、一法庵が10年間やって来た事に深くリンクする。

第四図(写真参照)は、我々がこの世界はこういうものだと思っている世界。良いものと悪いものがあり、好き嫌いでできた世界。これ(第四図)が現実だとしたらどうやって生きていったらいいか?

多くのビジネス書が教えるように、どうやって自分の目的を達成することができて、勝利者となれるのかの工夫と努力があるだけ。欲望の対象である良いものをなんとか獲得して、悪いものに怒りや憎しみをいだき、それを打倒したり、逃げようとするのが人生の基本になる。

しかし、この生き方がうまくいかなくなってきたとき、この欲望と怒りがあるからいけないのだ、だからこれをなくしていけばいい、という考え方になる。欲望と怒りから自由になった平静さ(=ウベッカ=捨)が大事になってくる。好き嫌いが苦しみを生むからそれをなくせばいい、となる。

好きでもない嫌いでもない心になれば、欲望と怒りから解放され、苦しみがなくなる。そのはずなのだが、好き嫌いは我々のこころの表層にあるものではなく、こころそのものが好き嫌いで出来ているから、それをなくすのは原理的に無理なのである。一生懸命やっていれば将来出来るようになるものではない。

好き嫌いをなくして平静さになろうとして、どうしても無理とわかってくると、その現実から目を逸らすために、自分のこころを見ないようになる。あるいは、何かに触れればすぐに好き嫌いが起きてしまうから、もう何にも触れないようにと、どこかへ逃げこむ。どちらにしろ、問題の解決からほど遠い。

この世界は「思いの世界」と内山老師はおっしゃった。「思い」によって苦しい世界が生まれるから、その思いを手放せばいいとなる。

思いの手放し。これが内山門下での最重要な課題になるが、この思いの手放しとマインドフルネスはいったいどういう関係になっているのか。それが大問題。

思いを抜けた、思いを越えた世界に触れることを、「青空にタッチする」と一法庵のまわりでも表現されてきた。あるいは「青空を感じる」という表現をする。

マインドフルネスの定義は、ウペッカとともに明晰な意識で観察すること。ウペッカはともかく、「明晰な意識で観察すること」の部分と、「思いの手放し」がうまく繋がらない。なので、「青空にタッチする」「青空を感じる」という表現になってしまう。

この問題が、禅とマインドフルネスの間に横たわる最大の課題。

この難問題を唯一解決できるのが、第五図。第五図に描かれた人はこの世界の外にいる人。次元の違う世界で生きている。その人は青空の中にいて、青空からすべてを観察する。そこには明晰な意識がある。青空を感じるのではない。「青空を感じる」ところに明晰な意識はないから。

明晰な意識がどうしても「思い」にしか思えなかった。「思い」はもっとも避けるべきもの。手放すべきもの。だから、「青空を感じる」しかなかった。でも、第五図の明晰な意識は「思い」ではない。そこが肝心なところ。

つまり、私達は二重国籍なのである。第四図のなかの人間という意味で日本国籍をもっている。でも同時に第五図にいる人間という意味で、インド国籍ももっている。

インドから日本を振り返って観ているのだ。それがマインドフルネスの真意。

青空にタッチする、青空を感じるくらいでは世界観はぐらつかない。日本人のままだから。空気が澱んだ閉ざされた部屋の窓が開いて、外から新鮮な空気が入ってきたようなもので、部屋の中にいる自分というアイデンティティは揺るがされず、そこに恐怖などはない。

でも、自分が第五図のなかにいると知ったら、そのときは恐怖を感じる。もう部屋のなかにはいないから。部屋の中の自分というアイデンティティが、根本的に揺るがされる。

私はいったい誰?となる。今までの世界観が崩壊する。私はこの世界の中でのみ生きていたと思っていたら、実はその世界の外にいて、外からこの世界を観ている。では、外から見てるひとは一体誰?となり、まず来るのは恐怖。マインドフルネスの本当の意味はここまでこないと、分からない。その場所では勿論、すべての好き嫌いは完全に離れてる。ウペッカが完璧に実現している。つまり、マインドフルネスの定義「ウペッカとともに明晰な意識で観察する」が満たされている。青空の中まで入って、初めて世界をマインドフルに観ることが出来るのだ。

そのとき色々と明らかになる。第四図のなかの私は、生老病死から決して逃れられない私。第五図は生まれることもなければ死ぬこともない、つまり生老病死がない世界。般若心経の観自在菩薩が見ている世界。

一法庵では、「青空にタッチした」という人はこれまでもいたが、2016年秋に、青空の経験を恐怖として捉えた人が現れた。 不思議に思って色々と詳細を聞くと、第五図の私がいきなり現れた経験をしたようだ。そのことで、これまで自分は第四図のなかにいるとのみ思っていたので、自分のアイデンティティが根本的に揺さぶられたことがわかった。

このかたは、自分に起きたことの意味を知りたくて、いろんなスピリチュアルな指導者を訪ねて質問しても、誰からも明確な答えをもらえなかった。それどころか質問の意味すら理解してもらえなかったそう。

2016年10月に『仏教3.0を哲学する』が刊行されて、その中に掲載された第五図を観て、自分の経験の意味が完全に納得できた。あの時私を外からみていたあの人はこの第五図のひとだったのだ、と。

こうしてようやく、青空にタッチするのではなく、青空の中に入るひとが現れて、それ以降、青空の意味が正確に伝わるようになった。その結果一法庵サンガの瞑想も一気に深くなっていった。

マインドフルネスとはこの青空の中にいて、この地上の世界を観ていること。好き嫌いのないウペッカで、ただありのまま観察する。

青空の世界の中には好き嫌いなどない、生老病死もない。たとえ地上で愛する人を失ったとしても、青空を知っていたなら、自分が愛したひとはもともと生まれてもいないし死ぬこともないと分かる。つまり愛する人を失ったわけではないとわかる。それが本当の救いなのである。そしてそれが本当の安心感なのである。

(法話のまとめ終わり)

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この法話の中で、あるかたが、突然第5図の私が出現する体験をして、その結果自分のアイデンティティが根本的に揺すぶられ、これまでの世界観が崩壊し、恐怖のどん底に落とされて、そこから何とか立ちあがるために、自分に起きたことの意味を探し求めつづけ、ついに約2年前に刊行された『仏教3.0を哲学する』の中に掲載された、内山老師の第5図を見て、すべて附に落ちたというのは私の事です。

これまでも何度か法話の中で私の体験を取り上げて下さっていますが、勇気を持って自分の体験を、私の言葉で語りたいと思います。

続きは次の投稿でご覧下さいませ。


内山老師の第四図


第五図

仏陀が五比丘に真理を伝えるのに成功したサルナートにあるダメーク・ストゥーパ。山下先生と仏跡巡礼にいかれた皆さんが、お経を読誦されています。この後、山下先生による法話と瞑想をされたそうです。